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第103話 絵画の向こう
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久々に実家であるグリディアード公爵城に帰ってきたルカは、食卓の間にてグリディアード公爵と食事を楽しんでいた。楽しんでいたと言うよりも、仕方なく付き合っていると言ったほうが合っている気がするが。
無言で食べ進めるルカの傍で、グリディアード公爵はワインを嗜む。食欲旺盛な息子を温かい目で見ていると、視線を鬱陶しく感じたルカに睨まれてしまった。ルカはフォークで肉の塊を突き刺し、上品に口へと運ぶ。性格と全く似つかない食事の作法は、グリディアード公爵の教育の賜物だ。
「ルクアーデ子爵……おっと、失礼。もうルクアーデ公爵だったね……。彼らは元気にしていたかい?」
「それなりに。よろしく伝えておいてほしいって言われた」
わざとらしく爵位を間違え、ひとりで肩を震わせて笑うグリディアード公爵に若干の苛立ちを覚えながらも、ルカはそう伝える。
「また今度、みんなでお泊まり会でもしたいな」
「きめぇ。そんな年齢じゃねぇだろ」
ルカは、グリディアード公爵の乙女さながらの願いを一蹴した。やはり父への接し方には、手厳しいところがある。
ヴィロードは、グリディアード公爵にお礼をしたいと記した手紙を出してみると言っていた。その手紙を受け取ったグリディアード公爵は、お礼はお泊まり会でいいと血迷った返事の手紙を書きそうだ。それを脳内で想像したルカは、震撼する。さっさと食事を平らげてグリディアード公爵の前から姿を消そうと心に決め、肉を口に運ぶスピードを上げた。
「ルクアーデ公爵は、歳を取るにつれて、随分と母君に似てきたようだ」
「……あの金髪金眼のか」
「おや、彼女を知っているのかい?」
ルカはワインを一気に飲み、喉を潤す。
「ヴィオレッタが前に住んでいた場所……ルクアーデ子爵邸で写真を見た」
あと、テメェの執務室でも見た。さすがにそんな恐ろしいことは言えなかったが、ルカは心の中でそっと呟いた。
「美しい人だっただろう? 僕の古い友人なんだ」
「ヴィオレッタから聞いた」
「そうか……。ルクアーデ公爵令嬢は父君によく似ているね」
グリディアード公爵は、追想する。彼の表情は、確かに誰かを懐かしんでいた。それがルクアーデ先代公爵か、その夫人かは分からない。だが、彼らふたりの血を引くヴィロードとヴィオレッタに、不思議な縁を感じていることは確かだろう。
グリディアード公爵は、人差し指でグラスを撫でる。赤いワインが透明の舞台で踊る様を見て、小さな笑みをこぼした。酒に酔っているのだろうか。
なんとなく話が長くなりそうな気配を瞬時に察知したルカは席を立つ。
「俺はジジイの思い出話に付き合う趣味はねぇ。もう行くぞ」
「ははっ。久々に一緒に食事をしてくれただけでも嬉しかったよ。ありがとうルカ。おやすみ」
グリディアード公爵は酒気を帯びた赤い顔で、軽やかに手を振った。ルカはいい歳した男がかわいこぶんなよと心中で悪態を突き、舌打ちをして間を去った。今夜、グリディアード公爵は泥酔するまでワインを飲み続けるのだろう。恐らくもう、時間の問題であるが。
ルカは、自室がある宮に向かう。見慣れた庭園。見慣れた風景。だが今日は、なぜか胸騒ぎがした。近くの巨木に止まっていた鴉が突然飛び立つ。バサバサと、黒羽と葉が擦れる音が夜に響いた。暗闇に消え去る鴉を見送ったあと、ふと歩む足を止める。壁にかけられた大きな絵画。いつもと変わらないはずのその絵は、ルカを誘うように魅了する。
「金髪の女神……」
白い羽衣をまとった金髪の女神。黒髪の男。ヴィオレッタの亡き母も金髪であったことから、女神がルクアーデの夫人のように見えてくる。黒髪の男は誰かは知らないが、女神に許しを乞うている様子だ。
ルカは女神の羽衣に触れる。その輪郭を指先で繊細になぞり、長い金髪を撫でる。ヴィオレッタが赤髪ではなく金髪であったら、この女神にそっくりであったのだろうか、なんてことを考えながら、ルカは黒髪の男に手をかざした。その時――。ガタガタ、という壁が揺れる音と共に、絵画が飾られていた壁がゆっくりと動いていく。
「……んだ、これ……」
呆然と呟く。ルカが驚愕の眼差しを向ける先。動いた壁の向こう側には、地下へと続くであろう長い階段が現れた。一気に空気が変わる。初夏の夜なのにも関わらず、底冷えする寒さが訪れた。全く先の見えない階段。黒闇の底からおいでおいでと誰かが手招きをしている。誘われるがままに、階段を一段、また一段と下った。背後の壁は自然に閉まり、視界は黒で塗り潰される。階段を踏み外さないよう、細心の注意を払う。等間隔を意識して階段を下りていると、徐々に視界が慣れてきた。最後と思わしき一段を無事に下ったルカは、比較的小さな扉が目の前に現れたことに気がつく。手汗がじっとりと滲んだ手でドアノブに触れ、力を込める。しかし、前に押そうとも後ろに引こうとも、扉はビクともしない。
「鍵がかかってんのか……」
ルカは大きく溜息を吐き、鍵を外す手段を考え始める。思考した結果、とりあえず来た道を戻ることとした。内側から壁を開き、暗闇から解放される。再度振り返り、飾られた謎多き絵画を見つめた。
この黒城は、いずれはルカの所有物となる。様々な秘密の部屋があり数多くの仕掛けがあることは、幼い時からグリディアード公爵に嫌というほど叩き込まれていた。既にいつ公爵の座に就いてもおかしくないよう、黒城を知り尽くしているルカでさえ、見たこともない部屋がこの絵画の向こうにあったのだ。何か秘密があるに違いない。
久方ぶりに感じる好奇心のまま、暫し絵画の前で考え事をしていると、再度黒髪の男へ目が行く。
「……こいつ、」
ターコイズブルーの瞳が大きく瞬く。
今日は、やけに上機嫌だったグリディアード公爵が泥酔する夜。まさに、絶好のチャンスであった――。
無言で食べ進めるルカの傍で、グリディアード公爵はワインを嗜む。食欲旺盛な息子を温かい目で見ていると、視線を鬱陶しく感じたルカに睨まれてしまった。ルカはフォークで肉の塊を突き刺し、上品に口へと運ぶ。性格と全く似つかない食事の作法は、グリディアード公爵の教育の賜物だ。
「ルクアーデ子爵……おっと、失礼。もうルクアーデ公爵だったね……。彼らは元気にしていたかい?」
「それなりに。よろしく伝えておいてほしいって言われた」
わざとらしく爵位を間違え、ひとりで肩を震わせて笑うグリディアード公爵に若干の苛立ちを覚えながらも、ルカはそう伝える。
「また今度、みんなでお泊まり会でもしたいな」
「きめぇ。そんな年齢じゃねぇだろ」
ルカは、グリディアード公爵の乙女さながらの願いを一蹴した。やはり父への接し方には、手厳しいところがある。
ヴィロードは、グリディアード公爵にお礼をしたいと記した手紙を出してみると言っていた。その手紙を受け取ったグリディアード公爵は、お礼はお泊まり会でいいと血迷った返事の手紙を書きそうだ。それを脳内で想像したルカは、震撼する。さっさと食事を平らげてグリディアード公爵の前から姿を消そうと心に決め、肉を口に運ぶスピードを上げた。
「ルクアーデ公爵は、歳を取るにつれて、随分と母君に似てきたようだ」
「……あの金髪金眼のか」
「おや、彼女を知っているのかい?」
ルカはワインを一気に飲み、喉を潤す。
「ヴィオレッタが前に住んでいた場所……ルクアーデ子爵邸で写真を見た」
あと、テメェの執務室でも見た。さすがにそんな恐ろしいことは言えなかったが、ルカは心の中でそっと呟いた。
「美しい人だっただろう? 僕の古い友人なんだ」
「ヴィオレッタから聞いた」
「そうか……。ルクアーデ公爵令嬢は父君によく似ているね」
グリディアード公爵は、追想する。彼の表情は、確かに誰かを懐かしんでいた。それがルクアーデ先代公爵か、その夫人かは分からない。だが、彼らふたりの血を引くヴィロードとヴィオレッタに、不思議な縁を感じていることは確かだろう。
グリディアード公爵は、人差し指でグラスを撫でる。赤いワインが透明の舞台で踊る様を見て、小さな笑みをこぼした。酒に酔っているのだろうか。
なんとなく話が長くなりそうな気配を瞬時に察知したルカは席を立つ。
「俺はジジイの思い出話に付き合う趣味はねぇ。もう行くぞ」
「ははっ。久々に一緒に食事をしてくれただけでも嬉しかったよ。ありがとうルカ。おやすみ」
グリディアード公爵は酒気を帯びた赤い顔で、軽やかに手を振った。ルカはいい歳した男がかわいこぶんなよと心中で悪態を突き、舌打ちをして間を去った。今夜、グリディアード公爵は泥酔するまでワインを飲み続けるのだろう。恐らくもう、時間の問題であるが。
ルカは、自室がある宮に向かう。見慣れた庭園。見慣れた風景。だが今日は、なぜか胸騒ぎがした。近くの巨木に止まっていた鴉が突然飛び立つ。バサバサと、黒羽と葉が擦れる音が夜に響いた。暗闇に消え去る鴉を見送ったあと、ふと歩む足を止める。壁にかけられた大きな絵画。いつもと変わらないはずのその絵は、ルカを誘うように魅了する。
「金髪の女神……」
白い羽衣をまとった金髪の女神。黒髪の男。ヴィオレッタの亡き母も金髪であったことから、女神がルクアーデの夫人のように見えてくる。黒髪の男は誰かは知らないが、女神に許しを乞うている様子だ。
ルカは女神の羽衣に触れる。その輪郭を指先で繊細になぞり、長い金髪を撫でる。ヴィオレッタが赤髪ではなく金髪であったら、この女神にそっくりであったのだろうか、なんてことを考えながら、ルカは黒髪の男に手をかざした。その時――。ガタガタ、という壁が揺れる音と共に、絵画が飾られていた壁がゆっくりと動いていく。
「……んだ、これ……」
呆然と呟く。ルカが驚愕の眼差しを向ける先。動いた壁の向こう側には、地下へと続くであろう長い階段が現れた。一気に空気が変わる。初夏の夜なのにも関わらず、底冷えする寒さが訪れた。全く先の見えない階段。黒闇の底からおいでおいでと誰かが手招きをしている。誘われるがままに、階段を一段、また一段と下った。背後の壁は自然に閉まり、視界は黒で塗り潰される。階段を踏み外さないよう、細心の注意を払う。等間隔を意識して階段を下りていると、徐々に視界が慣れてきた。最後と思わしき一段を無事に下ったルカは、比較的小さな扉が目の前に現れたことに気がつく。手汗がじっとりと滲んだ手でドアノブに触れ、力を込める。しかし、前に押そうとも後ろに引こうとも、扉はビクともしない。
「鍵がかかってんのか……」
ルカは大きく溜息を吐き、鍵を外す手段を考え始める。思考した結果、とりあえず来た道を戻ることとした。内側から壁を開き、暗闇から解放される。再度振り返り、飾られた謎多き絵画を見つめた。
この黒城は、いずれはルカの所有物となる。様々な秘密の部屋があり数多くの仕掛けがあることは、幼い時からグリディアード公爵に嫌というほど叩き込まれていた。既にいつ公爵の座に就いてもおかしくないよう、黒城を知り尽くしているルカでさえ、見たこともない部屋がこの絵画の向こうにあったのだ。何か秘密があるに違いない。
久方ぶりに感じる好奇心のまま、暫し絵画の前で考え事をしていると、再度黒髪の男へ目が行く。
「……こいつ、」
ターコイズブルーの瞳が大きく瞬く。
今日は、やけに上機嫌だったグリディアード公爵が泥酔する夜。まさに、絶好のチャンスであった――。
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