上 下
100 / 168

第100話 白昼のキス

しおりを挟む
 後日、サンロレツォ公爵家は平民に没落。サンロレツォ公爵とベアトリーチェは、地下牢にて処刑された。民衆の前で命を落とさなかったことが、皇帝のせめてもの計らいなのかもしれない。サンロレツォ公爵家の財産は全て没収され、公爵家の地位を取り戻したルクアーデ家に譲渡されることとなった。金にものを言わせた煌びやかなサンロレツォ公爵城は、ルクアーデ公爵城となり、サンロレツォ家が手がけていた事業の権限は全てルクアーデ公爵家の手に渡った。
 幽霊屋敷とはおさらばしたヴィロードとヴィオレッタは、久々の裕福な暮らしに一向に慣れないでいた。そんな彼らが暮らすルクアーデ公爵城には、珍客が訪れていた。

「………………」
「………………」

 沈黙だけが優雅に舞い踊る客間の一室。派手派手しい家具たちに囲まれていたのは、めでたく公爵令嬢の地位を取り戻したヴィオレッタと、彼女の婚約者ルカであった。
 数日前、ヴィオレッタの元に、イェレミスから休日をもぎ取ったため、公爵城に宿泊したいという趣旨が記されたルカからの手紙が届いた。ヴィオレッタはそれを了承して、彼が訪ねてくる今日という日を待ち侘びていたのだが、たった今ふたりの間には気詰まりな空気が流れていた。今日を楽しみにしていたが、いざそれを目の前にしてみると、上手く素直になれないのだろうか。

「そっちに、行って、いいか……」
「えぇ、構わないわよ」

 沈黙を突き破ったのは、ルカであった。ヴィオレッタは快く受け入れる。ルカは高級な紅茶を味わうことなく一気飲みして、立ち上がる。そして、向かい側に座っていたヴィオレッタの隣に腰掛けた。少し開いた距離に焦れったく感じたヴィオレッタは、その距離を縮める。ルカは両肩を跳ね上がらせて、周章狼狽しゅうしょうろうばいした。ヴィオレッタの中に、ぽっと顔を出したのは、悪戯心。もっとルカを困らせたくなったのだ。口端を吊り上げて笑いながら、彼に近寄る。そして彼の肩に、ちょこんと頭を預けた。

「……私たち、婚約者よ。それも、両思い」
「ん゛……」

 ヴィオレッタの口から「両思い」という言葉が紡がれたのが胸にグッときたのか、ルカは変な声を出した。
 今は亡きベアトリーチェの一件のあと、ヴィオレッタとルカは想いを通じ合わせることができた。募りに募った互いの誤解は見事に解消し、本当の意味で婚約者となることができたのだ。それは既に、社交界で周知の事実となっている。未婚の令嬢方たちは、ベアトリーチェのようにルカを手に入れるがために、ヴィオレッタにちょっかいをかけてしまえば、最悪命を刈り取られてしまうと恐れている。令息方の間では、ヴィオレッタが噂とは違う悪女であったことに、それはまた別の意味で興奮すると話題であるが、実行に起こしてしまえば騎士王ルカに惨殺されるため、誰ひとりとしてヴィオレッタに夜の誘いをする者はいなかった。
 ヴィオレッタはルカと婚約したことで、かけがえのないものを取り戻し、そして愛を手に入れることができた。彼女は一生をかけても返せない恩を感じている。

「あなたにはいろいろお世話になったから、私がひとつだけなんでも言うことを聞いてあげるわ」

 プリムローズイエローの瞳が熱に魘される。ヴィオレッタの上目遣いに心を射抜かれたルカは、激しく咳払いをした。ぎこちなくヴィオレッタの肩に腕を回して引き寄せたあと、剥き出しになった耳元でとびっきり甘く囁いた。

「また今度に取っておく」

 ヴィオレッタは耳元を押さえ、至近距離に迫るルカの美貌を見上げた。黒い睫毛が震える下、爛々と輝く眼。唇はギュッと噤まれ、拗ねているとも取れる表情が可愛らしい。ルカの端正な顔立ちに思わず見惚れていると、徐々に近づいてきていることに気がつく。ハッとしたヴィオレッタは距離を取ろうとするが、彼女の肩に回されたルカの腕がそれを制止した。とうとう逃げ場のなくなったヴィオレッタは、潤ったルカの唇を愛しく見つめ、そっと瞳を伏せる。触れるだけの、優しいキス。一度離れたあと、またも交わる。今度は少しだけ強めに。

「んっ……」

 唇を食まれ、ヴィオレッタは体を強ばらせる。そんな彼女のガチガチに固まった体を解すように、ルカは肩から手を滑らせた。性的な意味を持って、背中を撫で、腰に添える。指先を滑らせて、細い腰のラインをなぞった。ヴィオレッタの体から力が抜ける。

「ぁっ…ん、ふっ……」

 キスの合間に漏れる声と吐息がルカを誘う。
 白昼、初恋の女性と口付けを交わしている事実に、ルカは今にも口から心臓が飛び出そうなほど緊張していた。もちろん、キスにはそれを表さないが。
 何度も唇を重ねる程よく熱いキスに、ヴィオレッタは至上の喜びを感じて、ルカに体を預けたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

処理中です...