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第81話 天使は舞踏会に招待したい
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花風が吹き、顔を出した花々が花弁を散らす。
ベアトリーチェが手首の怪我を理由に、騎士団の本部に滞在してから一ヶ月が経っていた。
騎士たちが頻繁に利用する食堂では、悶々とした空気が流れていた。中央のテーブルには、ルカとベアトリーチェが向かい合った状態で座っており、一際強い殺気が取り巻いている。そのため、誰ひとりとしてその場所には近寄らない。
半ば強引に、食事を掻き込むルカとは反対に、ベアトリーチェは上品に食事を口に運んでいた。決して共に食事をしようと約束をしていたわけではない。ルカが食堂に来る時間を見計らって、ベアトリーチェも食堂にやって来たのである。「偶然ですわね~」と可愛らしく笑うベアトリーチェの顔に、ルカは堪らず苛立ちを覚えたがなんとか無視を決め込んだのだ。
ただでさえ、ベアトリーチェのせいで、ルカの婚約者であるヴィオレッタに勘違いをされてしまったというのに、これ以上誤解を招く行いをするわけにはいかない。
「美味しいですわ。騎士団のシェフは素晴らしい方なのですね」
「………………」
「これからも毎日口にしたいくらい美味ですわ。ルカ様もそう思いますわよね?」
ルカは右手の指先に全力を注ぎ込む。そして右手に持っていたフォークを指先の力だけで思いっきり投げた。フォークは風を切り宙を飛ぶと、食堂の壁に突き刺さって動きを止める。それを目の当たりにした周囲の騎士たちは壁にめり込んだフォークを見つめて、ルカに対して畏怖の感情を抱いた。
「名で呼ぶんじゃねぇ、気色悪ぃ」
「あら、恥ずかしがらないでくださいな」
「あ゛? テメェ頭に蛆でもわいてんのか。テメェなんぞに軽々しく名を呼ばれたくねぇっつってんだよ」
「ふふ、ルカ様もわたくしのことをリーチェ、と愛称で呼んでもよろしいですわよ」
ルカの額に、ビキッ、ビキッと大量の青筋が浮かぶ。ふたりの様子を遠巻きに見守っていた騎士たちは、ベアトリーチェに対して、「頼むからルカを刺激しないでくれ!」と心中で叫んだ。
ルカは食事を終え、コップに入った水を一気飲みする。そして凍える瞳でベアトリーチェを見つめる。
「テメェ、手首はもう治ってんだろ」
ベアトリーチェは「え」と小さな声を上げて、小刻みに体を震わせた。そして持っていたフォークを落とす。カランッと控えめな音が鳴った。
包帯が巻かれた手首を凝視するルカは、図星だったか、と溜息を吐く。
「あ、あと少しで完治しますわ」
「どうでもいいが……治ったらすぐに帰れ」
ルカはベアトリーチェの目を見ることはせず、素っ気なくそう言って席を立つ。乱暴に椅子をしまい、片手で茶色のトレイを持ってその場を去ろうとする。
「お待ちください」
ベアトリーチェに呼び止められ、ルカは反射的に立ち止まってしまった。舌打ちをかましてから振り向く。ベアトリーチェは白い布で口元を拭い、ルカに視線を向ける。
「今度、サンロレツォ公爵家で開催される舞踏会がありますの。その舞踏会にルカ様をご招待いたしますわ」
「………………」
「もちろん、ご婚約者様も一緒に」
ラピスラズリ色の瞳が燦爛と輝く。答えをもらうまで逃がさないと言うかのような眼差しに、ルカは心火を燃やした。
ルカは多忙な身である。ヴィオレッタに割く時間はいくらでもあったとしても、ベアトリーチェに割く時間は少しもない。そんな暇はない、と一蹴しようとするが、ルカは思いとどまる。もしかしたらこの機会を利用して、ヴィオレッタと仲直りができるかもしれない。決して喧嘩をしているわけではないのだが、彼女に誤解を与えて不快な気持ちにさせてしまったことは明白だ。あのあと、何度自己嫌悪に陥ったことか。あれほど自身に嫌気がさしたのは、人生で初めてであった。
ルカは思考したすえ、天井を仰ぎ、地面を見つめる。そしておまけと言わんばかりに舌打ちをして、顔を上げた。
「あとで招待状を寄越せ」
そう吐き捨て、背を向ける。ルカの思いがけない了承の言葉に、固唾を呑んで見守っていた騎士たちは、仰天する。その場でただひとり、ベアトリーチェだけがルカの答えが予測できていたとでも言いたげに、不気味に微笑んでいた。
ベアトリーチェが手首の怪我を理由に、騎士団の本部に滞在してから一ヶ月が経っていた。
騎士たちが頻繁に利用する食堂では、悶々とした空気が流れていた。中央のテーブルには、ルカとベアトリーチェが向かい合った状態で座っており、一際強い殺気が取り巻いている。そのため、誰ひとりとしてその場所には近寄らない。
半ば強引に、食事を掻き込むルカとは反対に、ベアトリーチェは上品に食事を口に運んでいた。決して共に食事をしようと約束をしていたわけではない。ルカが食堂に来る時間を見計らって、ベアトリーチェも食堂にやって来たのである。「偶然ですわね~」と可愛らしく笑うベアトリーチェの顔に、ルカは堪らず苛立ちを覚えたがなんとか無視を決め込んだのだ。
ただでさえ、ベアトリーチェのせいで、ルカの婚約者であるヴィオレッタに勘違いをされてしまったというのに、これ以上誤解を招く行いをするわけにはいかない。
「美味しいですわ。騎士団のシェフは素晴らしい方なのですね」
「………………」
「これからも毎日口にしたいくらい美味ですわ。ルカ様もそう思いますわよね?」
ルカは右手の指先に全力を注ぎ込む。そして右手に持っていたフォークを指先の力だけで思いっきり投げた。フォークは風を切り宙を飛ぶと、食堂の壁に突き刺さって動きを止める。それを目の当たりにした周囲の騎士たちは壁にめり込んだフォークを見つめて、ルカに対して畏怖の感情を抱いた。
「名で呼ぶんじゃねぇ、気色悪ぃ」
「あら、恥ずかしがらないでくださいな」
「あ゛? テメェ頭に蛆でもわいてんのか。テメェなんぞに軽々しく名を呼ばれたくねぇっつってんだよ」
「ふふ、ルカ様もわたくしのことをリーチェ、と愛称で呼んでもよろしいですわよ」
ルカの額に、ビキッ、ビキッと大量の青筋が浮かぶ。ふたりの様子を遠巻きに見守っていた騎士たちは、ベアトリーチェに対して、「頼むからルカを刺激しないでくれ!」と心中で叫んだ。
ルカは食事を終え、コップに入った水を一気飲みする。そして凍える瞳でベアトリーチェを見つめる。
「テメェ、手首はもう治ってんだろ」
ベアトリーチェは「え」と小さな声を上げて、小刻みに体を震わせた。そして持っていたフォークを落とす。カランッと控えめな音が鳴った。
包帯が巻かれた手首を凝視するルカは、図星だったか、と溜息を吐く。
「あ、あと少しで完治しますわ」
「どうでもいいが……治ったらすぐに帰れ」
ルカはベアトリーチェの目を見ることはせず、素っ気なくそう言って席を立つ。乱暴に椅子をしまい、片手で茶色のトレイを持ってその場を去ろうとする。
「お待ちください」
ベアトリーチェに呼び止められ、ルカは反射的に立ち止まってしまった。舌打ちをかましてから振り向く。ベアトリーチェは白い布で口元を拭い、ルカに視線を向ける。
「今度、サンロレツォ公爵家で開催される舞踏会がありますの。その舞踏会にルカ様をご招待いたしますわ」
「………………」
「もちろん、ご婚約者様も一緒に」
ラピスラズリ色の瞳が燦爛と輝く。答えをもらうまで逃がさないと言うかのような眼差しに、ルカは心火を燃やした。
ルカは多忙な身である。ヴィオレッタに割く時間はいくらでもあったとしても、ベアトリーチェに割く時間は少しもない。そんな暇はない、と一蹴しようとするが、ルカは思いとどまる。もしかしたらこの機会を利用して、ヴィオレッタと仲直りができるかもしれない。決して喧嘩をしているわけではないのだが、彼女に誤解を与えて不快な気持ちにさせてしまったことは明白だ。あのあと、何度自己嫌悪に陥ったことか。あれほど自身に嫌気がさしたのは、人生で初めてであった。
ルカは思考したすえ、天井を仰ぎ、地面を見つめる。そしておまけと言わんばかりに舌打ちをして、顔を上げた。
「あとで招待状を寄越せ」
そう吐き捨て、背を向ける。ルカの思いがけない了承の言葉に、固唾を呑んで見守っていた騎士たちは、仰天する。その場でただひとり、ベアトリーチェだけがルカの答えが予測できていたとでも言いたげに、不気味に微笑んでいた。
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