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第75話 悪女の好奇心
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冬空の下、幽霊屋敷さながらにひっそりと佇むルクアーデ子爵邸にて、ヴィオレッタは非常に心が落ち着かない状態にあった。ワインレッドの色味のドレスに身を包み、下ろしたルージュ色の髪を指先で弄ぶ。
ヴィオレッタの意識は、完全に皇帝に持っていかれていた。以前皇帝と顔を合わせた時、彼が愛したという女性のことを聞き出そうとした。彼は、「アリーシャ」という名を呟いたが、タイミング悪く宰相に会話を遮られてしまい、それ以上の情報を聞き出すことはできなかった。
胸の中を渦巻く皇帝が愛した女性の存在。あの淡白な皇帝が人を愛するところを想像できないからこそ、ヴィオレッタは知りたいのだ。
終着点のない考えにモヤモヤしていると、ヴィオレッタは弾かれたように顔を上げる。
「グリディアード公爵令息に聞くしかないのかしら」
ぽつりと呟いた。
ルカは、皇帝が抱える秘密、事情を知っている。宰相にも聞き出せないとなると、彼に聞くしか道は残されていないのかもしれない。ルカは、ヴィオレッタであれば皇帝はいずれ秘密を教えてくれると言っていたが、その瞬間まで待てないのだ。他人の秘密を半ば強引に聞き出すのも、悪い気がするが、もはやそんなことには構っていられない。
胸を渦巻く霧のせいで、いても経ってもいられなくなったヴィオレッタは、ソファーから立ち上がり衝動的に自室を飛び出した。馬車を駆り出して、邸宅を出発すると、騎士団本部までの道のりを走り始めたのであった。
馬車に長い間揺られ続けたヴィオレッタは、やっとの思いで騎士団の本部に到着する。見上げるほどに高く、不届き者の侵入は一切許さないと威圧感を放つ正門。そんな正門の前で見張りの業務をまっとうする騎士たちに近づいた。
「あなたは……。ル、ルクアーデ子爵令嬢!」
「ごきげんよう。お役目ご苦労様でございます」
「と、とんでもありません!!!」
軽く頭を下げるヴィオレッタの労いの言葉に、騎士たちは鼻息を荒くして否定をした。彼女が動く度に小刻みに揺れる胸の膨らみに目がいってしまうようであったが、なんとか騎士たる者としての煩悩を殺しきっている様子であった。
「グリディアード公爵令息にお会いしたいのだけど、入ってもよろしくて?」
「もちろんです! 客間までご案内いたします!」
ひとりの騎士がヴィオレッタの案内役を買って出る。ほかの騎士は先を越されたと悔しげに唇を噛んでいたが、ヴィオレッタはそれに気がつかず、騎士の申し出をありがたく受け入れた。
最初は、本部の中に入ることすら許されなかったというのに、今では騎士団からの招待状やルカの手紙がなくとも、易々と足を踏み入ることができる。騎士団副団長の婚約者、いわゆる顔パスというものを、身をもって体験したヴィオレッタは、楽なものだと実感した。
騎士に案内されるがまま、巨大な門を潜り抜け、客間までの道を歩く。すれ違う騎士たちは、ヴィオレッタに熱い視線を送るが、何かを思い出したかのように、すぐに顔面を蒼白にし、彼女から目を逸らす。それを不審に思ったヴィオレッタは、整った眉の間に深い皺を寄せた。案内役の騎士にその理由を問い質そうとしたその時――。
「わたくし、今晩の夕食が楽しみですわ」
騎士団には不相応な高い声が耳に入る。その声は脳内で処理されることなく、簡単に霧散した。ヴィオレッタは足を止め、はて? と首を傾げる。
今の声は、聞き間違いだろうか。ルカの誕生パーティーで聞いた不愉快な声が耳に入った気がしたが。幻聴が聴こえてしまうほど、ヴィオレッタは疲れてしまっているのだろうか。
ヴィオレッタは眉間に生まれた皺を親指と人差し指で引き伸ばした。そして一歩踏み出そうとしたが、またも高い声に遮られ、その足が動くことはなかった。
「騎士団のお食事はどれも美味しくて……。グリディアード公爵令息もご一緒にいかがですか? わたくしとふたり、夕食を楽しみましょう」
今度は幻聴ではない。はっきりと聞こえる。ヴィオレッタのありもしない噂を流した張本人、社交界の絶対的存在、ベアトリーチェの声が。
ヴィオレッタは案内役の騎士に目を向ける。
「なぜ、サンロレツォ公爵令嬢がいらっしゃるのかしら」
「ぁっ……ひっ……え、ぇっと……」
ヴィオレッタの声は鋭い刃物となり、騎士の心臓を貫く。騎士は一介の貴族令嬢の問いかけに答えることができず、吃る。ヴィオレッタはそれを見て、露骨に溜息をついた。雷に打たれたように愕然としている騎士を置き去りにし、彼女は声が聞こえる方向に向かう。
「聞いていらっしゃいますか? グリディアード公爵令息」
「………………」
ヴィオレッタは壁の影に身を隠し、そっと顔を覗かせる。人気の少ない広場。まさに芸術品と言える美しい噴水があったが、凍える寒さが立ち込めるせいか、水を噴き上げてはいなかった。そんな噴水の外側にちょこんと腰掛けるのは、ベアトリーチェ。そして彼女の隣にいるのは、ルカであった。
ヴィオレッタの意識は、完全に皇帝に持っていかれていた。以前皇帝と顔を合わせた時、彼が愛したという女性のことを聞き出そうとした。彼は、「アリーシャ」という名を呟いたが、タイミング悪く宰相に会話を遮られてしまい、それ以上の情報を聞き出すことはできなかった。
胸の中を渦巻く皇帝が愛した女性の存在。あの淡白な皇帝が人を愛するところを想像できないからこそ、ヴィオレッタは知りたいのだ。
終着点のない考えにモヤモヤしていると、ヴィオレッタは弾かれたように顔を上げる。
「グリディアード公爵令息に聞くしかないのかしら」
ぽつりと呟いた。
ルカは、皇帝が抱える秘密、事情を知っている。宰相にも聞き出せないとなると、彼に聞くしか道は残されていないのかもしれない。ルカは、ヴィオレッタであれば皇帝はいずれ秘密を教えてくれると言っていたが、その瞬間まで待てないのだ。他人の秘密を半ば強引に聞き出すのも、悪い気がするが、もはやそんなことには構っていられない。
胸を渦巻く霧のせいで、いても経ってもいられなくなったヴィオレッタは、ソファーから立ち上がり衝動的に自室を飛び出した。馬車を駆り出して、邸宅を出発すると、騎士団本部までの道のりを走り始めたのであった。
馬車に長い間揺られ続けたヴィオレッタは、やっとの思いで騎士団の本部に到着する。見上げるほどに高く、不届き者の侵入は一切許さないと威圧感を放つ正門。そんな正門の前で見張りの業務をまっとうする騎士たちに近づいた。
「あなたは……。ル、ルクアーデ子爵令嬢!」
「ごきげんよう。お役目ご苦労様でございます」
「と、とんでもありません!!!」
軽く頭を下げるヴィオレッタの労いの言葉に、騎士たちは鼻息を荒くして否定をした。彼女が動く度に小刻みに揺れる胸の膨らみに目がいってしまうようであったが、なんとか騎士たる者としての煩悩を殺しきっている様子であった。
「グリディアード公爵令息にお会いしたいのだけど、入ってもよろしくて?」
「もちろんです! 客間までご案内いたします!」
ひとりの騎士がヴィオレッタの案内役を買って出る。ほかの騎士は先を越されたと悔しげに唇を噛んでいたが、ヴィオレッタはそれに気がつかず、騎士の申し出をありがたく受け入れた。
最初は、本部の中に入ることすら許されなかったというのに、今では騎士団からの招待状やルカの手紙がなくとも、易々と足を踏み入ることができる。騎士団副団長の婚約者、いわゆる顔パスというものを、身をもって体験したヴィオレッタは、楽なものだと実感した。
騎士に案内されるがまま、巨大な門を潜り抜け、客間までの道を歩く。すれ違う騎士たちは、ヴィオレッタに熱い視線を送るが、何かを思い出したかのように、すぐに顔面を蒼白にし、彼女から目を逸らす。それを不審に思ったヴィオレッタは、整った眉の間に深い皺を寄せた。案内役の騎士にその理由を問い質そうとしたその時――。
「わたくし、今晩の夕食が楽しみですわ」
騎士団には不相応な高い声が耳に入る。その声は脳内で処理されることなく、簡単に霧散した。ヴィオレッタは足を止め、はて? と首を傾げる。
今の声は、聞き間違いだろうか。ルカの誕生パーティーで聞いた不愉快な声が耳に入った気がしたが。幻聴が聴こえてしまうほど、ヴィオレッタは疲れてしまっているのだろうか。
ヴィオレッタは眉間に生まれた皺を親指と人差し指で引き伸ばした。そして一歩踏み出そうとしたが、またも高い声に遮られ、その足が動くことはなかった。
「騎士団のお食事はどれも美味しくて……。グリディアード公爵令息もご一緒にいかがですか? わたくしとふたり、夕食を楽しみましょう」
今度は幻聴ではない。はっきりと聞こえる。ヴィオレッタのありもしない噂を流した張本人、社交界の絶対的存在、ベアトリーチェの声が。
ヴィオレッタは案内役の騎士に目を向ける。
「なぜ、サンロレツォ公爵令嬢がいらっしゃるのかしら」
「ぁっ……ひっ……え、ぇっと……」
ヴィオレッタの声は鋭い刃物となり、騎士の心臓を貫く。騎士は一介の貴族令嬢の問いかけに答えることができず、吃る。ヴィオレッタはそれを見て、露骨に溜息をついた。雷に打たれたように愕然としている騎士を置き去りにし、彼女は声が聞こえる方向に向かう。
「聞いていらっしゃいますか? グリディアード公爵令息」
「………………」
ヴィオレッタは壁の影に身を隠し、そっと顔を覗かせる。人気の少ない広場。まさに芸術品と言える美しい噴水があったが、凍える寒さが立ち込めるせいか、水を噴き上げてはいなかった。そんな噴水の外側にちょこんと腰掛けるのは、ベアトリーチェ。そして彼女の隣にいるのは、ルカであった。
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