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第71話 面倒なこと
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姫騎士セージリアの登場に、サンロレツォ公爵とベアトリーチェは驚愕する。彼らを取り囲むのは、《四騎士》。滅多にお目にかかれない当代最強の四人の騎士が揃っているのだから。
セージリアは、侯爵家の令嬢。身分としては、サンロレツォ公爵とベアトリーチェよりも低い。無礼な発言をしているのはサンロレツォ公爵ではなく、セージリアのほうだ。だがしかし、ここは彼女も言っていた通り神聖なる騎士団の本部である。舞踏会や式典の場とは違う。ここで最も偉ぶることができるのは、《四騎士》のみだ。
「彼女の言う通りだ。副長には正式な婚約者がいるのだから、その方を差し置いて、結婚しろと無茶な要求をするのは……正気の沙汰じゃあないよね」
サンロレツォ公爵の後ろに立っていたアーサーが顎に手を当てながらそう言った。サンロレツォ公爵は咄嗟に振り返る。パチリと視線がかち合い、アーサーは莞爾として笑った。先程の笑みとは違う。今度はしっかり目元も笑っていた。
ベアトリーチェは周囲を見渡す。さっきまで彼女の整った顔立ちと溢れ出る癒しオーラに興奮していた騎士たちは、彼女と目を合わせようとしない。そのほかの騎士たちは、彼女ではなく、セージリアを凝視していた。それに苛立ちを覚えるベアトリーチェ。
明らかに劣勢の状況だ。このままでは、ベアトリーチェが怪我をした件もなかったことにされてしまう。
危機感を察知したベアトリーチェは、ふらふらと立ち上がり、意を決して顔を上げる。
「グリディアード公爵令息。お父様のご無礼を、どうかお許しください」
ベアトリーチェは目元に涙を溜め、深々と頭を下げた。ルカはそれを、感情の映さない目で見つめている。なんの返事もないことに恐れを抱きつつも、ベアトリーチェは臆さない。ラピスラズリ色の双眸は、夜空の如く澄んでいた。
「ですが、お父様が無礼な発言をしたことは事実であると同じく、わたくしが怪我をしたことも事実ですわ。そこで、ひとつ、お願いがありますの」
「チッ……図々しい女だ」
ルカは小声で呟いた。
まるでルカのせいで怪我をしたと言わんばかりの言葉に、ルカは小さな怒りを抱く。ベアトリーチェが怪我をしたのは、彼女が勝手に転んだからだ。しかし、彼女が転ぶきっかけを作ったのは、高圧的な態度を取ったルカである。責任は、ほんの僅かであるが、ルカにもあるだろう。
ベアトリーチェは持ち前の美貌を生かして、微笑む。
「少しの間、騎士団の本部に滞在し、見学をさせていただきたいのです」
ベアトリーチェの高い声は、静寂を呼び寄せる。凛々しい美しさを放つセージリアに夢中だった騎士たちは、やっとベアトリーチェへと目を向けた。まるで、「お前も父親と同様に頭イカれてんじゃねぇかよ」と言いたげな目であった。
「わたくし、騎士の方々の生活に興味がありますの。特に、《四騎士》の騎士王様の……。本日もそのお願いをするために、お父様と共に騎士団長をお訪ねしたのですわ。どうやら断られてしまったようですが……今、そのお願いを受け入れてくだされば、わたくしの怪我の件はなかったことにいたしましょう」
純粋無垢な微笑みと優美な眼差し。神々の遣いである天使だと言われても納得できる見目麗しい乙女にお願いをされてしまえば、この世の男共は躊躇なく了承することだろう。しかし、その辺のただの男とルカでは、全てにおいて天と地の差がある。ルカは、ベアトリーチェの胡散臭い笑顔にうんざりしていた。
さっさとその図々しい願いを一蹴してやろうと口を開きかけたその時――。
「いいぜ。お姫さんの願い、叶えてやるよ」
「嬉しいですわ! ありがとうございます!」
「ってことで、ルカくん。この子のことお願いね~」
イェレミスはルカにヒラヒラと手を振り、その場から去っていく。その背中を追いかけ、ふざけた顔面をぶん殴ってやることも忘れ、ルカは呆然と佇むことしかできなかった。
騎士団のトップは、イェレミスである。彼の決定に逆らうことはできない。
ルカの額にピキリと青筋が浮かび上がる。その顔を見たセージリアは、相手が女だろうと容赦しないルカがベアトリーチェのお綺麗な顔を殴りかねないと判断し、彼にそっと近づいた。そして顔を寄せ、周囲には絶対に聞こえない小声で話しかける。
「ルカ、我慢をしろ」
「……あ゛?」
「サンロレツォの令嬢は、社交界で一番の影響力を持っていると言っても過言ではない。皇族とも深い繋がりがある。そんな令嬢がルカの……騎士団のよからぬ噂でも流してみろ。終わるぞ」
セージリアの忠告。怒りに支配される中でも、ルカはそれを理解していた。
ベアトリーチェは、社交界で非常に人気が高い。皇族とも関わりがあり、もっと言えば他国の貴族や王族、皇族とも繋がっている。彼女が流した噂ひとつでどうなってしまうのか、ヴィオレッタがいい例だろう。噂を信じた貴族たちや平民たちが騎士団を毛嫌いし始める可能性もなくはない。騎士団は、人々の信頼、支援があってこそ成り立つ組織。根本的な部分を壊されてしまえば、元も子もないだろう。
現在の騎士団は、皇族と折り合いが悪い。万が一ベアトリーチェが流した騎士団の悪い噂が社交界に広まり皇族の耳に入ってしまえば、騎士団のトップクラス、つまりイェレミスやルカ、セージリア、アーサーが無理に解任されられる可能性がある。最悪の場合、反逆と見なされて裁判にかけられるかもしれない。
それほど、サンロレツォ公爵令嬢ベアトリーチェの影響力は巨大なのだ。
それを深く理解しているからこそ、ルカは苛立っている。
「死ね」
たった一言毒を吐いたあと、ルカは踵を返してしまう。そんな彼のたくましい背中を、ベアトリーチェは獣さながらの目で見つめていたのであった。
セージリアは、侯爵家の令嬢。身分としては、サンロレツォ公爵とベアトリーチェよりも低い。無礼な発言をしているのはサンロレツォ公爵ではなく、セージリアのほうだ。だがしかし、ここは彼女も言っていた通り神聖なる騎士団の本部である。舞踏会や式典の場とは違う。ここで最も偉ぶることができるのは、《四騎士》のみだ。
「彼女の言う通りだ。副長には正式な婚約者がいるのだから、その方を差し置いて、結婚しろと無茶な要求をするのは……正気の沙汰じゃあないよね」
サンロレツォ公爵の後ろに立っていたアーサーが顎に手を当てながらそう言った。サンロレツォ公爵は咄嗟に振り返る。パチリと視線がかち合い、アーサーは莞爾として笑った。先程の笑みとは違う。今度はしっかり目元も笑っていた。
ベアトリーチェは周囲を見渡す。さっきまで彼女の整った顔立ちと溢れ出る癒しオーラに興奮していた騎士たちは、彼女と目を合わせようとしない。そのほかの騎士たちは、彼女ではなく、セージリアを凝視していた。それに苛立ちを覚えるベアトリーチェ。
明らかに劣勢の状況だ。このままでは、ベアトリーチェが怪我をした件もなかったことにされてしまう。
危機感を察知したベアトリーチェは、ふらふらと立ち上がり、意を決して顔を上げる。
「グリディアード公爵令息。お父様のご無礼を、どうかお許しください」
ベアトリーチェは目元に涙を溜め、深々と頭を下げた。ルカはそれを、感情の映さない目で見つめている。なんの返事もないことに恐れを抱きつつも、ベアトリーチェは臆さない。ラピスラズリ色の双眸は、夜空の如く澄んでいた。
「ですが、お父様が無礼な発言をしたことは事実であると同じく、わたくしが怪我をしたことも事実ですわ。そこで、ひとつ、お願いがありますの」
「チッ……図々しい女だ」
ルカは小声で呟いた。
まるでルカのせいで怪我をしたと言わんばかりの言葉に、ルカは小さな怒りを抱く。ベアトリーチェが怪我をしたのは、彼女が勝手に転んだからだ。しかし、彼女が転ぶきっかけを作ったのは、高圧的な態度を取ったルカである。責任は、ほんの僅かであるが、ルカにもあるだろう。
ベアトリーチェは持ち前の美貌を生かして、微笑む。
「少しの間、騎士団の本部に滞在し、見学をさせていただきたいのです」
ベアトリーチェの高い声は、静寂を呼び寄せる。凛々しい美しさを放つセージリアに夢中だった騎士たちは、やっとベアトリーチェへと目を向けた。まるで、「お前も父親と同様に頭イカれてんじゃねぇかよ」と言いたげな目であった。
「わたくし、騎士の方々の生活に興味がありますの。特に、《四騎士》の騎士王様の……。本日もそのお願いをするために、お父様と共に騎士団長をお訪ねしたのですわ。どうやら断られてしまったようですが……今、そのお願いを受け入れてくだされば、わたくしの怪我の件はなかったことにいたしましょう」
純粋無垢な微笑みと優美な眼差し。神々の遣いである天使だと言われても納得できる見目麗しい乙女にお願いをされてしまえば、この世の男共は躊躇なく了承することだろう。しかし、その辺のただの男とルカでは、全てにおいて天と地の差がある。ルカは、ベアトリーチェの胡散臭い笑顔にうんざりしていた。
さっさとその図々しい願いを一蹴してやろうと口を開きかけたその時――。
「いいぜ。お姫さんの願い、叶えてやるよ」
「嬉しいですわ! ありがとうございます!」
「ってことで、ルカくん。この子のことお願いね~」
イェレミスはルカにヒラヒラと手を振り、その場から去っていく。その背中を追いかけ、ふざけた顔面をぶん殴ってやることも忘れ、ルカは呆然と佇むことしかできなかった。
騎士団のトップは、イェレミスである。彼の決定に逆らうことはできない。
ルカの額にピキリと青筋が浮かび上がる。その顔を見たセージリアは、相手が女だろうと容赦しないルカがベアトリーチェのお綺麗な顔を殴りかねないと判断し、彼にそっと近づいた。そして顔を寄せ、周囲には絶対に聞こえない小声で話しかける。
「ルカ、我慢をしろ」
「……あ゛?」
「サンロレツォの令嬢は、社交界で一番の影響力を持っていると言っても過言ではない。皇族とも深い繋がりがある。そんな令嬢がルカの……騎士団のよからぬ噂でも流してみろ。終わるぞ」
セージリアの忠告。怒りに支配される中でも、ルカはそれを理解していた。
ベアトリーチェは、社交界で非常に人気が高い。皇族とも関わりがあり、もっと言えば他国の貴族や王族、皇族とも繋がっている。彼女が流した噂ひとつでどうなってしまうのか、ヴィオレッタがいい例だろう。噂を信じた貴族たちや平民たちが騎士団を毛嫌いし始める可能性もなくはない。騎士団は、人々の信頼、支援があってこそ成り立つ組織。根本的な部分を壊されてしまえば、元も子もないだろう。
現在の騎士団は、皇族と折り合いが悪い。万が一ベアトリーチェが流した騎士団の悪い噂が社交界に広まり皇族の耳に入ってしまえば、騎士団のトップクラス、つまりイェレミスやルカ、セージリア、アーサーが無理に解任されられる可能性がある。最悪の場合、反逆と見なされて裁判にかけられるかもしれない。
それほど、サンロレツォ公爵令嬢ベアトリーチェの影響力は巨大なのだ。
それを深く理解しているからこそ、ルカは苛立っている。
「死ね」
たった一言毒を吐いたあと、ルカは踵を返してしまう。そんな彼のたくましい背中を、ベアトリーチェは獣さながらの目で見つめていたのであった。
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