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第65話 悪女は願う
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グリディアード公爵城で大々的に開催されたルカの19歳の誕生パーティーは、幕を下ろした。かつての友人であるベアトリーチェと再会を果たしてしまったものの、事なきを得た。
グリディアード公爵城からルクアーデ子爵邸までの道のり。ヴィオレッタは心ここに在らずという状態であった。ルカが必死に話題を探して彼女に問いかけるも、彼女は一言二言話しただけで黙り込んでしまう。せっかく、長いこと疑っていたヴィオレッタの噂が真っ赤な嘘であることを知れて気分上々であったのに、彼女の少し素っ気ない態度に、ルカは落ち込んでいた。話したくない雰囲気を醸し出す彼女の意志を尊重し、ルカも黙ったのであった。
ルクアーデ子爵邸に到着すると、ヴィオレッタはルカのエスコートで馬車から降りる。ルカにとっては婚約者として当たり前な行為も、今のヴィオレッタからしたら、ひとつの興奮材料でしかなかった。
出迎えてくれたマナが見守る中、ヴィオレッタとルカは、向かい合う。
「じゃ……体、冷やすなよ」
「え、えぇ……。あなたも……」
よそよそしいふたり。傍から見れば、長年の友人から恋人関係へと発展したばかりの初々しい男女のようだが、ふたりはまだ、恋人ではない。
ヴィオレッタはぎこちなく手を振ると、ルカもそれに応える。会話がなく、気まずい空気だけが流れるその場に別れを告げるため、ヴィオレッタは門を潜る。至って普段とは変わらない彼女だが、どことなくおかしいオーラをまとう主人に、マナは首を傾げた。頭上には数多くの疑問符が浮かんでいた。さては、ルカが何か無礼なことをしたのか、と勘違いしたマナは、勢いよく振り向き、ルカを睨みつける。しかしいつもであれば、中指を立てて好戦的に張り合ってくる彼も、今夜は呆然としている。否、呆然、と言うよりかは、少しだけ儚く悲しげに見えた。マナは睨むのを止め、再び首を傾ける。そして、いくら考えても分からない答えをこれ以上悩んだとしても無駄だと結論づけ、ヴィオレッタに追いつくために小走りをした。ヴィオレッタとマナの姿が完全に見えなくなるまで、ルカは門前に留まり続けていた。
ルクアーデ子爵邸内へと足を踏み入れたヴィオレッタは、一直線に自室に向かった。
「お嬢様。このあとすぐに入浴されますよね? お手伝いを」
「いらないわ。少しひとりにしてちょうだい」
ヴィオレッタは、マナの提案を一蹴する。一切の反論を許さない声色に、マナは大人しく引き下がり、「かしこまりました」と告げた。
そう広くはない邸宅内を足早に歩き、自室の前までやって来ると、マナを一目として見ることはせず、部屋の中に入った。外の世界と交信をシャットアウトするかのように、強めに扉を閉める。老朽化した扉は、ギシッと変な声で鳴いた。
ドアノブから手を離し、扉を背にして、座り込む。突如、赤い唇がわなわなと震え出した。ヴィオレッタの人智の及ばぬ美貌は、深紅に染まっていた。
「私、ほ、本気で……本気で、あの方を好きになってしまったんだわ……!」
普段、あまり取り乱さないヴィオレッタが、分かりやすく動揺し、天を仰いだ。
ルカに惹かれている自覚はあった。彼を本気で好きになる一歩手前のところで、必死に耐えていた。だが、今日の誕生パーティーで、彼の笑顔を目の当たりにして、辛うじて繋がっていた糸がプチッとちぎれてしまったのだ。ルカの魅力に完璧に惚れてしまった。もう、後戻りはできない。
好きになったところで、辛いだけかもしれない。婚約破棄される可能性が完全になくなったわけではないし、そもそもルカが婚約者にヴィオレッタを選んだ理由が分からない。一時の気の迷いか。暇潰しか。ただの女避けか。真相は明らかになっていないが、思い浮かぶどの理由も、面と向かって言われてしまえば、ヴィオレッタが深く傷つくものであった。ルカが彼女に婚約を申し込んだ理由を知りたいという思いもあれば、何も知らないままがいいという思いもあった。
ヴィオレッタは立ち上がり、部屋の灯りをつけ、窓から殺風景を眺める。
「あなたと、同じ気持ちだったらいいのに……」
叶うはずのない願いであることは、百も承知。だが、恋する乙女であれば願わずにはいられない。
もし、ルカがあの冷酷そのものの美貌を愛らしく赤らめ、いつも毒を吐く唇で愛を紡いでくれたのなら。ヴィオレッタは、号泣してしまうかもしれない。
愛のある婚約は、絶対に叶わないと思っていた。実際、ルカと婚約した当初から最近にかけてはそう思っていたし。でも今は、違う。確かな恋心がここにある。結婚まで辿り着けなくても、婚約を破棄されてしまっても、ヴィオレッタが彼に恋をした事実は揺らぎないものとして残り、ヴィオレッタの記憶に、心に、一生宿り続けるのだから――。
グリディアード公爵城からルクアーデ子爵邸までの道のり。ヴィオレッタは心ここに在らずという状態であった。ルカが必死に話題を探して彼女に問いかけるも、彼女は一言二言話しただけで黙り込んでしまう。せっかく、長いこと疑っていたヴィオレッタの噂が真っ赤な嘘であることを知れて気分上々であったのに、彼女の少し素っ気ない態度に、ルカは落ち込んでいた。話したくない雰囲気を醸し出す彼女の意志を尊重し、ルカも黙ったのであった。
ルクアーデ子爵邸に到着すると、ヴィオレッタはルカのエスコートで馬車から降りる。ルカにとっては婚約者として当たり前な行為も、今のヴィオレッタからしたら、ひとつの興奮材料でしかなかった。
出迎えてくれたマナが見守る中、ヴィオレッタとルカは、向かい合う。
「じゃ……体、冷やすなよ」
「え、えぇ……。あなたも……」
よそよそしいふたり。傍から見れば、長年の友人から恋人関係へと発展したばかりの初々しい男女のようだが、ふたりはまだ、恋人ではない。
ヴィオレッタはぎこちなく手を振ると、ルカもそれに応える。会話がなく、気まずい空気だけが流れるその場に別れを告げるため、ヴィオレッタは門を潜る。至って普段とは変わらない彼女だが、どことなくおかしいオーラをまとう主人に、マナは首を傾げた。頭上には数多くの疑問符が浮かんでいた。さては、ルカが何か無礼なことをしたのか、と勘違いしたマナは、勢いよく振り向き、ルカを睨みつける。しかしいつもであれば、中指を立てて好戦的に張り合ってくる彼も、今夜は呆然としている。否、呆然、と言うよりかは、少しだけ儚く悲しげに見えた。マナは睨むのを止め、再び首を傾ける。そして、いくら考えても分からない答えをこれ以上悩んだとしても無駄だと結論づけ、ヴィオレッタに追いつくために小走りをした。ヴィオレッタとマナの姿が完全に見えなくなるまで、ルカは門前に留まり続けていた。
ルクアーデ子爵邸内へと足を踏み入れたヴィオレッタは、一直線に自室に向かった。
「お嬢様。このあとすぐに入浴されますよね? お手伝いを」
「いらないわ。少しひとりにしてちょうだい」
ヴィオレッタは、マナの提案を一蹴する。一切の反論を許さない声色に、マナは大人しく引き下がり、「かしこまりました」と告げた。
そう広くはない邸宅内を足早に歩き、自室の前までやって来ると、マナを一目として見ることはせず、部屋の中に入った。外の世界と交信をシャットアウトするかのように、強めに扉を閉める。老朽化した扉は、ギシッと変な声で鳴いた。
ドアノブから手を離し、扉を背にして、座り込む。突如、赤い唇がわなわなと震え出した。ヴィオレッタの人智の及ばぬ美貌は、深紅に染まっていた。
「私、ほ、本気で……本気で、あの方を好きになってしまったんだわ……!」
普段、あまり取り乱さないヴィオレッタが、分かりやすく動揺し、天を仰いだ。
ルカに惹かれている自覚はあった。彼を本気で好きになる一歩手前のところで、必死に耐えていた。だが、今日の誕生パーティーで、彼の笑顔を目の当たりにして、辛うじて繋がっていた糸がプチッとちぎれてしまったのだ。ルカの魅力に完璧に惚れてしまった。もう、後戻りはできない。
好きになったところで、辛いだけかもしれない。婚約破棄される可能性が完全になくなったわけではないし、そもそもルカが婚約者にヴィオレッタを選んだ理由が分からない。一時の気の迷いか。暇潰しか。ただの女避けか。真相は明らかになっていないが、思い浮かぶどの理由も、面と向かって言われてしまえば、ヴィオレッタが深く傷つくものであった。ルカが彼女に婚約を申し込んだ理由を知りたいという思いもあれば、何も知らないままがいいという思いもあった。
ヴィオレッタは立ち上がり、部屋の灯りをつけ、窓から殺風景を眺める。
「あなたと、同じ気持ちだったらいいのに……」
叶うはずのない願いであることは、百も承知。だが、恋する乙女であれば願わずにはいられない。
もし、ルカがあの冷酷そのものの美貌を愛らしく赤らめ、いつも毒を吐く唇で愛を紡いでくれたのなら。ヴィオレッタは、号泣してしまうかもしれない。
愛のある婚約は、絶対に叶わないと思っていた。実際、ルカと婚約した当初から最近にかけてはそう思っていたし。でも今は、違う。確かな恋心がここにある。結婚まで辿り着けなくても、婚約を破棄されてしまっても、ヴィオレッタが彼に恋をした事実は揺らぎないものとして残り、ヴィオレッタの記憶に、心に、一生宿り続けるのだから――。
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