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第55話 魅惑のヴィオレッタ
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ヴィオレッタは、道中で出会った執事から赤いワインが入ったグラスを受け取り、庭園に出た。雨こそ降っていないものの、分厚い雲が夜空を覆い尽くしていた。
庭師により隅々まで手入れを施された庭園は、ルクアーデ子爵邸の庭園とは大違いであった。公爵家の中でも名を馳せるグリディアード家と貴族の中でも貧乏として知られているルクアーデ家とでは、経済的にも雲泥の差がある。庭園ひとつでも、その差が見て取れるだろう。
ヴィオレッタは上品な香りを漂わせるワインに口をつける。自身の誕生日に飲んだワインとは違う、何層もの深みがある味を感じた。
グリディアード公爵城から煌々と放たれる灯りに照らされた美しい庭園と美味なワイン。そしてピンクゴールドのドレスをまとったヴィオレッタ。その美の共演は、今この瞬間、間違いなくこの世界で最も綺麗であった。
そんな彼女を、花々が咲き乱れる影から覗く女性がいた。セージリアだ。ヴィオレッタの凶器とも言える美貌に恐れ入る。
熱くも嫉妬の混じった視線を感じたヴィオレッタは、セージリアがいる方向へ目を向けた。
「あら、姫騎士様がこんな場所で何をしていらっしゃるの?」
口の端を吊り上げて笑うヴィオレッタ。セージリアは花々の影から姿を見せ、気まずい表情を浮かべた。気持ちのひとつも隠すことができない彼女に、ヴィオレッタは溜息をつく。セージリアにほんの少しだけ意地悪をしてやろうか、と思ったヴィオレッタは、ワインで濡れた唇をそっと人差し指で拭う。
「私の未来の夫を探されているのかしら」
フレイムオレンジの双眸が細められる。気まずい表情はどこへやら、不機嫌になったセージリアに対して、ヴィオレッタはイタズラが成功したとほくそ笑む。人の不幸は意外と美味しいものだ。ヴィオレッタは悪女さながらの思いを抱きながら、再びワインを飲む。
セージリアは、何かを決意したらしく、弾かれたように顔を上げた。真一文字に引き結ばれていた唇が緩んで開く。芯のある声が紡がれた。
「ルカに告白をした……!」
セージリアの宣言に、ヴィオレッタは動きを止める。風は凪ぎ、夜空を覆い尽くしていた雲がゆっくりと開けていく。星たちは、雲の隙間から顔を覗かせた。
先程まで晴れ渡っていた心に霧がかかる。ヴィオレッタは、小さな悲しみを覚えた。セージリアに想いを伝えられたことを、ルカはヴィオレッタに教えてはくれなかったのだ。告白をされたのはルカ自身。それを婚約者であるヴィオレッタに伝えるか伝えないかは、彼が決めることである。それを分かった上で、ヴィオレッタは胸に居座る蟠りを感じたのだった。その蟠りの正体は、ルカが告白されたことを教えてくれなかった悲しみと、彼に躊躇なく想いを伝えることができたセージリアへの嫉妬だ。ヴィオレッタは、ルカに告白をしたセージリアを羨ましいと思っていたのだ。
セージリアは、震える左手を右手でグッと握りしめる。
「だが、断られてしまった」
「……そう」
「あなたの婚約者に告白をしたのは、悪いと思っている。騎士として、許されざる行いだ……。だが、この気持ちを墓場まで持っていくことはできなかった……」
セージリアの端正な顔立ちは、悲痛に歪む。そんな彼女の顔を見て、ヴィオレッタは少しの同情を抱く。
セージリアは、幼い頃からルカのことが好きだった。いずれはルカと結婚をしたいと思っている中で、彼が突然、悪女と名高いヴィオレッタと婚約をしたのだ。それはもう、ルカは女性に興味がないからと高を括っていた己の愚かさと悪女ヴィオレッタを呪ったことだろう。そしてとうとう想いを胸に秘めることができず、ルカに告白をした。しかし、断られてしまった。
セージリアはまっすぐにヴィオレッタを見つめる。
「ルクアーデ子爵令嬢。あなたがルカを悲しませることがあったのなら、私が奪い去ります」
目尻に溜まるのは、仄かな涙。ヴィオレッタは終始無表情であったが、セージリアの涙を見た途端、微笑を浮かべた。
「《四騎士》の一柱である姫騎士様も人間らしい一面があるのね」
「っ………!?」
セージリアは顔を赤く染め上げ、目元を拭う。そして鼻を啜った。ヴィオレッタはそんな彼女にそっと近寄り、肩に手を添える。セージリアはビクッと肩を跳ね上げた。優しく肩を撫で、たくましい腕を人差し指で突く。
「あなた、とっても男らしいわ。グリディアード公爵令息ではなくて、私を奪い去ってほしいものね?」
魅惑の塊である赤い唇が弧を描いた瞬間、セージリアは白目を剥いてしまった。
夜な夜な男を喰い散らかしているという噂のヴィオレッタ。まさか女も、彼女のストライクゾーンに含まれているとは。セージリアは、今宵の秘め事を墓場まで持っていくことを決意したのであった。
庭師により隅々まで手入れを施された庭園は、ルクアーデ子爵邸の庭園とは大違いであった。公爵家の中でも名を馳せるグリディアード家と貴族の中でも貧乏として知られているルクアーデ家とでは、経済的にも雲泥の差がある。庭園ひとつでも、その差が見て取れるだろう。
ヴィオレッタは上品な香りを漂わせるワインに口をつける。自身の誕生日に飲んだワインとは違う、何層もの深みがある味を感じた。
グリディアード公爵城から煌々と放たれる灯りに照らされた美しい庭園と美味なワイン。そしてピンクゴールドのドレスをまとったヴィオレッタ。その美の共演は、今この瞬間、間違いなくこの世界で最も綺麗であった。
そんな彼女を、花々が咲き乱れる影から覗く女性がいた。セージリアだ。ヴィオレッタの凶器とも言える美貌に恐れ入る。
熱くも嫉妬の混じった視線を感じたヴィオレッタは、セージリアがいる方向へ目を向けた。
「あら、姫騎士様がこんな場所で何をしていらっしゃるの?」
口の端を吊り上げて笑うヴィオレッタ。セージリアは花々の影から姿を見せ、気まずい表情を浮かべた。気持ちのひとつも隠すことができない彼女に、ヴィオレッタは溜息をつく。セージリアにほんの少しだけ意地悪をしてやろうか、と思ったヴィオレッタは、ワインで濡れた唇をそっと人差し指で拭う。
「私の未来の夫を探されているのかしら」
フレイムオレンジの双眸が細められる。気まずい表情はどこへやら、不機嫌になったセージリアに対して、ヴィオレッタはイタズラが成功したとほくそ笑む。人の不幸は意外と美味しいものだ。ヴィオレッタは悪女さながらの思いを抱きながら、再びワインを飲む。
セージリアは、何かを決意したらしく、弾かれたように顔を上げた。真一文字に引き結ばれていた唇が緩んで開く。芯のある声が紡がれた。
「ルカに告白をした……!」
セージリアの宣言に、ヴィオレッタは動きを止める。風は凪ぎ、夜空を覆い尽くしていた雲がゆっくりと開けていく。星たちは、雲の隙間から顔を覗かせた。
先程まで晴れ渡っていた心に霧がかかる。ヴィオレッタは、小さな悲しみを覚えた。セージリアに想いを伝えられたことを、ルカはヴィオレッタに教えてはくれなかったのだ。告白をされたのはルカ自身。それを婚約者であるヴィオレッタに伝えるか伝えないかは、彼が決めることである。それを分かった上で、ヴィオレッタは胸に居座る蟠りを感じたのだった。その蟠りの正体は、ルカが告白されたことを教えてくれなかった悲しみと、彼に躊躇なく想いを伝えることができたセージリアへの嫉妬だ。ヴィオレッタは、ルカに告白をしたセージリアを羨ましいと思っていたのだ。
セージリアは、震える左手を右手でグッと握りしめる。
「だが、断られてしまった」
「……そう」
「あなたの婚約者に告白をしたのは、悪いと思っている。騎士として、許されざる行いだ……。だが、この気持ちを墓場まで持っていくことはできなかった……」
セージリアの端正な顔立ちは、悲痛に歪む。そんな彼女の顔を見て、ヴィオレッタは少しの同情を抱く。
セージリアは、幼い頃からルカのことが好きだった。いずれはルカと結婚をしたいと思っている中で、彼が突然、悪女と名高いヴィオレッタと婚約をしたのだ。それはもう、ルカは女性に興味がないからと高を括っていた己の愚かさと悪女ヴィオレッタを呪ったことだろう。そしてとうとう想いを胸に秘めることができず、ルカに告白をした。しかし、断られてしまった。
セージリアはまっすぐにヴィオレッタを見つめる。
「ルクアーデ子爵令嬢。あなたがルカを悲しませることがあったのなら、私が奪い去ります」
目尻に溜まるのは、仄かな涙。ヴィオレッタは終始無表情であったが、セージリアの涙を見た途端、微笑を浮かべた。
「《四騎士》の一柱である姫騎士様も人間らしい一面があるのね」
「っ………!?」
セージリアは顔を赤く染め上げ、目元を拭う。そして鼻を啜った。ヴィオレッタはそんな彼女にそっと近寄り、肩に手を添える。セージリアはビクッと肩を跳ね上げた。優しく肩を撫で、たくましい腕を人差し指で突く。
「あなた、とっても男らしいわ。グリディアード公爵令息ではなくて、私を奪い去ってほしいものね?」
魅惑の塊である赤い唇が弧を描いた瞬間、セージリアは白目を剥いてしまった。
夜な夜な男を喰い散らかしているという噂のヴィオレッタ。まさか女も、彼女のストライクゾーンに含まれているとは。セージリアは、今宵の秘め事を墓場まで持っていくことを決意したのであった。
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