上 下
42 / 168

第42話 無意識のイチャイチャ

しおりを挟む
「悪かった……」

 謝罪を聞いたヴィオレッタは眉をひそめる。彼女は、今のは聞き間違いか? とルカの言葉を疑ってしまった。聞き間違いではなくとも、なぜルカが彼女に謝罪をするのか。ヴィオレッタは、それが分からなかった。

「俺がいながらも、テメェを危険にさらした……。すまなかった」
「……別に、謝らなくともいいわよ。私も、グリディアード公爵令息も無事だったのだから」

 調子が狂う、と思いながらヴィオレッタは、肩にかかるルージュ色の髪をさらりと払い除けた。甘く優しい匂いが執務室に立ち込める。

「だから、調査しようなどという馬鹿馬鹿しい考えは捨てなさい」
「……仕方ねぇな」

 溜息と共に吐き捨てられた言葉は、全く「仕方ない」とは思っていないように聞こえた。
 ヴィオレッタはルカがよからぬ考えを捨て去ることを祈り、きびすを返す。そして扉の取っ手に手をかけた時、耳元でドンッと激しい音が響く。勢いよく顔を上げると、ルカの右手が扉に添えられていた。
 いわゆる、壁ドン。ちまたで人気の雑誌にデカデカと乗っていた最近流行りのドキドキシチュエーションである。自らの身にそれが起こっていることを悟ったヴィオレッタは、氷の如く固まって動かなくなってしまった。

「帰さねぇよ」

 耳元で囁かれた甘く低い声。ヴィオレッタは、全身に駆け巡る得体の知れない痺れを感じる。ルカの魅惑的な声を少し聞いただけで、彼が欲しくて堪らなくなるという謎の現象に襲われた。このままでは喰われる、と野生のかんを働かせ咄嗟に判断したヴィオレッタは、実力行使じつりょくこうしに出る。扉の取っ手を思いっきり引っ張り、扉を開けようと試みたのだ。ルカも彼女の思いもよらない行動に、呆気に取られた様子だったが、《四騎士》の騎士王の名は伊達ではない。扉を押さえ込み、素早く厳重な鍵をかける。必死に扉を開けようと頑張るヴィオレッタの細い腰を引き寄せ、華麗に反転させる。そしてもう一方の手で彼女の手首を掴み、扉に押しつけた。全く力は強くないし、痛くもないが、力の差はあまりにも歴然としていた。

「っ…………」

 向き合う体勢に耐えられなかったヴィオレッタは、思わず目を逸らしてしまう。彼女の頬が紅色に染まっているのは、月光だけが頼りの薄暗い空間でも分かった。その表情を目の当たりにしたルカは、彼女はこういったことは慣れているのではないのか? と疑問を抱いた。

「ちょっと……近いわよ……」

 ヴィオレッタがか細い声で訴える。しかしルカは、彼女から離れる気は毛頭ない。それどころか、さらに彼女との距離を詰めた。密着する体。彼女の豊満な胸がルカの胸板に触れる。互いの息がかかる距離で、ヴィオレッタは今にも正気を失いそうであった。

「ヴィオレッタ……」

 名を呼ばれたヴィオレッタは、顔を上げる。間近に迫るルカの美貌。ターコイズブルーの双眸は、夜空に浮かぶブルームーンの如き美しさを誇っていた。目を逸らすことができない。いいや、許されない。かすみのない澄み渡った瞳に、吸い込まれそうになる。やたらと艶やかなルカの唇が開いた。

「俺から逃げることは、いくらテメェでも許さねぇ」

 ドクンッ。心臓が跳ね上がる音が響く。胸の高鳴りは治まることを知らぬまま、さらに高まっていく。緊張のあまり、口から心臓ごと飛び出てしまうのではないかとヴィオレッタは本気で危惧きぐした。
 先程、皇帝にも似たことを言われた。しかし威圧感を感じさせる皇帝とはまた違う。ルカは、懇願こんがんするような雰囲気を漂わせる。まるで、捨てられたくないと必死で訴えているみたいだ。
 ヴィオレッタはルカの胸元に触れ、黒いネクタイをグッと引っ張る。唇が触れるか触れないかの瀬戸際せとぎわを争うところ。たっぷりと水分を含んだ赤い唇が頬笑みを浮かべる。

「逃げないわよ」

 ヴィオレッタは、一体どこでスイッチが入ったのか。子犬よりも、子猫よりも、どんな動物の赤ちゃんよりも可愛い縋り方をするルカを見て、いてもたってもいられなくなったのだろう。
 挑発的かつ魅力的。一度、プリムローズイエローの双眸が放つ視線に捉えられてしまえば、逃亡することはできない。世界一脱出不可能と名高い監獄かんごくは、彼女が作り上げる瞳の牢獄ろうごくの足元にも及ばない。そんな視線に見事に捕獲されたルカは、急に俯いてしまった。体調が悪くなったのか、と心配するヴィオレッタを他所よそに、足下に視線を落とすルカの顔は、赤一色に染色されていた。

「今のは、ダメだろ……。クソが……」

 いつもよりもだいぶ覇気はきがない声色。ぷしゅ~、と煙を上げるルカに向かって、ヴィオレッタは「変な人ね」と囁いた。
 ルカが一歩、二歩リードしているかと思いきや、ヴィオレッタが三歩、四歩とさらに先を行ってしまう。ルカはいつまで経っても、ヴィオレッタには敵わないのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

処理中です...