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第142話 プロポーズ
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ソルの家で過ごすようになってから、三週間弱。ラダベルは平和で穏やかな日々を過ごしていた。レイティーン帝国でも名を馳せるほどの鍛治職人であるリュードとソルの仕事を間近で観察したり、ラーヤの家事を手伝ったりしていた。
平民の生活は、貴族の生活よりもずっといい。確かに貯蓄は少ないため、裕福な暮らしはできない。しかしそれでも、お金では買えない価値のある日々が存在する。そう、それは決して貴族の生活では得られないものだ。ラダベルは、そう感じていた。
「ベル、洗濯を干すのを手伝ってくれるかい?」
「もちろんです、ラーヤさん」
ラダベルは、笑顔で返事する。ラーヤと共に庭に出て、一緒に洗濯物を干していく。
「ところでベル。うちの息子はどうだい……?」
小声で話しかけられたラダベルは、こてんと首を傾げた。トパーズ色の大きな瞳が瞬く。
「どう、とは……」
「やだね~、しらばっくれないでおくれよ! ほら、旦那にどうだいってことだよ!」
ラーヤが年頃の少女さながらに頬を赤らめながらラダベルの肩を軽く叩いた。ようやく意味を理解したラダベルは、手を止めて俯く。
ラーヤは、息子であるソルの結婚相手として、ラダベルを推したいらしい。確かにソルは、とても温厚で男前だ。彼と一緒になったら、きっと幸せ者だろう。だがその選択肢は、ラダベルの中には存在しない。もう、恋はしないと決めたから――。
ラダベルは首を左右に振った。
「ごめんなさい、ラーヤさん。ソルには……私は釣り合いません。彼には、もっと良い人がいると思います。私は近いうちにここを出ていきますし……ソルと結婚することはできません」
ラダベルが少しの迷いも見せないようはっきりと告げると、ラーヤは顔を曇らせた。
「そう、かい。無理に結婚をさせたいわけではないんだけど……ベルにならあの子を任せられると思ったんだよ。気を悪くしないでおくれ」
「そんな……。こちらこそ、申し訳ございません」
謝罪すると、ラーヤに強く抱きしめられる。記憶にない母から与えられるような優しい温もりに、涙腺が緩む。ラダベルが彼女の背に腕を回そうとした時。
「ちょっと母さん、なんでベルに抱きついてるんだ」
ソルが現れた。ラーヤはラダベルから離れる。
「ベルがあまりにも健気で可愛いからね、つい……。ところで、仕事は終わったのかい?」
「一旦、休憩するよ」
「そうかい。ほらベル。手伝いはもういいから、ソルの話し相手になってやっておくれ」
ラーヤがラダベルの背中を押す。ラダベルは、苦笑いしながら頷いたのだった。
ラーヤの後押しもあって、ラダベルはソルと一緒に村のすぐ傍にある川の畔にやって来ていた。
山に囲まれた村には、美しく澄んだ清流が流れているため、ほかの村に比べて栄えている。
ふたりは、川の畔に腰を下ろした。川のせせらぎが聞こえ、希少な鳥の鳴き声に耳を澄ませる。優しい空気の中、先に沈黙を破ったのはソルだった。
「さっき、聞いてしまったんだ……」
「え?」
「母さんと、君の話を」
そう言われて、ラダベルは肩を跳ね上がらせた。乾いた唇をなんとか動かす。
「ご、ごめんなさい。私との結婚の話なんて聞いて……不快に思ったわよね。ラーヤさんが仰ったことは冗談だと思うから、そこまで気にする必要はないわ」
「………………」
「……ソル?」
なんとかフォローをしてみたが、逆効果だったのだろうか。ラダベルがソルの顔を覗き込むと、突然ソルが顔を上げた。そして膝に添えられていたラダベルの手を許可なく掴む。
「僕はっ、ベルと、結婚したいと思っている!」
林檎よりも赤い顔をしながらソルが叫ぶ。ラダベルは目を見張る。ふたりの間を、寒風が駆け抜けていく。
時折ソルから向けられる熱い眼差しに気がつかないフリをしていたツケが回ってきたのだろうか。
「一目惚れだ、ベル」
「っ………………」
「僕は、君が好きだ。君はそうではないと思うけど、でも……せめて、僕の気持ちは知っておいてほしい」
ソルの切実な想いを一刀両断することができぬまま、ラダベルは無言となった。
「無理やりには、絶対しない。ベルの気持ちが大優先だからそこだけは安心してほしい。でも、君に好きになってもらえるよう、頑張ることは許してくれるよね?」
ソルがラダベルを上目遣いで見つめた。アップルグリーンの瞳を見て、ラダベルの心が激しく揺さぶられる。どうも彼女は意志の強いまっすぐな眼差しに弱いのだ。
「もし、僕のことをいいなって思ってくれたら、結婚してほしい」
ソルのプロポーズを受け、ラダベルが何かを返答しようと淡い色味の唇を開いた瞬間――。
「残念だが、その日が来ることはない」
平民の生活は、貴族の生活よりもずっといい。確かに貯蓄は少ないため、裕福な暮らしはできない。しかしそれでも、お金では買えない価値のある日々が存在する。そう、それは決して貴族の生活では得られないものだ。ラダベルは、そう感じていた。
「ベル、洗濯を干すのを手伝ってくれるかい?」
「もちろんです、ラーヤさん」
ラダベルは、笑顔で返事する。ラーヤと共に庭に出て、一緒に洗濯物を干していく。
「ところでベル。うちの息子はどうだい……?」
小声で話しかけられたラダベルは、こてんと首を傾げた。トパーズ色の大きな瞳が瞬く。
「どう、とは……」
「やだね~、しらばっくれないでおくれよ! ほら、旦那にどうだいってことだよ!」
ラーヤが年頃の少女さながらに頬を赤らめながらラダベルの肩を軽く叩いた。ようやく意味を理解したラダベルは、手を止めて俯く。
ラーヤは、息子であるソルの結婚相手として、ラダベルを推したいらしい。確かにソルは、とても温厚で男前だ。彼と一緒になったら、きっと幸せ者だろう。だがその選択肢は、ラダベルの中には存在しない。もう、恋はしないと決めたから――。
ラダベルは首を左右に振った。
「ごめんなさい、ラーヤさん。ソルには……私は釣り合いません。彼には、もっと良い人がいると思います。私は近いうちにここを出ていきますし……ソルと結婚することはできません」
ラダベルが少しの迷いも見せないようはっきりと告げると、ラーヤは顔を曇らせた。
「そう、かい。無理に結婚をさせたいわけではないんだけど……ベルにならあの子を任せられると思ったんだよ。気を悪くしないでおくれ」
「そんな……。こちらこそ、申し訳ございません」
謝罪すると、ラーヤに強く抱きしめられる。記憶にない母から与えられるような優しい温もりに、涙腺が緩む。ラダベルが彼女の背に腕を回そうとした時。
「ちょっと母さん、なんでベルに抱きついてるんだ」
ソルが現れた。ラーヤはラダベルから離れる。
「ベルがあまりにも健気で可愛いからね、つい……。ところで、仕事は終わったのかい?」
「一旦、休憩するよ」
「そうかい。ほらベル。手伝いはもういいから、ソルの話し相手になってやっておくれ」
ラーヤがラダベルの背中を押す。ラダベルは、苦笑いしながら頷いたのだった。
ラーヤの後押しもあって、ラダベルはソルと一緒に村のすぐ傍にある川の畔にやって来ていた。
山に囲まれた村には、美しく澄んだ清流が流れているため、ほかの村に比べて栄えている。
ふたりは、川の畔に腰を下ろした。川のせせらぎが聞こえ、希少な鳥の鳴き声に耳を澄ませる。優しい空気の中、先に沈黙を破ったのはソルだった。
「さっき、聞いてしまったんだ……」
「え?」
「母さんと、君の話を」
そう言われて、ラダベルは肩を跳ね上がらせた。乾いた唇をなんとか動かす。
「ご、ごめんなさい。私との結婚の話なんて聞いて……不快に思ったわよね。ラーヤさんが仰ったことは冗談だと思うから、そこまで気にする必要はないわ」
「………………」
「……ソル?」
なんとかフォローをしてみたが、逆効果だったのだろうか。ラダベルがソルの顔を覗き込むと、突然ソルが顔を上げた。そして膝に添えられていたラダベルの手を許可なく掴む。
「僕はっ、ベルと、結婚したいと思っている!」
林檎よりも赤い顔をしながらソルが叫ぶ。ラダベルは目を見張る。ふたりの間を、寒風が駆け抜けていく。
時折ソルから向けられる熱い眼差しに気がつかないフリをしていたツケが回ってきたのだろうか。
「一目惚れだ、ベル」
「っ………………」
「僕は、君が好きだ。君はそうではないと思うけど、でも……せめて、僕の気持ちは知っておいてほしい」
ソルの切実な想いを一刀両断することができぬまま、ラダベルは無言となった。
「無理やりには、絶対しない。ベルの気持ちが大優先だからそこだけは安心してほしい。でも、君に好きになってもらえるよう、頑張ることは許してくれるよね?」
ソルがラダベルを上目遣いで見つめた。アップルグリーンの瞳を見て、ラダベルの心が激しく揺さぶられる。どうも彼女は意志の強いまっすぐな眼差しに弱いのだ。
「もし、僕のことをいいなって思ってくれたら、結婚してほしい」
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「残念だが、その日が来ることはない」
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