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第140話 愛の示し方
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「あの女を殺すわ」
アナスタシアは宣する。ジークルドは瞠目して、黙り込んだ。先程までか弱い雰囲気を出していたアナスタシアは、途端に悪女に染まる。
「あの女を殺してあげる。私の指示であの子の命はどうとでもなるのよ? ねぇ、ジークルド。あなたが私と結婚してくれるなら、あの子の命は保証してあげる。一生、ね」
口角を吊り上げながら、ジークルドに近づいてくる。ジークルドは一歩も後退ることなく、彼女を睨み続けた。
「ふふ、嬉しいでしょう? 私たち、やっと、一緒になれるのよ」
アナスタシアはジークルドに抱きついた。少しの隙間も許さないとでも言わんばかりの距離感。密着する体に、ジークルドは嘔吐を催す。
アナスタシアの目は、本気だった。本気で、ラダベルを殺すと言っているのだ。彼女は、元軍人。人を殺めた経験ももちろんある。そんな彼女に、ラダベルを狙われてしまえば、ラダベルは為す術なく殺されてしまうかもしれない。最悪の結末を思い浮かべた時、ジークルドは強く拳を握った。
「大丈夫。ジークルド。私と結婚して、私との子を生んで、そして、とっても素敵な家族を作りましょう? あなたが愚かな選択をしなければ、私も賢い人間でいるわ」
アナスタシアはジークルドの鼓動を聞きながら、そう言った。これは取引なのだと訴えかけてくる彼女の言葉に、ジークルドは悔しさを滲ませながら唇を噛みしめる。
散々アナスタシアに振り回された挙句、ラダベルを諦めて彼女と一緒になるなど、許容できるはずがない。だが、彼女からの取引を拒絶してしまえば、ラダベルの命が……。そこまで思案したところで、ジークルドは気がついた。
自分が、かつてのアナスタシアと同じ、愚かな行為を犯していることに――。
アナスタシアは愛するジークルドのため、自らの一生をサレオン先代公爵に売ってまでも、ジークルドの出世を手助けした。そんな彼女の選択が、気持ちが、ジークルドには分からなかった。ところが彼は、ラダベルへの想いを殺してまでも、大きな秘密を隠すことと引き換えにアナスタシアの要求を呑み、結果的にラダベルを悲しませてしまった。そして今も、アナスタシアの取引を受け入れて、ラダベルの命を、身を守ろうとしてしまっている。ジークルドには到底分からなかった、愛する人を助けるための自己犠牲の心。それが今では、痛いほどに理解できたのだ。
「すまない、シア」
ジークルドが謝罪を口にした。異様な空気を感じ取ったアナスタシアは、彼から距離を取る。
「な、何? 急に」
「すまなかった」
なぜジークルドが謝ってくるのか、アナスタシアには理解不能だった。何やら、察してはいけない前兆を感じる。
「今なら、あの時のお前の気持ちが分かる」
「っ……!」
「己の気持ちを殺してまでも、己の身を売ってまでも、愛する人のために在りたいという気持ちが、どれほど尊いものか、理解できる」
ジークルドは、瞳を伏せる。静まり返った空間に、アナスタシアが息を呑む音が反響した。彼女は一歩、また一歩と後ろへ下がった。
「本当に愛しているならば、それを突き通せるはずだという俺の考えは、浅はかだったのかもしれない。愛する人のためならば、心も身も殺すことができるというお前の考え方を、今になってようやく、理解できた」
「やめて」
「お前は、あの時の俺を心から、愛してくれていたんだな」
「やめてっ!」
「誰かを本気で、心から、心の底から愛するという立場になってみて、初めて分かった」
「やめてって言ってるじゃないの!!!」
アナスタシアはジークルドの言葉を遮るように叫んだ。彼女の瞳からは、大量の涙が溢れ落ちる。それ以上、言わないでほしかった。それを、それを言ってしまえば……。
「俺は、ラダベルを心から、愛している」
ジークルドはアナスタシアを本気で愛してはいなかったと、分かってしまうではないか。
アナスタシアの心は、打ち砕かれてしまった。その場で蹲る。膝に顔を埋めて、声を上げて泣いた。
ジークルドは、彼女の自己犠牲の考え方が理解しがたかった。だが、ラダベルという何物にも代えがたい存在ができてからは、自然とアナスタシアの行動の真意が理解できたのだ。現に、ジークルドは愛するラダベルのために、かつてのアナスタシアと同じ行動を取ってしまっていたのだから。アナスタシアには酷なことだろうが、彼女のおかげで気づけた。ジークルドは跪き、彼女の肩に手を添える。
「愛してくれて、ありがとう。俺のために酷なことをさせて、すまなかった。恐らく、一生償っても償いきれないだろう」
「口だけなんていらないわよっ!!! 本気でそう思ってるなら、私と一緒になって!!! 一緒に死んでっ!!!」
アナスタシアは顔を上げて、ジークルドの腕に強くしがみついた。かつての軍の中でも秀でていた美貌は、涙で濡れてしまっていた。目の下にはくっきりと隈ができており、髪もきしんでしまっている。苦痛に満ちた彼女を見て、ジークルドは静かに首を横に振った。
「愛する人のために心も身も殺すことは、愛の示し方のひとつだと思う。だが、それだけが愛の形ではない。愛しているのであれば、本気で手に入れようと奮闘することも、愛の示し方だ。お前が、今、そうしているように」
ジークルドの言葉に、アナスタシアは目を見開いた。ゴールデンパール色の目から、悲哀が込められた涙がぽろぽろと溢れ落ちる。行かないで、と訴えかける視線に無視を決め込み、ジークルドは彼女からそっも離れた。アナスタシアの手が力なく地面に落ちる。彼女は、もう何も、言えなかった。
アナスタシアは宣する。ジークルドは瞠目して、黙り込んだ。先程までか弱い雰囲気を出していたアナスタシアは、途端に悪女に染まる。
「あの女を殺してあげる。私の指示であの子の命はどうとでもなるのよ? ねぇ、ジークルド。あなたが私と結婚してくれるなら、あの子の命は保証してあげる。一生、ね」
口角を吊り上げながら、ジークルドに近づいてくる。ジークルドは一歩も後退ることなく、彼女を睨み続けた。
「ふふ、嬉しいでしょう? 私たち、やっと、一緒になれるのよ」
アナスタシアはジークルドに抱きついた。少しの隙間も許さないとでも言わんばかりの距離感。密着する体に、ジークルドは嘔吐を催す。
アナスタシアの目は、本気だった。本気で、ラダベルを殺すと言っているのだ。彼女は、元軍人。人を殺めた経験ももちろんある。そんな彼女に、ラダベルを狙われてしまえば、ラダベルは為す術なく殺されてしまうかもしれない。最悪の結末を思い浮かべた時、ジークルドは強く拳を握った。
「大丈夫。ジークルド。私と結婚して、私との子を生んで、そして、とっても素敵な家族を作りましょう? あなたが愚かな選択をしなければ、私も賢い人間でいるわ」
アナスタシアはジークルドの鼓動を聞きながら、そう言った。これは取引なのだと訴えかけてくる彼女の言葉に、ジークルドは悔しさを滲ませながら唇を噛みしめる。
散々アナスタシアに振り回された挙句、ラダベルを諦めて彼女と一緒になるなど、許容できるはずがない。だが、彼女からの取引を拒絶してしまえば、ラダベルの命が……。そこまで思案したところで、ジークルドは気がついた。
自分が、かつてのアナスタシアと同じ、愚かな行為を犯していることに――。
アナスタシアは愛するジークルドのため、自らの一生をサレオン先代公爵に売ってまでも、ジークルドの出世を手助けした。そんな彼女の選択が、気持ちが、ジークルドには分からなかった。ところが彼は、ラダベルへの想いを殺してまでも、大きな秘密を隠すことと引き換えにアナスタシアの要求を呑み、結果的にラダベルを悲しませてしまった。そして今も、アナスタシアの取引を受け入れて、ラダベルの命を、身を守ろうとしてしまっている。ジークルドには到底分からなかった、愛する人を助けるための自己犠牲の心。それが今では、痛いほどに理解できたのだ。
「すまない、シア」
ジークルドが謝罪を口にした。異様な空気を感じ取ったアナスタシアは、彼から距離を取る。
「な、何? 急に」
「すまなかった」
なぜジークルドが謝ってくるのか、アナスタシアには理解不能だった。何やら、察してはいけない前兆を感じる。
「今なら、あの時のお前の気持ちが分かる」
「っ……!」
「己の気持ちを殺してまでも、己の身を売ってまでも、愛する人のために在りたいという気持ちが、どれほど尊いものか、理解できる」
ジークルドは、瞳を伏せる。静まり返った空間に、アナスタシアが息を呑む音が反響した。彼女は一歩、また一歩と後ろへ下がった。
「本当に愛しているならば、それを突き通せるはずだという俺の考えは、浅はかだったのかもしれない。愛する人のためならば、心も身も殺すことができるというお前の考え方を、今になってようやく、理解できた」
「やめて」
「お前は、あの時の俺を心から、愛してくれていたんだな」
「やめてっ!」
「誰かを本気で、心から、心の底から愛するという立場になってみて、初めて分かった」
「やめてって言ってるじゃないの!!!」
アナスタシアはジークルドの言葉を遮るように叫んだ。彼女の瞳からは、大量の涙が溢れ落ちる。それ以上、言わないでほしかった。それを、それを言ってしまえば……。
「俺は、ラダベルを心から、愛している」
ジークルドはアナスタシアを本気で愛してはいなかったと、分かってしまうではないか。
アナスタシアの心は、打ち砕かれてしまった。その場で蹲る。膝に顔を埋めて、声を上げて泣いた。
ジークルドは、彼女の自己犠牲の考え方が理解しがたかった。だが、ラダベルという何物にも代えがたい存在ができてからは、自然とアナスタシアの行動の真意が理解できたのだ。現に、ジークルドは愛するラダベルのために、かつてのアナスタシアと同じ行動を取ってしまっていたのだから。アナスタシアには酷なことだろうが、彼女のおかげで気づけた。ジークルドは跪き、彼女の肩に手を添える。
「愛してくれて、ありがとう。俺のために酷なことをさせて、すまなかった。恐らく、一生償っても償いきれないだろう」
「口だけなんていらないわよっ!!! 本気でそう思ってるなら、私と一緒になって!!! 一緒に死んでっ!!!」
アナスタシアは顔を上げて、ジークルドの腕に強くしがみついた。かつての軍の中でも秀でていた美貌は、涙で濡れてしまっていた。目の下にはくっきりと隈ができており、髪もきしんでしまっている。苦痛に満ちた彼女を見て、ジークルドは静かに首を横に振った。
「愛する人のために心も身も殺すことは、愛の示し方のひとつだと思う。だが、それだけが愛の形ではない。愛しているのであれば、本気で手に入れようと奮闘することも、愛の示し方だ。お前が、今、そうしているように」
ジークルドの言葉に、アナスタシアは目を見開いた。ゴールデンパール色の目から、悲哀が込められた涙がぽろぽろと溢れ落ちる。行かないで、と訴えかける視線に無視を決め込み、ジークルドは彼女からそっも離れた。アナスタシアの手が力なく地面に落ちる。彼女は、もう何も、言えなかった。
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