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第133話 もう、やめよう
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「元帥……」
ジークルドはアナスタシアから自然と離れ、アデルを呼んだ。
「何をしている、ルドルガー大将」
アデルは腕を組み、強い眼差しを向ける。ジークルドは彼からの睨みに少々萎縮すると共に、彼の背後にいるラダベルの存在に気がついた。視線がかち合う。ラダベルが羽織るアデルのジャケットを見て、険しい表情となった直後、気まずげに目を逸らした。あからさまに近い態度に、ラダベルは鼻で笑った。
あれだけ、がっかりした。幻滅をした。それなのに、まだ期待をしている自分がいる。阿呆らしい。救いようのない愚鈍な人間には成り下がらないよう、自分自身に言い聞かせる。
「妻がいる城で、堂々と不倫か?」
「っ…………」
不倫という一言に、ジークルドは動乱を見せる。
夜。一緒の部屋で過ごし、ラダベルに触れてくれたあの手で、あの愛撫で、アナスタシアを愛したのか。ラダベルは唇を噛みしめたくなったが、我慢した。ジークルドに余裕のない表情を見せたくなかったのだ。
「正妻との間に子がいないのにも拘わらず、飼い殺しする気か。万が一、その女との間に子ができたら、どう落とし前をつけるつもりだ? ティオーレ公爵の恩を仇で返すのか?」
アデルが矢継ぎ早に問いかけると、ジークルドは顔を強ばらせた。
正妻よりも愛人との間に先に子ができてしまえば、世間体もよろしくない。正妻や正妻の生家からの非難は避けられないだろう。隠し通すつもりなのであれば、別だが。
ラダベルは目を閉じ、視界を闇に染める。彼女はジークルドとしばらく夜を共にしていない。彼にはもう、アナスタシアがいる。自分の出る幕は、ないのだ――。
「第二皇子殿下、人聞きが悪いことをおっしゃらないでくださいな。子供など考えておりませんよ。私はまだ、ジークルドの正妻ではなく、愛人なのですから。子供を産むのであれば、彼の正妻になってからです」
アナスタシアの一歩踏み込んだ発言に、場は凍りつく。ジークルドが彼女を睥睨した。睨みつけるだけで、それ以上は何も言わない。彼の面様の真意が分からないラダベルは、絶望に打ちひしがれていた。
つまり、アナスタシアは本当に、ジークルドの妻になるということ。ラダベルを追い出して、アナスタシアこそがその座につくのだ。
アナスタシアがラダベルに視線を移す。
「ルドルガー伯爵夫人。ジークルドとは恋愛結婚ではなく、強制的な結婚だと伺っております。ルドルガー伯爵夫人もさぞお辛かったことでしょう……。でも、ご安心ください。もうその辛さからも解放されますので。ルドルガー伯爵夫人も本当に愛する方と一緒になってくださいな。私とジークルドも、愛する者と共になりますので」
悪気など一切含まれていない純度百の笑顔。ラダベルは無表情であり続けた。
(もう、本当の本当の本当に、潮時なのかもしれない)
ジークルドとの結婚生活も、終わり。彼と結ばれる未来はありえない。目を覚ませ、ラダベル。もう、諦めるしかない。
ラダベルは突如として、満面の笑みを浮かべた。最近で一番の笑顔だった。ジークルドは息を止める。
「失礼いたします」
アナスタシアのおかげでようやく決心がついた。期待も無惨に打ち砕かれた。ラダベルはジークルドと歩み寄るチャンスを何度も無駄にしたが、それはジークルドも同じこと。最初から、深く繋がる関係性になど、なれなかったのだ。それを気づかせてくれたアナスタシアには、感謝しなければならない。強く在るための決意を、させてくれてありがとう、と。
ラダベルは涙を堪えて、前を見据えた。彼女の心にはもう、期待も迷いもなかった。
ラダベルがひとり立ち去ったあと、ジークルドは隣に佇むアナスタシアに殺意のこもった目を向けていた。
「なるほど。その様子を見る限り、ラダベルとは離婚するのか」
「戯言を」
アデルの言葉をすぐさま否定する。
離婚には、双方の同意がいる。ジークルドが同意しない限りは離婚できないし、ラダベルもこの城に留まることになるだろう。
アナスタシアが城にいる期限はあとひと月だ。その条件を出したのは、彼女の姉であるオースター侯爵。あとひと月、我慢すれば、ひとまずはアナスタシアを北部に強制的に送還することができる。ちなみにこのことは、彼女は知らない。ジークルドとオースター侯爵、ふたりの間で交わされた約束だ。
アナスタシアを一時的に追い出すことに成功した際には、ラダベルとしっかり面と向かって話し合いをしなければならない。できれば、自分の想いも伝えたい。そして秘密も――。アナスタシアが城にいる限り、それは不可能だ。万が一、ラダベルに手を出されてしまえば彼女を殺さない自信がない。そして、何より……。アナスタシアの存在が疎ましい。
アデルはアナスタシアをじっと見つめている。意味深長な雰囲気が漂う。アナスタシアが目をぱちくりとさせ、小首を傾げる。可愛らしい仕草だが残念ながらアデルの心には刺さらなかったようで、アデルは瞬時に彼女から目を逸らした。
「ルドルガー大将。ラダベルに逃げられても僕は知らないぞ。まぁその時は……僕がもらうからいいが」
アデルはふん、と顔を背ける。
「ところで、なぜ元帥がここに……?」
先程から感じていた違和感の正体に気がついたジークルドが問いかけると、アデルは表情を引き攣らせたまま、そそくさと去っていった。彼の行動をわざわざ咎める気分にもなれず、ジークルドは俯く。酷い目眩がする中、自身を心配して顔を覗き込んでくるアナスタシアにさらに深い怒りを抱いた。それも、捻り潰したいほどに――。
ジークルドはアナスタシアから自然と離れ、アデルを呼んだ。
「何をしている、ルドルガー大将」
アデルは腕を組み、強い眼差しを向ける。ジークルドは彼からの睨みに少々萎縮すると共に、彼の背後にいるラダベルの存在に気がついた。視線がかち合う。ラダベルが羽織るアデルのジャケットを見て、険しい表情となった直後、気まずげに目を逸らした。あからさまに近い態度に、ラダベルは鼻で笑った。
あれだけ、がっかりした。幻滅をした。それなのに、まだ期待をしている自分がいる。阿呆らしい。救いようのない愚鈍な人間には成り下がらないよう、自分自身に言い聞かせる。
「妻がいる城で、堂々と不倫か?」
「っ…………」
不倫という一言に、ジークルドは動乱を見せる。
夜。一緒の部屋で過ごし、ラダベルに触れてくれたあの手で、あの愛撫で、アナスタシアを愛したのか。ラダベルは唇を噛みしめたくなったが、我慢した。ジークルドに余裕のない表情を見せたくなかったのだ。
「正妻との間に子がいないのにも拘わらず、飼い殺しする気か。万が一、その女との間に子ができたら、どう落とし前をつけるつもりだ? ティオーレ公爵の恩を仇で返すのか?」
アデルが矢継ぎ早に問いかけると、ジークルドは顔を強ばらせた。
正妻よりも愛人との間に先に子ができてしまえば、世間体もよろしくない。正妻や正妻の生家からの非難は避けられないだろう。隠し通すつもりなのであれば、別だが。
ラダベルは目を閉じ、視界を闇に染める。彼女はジークルドとしばらく夜を共にしていない。彼にはもう、アナスタシアがいる。自分の出る幕は、ないのだ――。
「第二皇子殿下、人聞きが悪いことをおっしゃらないでくださいな。子供など考えておりませんよ。私はまだ、ジークルドの正妻ではなく、愛人なのですから。子供を産むのであれば、彼の正妻になってからです」
アナスタシアの一歩踏み込んだ発言に、場は凍りつく。ジークルドが彼女を睥睨した。睨みつけるだけで、それ以上は何も言わない。彼の面様の真意が分からないラダベルは、絶望に打ちひしがれていた。
つまり、アナスタシアは本当に、ジークルドの妻になるということ。ラダベルを追い出して、アナスタシアこそがその座につくのだ。
アナスタシアがラダベルに視線を移す。
「ルドルガー伯爵夫人。ジークルドとは恋愛結婚ではなく、強制的な結婚だと伺っております。ルドルガー伯爵夫人もさぞお辛かったことでしょう……。でも、ご安心ください。もうその辛さからも解放されますので。ルドルガー伯爵夫人も本当に愛する方と一緒になってくださいな。私とジークルドも、愛する者と共になりますので」
悪気など一切含まれていない純度百の笑顔。ラダベルは無表情であり続けた。
(もう、本当の本当の本当に、潮時なのかもしれない)
ジークルドとの結婚生活も、終わり。彼と結ばれる未来はありえない。目を覚ませ、ラダベル。もう、諦めるしかない。
ラダベルは突如として、満面の笑みを浮かべた。最近で一番の笑顔だった。ジークルドは息を止める。
「失礼いたします」
アナスタシアのおかげでようやく決心がついた。期待も無惨に打ち砕かれた。ラダベルはジークルドと歩み寄るチャンスを何度も無駄にしたが、それはジークルドも同じこと。最初から、深く繋がる関係性になど、なれなかったのだ。それを気づかせてくれたアナスタシアには、感謝しなければならない。強く在るための決意を、させてくれてありがとう、と。
ラダベルは涙を堪えて、前を見据えた。彼女の心にはもう、期待も迷いもなかった。
ラダベルがひとり立ち去ったあと、ジークルドは隣に佇むアナスタシアに殺意のこもった目を向けていた。
「なるほど。その様子を見る限り、ラダベルとは離婚するのか」
「戯言を」
アデルの言葉をすぐさま否定する。
離婚には、双方の同意がいる。ジークルドが同意しない限りは離婚できないし、ラダベルもこの城に留まることになるだろう。
アナスタシアが城にいる期限はあとひと月だ。その条件を出したのは、彼女の姉であるオースター侯爵。あとひと月、我慢すれば、ひとまずはアナスタシアを北部に強制的に送還することができる。ちなみにこのことは、彼女は知らない。ジークルドとオースター侯爵、ふたりの間で交わされた約束だ。
アナスタシアを一時的に追い出すことに成功した際には、ラダベルとしっかり面と向かって話し合いをしなければならない。できれば、自分の想いも伝えたい。そして秘密も――。アナスタシアが城にいる限り、それは不可能だ。万が一、ラダベルに手を出されてしまえば彼女を殺さない自信がない。そして、何より……。アナスタシアの存在が疎ましい。
アデルはアナスタシアをじっと見つめている。意味深長な雰囲気が漂う。アナスタシアが目をぱちくりとさせ、小首を傾げる。可愛らしい仕草だが残念ながらアデルの心には刺さらなかったようで、アデルは瞬時に彼女から目を逸らした。
「ルドルガー大将。ラダベルに逃げられても僕は知らないぞ。まぁその時は……僕がもらうからいいが」
アデルはふん、と顔を背ける。
「ところで、なぜ元帥がここに……?」
先程から感じていた違和感の正体に気がついたジークルドが問いかけると、アデルは表情を引き攣らせたまま、そそくさと去っていった。彼の行動をわざわざ咎める気分にもなれず、ジークルドは俯く。酷い目眩がする中、自身を心配して顔を覗き込んでくるアナスタシアにさらに深い怒りを抱いた。それも、捻り潰したいほどに――。
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