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第119話 アデルの気持ち
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ラダベルは緩慢に顔を上げる。するとそこには、アデルがいた。相変わらず美しい顔だが、随分と疲弊している。心を許すことができる重臣をひとり失ったことは、彼にとっても大きな損害だったようだ。現実を受け止めてはいるが、まだ苦悩に塗れた表情をしていた。彼はラダベルの涙を見て、さらに眉間に皺を刻んだ。
「あいつに……会ったんだな……」
アデルが言う「あいつ」が一体誰を意味しているのか。それが分からぬほど、ラダベルも馬鹿ではない。静かに頷いて見せた。
「お前のその様子だと、あいつらは再会を喜んでいるのか」
「……どうでしょうね」
微塵も感情を含めず冷酷に答えて、ラダベルは窓の外に視線を送った。頬を流れ落ちる涙を乱暴に拭い、唇を噛みしめた。
アナスタシアは、サレオン公爵と結婚しながらも、ジークルドを一途に想っていたのだろうか。ジークルドもそれは同じなのかもしれない。だからこそ、長年結婚しなかったのだろう。ラダベルを妻に迎えてもなお、彼の時間は止まったままだった。それが今日、長い年月を経て、ようやく動き出したのだ。
(まだ、ジークルド様と結婚して一年も経っていないのに)
神は、残酷だ。ジークルドが無理にでも前に進むことを決めたからこそ、アナスタシアとの運命の歯車を回したのだ。ラダベルは物語の中でも、そして現実でも、脇役、ただの当て馬に過ぎない。それを自覚してしまった彼女は、心底悔しくなった。結局、脇役を宿命づけられた存在として生きるには、限度があるのか、と。恋をしても、その恋が実ることは、ない。
目を閉じて現実逃避に徹すると、アデルが空気を読まない言葉を投げかけてくる。
「お前は、どうするつもりだ」
「……普通、失恋したばかりの女性にそんなことを聞きます?」
「……悪い、」
「このままでは、きっと、ジークルド様の傍にいることさえも、できそうにないですね」
ラダベルは苦笑する。それを見たアデルは、拳を握りしめた。
いつかは、この瞬間が来るかもしれないと思っていた。ジークルドに愛されなくても、彼の傍にいることができればいいと思っていたのに。いつの間にか、彼からの愛を強く求めてしまっていた。もしかしたら、その罰なのかもしれない。
アナスタシアとジークルドが一緒になったら、ラダベルはどうなってしまうのか。正妻としてジークルドの傍にいながら、彼とアナスタシアがふたり愛し合っている姿を見なければならないのか。それとも、ジークルドにより正妻の座を追われてしまうのか。どちらにせよ、きっともう、ジークルドから離れる決断をしなければならないだろう。
己の運命を悟ったラダベルは、唇に血が滲むほど強く噛む。
こんなことならば、ジークルドと出会わなければよかったのに――。
そう思いながら、なんとか足腰に力を入れてひとり歩き出す。アデルはそんな彼女の腕を掴んで引き止め、正面から抱きしめた。アデルに抱きしめられているという事実に、彼女の体は細かく振動する。
「第二皇子殿下……」
「………………」
「離してください」
人の温もりを感知した体は、自然と涙を煽る。アデルの肩口にそれは吸い込まれていった。彼の服が汚れてしまうと思うが、力が強すぎてまったく離れることができない。
「僕はずっと……お前だけだ、」
「何を、」
「お前だけだ、ラダベル」
アデルがラダベルから距離を取る。ラダベルのか弱い両肩を掴んだまま顔を上げた彼は、なぜか泣いていた。まるで子供のように泣いているものだから、なんだか情けなく見える。ラダベルは苦笑いした。
「泣きたいのは、私ですよ」
ラダベルが呟くと、ウォーターブルーの眼がさらに潤みを増す。朝露の如く美しく黄金の睫毛を濡らす涙に、見惚れる。アデルの乾ききった唇が開く。
「お前が、好きだ」
一言。
「好きだ、ラダベル……」
もう一度。
ラダベルの心臓が激しく脈打つ。
アデルの愛の告白を嘘だとは決めつけられなかった。
嘘だなんて、言えなかった。
無言を貫くほかないラダベルの手を、アデルが掴む。手の甲にキスが捧げられる。黒い手袋にアデルの唇の温もりと涙が吸い込まれていった。
「今は答えなくとも、良い。だが僕は、お前の逃げ道に、なる」
泣きながらも途切れ途切れに伝えてくれる。アデルの思いの強さに、ラダベルは息を止める。アデルは彼女から距離を取り、我に返ったかのように目元を擦ると、そのまま背を向けて去っていったのであった。
ラダベルの心は、なんと言い表していいのか分からぬほど、混沌と化していた。
「あいつに……会ったんだな……」
アデルが言う「あいつ」が一体誰を意味しているのか。それが分からぬほど、ラダベルも馬鹿ではない。静かに頷いて見せた。
「お前のその様子だと、あいつらは再会を喜んでいるのか」
「……どうでしょうね」
微塵も感情を含めず冷酷に答えて、ラダベルは窓の外に視線を送った。頬を流れ落ちる涙を乱暴に拭い、唇を噛みしめた。
アナスタシアは、サレオン公爵と結婚しながらも、ジークルドを一途に想っていたのだろうか。ジークルドもそれは同じなのかもしれない。だからこそ、長年結婚しなかったのだろう。ラダベルを妻に迎えてもなお、彼の時間は止まったままだった。それが今日、長い年月を経て、ようやく動き出したのだ。
(まだ、ジークルド様と結婚して一年も経っていないのに)
神は、残酷だ。ジークルドが無理にでも前に進むことを決めたからこそ、アナスタシアとの運命の歯車を回したのだ。ラダベルは物語の中でも、そして現実でも、脇役、ただの当て馬に過ぎない。それを自覚してしまった彼女は、心底悔しくなった。結局、脇役を宿命づけられた存在として生きるには、限度があるのか、と。恋をしても、その恋が実ることは、ない。
目を閉じて現実逃避に徹すると、アデルが空気を読まない言葉を投げかけてくる。
「お前は、どうするつもりだ」
「……普通、失恋したばかりの女性にそんなことを聞きます?」
「……悪い、」
「このままでは、きっと、ジークルド様の傍にいることさえも、できそうにないですね」
ラダベルは苦笑する。それを見たアデルは、拳を握りしめた。
いつかは、この瞬間が来るかもしれないと思っていた。ジークルドに愛されなくても、彼の傍にいることができればいいと思っていたのに。いつの間にか、彼からの愛を強く求めてしまっていた。もしかしたら、その罰なのかもしれない。
アナスタシアとジークルドが一緒になったら、ラダベルはどうなってしまうのか。正妻としてジークルドの傍にいながら、彼とアナスタシアがふたり愛し合っている姿を見なければならないのか。それとも、ジークルドにより正妻の座を追われてしまうのか。どちらにせよ、きっともう、ジークルドから離れる決断をしなければならないだろう。
己の運命を悟ったラダベルは、唇に血が滲むほど強く噛む。
こんなことならば、ジークルドと出会わなければよかったのに――。
そう思いながら、なんとか足腰に力を入れてひとり歩き出す。アデルはそんな彼女の腕を掴んで引き止め、正面から抱きしめた。アデルに抱きしめられているという事実に、彼女の体は細かく振動する。
「第二皇子殿下……」
「………………」
「離してください」
人の温もりを感知した体は、自然と涙を煽る。アデルの肩口にそれは吸い込まれていった。彼の服が汚れてしまうと思うが、力が強すぎてまったく離れることができない。
「僕はずっと……お前だけだ、」
「何を、」
「お前だけだ、ラダベル」
アデルがラダベルから距離を取る。ラダベルのか弱い両肩を掴んだまま顔を上げた彼は、なぜか泣いていた。まるで子供のように泣いているものだから、なんだか情けなく見える。ラダベルは苦笑いした。
「泣きたいのは、私ですよ」
ラダベルが呟くと、ウォーターブルーの眼がさらに潤みを増す。朝露の如く美しく黄金の睫毛を濡らす涙に、見惚れる。アデルの乾ききった唇が開く。
「お前が、好きだ」
一言。
「好きだ、ラダベル……」
もう一度。
ラダベルの心臓が激しく脈打つ。
アデルの愛の告白を嘘だとは決めつけられなかった。
嘘だなんて、言えなかった。
無言を貫くほかないラダベルの手を、アデルが掴む。手の甲にキスが捧げられる。黒い手袋にアデルの唇の温もりと涙が吸い込まれていった。
「今は答えなくとも、良い。だが僕は、お前の逃げ道に、なる」
泣きながらも途切れ途切れに伝えてくれる。アデルの思いの強さに、ラダベルは息を止める。アデルは彼女から距離を取り、我に返ったかのように目元を擦ると、そのまま背を向けて去っていったのであった。
ラダベルの心は、なんと言い表していいのか分からぬほど、混沌と化していた。
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