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第117話 アナスタシア
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「ジークルド、会いたかったわ」
美しい声がこだまする。ベビーブルーの長髪に、ゴールデンパール色の瞳を持つ天性の美女。ラダベルは、思わずその女性に目を奪われた。身長は高く、喪服を纏っていても気品が溢れ出ている。女性は、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
「ジークルド、私たち、久々に会ったのよ。もう……何年ぶりかしら」
女性は顎に手を当てながら、首を傾げた。その仕草も様になっている。ジークルドはそこでようやく振り返った。
「サレオン公爵夫人。お久しぶりです」
ジークルドはラダベルと手を繋いだまま、深く頭を下げた。ジークルドを名で呼ぶ女性と、女性を敬称で呼ぶジークルド。ふたりの間には、大きな溝がある気がする。
「他人行儀ね、ジークルド。もう、シアとは呼んでくれないの?」
(今、なんて……)
女性の名を聞いたラダベルは、愕然とした。
ジークルドが戦争から帰還し、彼と熱く交わった後日、セリーヌから「奥様が高熱に魘されていたのです」と報告を受けた彼により随分と心配された。ラダベルは問題ないと何度も訴え彼を安心させたのだが、心の中の蟠りの原因を問い質すことはできなかった。
蟠りとは、ラダベルが高熱で寝込んでいる際に、とある夢を見たことについてである。ジークルドがほかの女性と共に、ラダベルのもとを去っていく夢。その時、ジークルドは、謎に包まれた女性を「シア」と呼んでいたはず。まさしく、目の前にいる明眸皓歯の女性こそが、夢の中でジークルドと一緒に立ち去ったシアなのだ。
ラダベルの全身が強ばる。それを見逃さなかったジークルドが、彼女をすぐさま背後に隠した。シアという女性は反応を示す。
「噂の……奥様、かしら?」
「噂だと?」
「嫌ね……。そんな怖い顔しないで、ジークルド。長年未婚だったあなたが突然奥方様を迎えるという話は、この南の地でもとっても話題だったのよ」
シアという女性が一歩前に出る。
「お初にお目にかかります。ルドルガー伯爵夫人。私はアナスタシア・リレナ・ラ・サレオンと申します。サレオン公爵の妻でありますが……ご存じの通り、先の戦争で夫を亡くし、未亡人となってしまいました……。私も元は軍人で、同い年のジークルドとは仲が良いのです」
人当たりの良い笑みを浮かべる。
アナスタシア・リレナ・ラ・サレオン。サレオン公爵夫人。ジークルドと同じ、28歳。サレオン公爵に嫁ぐ前までは軍人であった。極北部司令官オースター侯爵の妹だ。
ラダベルは、ジークルドの手を勢いよく放す。ジークルドが大袈裟に振り向くが、彼に構わず一歩前へ出た。
「サレオン公爵夫人、お初にお目にかかります。ラダベル・ラグナ・イルミニア・ルドルガーと申します。以後、お見知り置きを」
絢爛な雰囲気が漂う。ラダベルが身に纏うのは喪服なのにも拘わらず、図らずとも華やかなオーラが溢れ出ている。アナスタシアが口元に手を当てて、驚いた。恐らく、挨拶もろくにできない悪女だと思われていたのだろう。それを察したラダベルは、莞爾として笑った。美しくどこかノスタルジックを感じさせる微笑みに、ジークルドのみならずアナスタシアも度肝を抜かれた。
「皆様、同じ反応をなさるのです。さぞ驚かれたことでしょう。悪女と噂の私が、丁寧な挨拶をすることに」
ラダベルがあえて指摘すると、図星を突かれたアナスタシアは僅かに頬を赤らめ、咳払いする。
「申し訳ございません、ルドルガー伯爵夫人。ご無礼をお許しください」
アナスタシアが頭を垂れる。非を認め、瞬時に謝罪する。見た目だけでなく、心まで聡明な女性のようだ。
「気にしておりません。それよりも、サレオン公爵夫人。サレオン公爵の突然の訃報を受け……誠に残念です。この度は心よりお悔やみ申し上げます」
ラダベルはアナスタシアの夫であるサレオン公爵の死を弔った。ジークルドも同様に、頭を下げる。アナスタシアの美貌に、哀愁が浮かび上がる。
「ルドルガー伯爵も伯爵夫人も、今日は夫の葬儀に足を運んでくださり、本当にありがとうございます。夫が亡くなったのはあまりにも突然のことで……私も上手く気持ちが整理できていませんが、少し……ほっとしている自分もいるのです」
アナスタシアの胸の内に、ラダベルは顔を上げる。ほっとしている、とは一体どういうことか。自然と怪訝の表情となる。
「夫とは元々、恋愛結婚ではありませんでした。半ば無理に……結婚した形となるのです。普段の夫は優しかったですが、お酒を飲んだり興奮状態となると、よく自我を失う方でした。その恐怖から解放されるのですから、少しは気も楽になるのです」
アナスタシアが本音を話す。
まさか、サレオン公爵にそんな一面があったとは。ラダベルはもちろん、ジークルドも魂消ていた。順風満帆とも思えたふたりの結婚生活は、まったくそうではなかった。ジークルドもどうやら初耳だったらしい。彼の様子を見る限り、アナスタシアと手紙を送り合ったり、内密に会ったり、などはしていなかったみたいだ。
「これから、どうするつもりだ」
ジークルドは敬語を使うこともやめて、問いかける。アナスタシアは震える手を押さえて、口火を切る。
「サレオン公爵家と絶縁し、実家に帰るつもりよ」
美しい声がこだまする。ベビーブルーの長髪に、ゴールデンパール色の瞳を持つ天性の美女。ラダベルは、思わずその女性に目を奪われた。身長は高く、喪服を纏っていても気品が溢れ出ている。女性は、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
「ジークルド、私たち、久々に会ったのよ。もう……何年ぶりかしら」
女性は顎に手を当てながら、首を傾げた。その仕草も様になっている。ジークルドはそこでようやく振り返った。
「サレオン公爵夫人。お久しぶりです」
ジークルドはラダベルと手を繋いだまま、深く頭を下げた。ジークルドを名で呼ぶ女性と、女性を敬称で呼ぶジークルド。ふたりの間には、大きな溝がある気がする。
「他人行儀ね、ジークルド。もう、シアとは呼んでくれないの?」
(今、なんて……)
女性の名を聞いたラダベルは、愕然とした。
ジークルドが戦争から帰還し、彼と熱く交わった後日、セリーヌから「奥様が高熱に魘されていたのです」と報告を受けた彼により随分と心配された。ラダベルは問題ないと何度も訴え彼を安心させたのだが、心の中の蟠りの原因を問い質すことはできなかった。
蟠りとは、ラダベルが高熱で寝込んでいる際に、とある夢を見たことについてである。ジークルドがほかの女性と共に、ラダベルのもとを去っていく夢。その時、ジークルドは、謎に包まれた女性を「シア」と呼んでいたはず。まさしく、目の前にいる明眸皓歯の女性こそが、夢の中でジークルドと一緒に立ち去ったシアなのだ。
ラダベルの全身が強ばる。それを見逃さなかったジークルドが、彼女をすぐさま背後に隠した。シアという女性は反応を示す。
「噂の……奥様、かしら?」
「噂だと?」
「嫌ね……。そんな怖い顔しないで、ジークルド。長年未婚だったあなたが突然奥方様を迎えるという話は、この南の地でもとっても話題だったのよ」
シアという女性が一歩前に出る。
「お初にお目にかかります。ルドルガー伯爵夫人。私はアナスタシア・リレナ・ラ・サレオンと申します。サレオン公爵の妻でありますが……ご存じの通り、先の戦争で夫を亡くし、未亡人となってしまいました……。私も元は軍人で、同い年のジークルドとは仲が良いのです」
人当たりの良い笑みを浮かべる。
アナスタシア・リレナ・ラ・サレオン。サレオン公爵夫人。ジークルドと同じ、28歳。サレオン公爵に嫁ぐ前までは軍人であった。極北部司令官オースター侯爵の妹だ。
ラダベルは、ジークルドの手を勢いよく放す。ジークルドが大袈裟に振り向くが、彼に構わず一歩前へ出た。
「サレオン公爵夫人、お初にお目にかかります。ラダベル・ラグナ・イルミニア・ルドルガーと申します。以後、お見知り置きを」
絢爛な雰囲気が漂う。ラダベルが身に纏うのは喪服なのにも拘わらず、図らずとも華やかなオーラが溢れ出ている。アナスタシアが口元に手を当てて、驚いた。恐らく、挨拶もろくにできない悪女だと思われていたのだろう。それを察したラダベルは、莞爾として笑った。美しくどこかノスタルジックを感じさせる微笑みに、ジークルドのみならずアナスタシアも度肝を抜かれた。
「皆様、同じ反応をなさるのです。さぞ驚かれたことでしょう。悪女と噂の私が、丁寧な挨拶をすることに」
ラダベルがあえて指摘すると、図星を突かれたアナスタシアは僅かに頬を赤らめ、咳払いする。
「申し訳ございません、ルドルガー伯爵夫人。ご無礼をお許しください」
アナスタシアが頭を垂れる。非を認め、瞬時に謝罪する。見た目だけでなく、心まで聡明な女性のようだ。
「気にしておりません。それよりも、サレオン公爵夫人。サレオン公爵の突然の訃報を受け……誠に残念です。この度は心よりお悔やみ申し上げます」
ラダベルはアナスタシアの夫であるサレオン公爵の死を弔った。ジークルドも同様に、頭を下げる。アナスタシアの美貌に、哀愁が浮かび上がる。
「ルドルガー伯爵も伯爵夫人も、今日は夫の葬儀に足を運んでくださり、本当にありがとうございます。夫が亡くなったのはあまりにも突然のことで……私も上手く気持ちが整理できていませんが、少し……ほっとしている自分もいるのです」
アナスタシアの胸の内に、ラダベルは顔を上げる。ほっとしている、とは一体どういうことか。自然と怪訝の表情となる。
「夫とは元々、恋愛結婚ではありませんでした。半ば無理に……結婚した形となるのです。普段の夫は優しかったですが、お酒を飲んだり興奮状態となると、よく自我を失う方でした。その恐怖から解放されるのですから、少しは気も楽になるのです」
アナスタシアが本音を話す。
まさか、サレオン公爵にそんな一面があったとは。ラダベルはもちろん、ジークルドも魂消ていた。順風満帆とも思えたふたりの結婚生活は、まったくそうではなかった。ジークルドもどうやら初耳だったらしい。彼の様子を見る限り、アナスタシアと手紙を送り合ったり、内密に会ったり、などはしていなかったみたいだ。
「これから、どうするつもりだ」
ジークルドは敬語を使うこともやめて、問いかける。アナスタシアは震える手を押さえて、口火を切る。
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