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第107話 手紙を書いて
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ジークルドが戦争に出かけてから、ひと月と半月が経った。なかなか彼が帰還するという話は聞かない。
「ジークルド様……」
ラダベルはジークルドを思って、彼の名を呟いた。
「奥様」
背後から声が聞こえた。驚きながら振り向くと、そこにはセリーヌがいた。ジークルドの名を呼んだのを聞かれてしまっていたらしい。ラダベルは軽く咳払いして誤魔化した。もう既に、誤魔化しは通用しないが。
「申し訳ございません。いくらお呼びしてもお返事がなかったので、無断で入室してしまいました。お許しください」
「き、気にしないで……」
ラダベルは羞恥を隠し、苦しまぎれにそう言った。セリーヌは悲愴に満ちた表情を浮かべる。
「やはり……旦那様の安否が気になりますか……?」
「そう、ね……。気になるけど、気にしたところでどうにかなる問題じゃないわ。私が軍人だったら……彼についていけるのに。かの“剣王”の妻としては、私は役不足だわ」
ラダベルは半ば諦めの気持ちを込めて呟いたあと、外を眺めた。セリーヌが足音を最小限に留めて、近づいてくる。彼女の悲嘆に塗れた顔を見て、ラダベルは手を伸ばし、彼女の手を握った。
「ごめんなさい、あなたも不安よね……」
そう言うと、セリーヌは首を横に振った。彼女はジークルドの側近、ウィルのことを好いている。ウィルも今回の戦争にはもちろん参加しているため、彼を好きなセリーヌも気が気ではないだろう。なんとか強がってはいるが、今にも泣きそうなのが見て取れる。
「ウィル様は平気だと、絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせてはいますが……どうもこればかりは一向に慣れませんね」
セリーヌはそう言って、苦笑した。ラダベルは頷く。
「奥様、もしよろしければ……旦那様に手紙を書いてはいかがでしょうか?」
「……手紙?」
「はい」
セリーヌの思いかげない提案にラダベルは彼女の手を放し、考え込む様子を見せた。
軍人である恋人に手紙を送ることは、なんら珍しいことではない。しかしラダベルは、かつての婚約者であったアデルに手紙を送ったことは、一度としてない。ジークルドを健気に待つ今のように、アデルのことももちろん心配していたが、あの頃はアデルの邪魔をしてはいけないと思い込んでいた。
しかし、ジークルドに対しては、ラダベルが心のこもった手紙を書くことにより、もしかしたら何かしら彼の精神的な支えとなれるかもしれないと、自負してしまっている。ラダベルに冷たく接しない彼だからこそ、ラダベルからの手紙も快く受け取ってくれるのではないか。
「ご迷惑に……ならないかしら」
「そんなはずがありません。旦那様は必ず、奥様からの手紙を喜ばれますよ」
セリーヌに励まされる。ラダベルは再び思案したあと、控えめに頷きながら微笑したのであった。
ラダベルはお気に入りの場所である湖のガゼボに足を運んだ。便箋とペンをテーブルの上に置き、白塗りの椅子に腰を下ろす。ペンを持ち、何から書こうか迷う。ジークルドの迷惑にならないよう、彼の休みの邪魔をしないよう、僅かな時間でも読める程度の文量にしなければならない。彼女は便箋の上で、ペンを走らせる。じわり、と黒のインクが染みた。
ジークルドの体を労る言葉と、彼の無事を祈る言葉を丁寧に書き記していく。ラダベルの身に刻まれた教養の成果が出たようで、我ながらに美しい文字であった。
書き終えたラダベルは、便箋を遠目で眺める。おかしなところはないか、何度も確認する。
読み返すのも五週目に入ったところで。
「何をそんなに熱心に見ている」
傍で、唐突に声が聞こえる。ラダベルの体が跳ね上がったと共に突風が吹き荒れ、彼女が手に持っていた便箋がふわりと宙を舞った。
「あっ!」
ラダベルは立ち上がり、羽が生えたように美しく空を飛ぶ便箋を追いかける。たった一枚の紙切れかもしれない。たとえ市場に出回ったとしても、価値すらつかないつまらない物かもしれない。それでも彼女にとっては、大切な手紙であったことに変わりはない。
便箋は虚しくも、湖に落ちそうになる。ラダベルは必死に手を伸ばした。指先は紙を掠める。彼女の思いは、届かなかった。湖に落ちる、と思ったその瞬間、体を引かれる感覚がした。恐る恐る目を開ける。腹部に回るたくましい腕は、彼女もよく知る人物、アデルのものであった。なんとラダベルは、湖に落ちる寸前で、アデルに助けられたらしい。彼のもう一方の手には、ラダベルが書いた手紙が。どうやら無事だったらしい。
ラダベルがほっと安堵したのも束の間――。
「死にたいのか!?」
「ジークルド様……」
ラダベルはジークルドを思って、彼の名を呟いた。
「奥様」
背後から声が聞こえた。驚きながら振り向くと、そこにはセリーヌがいた。ジークルドの名を呼んだのを聞かれてしまっていたらしい。ラダベルは軽く咳払いして誤魔化した。もう既に、誤魔化しは通用しないが。
「申し訳ございません。いくらお呼びしてもお返事がなかったので、無断で入室してしまいました。お許しください」
「き、気にしないで……」
ラダベルは羞恥を隠し、苦しまぎれにそう言った。セリーヌは悲愴に満ちた表情を浮かべる。
「やはり……旦那様の安否が気になりますか……?」
「そう、ね……。気になるけど、気にしたところでどうにかなる問題じゃないわ。私が軍人だったら……彼についていけるのに。かの“剣王”の妻としては、私は役不足だわ」
ラダベルは半ば諦めの気持ちを込めて呟いたあと、外を眺めた。セリーヌが足音を最小限に留めて、近づいてくる。彼女の悲嘆に塗れた顔を見て、ラダベルは手を伸ばし、彼女の手を握った。
「ごめんなさい、あなたも不安よね……」
そう言うと、セリーヌは首を横に振った。彼女はジークルドの側近、ウィルのことを好いている。ウィルも今回の戦争にはもちろん参加しているため、彼を好きなセリーヌも気が気ではないだろう。なんとか強がってはいるが、今にも泣きそうなのが見て取れる。
「ウィル様は平気だと、絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせてはいますが……どうもこればかりは一向に慣れませんね」
セリーヌはそう言って、苦笑した。ラダベルは頷く。
「奥様、もしよろしければ……旦那様に手紙を書いてはいかがでしょうか?」
「……手紙?」
「はい」
セリーヌの思いかげない提案にラダベルは彼女の手を放し、考え込む様子を見せた。
軍人である恋人に手紙を送ることは、なんら珍しいことではない。しかしラダベルは、かつての婚約者であったアデルに手紙を送ったことは、一度としてない。ジークルドを健気に待つ今のように、アデルのことももちろん心配していたが、あの頃はアデルの邪魔をしてはいけないと思い込んでいた。
しかし、ジークルドに対しては、ラダベルが心のこもった手紙を書くことにより、もしかしたら何かしら彼の精神的な支えとなれるかもしれないと、自負してしまっている。ラダベルに冷たく接しない彼だからこそ、ラダベルからの手紙も快く受け取ってくれるのではないか。
「ご迷惑に……ならないかしら」
「そんなはずがありません。旦那様は必ず、奥様からの手紙を喜ばれますよ」
セリーヌに励まされる。ラダベルは再び思案したあと、控えめに頷きながら微笑したのであった。
ラダベルはお気に入りの場所である湖のガゼボに足を運んだ。便箋とペンをテーブルの上に置き、白塗りの椅子に腰を下ろす。ペンを持ち、何から書こうか迷う。ジークルドの迷惑にならないよう、彼の休みの邪魔をしないよう、僅かな時間でも読める程度の文量にしなければならない。彼女は便箋の上で、ペンを走らせる。じわり、と黒のインクが染みた。
ジークルドの体を労る言葉と、彼の無事を祈る言葉を丁寧に書き記していく。ラダベルの身に刻まれた教養の成果が出たようで、我ながらに美しい文字であった。
書き終えたラダベルは、便箋を遠目で眺める。おかしなところはないか、何度も確認する。
読み返すのも五週目に入ったところで。
「何をそんなに熱心に見ている」
傍で、唐突に声が聞こえる。ラダベルの体が跳ね上がったと共に突風が吹き荒れ、彼女が手に持っていた便箋がふわりと宙を舞った。
「あっ!」
ラダベルは立ち上がり、羽が生えたように美しく空を飛ぶ便箋を追いかける。たった一枚の紙切れかもしれない。たとえ市場に出回ったとしても、価値すらつかないつまらない物かもしれない。それでも彼女にとっては、大切な手紙であったことに変わりはない。
便箋は虚しくも、湖に落ちそうになる。ラダベルは必死に手を伸ばした。指先は紙を掠める。彼女の思いは、届かなかった。湖に落ちる、と思ったその瞬間、体を引かれる感覚がした。恐る恐る目を開ける。腹部に回るたくましい腕は、彼女もよく知る人物、アデルのものであった。なんとラダベルは、湖に落ちる寸前で、アデルに助けられたらしい。彼のもう一方の手には、ラダベルが書いた手紙が。どうやら無事だったらしい。
ラダベルがほっと安堵したのも束の間――。
「死にたいのか!?」
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