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第106話 お昼寝中の彼に
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ラダベルの体調は、完全に回復した。
負傷兵の介護に関しては……。
「また奥様が倒れてしまったら……僕が大将に殺されますっ!!!」
セドリックの悲痛な訴えにより、しばらくは休養となった。財務等を管理している執事たちにも、時間潰しとしていた簡単な仕事を取り上げられてしまった。暇な日々に逆戻りだ。
何もしていない時間を少しでもなくすため、彼女は気分転換に庭園を散歩していた。セリーヌに暫しの暇を言い渡し、ラダベルはひとり庭園を巡る。
季節は秋の真っ只中。あと数日もすれば、ジークルドが戦争に出かけてから、ひと月が経つ。大戦争というわけではないため、もうそろそろ終戦しても良い時期だろう。レイティーン帝国にとって、ヴォレン王国とアレシオン教国は、相手にもならない連合国軍なのだから。
ラダベルは、不安を抱えていた。庭園内に咲き乱れる秋の花々を見つめながら、どうか無事に帰ってきて、と祈りを捧げる。そんな中、何者かの気配を感じ取った。花々が作り上げるアーチを潜り抜けた先、茫々とした草原の上にて、誰かが横たわっているのが目に入った。太陽の光を存分に浴び、キラキラと輝いて見えるのは、アデルの金髪だった。
「第二皇子殿下?」
ラダベルは、声をかける。しかし、まったく反応がない。肩が上下に揺れるだけ。彼女の推測が正しければ、眠っているのだろう。
ラダベルは起こさぬように、と無言で踵を返す。その刹那。
「行かないでくれ……」
か細い声が聞こえた。ラダベルは立ち止まり、驚きに満ち溢れた表情で振り返る。起きていたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。アデルは変わらず眠っている。ラダベルは足音を殺して、彼に近寄った。
「行かないでくれ、ラダベル……」
今度ははっきりと、ラダベルの名を呼んだ。狸寝入りをしているのか、と責めたくなるも、起きている気配はやはりしない。夢の中で魘されているのかもしれない。
ラダベルは迷いに迷った末、大きな溜息を吐きながらアデルの顔が見える反対側に回る。そして彼のすぐ傍に、腰を下ろした。ふんわりとした草がラダベルの臀部を包み込んだ。アデルの整った顔立ちを視界の中心に捉える。ゴールデンブロンドの髪は、侘しさを含んだ色なき風になびく。髪色と同色の長い睫毛も、綿毛の如くふわふわと揺れていた。高い鼻に、薄桃に色づく形の良い唇。まるで人間味を感じない彫刻を見ているみたいだ。ラダベルはそう思った。
彼女は、アデルの美貌が好きだった。帝国屈指の絶世の美男子の名を欲しいがままとする、彼の美貌が。幼い時より、秀でていた剣の才能。第一皇子であり皇太子である兄は飛び抜けて頭が良いため、自分は剣の才能を伸ばし軍のトップに立つのだと、生き生きと語ってくれた過去が懐かしく感じる。そしてその宣言通り、彼は皇子でありながら軍のトップに立つという偉業を見事に果たした。性格は庇いようがないほどに残念であるが、ラダベルは知っている。アデルが根っからの極悪人ではないことを。度が過ぎる不器用ではあるが、決して悪い人間ではない。
物語の中でラダベルは、アデルと一緒になった結果、何者かの陰謀により殺されてしまう。物語の詳細は覚えていないため根拠はないが、ラダベルの死を画策したのはアデルではないと、密かに思っているのだ。自身に濡れ衣を着せた人間は別にいるのだろうが、アデルとの結婚を回避した今、黒幕と相見えることはないだろう。アデルではないことは、確か。もう一度言うが、根拠は特にない。女の勘だ。
ラダベルはアデルの美貌に指先を伸ばした。そして、目にかかる前髪をさらりと払い除け、美しい額に手の甲で触れた。アデルの眉間の皺がゆっくりとなくなっていく。穏やかな笑みを浮かべたアデルは、ラダベルの手をぎゅっと握り、頬に擦り寄せた。彼の無意識下の行為に、ラダベルは瞠目する。まるで獰猛な生き物を手懐けることに成功したかのような優越感に浸る。
「ラダベル…………」
ラダベルはもう一方の手を口元に当て、上品に笑った。
「一体、どんな夢を見ているのですか? 第二皇子殿下」
もちろんだが、眠っている彼からは返答はない。
先程までは辛く苦しい夢を見ていただろうが、今はきっと幸せな夢を見ているのだろう。
ラダベルはもう、アデルのことを好きではない。それはこの先も変わらない事実。しかし、今の彼を見ていれば分かる。自身のことを心底嫌っていたわけではないのではないか、と。
『お前が僕に、依存してくれるから』
唐突に開かれたお茶会で聞いた本音が嘘でないのなら、アデルはラダベルに対して素直になれなかっただけなのかもしれない。魂が入れ替わる前のラダベルと、心の内をしっかりと打ち明け合うことができていたら、何か未来も違ったのではなかろうか。死ぬ運命は変えられなかったかもしれないが、ラダベルは短い人生だったとしても至上の幸福を味わっていただろう。
「可哀想なラダベル。可哀想なアデル」
ラダベルは呟く。それはアデルに届かない。儚くも美しい虚空に吸い込まれていった。
アデルがカトリーナと結ばれる未来も、ほぼ見えやしない。アデルは一体、どうするつもりなのだろう。そもそも彼の心配をしている余裕などラダベルにあるのか。否、ないだろう。彼女の脳内に浮かぶのは、ジークルドのこと。彼がほかの女性に想いを寄せているのかもしれないという悲劇に、愁嘆する。
アデルにそっと触れるラダベルを、木陰から見ている者がいるとも、知らずして――。
負傷兵の介護に関しては……。
「また奥様が倒れてしまったら……僕が大将に殺されますっ!!!」
セドリックの悲痛な訴えにより、しばらくは休養となった。財務等を管理している執事たちにも、時間潰しとしていた簡単な仕事を取り上げられてしまった。暇な日々に逆戻りだ。
何もしていない時間を少しでもなくすため、彼女は気分転換に庭園を散歩していた。セリーヌに暫しの暇を言い渡し、ラダベルはひとり庭園を巡る。
季節は秋の真っ只中。あと数日もすれば、ジークルドが戦争に出かけてから、ひと月が経つ。大戦争というわけではないため、もうそろそろ終戦しても良い時期だろう。レイティーン帝国にとって、ヴォレン王国とアレシオン教国は、相手にもならない連合国軍なのだから。
ラダベルは、不安を抱えていた。庭園内に咲き乱れる秋の花々を見つめながら、どうか無事に帰ってきて、と祈りを捧げる。そんな中、何者かの気配を感じ取った。花々が作り上げるアーチを潜り抜けた先、茫々とした草原の上にて、誰かが横たわっているのが目に入った。太陽の光を存分に浴び、キラキラと輝いて見えるのは、アデルの金髪だった。
「第二皇子殿下?」
ラダベルは、声をかける。しかし、まったく反応がない。肩が上下に揺れるだけ。彼女の推測が正しければ、眠っているのだろう。
ラダベルは起こさぬように、と無言で踵を返す。その刹那。
「行かないでくれ……」
か細い声が聞こえた。ラダベルは立ち止まり、驚きに満ち溢れた表情で振り返る。起きていたのかと思ったが、どうやら違ったらしい。アデルは変わらず眠っている。ラダベルは足音を殺して、彼に近寄った。
「行かないでくれ、ラダベル……」
今度ははっきりと、ラダベルの名を呼んだ。狸寝入りをしているのか、と責めたくなるも、起きている気配はやはりしない。夢の中で魘されているのかもしれない。
ラダベルは迷いに迷った末、大きな溜息を吐きながらアデルの顔が見える反対側に回る。そして彼のすぐ傍に、腰を下ろした。ふんわりとした草がラダベルの臀部を包み込んだ。アデルの整った顔立ちを視界の中心に捉える。ゴールデンブロンドの髪は、侘しさを含んだ色なき風になびく。髪色と同色の長い睫毛も、綿毛の如くふわふわと揺れていた。高い鼻に、薄桃に色づく形の良い唇。まるで人間味を感じない彫刻を見ているみたいだ。ラダベルはそう思った。
彼女は、アデルの美貌が好きだった。帝国屈指の絶世の美男子の名を欲しいがままとする、彼の美貌が。幼い時より、秀でていた剣の才能。第一皇子であり皇太子である兄は飛び抜けて頭が良いため、自分は剣の才能を伸ばし軍のトップに立つのだと、生き生きと語ってくれた過去が懐かしく感じる。そしてその宣言通り、彼は皇子でありながら軍のトップに立つという偉業を見事に果たした。性格は庇いようがないほどに残念であるが、ラダベルは知っている。アデルが根っからの極悪人ではないことを。度が過ぎる不器用ではあるが、決して悪い人間ではない。
物語の中でラダベルは、アデルと一緒になった結果、何者かの陰謀により殺されてしまう。物語の詳細は覚えていないため根拠はないが、ラダベルの死を画策したのはアデルではないと、密かに思っているのだ。自身に濡れ衣を着せた人間は別にいるのだろうが、アデルとの結婚を回避した今、黒幕と相見えることはないだろう。アデルではないことは、確か。もう一度言うが、根拠は特にない。女の勘だ。
ラダベルはアデルの美貌に指先を伸ばした。そして、目にかかる前髪をさらりと払い除け、美しい額に手の甲で触れた。アデルの眉間の皺がゆっくりとなくなっていく。穏やかな笑みを浮かべたアデルは、ラダベルの手をぎゅっと握り、頬に擦り寄せた。彼の無意識下の行為に、ラダベルは瞠目する。まるで獰猛な生き物を手懐けることに成功したかのような優越感に浸る。
「ラダベル…………」
ラダベルはもう一方の手を口元に当て、上品に笑った。
「一体、どんな夢を見ているのですか? 第二皇子殿下」
もちろんだが、眠っている彼からは返答はない。
先程までは辛く苦しい夢を見ていただろうが、今はきっと幸せな夢を見ているのだろう。
ラダベルはもう、アデルのことを好きではない。それはこの先も変わらない事実。しかし、今の彼を見ていれば分かる。自身のことを心底嫌っていたわけではないのではないか、と。
『お前が僕に、依存してくれるから』
唐突に開かれたお茶会で聞いた本音が嘘でないのなら、アデルはラダベルに対して素直になれなかっただけなのかもしれない。魂が入れ替わる前のラダベルと、心の内をしっかりと打ち明け合うことができていたら、何か未来も違ったのではなかろうか。死ぬ運命は変えられなかったかもしれないが、ラダベルは短い人生だったとしても至上の幸福を味わっていただろう。
「可哀想なラダベル。可哀想なアデル」
ラダベルは呟く。それはアデルに届かない。儚くも美しい虚空に吸い込まれていった。
アデルがカトリーナと結ばれる未来も、ほぼ見えやしない。アデルは一体、どうするつもりなのだろう。そもそも彼の心配をしている余裕などラダベルにあるのか。否、ないだろう。彼女の脳内に浮かぶのは、ジークルドのこと。彼がほかの女性に想いを寄せているのかもしれないという悲劇に、愁嘆する。
アデルにそっと触れるラダベルを、木陰から見ている者がいるとも、知らずして――。
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