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第105話 花の香りに誘惑されて
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アデルに繋がれた手を見つめる。なぜ、彼はラダベルの手を握って眠っているのか。それが、彼女には分からなかった。レイティーン帝国の七不思議のひとつとして数えることができると思うくらいには、理解しがたかったのだ。しかし、心地がいいことは確かだった。アデルの手を振り払わず、大人しく手を繋がれたまま、夕日の光が射し込む窓辺に目を向ける。ふわりとカーテンが舞う度に、世界を赤く染める太陽が姿を現した。
戦場に出発したオースター侯爵を見送ったあとから、記憶が完全に途切れてしまっている。朝から体調が悪かったのは事実だが、意識を失うほどではなかったし、なんなら風邪をひいてしまった程度だなと思っていた。しかしその予想は、まったく違っていた。オースター侯爵を見送ったあと、急激に体調が悪化したのた。その影響により、アデルの前で意識を失うという大きな失態を犯してしまった。弱みを握られたことに対して、ラダベルは、切歯扼腕する。
「ん」
もぞもぞという音と共に、アデルの甘い声が聞こえる。金髪の隙間から見える長い睫毛。黄金の霜が降りかかるような芸術的な睫毛がゆっくりと上がり、水色の瞳が現れる。何度か瞬きを繰り返したあと、美しい目はラダベルをしっかりと捉えた。
「ラダベル……」
舌っ足らずな声を漏らす。アデルは頬を赤く染めながら、ふにゃりと顔を綻ばせた。赤子にも負けぬ可愛さを放つ彼に、ラダベルは生唾を飲み込む。庇護欲を掻き立てられ、憎いはずの彼を守りたい衝動に駆られてしまった。
アデルは今見ている景色が夢ではないことに気がつくと、勢いよく飛び上がった。ぴゃっとラダベルから距離を取る。手は自然と放れてしまった。彼は無断でラダベルの手を握ったことに関して、怒られないかとビクビクしている。それに、自身の恥ずかしい顔を見られてしまったことに、耐えがたい羞恥を覚えていた。
「殿下」
ラダベルが声をかけると、アデルは躊躇いながら彼女を見る。
「私が倒れてから、ずっとここにいたのですか?」
「そ、そんなわけがないだろっ! さすがに夜は客室に戻っている!」
紅葉を散らせた顔容で、叫ぶ。ラダベルはアデルの言葉が引っかかり、眉間に皺を寄せた。
「夜……。今日倒れたのではないのですか?」
「……何を言っている。お前が倒れてから既に一週間経ってるぞ」
ラダベルは瞠目した。なんとラダベルが倒れてから七日も経っているらしい。長い時間、ぐっすりと眠ってしまったせいか、体が酷く重い。だが、頭はなぜか爽快であった。
「軍医が言うには、ただの疲れらしいが……。目覚めて、よかった」
アデルは、ラダベルに近寄りながらそう言った。ラダベルは彼の顔を見上げる。するとアデルは、今にも泣きそうな顔をしていた。眉尻は下がり、瞳は潤む。唇をグッと噛みしめている。
「もう、目覚めないかと思った……」
アデルは震える声で伝えてくる。その姿があまりにも悲愴で、ラダベルは図らずも同情心を寄せてしまった。
アデルの前で倒れてしまったということは、彼はそれを確かに目撃していたはず。彼に恐怖心を、トラウマを抱かせてしまった。
「ご心配をおかけてして申し訳ございません。私は見ての通り、もう元気ですから、」
瞬間、体を引き寄せられる。抱きしめられていると気がついたラダベルは、かちりと固まってしまう。アデルはベッドに上がり、彼女を強く抱きしめた。まるで、恋人にするかのように――。無言で抱きしめられていることに若干の怖さを抱くラダベルだが、背中に回るアデルの腕が震えているのを感じ、自然と恐怖は遠のいた。
「第二皇子殿下……」
「もう二度と、あんなことはやめてくれ」
アデルの懇願する声色に、ラダベルは狼狽える。知らぬ間に、彼に大きなトラウマを植えつけてしまったみたいだ。
戦場では、一生のトラウマとなる悲惨な光景が毎日毎日起こっているだろうに。ラダベルが一度倒れてしまったくらいで、精神的に辛くなってしまったのだろうか。随分と貧弱な皇子だと、ラダベルは内心でアデルを馬鹿にした。
アデルの腕の中は、気持ちがいい。良い香りが漂っている。彼からは、とてつもなくいい香りがした。ジークルドとは違う、仄かな花の香りであった。
戦場に出発したオースター侯爵を見送ったあとから、記憶が完全に途切れてしまっている。朝から体調が悪かったのは事実だが、意識を失うほどではなかったし、なんなら風邪をひいてしまった程度だなと思っていた。しかしその予想は、まったく違っていた。オースター侯爵を見送ったあと、急激に体調が悪化したのた。その影響により、アデルの前で意識を失うという大きな失態を犯してしまった。弱みを握られたことに対して、ラダベルは、切歯扼腕する。
「ん」
もぞもぞという音と共に、アデルの甘い声が聞こえる。金髪の隙間から見える長い睫毛。黄金の霜が降りかかるような芸術的な睫毛がゆっくりと上がり、水色の瞳が現れる。何度か瞬きを繰り返したあと、美しい目はラダベルをしっかりと捉えた。
「ラダベル……」
舌っ足らずな声を漏らす。アデルは頬を赤く染めながら、ふにゃりと顔を綻ばせた。赤子にも負けぬ可愛さを放つ彼に、ラダベルは生唾を飲み込む。庇護欲を掻き立てられ、憎いはずの彼を守りたい衝動に駆られてしまった。
アデルは今見ている景色が夢ではないことに気がつくと、勢いよく飛び上がった。ぴゃっとラダベルから距離を取る。手は自然と放れてしまった。彼は無断でラダベルの手を握ったことに関して、怒られないかとビクビクしている。それに、自身の恥ずかしい顔を見られてしまったことに、耐えがたい羞恥を覚えていた。
「殿下」
ラダベルが声をかけると、アデルは躊躇いながら彼女を見る。
「私が倒れてから、ずっとここにいたのですか?」
「そ、そんなわけがないだろっ! さすがに夜は客室に戻っている!」
紅葉を散らせた顔容で、叫ぶ。ラダベルはアデルの言葉が引っかかり、眉間に皺を寄せた。
「夜……。今日倒れたのではないのですか?」
「……何を言っている。お前が倒れてから既に一週間経ってるぞ」
ラダベルは瞠目した。なんとラダベルが倒れてから七日も経っているらしい。長い時間、ぐっすりと眠ってしまったせいか、体が酷く重い。だが、頭はなぜか爽快であった。
「軍医が言うには、ただの疲れらしいが……。目覚めて、よかった」
アデルは、ラダベルに近寄りながらそう言った。ラダベルは彼の顔を見上げる。するとアデルは、今にも泣きそうな顔をしていた。眉尻は下がり、瞳は潤む。唇をグッと噛みしめている。
「もう、目覚めないかと思った……」
アデルは震える声で伝えてくる。その姿があまりにも悲愴で、ラダベルは図らずも同情心を寄せてしまった。
アデルの前で倒れてしまったということは、彼はそれを確かに目撃していたはず。彼に恐怖心を、トラウマを抱かせてしまった。
「ご心配をおかけてして申し訳ございません。私は見ての通り、もう元気ですから、」
瞬間、体を引き寄せられる。抱きしめられていると気がついたラダベルは、かちりと固まってしまう。アデルはベッドに上がり、彼女を強く抱きしめた。まるで、恋人にするかのように――。無言で抱きしめられていることに若干の怖さを抱くラダベルだが、背中に回るアデルの腕が震えているのを感じ、自然と恐怖は遠のいた。
「第二皇子殿下……」
「もう二度と、あんなことはやめてくれ」
アデルの懇願する声色に、ラダベルは狼狽える。知らぬ間に、彼に大きなトラウマを植えつけてしまったみたいだ。
戦場では、一生のトラウマとなる悲惨な光景が毎日毎日起こっているだろうに。ラダベルが一度倒れてしまったくらいで、精神的に辛くなってしまったのだろうか。随分と貧弱な皇子だと、ラダベルは内心でアデルを馬鹿にした。
アデルの腕の中は、気持ちがいい。良い香りが漂っている。彼からは、とてつもなくいい香りがした。ジークルドとは違う、仄かな花の香りであった。
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