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第85話 面倒見のいい彼
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客間から自身の宮へと戻る途中、前方から歩いてきたとある人物に気がつく。アッシュグレイの髪に、ブルーラベンダーの瞳を持つ美丈夫、エリアス・バート少尉だ。
「バート少尉」
「………………」
やたらと高い声で名を呼ぶと、エリアスはあからさまに嫌な顔をして見せた。どうやら、声をかけて欲しくなかったらしい。よく観察すると、彼の背後には新人と思わしき軍人たちの姿があった。軍人たちは、目をぱちくりと瞬かせてラダベルを注視している。彼女の顔を認知していない軍人たちがいるみたいだ。しかし新人たちの中のひとりが、彼女の身分に気がつき、すぐに敬礼をした。ほかの新人たちも、つられて敬礼をする。
「夫がいつもお世話になっています」
ラダベルはドレスの裾を摘み、貴族の挨拶をする。彼女の言葉と溢れ出る気品に、新人たちが目を見開き、さらにしっかりと敬礼をした。彼女が言う「夫」が誰のことなのか、それを即座に理解した新人たちは密かに震え上がった。自分たちは無礼ではなかったか、彼らは脳内で先程の行動を思い返した。
エリアスは大息を吐いた。
「お前たちは先に行ってろ」
エリアスが指示を出すと、新人たちはエリアスに向けて敬礼して、そそくさとその場を去っていった。
「久しぶりですね、バート少尉」
「……あぁ」
面倒そうに返事をするエリアスに、ラダベルは違和感を覚える。目の前のエリアスは、なんとなくこれまでの彼とは違う気がする。随分と大人びた雰囲気を感じる。丸くなったのだろうか。懐かなかった野良猫がようやく懐《なつ》いてくれたような感覚に、ラダベルは頬を緩める。
「あら……何か……大人になりました?」
「……あ゛?」
ラダベルの指摘に、エリアスは不機嫌さをあらわにする。
「悪い意味ではないですよ? 随分と落ち着いた雰囲気を出していらっしゃると思ったまでです」
ラダベルがそう言うと、エリアスの眉間に深い皺が刻まれる。自覚はないらしい。明後日の方向を見つめて、脳漿を絞る。体感にして数十秒経ったあとに、エリアスの瞳の瞳孔が開く。答えに辿りつけたのだ。
「あー……大将に新人たちの指導を任されたからかもしれねぇな」
「ジークルド様が? バート少尉に? ………………」
「んだよ、何か文句あんのか?」
ラダベルは口元を押さえて、半開きの目でエリアスを凝視する。その視線が心地悪く感じたらしく、エリアスはむくれる。
ジークルドにより、新人たちの教育を任されているとは。さすがのエリアスも、彼の命令には逆らえないのだ。エリアスには、双子の妹と弟がいる。彼はこう見えて、かなり面倒見がいい。一家の生計を立てるのは、帝国軍極東部で働く彼しかいないのだから。余計、自身の役割というものを自覚している。そのためエリアスは、意外にも正義感が強い。出会った当初とはだいぶ変わった彼の印象に、ラダベルは笑みをこぼす。
「ふふ……」
「おい、何笑ってんだ」
「なんでもないです」
「なんでもなくないだろ」
「なんでもないと言ったらなんでもないのです」
ラダベルは、滲み出る笑いを堪える。「なんでもない」という顔ではないことは明白だ。エリアスは、酷く不快感を感じた。
「それにしても、ジークルド様も適任を見つけられたのですね」
「……適任だと?」
「適任ではないですか。勤務の日にはしっかりと働き、休みの日には妹君と弟君の面倒を見て、」
「それ以上喋んじゃねぇ」
ラダベルはエリアスに言葉を遮られてしまった。エリアスは、焦った様子でキョロキョロと辺りを見渡す。相変わらず、幼い双子の面倒を見ていることは誰にも言っていないのか。ラダベルがそう思った時、エリアスが何かを発見したらしく、見事に静止した。ラダベルは彼が見入る先に目を向ける。宮と宮に挟まれた美しい中庭。そこには、ウィルとセリーヌの姿があった。
「何してんだ……?」
エリアスが呟く。ウィルとセリーヌは何かを話している。時折頬を赤らめたり笑ったり、耳打ちをしたりと、かなり親密そうだ。彼の言う通り、一体何をしているのか。
「まさか……」
「何か知ってんのか?」
「いいえ、知りはしないけどあの親密そうな姿を見れば……何かと想像はつくでしょう?」
「………………」
ラダベルの意味深長な言葉に、エリアスもなんとなく察したのか、大きく溜息をついた。
(一体いつからそんな関係性だったの? セリーヌ。水臭いわね。教えてくれたっていいじゃないの)
ラダベルはほんの少し、いや、かなり不機嫌になる。口内に空気を入れ、頬をぷっくりと膨らませた。
「今見たことは秘密にしろよ」
「……そうですね。言いふらすことでもありませんし……何より今は大事な時期だから」
そう、今は大事な時期。大きな戦争を控えた時期なのだ。変な噂を掻き立ててはいけない。ジークルドやウィルを困らせてしまうことになるから。
ラダベルは、女性としての輝きを存分に放つセリーヌを眺め続けたのであった。
「バート少尉」
「………………」
やたらと高い声で名を呼ぶと、エリアスはあからさまに嫌な顔をして見せた。どうやら、声をかけて欲しくなかったらしい。よく観察すると、彼の背後には新人と思わしき軍人たちの姿があった。軍人たちは、目をぱちくりと瞬かせてラダベルを注視している。彼女の顔を認知していない軍人たちがいるみたいだ。しかし新人たちの中のひとりが、彼女の身分に気がつき、すぐに敬礼をした。ほかの新人たちも、つられて敬礼をする。
「夫がいつもお世話になっています」
ラダベルはドレスの裾を摘み、貴族の挨拶をする。彼女の言葉と溢れ出る気品に、新人たちが目を見開き、さらにしっかりと敬礼をした。彼女が言う「夫」が誰のことなのか、それを即座に理解した新人たちは密かに震え上がった。自分たちは無礼ではなかったか、彼らは脳内で先程の行動を思い返した。
エリアスは大息を吐いた。
「お前たちは先に行ってろ」
エリアスが指示を出すと、新人たちはエリアスに向けて敬礼して、そそくさとその場を去っていった。
「久しぶりですね、バート少尉」
「……あぁ」
面倒そうに返事をするエリアスに、ラダベルは違和感を覚える。目の前のエリアスは、なんとなくこれまでの彼とは違う気がする。随分と大人びた雰囲気を感じる。丸くなったのだろうか。懐かなかった野良猫がようやく懐《なつ》いてくれたような感覚に、ラダベルは頬を緩める。
「あら……何か……大人になりました?」
「……あ゛?」
ラダベルの指摘に、エリアスは不機嫌さをあらわにする。
「悪い意味ではないですよ? 随分と落ち着いた雰囲気を出していらっしゃると思ったまでです」
ラダベルがそう言うと、エリアスの眉間に深い皺が刻まれる。自覚はないらしい。明後日の方向を見つめて、脳漿を絞る。体感にして数十秒経ったあとに、エリアスの瞳の瞳孔が開く。答えに辿りつけたのだ。
「あー……大将に新人たちの指導を任されたからかもしれねぇな」
「ジークルド様が? バート少尉に? ………………」
「んだよ、何か文句あんのか?」
ラダベルは口元を押さえて、半開きの目でエリアスを凝視する。その視線が心地悪く感じたらしく、エリアスはむくれる。
ジークルドにより、新人たちの教育を任されているとは。さすがのエリアスも、彼の命令には逆らえないのだ。エリアスには、双子の妹と弟がいる。彼はこう見えて、かなり面倒見がいい。一家の生計を立てるのは、帝国軍極東部で働く彼しかいないのだから。余計、自身の役割というものを自覚している。そのためエリアスは、意外にも正義感が強い。出会った当初とはだいぶ変わった彼の印象に、ラダベルは笑みをこぼす。
「ふふ……」
「おい、何笑ってんだ」
「なんでもないです」
「なんでもなくないだろ」
「なんでもないと言ったらなんでもないのです」
ラダベルは、滲み出る笑いを堪える。「なんでもない」という顔ではないことは明白だ。エリアスは、酷く不快感を感じた。
「それにしても、ジークルド様も適任を見つけられたのですね」
「……適任だと?」
「適任ではないですか。勤務の日にはしっかりと働き、休みの日には妹君と弟君の面倒を見て、」
「それ以上喋んじゃねぇ」
ラダベルはエリアスに言葉を遮られてしまった。エリアスは、焦った様子でキョロキョロと辺りを見渡す。相変わらず、幼い双子の面倒を見ていることは誰にも言っていないのか。ラダベルがそう思った時、エリアスが何かを発見したらしく、見事に静止した。ラダベルは彼が見入る先に目を向ける。宮と宮に挟まれた美しい中庭。そこには、ウィルとセリーヌの姿があった。
「何してんだ……?」
エリアスが呟く。ウィルとセリーヌは何かを話している。時折頬を赤らめたり笑ったり、耳打ちをしたりと、かなり親密そうだ。彼の言う通り、一体何をしているのか。
「まさか……」
「何か知ってんのか?」
「いいえ、知りはしないけどあの親密そうな姿を見れば……何かと想像はつくでしょう?」
「………………」
ラダベルの意味深長な言葉に、エリアスもなんとなく察したのか、大きく溜息をついた。
(一体いつからそんな関係性だったの? セリーヌ。水臭いわね。教えてくれたっていいじゃないの)
ラダベルはほんの少し、いや、かなり不機嫌になる。口内に空気を入れ、頬をぷっくりと膨らませた。
「今見たことは秘密にしろよ」
「……そうですね。言いふらすことでもありませんし……何より今は大事な時期だから」
そう、今は大事な時期。大きな戦争を控えた時期なのだ。変な噂を掻き立ててはいけない。ジークルドやウィルを困らせてしまうことになるから。
ラダベルは、女性としての輝きを存分に放つセリーヌを眺め続けたのであった。
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