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第76話 思わぬ人物の登場
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運悪く、アデルと鉢合わせてしまった。
「第二皇子殿下……」
両者の間を風が吹き抜けていく。アデルの前髪が揺れ、目元を覆い隠す。どんな表情をしているかは窺えない。その時、風が止み、目元が垣間見える。ウォーターブルーの双眸は、憂いに満ちていた。それを見たラダベルは、静かに息を呑む。
アデルと婚約破棄してから、よく見せてくれるようになった顔だ。なぜ、そんな顔をするのか。未だにその理由は分からない。聞きたいが、聞いてしまったが最後、後戻りができなくなりそうで怖い。
ラダベルは口内に溜まった唾をなんとか飲み込んだ。アデルから目を離さなければならないのに、なかなか離せない。これまではアデルという男は、ラダベルにとって気高い神のような存在だった。婚約をしていた時も、一度としてラダベルに弱音を吐いたことはない。人間離れした美しさと圧倒的なカリスマ性、第二皇子という立場ながらに帝国軍の総司令官を務めるほどの実力、彼の全てに心酔するほどに惚れ込んでいたラダベルは、常に完璧な彼が好きだった。しかし今はどうだろう。婚約していた時期には見せたことのない弱さ。彼の全身から溢れ出す今にも消えてしまいそうな儚さに、心が揺さぶられる。今の彼を、かつての彼よりも、魅力的だと感じてしまっているのだ。
「ラダベル」
アデルがラダベルを呼ぶ。慈しみに溢れた声色に、ラダベルが僅かに動揺を見せる。その時、隣に立っていたジークルドが彼女を背に隠して、前に立った。たくましく広い背中が視界いっぱいに広がる。
「元帥。ご存じかとは思いますが、ラダベルは俺の妻です。未来永劫、それは変わりません」
「……何が言いたい?」
「失礼ながら、我が妻が元帥の奥方となることは、一生ありえないでしょう」
ラダベルとの結婚を諦めないアデルに容赦なく現実を突きつけるジークルド。そんな彼の後ろ姿に、ラダベルは胸を高鳴らせた。ラダベルがプレゼントした簪で彩られる白銀の髪がなびく様を見て、やはり自分にはジークルドしかいないと強く実感する。たった今、彼は、ラダベルを一生妻とすることを誓ったのだ。それが嬉しくないわけがない。離婚しなくていいのだから。ずっと彼と共に過ごすことができる、彼と一緒に毎日を過ごしまだ見ぬ愛の結晶を育むことができる。その事実に、ラダベルは今にも泣いてしまいそうだった。
「……なるほどな。粗方予想はつく。ラダベルから聞いたのだろ? 僕がかつての約束を果たそうとしていることを」
アデルは腕を組み、視線を逸らしながら鼻で笑い飛ばす。
「…………残念ですが、諦めてください」
「はっ、言うようになったな。諦めるのはお前のほうだ、ルドルガー大将。いずれラダベルは、僕のもとに来ることになる」
自信満々に言ってみせるアデルに、ラダベルは鳥肌が立つ思いをする。
(誰があなたのもとになんて行くものですかっ!)
ラダベルはジークルドの背中から顔を覗かせ、ペロリと舌を出してアデルを挑発した。それを見たアデルがカッと頬を赤くさせる。挑発されたことが気に食わなかったのか、それともラダベルの可愛らしい表情に驚いたのか。真相は、アデルにしか分からない。
直後、突如としてアデルの顔から表情が消え去る。恐ろしいものでも見るかのような形相に、ラダベルは違和感を覚えた。アデルの視線が自身の後ろに向けられているのを察知して、彼女はゆっくりと振り返る。
「あらあら、皆様お揃いのことで。ごきげんよう」
視界の中心、モカブラウンの巻き髪が揺れる。重めに切り揃えられた前髪が可愛らしい雰囲気を掻き立てる。ウルトラマリンブルーの双眸が光をたっぷりと含み輝く。フリルがあしらわれた可愛らしいデザインの薄紫色のドレスを纏った女性の名は、カトリーナ・ルレ・リベラ・チェスター。チェスター伯爵令嬢であり、アデルの最有力婚約者候補だ。
「お前……」
アデルの底冷えする声が反響する。彼の様子を見る限り、恐らく彼もカトリーナの訪問を知らされていなかったのだろう。カトリーナの背後には、大勢の護衛と侍女たちの姿が。そしてその中には、ウィルもいた。ウィルは困った面様となりながら、深く溜息をつく。それを見たジークルドも、同様に嘆息を漏らした。勝手に門前払いすることはできなかったであろうウィルに、同情を寄せているらしかった。
カトリーナは麗しいラダベルを前にして、柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりですわね、ティオーレ公爵令嬢。あら、失礼……。ルドルガー伯爵夫人でしたわね」
「第二皇子殿下……」
両者の間を風が吹き抜けていく。アデルの前髪が揺れ、目元を覆い隠す。どんな表情をしているかは窺えない。その時、風が止み、目元が垣間見える。ウォーターブルーの双眸は、憂いに満ちていた。それを見たラダベルは、静かに息を呑む。
アデルと婚約破棄してから、よく見せてくれるようになった顔だ。なぜ、そんな顔をするのか。未だにその理由は分からない。聞きたいが、聞いてしまったが最後、後戻りができなくなりそうで怖い。
ラダベルは口内に溜まった唾をなんとか飲み込んだ。アデルから目を離さなければならないのに、なかなか離せない。これまではアデルという男は、ラダベルにとって気高い神のような存在だった。婚約をしていた時も、一度としてラダベルに弱音を吐いたことはない。人間離れした美しさと圧倒的なカリスマ性、第二皇子という立場ながらに帝国軍の総司令官を務めるほどの実力、彼の全てに心酔するほどに惚れ込んでいたラダベルは、常に完璧な彼が好きだった。しかし今はどうだろう。婚約していた時期には見せたことのない弱さ。彼の全身から溢れ出す今にも消えてしまいそうな儚さに、心が揺さぶられる。今の彼を、かつての彼よりも、魅力的だと感じてしまっているのだ。
「ラダベル」
アデルがラダベルを呼ぶ。慈しみに溢れた声色に、ラダベルが僅かに動揺を見せる。その時、隣に立っていたジークルドが彼女を背に隠して、前に立った。たくましく広い背中が視界いっぱいに広がる。
「元帥。ご存じかとは思いますが、ラダベルは俺の妻です。未来永劫、それは変わりません」
「……何が言いたい?」
「失礼ながら、我が妻が元帥の奥方となることは、一生ありえないでしょう」
ラダベルとの結婚を諦めないアデルに容赦なく現実を突きつけるジークルド。そんな彼の後ろ姿に、ラダベルは胸を高鳴らせた。ラダベルがプレゼントした簪で彩られる白銀の髪がなびく様を見て、やはり自分にはジークルドしかいないと強く実感する。たった今、彼は、ラダベルを一生妻とすることを誓ったのだ。それが嬉しくないわけがない。離婚しなくていいのだから。ずっと彼と共に過ごすことができる、彼と一緒に毎日を過ごしまだ見ぬ愛の結晶を育むことができる。その事実に、ラダベルは今にも泣いてしまいそうだった。
「……なるほどな。粗方予想はつく。ラダベルから聞いたのだろ? 僕がかつての約束を果たそうとしていることを」
アデルは腕を組み、視線を逸らしながら鼻で笑い飛ばす。
「…………残念ですが、諦めてください」
「はっ、言うようになったな。諦めるのはお前のほうだ、ルドルガー大将。いずれラダベルは、僕のもとに来ることになる」
自信満々に言ってみせるアデルに、ラダベルは鳥肌が立つ思いをする。
(誰があなたのもとになんて行くものですかっ!)
ラダベルはジークルドの背中から顔を覗かせ、ペロリと舌を出してアデルを挑発した。それを見たアデルがカッと頬を赤くさせる。挑発されたことが気に食わなかったのか、それともラダベルの可愛らしい表情に驚いたのか。真相は、アデルにしか分からない。
直後、突如としてアデルの顔から表情が消え去る。恐ろしいものでも見るかのような形相に、ラダベルは違和感を覚えた。アデルの視線が自身の後ろに向けられているのを察知して、彼女はゆっくりと振り返る。
「あらあら、皆様お揃いのことで。ごきげんよう」
視界の中心、モカブラウンの巻き髪が揺れる。重めに切り揃えられた前髪が可愛らしい雰囲気を掻き立てる。ウルトラマリンブルーの双眸が光をたっぷりと含み輝く。フリルがあしらわれた可愛らしいデザインの薄紫色のドレスを纏った女性の名は、カトリーナ・ルレ・リベラ・チェスター。チェスター伯爵令嬢であり、アデルの最有力婚約者候補だ。
「お前……」
アデルの底冷えする声が反響する。彼の様子を見る限り、恐らく彼もカトリーナの訪問を知らされていなかったのだろう。カトリーナの背後には、大勢の護衛と侍女たちの姿が。そしてその中には、ウィルもいた。ウィルは困った面様となりながら、深く溜息をつく。それを見たジークルドも、同様に嘆息を漏らした。勝手に門前払いすることはできなかったであろうウィルに、同情を寄せているらしかった。
カトリーナは麗しいラダベルを前にして、柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりですわね、ティオーレ公爵令嬢。あら、失礼……。ルドルガー伯爵夫人でしたわね」
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