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第55話 ごめんなさい
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市場を抜け出したジークルドとラダベルは共に馬に乗り、急ぎ足で城まで戻ってきた。門に到着するなり、出迎えた部下の軍人に馬を預けて、ジークルドはラダベルの手を握り、城内に入った。
向かう先は、ラダベルの部屋、ではなく。ジークルドのプライベートの自室がある宮だった。敬礼をする見張りの軍人たちにも無視を決め込み、彼はラダベルを自室に引き摺り込んだ。
「………………」
「………………」
緘黙。長い長い沈黙が流れる。ジークルドは、ラダベルから離れると、袖元のボタンを外した。そして流れるような動作で、首元のボタンも外しにかかる。勢いよく軍服を脱ぎ捨て、シャツ一枚の姿となった。丁寧ながらも荒々しい様子に、場違いにもラダベルの胸が高鳴った。
ジークルドは眉間に皺を寄せながら、振り返った。窓から射し込む夕日の光が彼の白銀の髪を照らす。神々しい光景に見惚れていると、ジークルドが口を開いた。
「髪飾りは、あの店主から買ったのか」
「……はい」
「市場でか?」
「…………はい」
「市場には誰と行った」
「………………セリーヌとミアと一緒に行きました」
ラダベルは素直に暴露した。隠してもいずれは分かること。ジークルドを刺激するのは得策ではない。ジークルドは彼女の返答を聞いた直後、長嘆息をついた。溜まった憤怒を爆発させないために、吐き出しているようにも見えた。
「ミア・ロジャーの実力を疑っているわけではない。だが、万が一何かあった時、どう対処するつもりだった?」
「え、」
思わぬ方向からの質問に、ラダベルは戸惑う。対処など何も考えていなかったからだ。そもそも、万が一の場合も想定していない。無事に行って、無事に帰って来れば完璧だと思い込んでいたのだから。黙りこくる彼女に対して、ジークルドは深く呆れたのか、再び溜息をついた。
「誘拐されたら? 身売りを強いられたら?」
ジークルドが徐々に距離を詰めてくる。ラダベルは後退るが、簡単に捕らえられてしまった。腰を引き寄せられ、体がぴたりと密着する。ふたりの体の間に、隙間はない。
「こう引き寄せられたら、どう逃げる?」
ラダベルは息を呑み、ジークルドを見上げた。怖い。率直にそう感じた。大好きで、近づくだけで緊張していたのに、今は別の意味で体が強ばっている。硬直し何も答えない彼女に、ジークルドは痺れを切らして離れる。見放されたと感じたラダベルは、俯いてしまった。
「ミア・ロジャーとて、侍女とお前、ふたりを守りながら多勢に立ち向かうのには無理があるだろう。起こりうる危険を想定せず、お前は市場に行ったのか。俺に何も言わずして」
頭上から降りかかるのは、ありとあらゆる罪を断罪する声音。ラダベルは震える。市場に行きたいということを言っていたら、サプライズプレゼントの件がバレてしまっていただろう。そんなことは、さすがに口にはできなかった。
ジークルドは何度目かの大息を吐いた。
「いいか? ラダベル。俺にとってはお前の命と安全が最優先だ。もう二度と、そんな危険なことはするな」
諭されるように、言われる。先程まで明らかに怒っていたのに、優しい声色だった。いっそのこと、怒鳴り散らかしてくれたらよかったのに。どこまで行っても優しいからこそ、胸が苦しくなる。ジークルドは何も間違ったことを言っていない。ラダベルが全て悪い。それは彼女も分かっている。ジークルドの優しさが今は、耐えがたい苦痛なのだ。
(素直じゃないなぁ、私……)
ラダベルは心中で呟く。
「ラダベル? 聞いているのか?」
ジークルドに問いかけられ、ラダベルは声を出さずに頷く。
「本当に聞いている、の、か……」
ジークルドがラダベルの顔を無理に覗き込む。弾かれたように顔を上げた彼女を見て、ジークルドは瞠若する。ラダベルの美しい黄玉の目からは、大粒の涙が溢れていた。
「………………」
ラダベルは顔を下げる。今日は髪を結っているせいで、上手く顔を隠すことができない。
ジークルドは彼女を心配して怒ってくれたのだ。それは分かる。それなのに、それなのに、どうしてこんなにも素直になれないのか。素直ではない自分なんて、ジークルドに迷惑をかけてしまう自分なんて、彼にはふさわしくない。ラダベルは、そう思ってしまう。とりあえずここを離れて冷静になるべきだ。彼女は、そう判断した。
「ら、ラダベル、すまなかった。少し言い過ぎてしまった。だが俺はお前を心配して、」
「分かっています。分かっているから、それ以上何も言わないで」
(私が惨めだから。ごめんなさい、ジークルド様。こんな妻で、不出来な妻で、ごめんなさい)
ラダベルは踵を巡らせ、部屋を飛び出した。ジークルドは伸ばしかけた手をグッと掴み、静かに下ろしたのであった。
日に日に縮まっていたふたりの心の距離は、一瞬にして遠ざかったのであった。
向かう先は、ラダベルの部屋、ではなく。ジークルドのプライベートの自室がある宮だった。敬礼をする見張りの軍人たちにも無視を決め込み、彼はラダベルを自室に引き摺り込んだ。
「………………」
「………………」
緘黙。長い長い沈黙が流れる。ジークルドは、ラダベルから離れると、袖元のボタンを外した。そして流れるような動作で、首元のボタンも外しにかかる。勢いよく軍服を脱ぎ捨て、シャツ一枚の姿となった。丁寧ながらも荒々しい様子に、場違いにもラダベルの胸が高鳴った。
ジークルドは眉間に皺を寄せながら、振り返った。窓から射し込む夕日の光が彼の白銀の髪を照らす。神々しい光景に見惚れていると、ジークルドが口を開いた。
「髪飾りは、あの店主から買ったのか」
「……はい」
「市場でか?」
「…………はい」
「市場には誰と行った」
「………………セリーヌとミアと一緒に行きました」
ラダベルは素直に暴露した。隠してもいずれは分かること。ジークルドを刺激するのは得策ではない。ジークルドは彼女の返答を聞いた直後、長嘆息をついた。溜まった憤怒を爆発させないために、吐き出しているようにも見えた。
「ミア・ロジャーの実力を疑っているわけではない。だが、万が一何かあった時、どう対処するつもりだった?」
「え、」
思わぬ方向からの質問に、ラダベルは戸惑う。対処など何も考えていなかったからだ。そもそも、万が一の場合も想定していない。無事に行って、無事に帰って来れば完璧だと思い込んでいたのだから。黙りこくる彼女に対して、ジークルドは深く呆れたのか、再び溜息をついた。
「誘拐されたら? 身売りを強いられたら?」
ジークルドが徐々に距離を詰めてくる。ラダベルは後退るが、簡単に捕らえられてしまった。腰を引き寄せられ、体がぴたりと密着する。ふたりの体の間に、隙間はない。
「こう引き寄せられたら、どう逃げる?」
ラダベルは息を呑み、ジークルドを見上げた。怖い。率直にそう感じた。大好きで、近づくだけで緊張していたのに、今は別の意味で体が強ばっている。硬直し何も答えない彼女に、ジークルドは痺れを切らして離れる。見放されたと感じたラダベルは、俯いてしまった。
「ミア・ロジャーとて、侍女とお前、ふたりを守りながら多勢に立ち向かうのには無理があるだろう。起こりうる危険を想定せず、お前は市場に行ったのか。俺に何も言わずして」
頭上から降りかかるのは、ありとあらゆる罪を断罪する声音。ラダベルは震える。市場に行きたいということを言っていたら、サプライズプレゼントの件がバレてしまっていただろう。そんなことは、さすがに口にはできなかった。
ジークルドは何度目かの大息を吐いた。
「いいか? ラダベル。俺にとってはお前の命と安全が最優先だ。もう二度と、そんな危険なことはするな」
諭されるように、言われる。先程まで明らかに怒っていたのに、優しい声色だった。いっそのこと、怒鳴り散らかしてくれたらよかったのに。どこまで行っても優しいからこそ、胸が苦しくなる。ジークルドは何も間違ったことを言っていない。ラダベルが全て悪い。それは彼女も分かっている。ジークルドの優しさが今は、耐えがたい苦痛なのだ。
(素直じゃないなぁ、私……)
ラダベルは心中で呟く。
「ラダベル? 聞いているのか?」
ジークルドに問いかけられ、ラダベルは声を出さずに頷く。
「本当に聞いている、の、か……」
ジークルドがラダベルの顔を無理に覗き込む。弾かれたように顔を上げた彼女を見て、ジークルドは瞠若する。ラダベルの美しい黄玉の目からは、大粒の涙が溢れていた。
「………………」
ラダベルは顔を下げる。今日は髪を結っているせいで、上手く顔を隠すことができない。
ジークルドは彼女を心配して怒ってくれたのだ。それは分かる。それなのに、それなのに、どうしてこんなにも素直になれないのか。素直ではない自分なんて、ジークルドに迷惑をかけてしまう自分なんて、彼にはふさわしくない。ラダベルは、そう思ってしまう。とりあえずここを離れて冷静になるべきだ。彼女は、そう判断した。
「ら、ラダベル、すまなかった。少し言い過ぎてしまった。だが俺はお前を心配して、」
「分かっています。分かっているから、それ以上何も言わないで」
(私が惨めだから。ごめんなさい、ジークルド様。こんな妻で、不出来な妻で、ごめんなさい)
ラダベルは踵を巡らせ、部屋を飛び出した。ジークルドは伸ばしかけた手をグッと掴み、静かに下ろしたのであった。
日に日に縮まっていたふたりの心の距離は、一瞬にして遠ざかったのであった。
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