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第29話 麗しの戦皇子

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 強く腕を引かれる。ラダベルは瞬発的に振り返ってしまった。間近に迫るのは、エリアスの整った顔。男らしさを感じさせるイケメンの顔に見惚れていると、ふと我に返るラダベル。エリアスの腕を振り払って逃亡を試みるも、失敗に終わる。ただの伯爵夫人が、レイティーン帝国が誇る極東部所属の軍人、それも少尉という階級の男に適うはずなどなかった。

「あんた……」

 ラダベルの目をまじまじと見つめ、エリアスは呟く。すると突然、彼は振り下ろされたを瞬時に避けた。

「え」

 ラダベルが間抜けな声を漏らす。彼女の目前には、にわかには信じがたい光景が広がっていた。なんと、木製の床がまっぷたつに割れていたのだ。そこに突き刺さっているのは、黄金に輝く一本の剣。あまりの神々しさに、神器かと疑うほどである。黄金の剣の柄を掴んでいたのは、アデルであった。窓から吹き込んだ風に揺れるゴールデンブロンドの前髪。中央で分かれた髪の隙間から、ウォーターブルーの瞳が現れる。鋭い眼光に貫かれ、ラダベルの心臓は跳ね上がった。ラダベルは、静かに後退りをする。

(イケメンすぎるのも考えものだけど……何よりいとも簡単に床を割ってしまうなんて……恐ろしすぎない?)

 ラダベルは今一度、アデルの力の強さに驚愕した。ジークルドと比べると意外と線の細いアデルだが、彼から繰り出される一挙一動いっきょいちどうはまさしく軍人のそれだ。魂が変わってしまう前のラダベルならば、今のアデルの姿を見て、目にピンク色のハートマークを浮かべ歓喜していたことであろう。しかし今のラダベルは、アデルを美丈夫だとは認めているが、別に好きなわけではないため、歓喜はしない。むしろ野蛮だと、アデルを非難する目を向けた。アデルはラダベルにひと目もくれず、エリアスを見つめる。

「貴様、名は?」
「………………」
「さっさと答えろ。さもなくば貴様の目を潰す」
「っ」

 アデルの全身から溢れ出す殺気に、エリアスが怖気づく。

「エリアス・バート。階級は少尉、です」

 エリアスは震えを抑え、なんとか自身の名と階級を答えた。先程まで軽口を叩いていた軍人とは思えないほど、彼は縮こまってしまっていた。レイティーン帝国第二皇子にして、帝国軍総司令官のアデルが放つ殺気には、耐えられなかったようだ。

「ラダベルの腕を掴むとは、どれほどの重罪か分かっているのか? エリアス・バート」

 アデルは床から剣を引き抜き、エリアスに剣先を向ける。黄金の剣は見た目からして非常に重厚そうだが、アデルはそれを片手で軽々と持ち上げてみせる。剣先は、少しも震えることはない。彼の筋力の強さが窺える。アデルは幼少期から、剣の才能が同年代の男子の中でも群を抜いており、初陣ういじんでは奇跡的な戦歴を挙げた。剣の腕前と他国を震え上がらせる完璧な戦術眼せんじゅつがん。そして部下たちを従えるカリスマ性は、軍のトップとしてふさわしいものだろう。他国では、“麗しの戦皇子”との異名で呼ばれるほどだ。そんな彼は、今ではまさしく戦闘狂せんとうきょうと化してしまっているが。

「余程死にたいらしいな」

 アデルが構えた剣を振り下ろそうとした瞬刻のこと、ラダベルは制止するよう声をかけた。

「お待ちください」

 アデルは剣を止める。そして剣を下げ、ラダベルを睥睨した。何より彼女自身に茶々を入れられたことが許せなかったらしい。しかしアデルが怒っている理由は、エリアスがラダベルの腕を引き寄せていたからだ。ラダベルは、まったくの無関係ではない。彼女からしたら、なぜアデルが怒っているのかも分からないわけだが。

「ここがどこだかお忘れですか? 第二皇子殿下」
「……何?」
「レイティーン帝国軍極東部、ルドルガー伯爵が治める地です。いくら軍の総司令官である第二皇子殿下と言えど、ジークルド様の知らぬ場所で騒動そうどうを起こすのはいかがなものかと」

 ラダベルの的を射る忠告に対して、アデルは唇を噛みしめて悔しげに顔を背ける。正論を突きつけられ何も言えなくなった彼に、ラダベルはトドメの一言を放つ。

「さっさと皇都に帰られては?」

 極北の地よりも寒さを感じる冷酷な言葉。ラダベルはアデルに背を向けて、本来向かうべきであった場所に歩を進める。セリーヌとミアも彼女のあとに続く。エリアスと共に取り残されたアデルは、ラダベルの背に視線を送り続けたのであった。
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