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第16話 怒りの一線
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「こんなものか?」
ジークルドは深く溜息を吐きながら、そう呟く。地の底を這う声色は、ラダベルの体を強ばらせる。
周囲に散らばるのは、新人と思わしき軍人たち。皆、肩で大きく息をしており、今にも死んでしまいそうだ。想像していたよりも遥かに厳しい訓練に、ラダベルは震撼する。
「戦場だったら死んでいるぞ。己の限界に挑め」
ジークルドの言葉に、軍人たちが最後の力を振り絞って大声で返事をする。彼らの声に、ビリビリと空気が呼応した。
砂埃に塗れる中、悠然と佇むジークルドとふと目が合った。バチン、と火花が散った。リボンで括られた純白の髪が生暖かい風にふわりと揺れる。パープルダイヤモンド色の瞳が煌めき、見開かれた。
「令嬢……。なぜここに……」
「勝手に来てしまってごめんなさい。どうしてもお伝えしたいことがあったのですが……ご迷惑でしたか?」
ラダベルは下手に出る。己の美貌を駆使した必殺上目遣いを発動する。名高い悪女であるが、顔のよさだけで言えば一級品だ。ジークルドも無視はできまい。ところがラダベルの思惑とは裏腹に、ジークルドは険悪な顔つきとなる。
「……ここは令嬢が来ていいような場所ではない。今すぐ帰れ」
雷に打たれたかのような衝撃。はっきりとした強めの警告は、ラダベルを威圧する。
初対面の時は想像以上に優しく、思いやりも感じられた。だがしかし、今はまったくそれらは感じられない。空気は震え、肌がひりつく殺気が立ち込めていた。
許嫁、夫婦と言えども、つい最近顔を合わせたばかりの浅い仲だ。越えてはならない一定のラインを測りかねてしまった結果、ジークルドを怒らせてしまうことになるとは。もしかしなくても、ラダベルは越えてはいけない一線を越えてしまったのだ。彼女は酷く後悔をした。やはりどれほど遅くなっても、城で従順に待っているべきであったかもしれない。
「断りも入れず、私のようなただの女が軍施設という高貴なる場に足を踏み入れてしまったこと、心より謝罪をいたします」
ラダベルは頭を垂れる。理不尽だと、誰に命令をしているのだと憤懣を撒き散らすことなく、大人しく引き下がった彼女に対して、ジークルドは瞠目する。噂通りのラダベルであれば、警告を受けた時点で、顔を真っ赤にして怒りをあらわに暴れ回っていただろう。しかしラダベルは、自分に明らかな非があったと認め、謝罪を口にした。ジークルドは噂とはまるで別人の彼女の姿に驚きつつも、「ただの女」と彼女が自身を見下した言葉を使ったことに不満を抱く。
「令嬢、」
「ウェディングドレス、ありがとうございました」
ピシャリとカーテンを閉めて日光を遮断するように、ジークルドの何か言いたげな声を遮る。ラダベルは早急に言いたいことだけを口にして、訓練場をあとにする。セリーヌもお辞儀をし、彼女のあとを追う。残されたウィルは、立ち去るラダベルの背中と呆然とするジークルドを交互に見つめたのち、ジークルドに敬礼をしてラダベルを追いかけたのであった。ひとり取り残されたジークルドは、頭を抱える。そよ風が頬を撫で、異様な切なさを感じたのであった。
軍の施設から城に戻るラダベルとセリーヌ。それを追うウィル。ウィルは何度か咳払いをしたあと、意を決して声をかける。
「……ティオーレ公爵令嬢」
「なんでしょう?」
ラダベルの唇から飛び出た冷えきった声。ウィルは臆することなく説明をし始める。
「恐らく大将は、ティオーレ公爵令嬢の身を案じられたのだと思います。訓練場は何かと危ないので、そういった意味を込めて厳しめに忠告をされたのであって、」
「ふふ」
ウィルの必死の弁明に対して、ラダベルは軽く笑いをこぼした。
「そんなに必死に説明しなくて大丈夫よ、ウィル。私が悪いのは分かっているから。誰だって仕事中に茶々を入れられるのは嫌よね。しかも、こんな悪女に……」
床に視線を落とす。柄もない無機質な床がラダベルの視線を跳ね返した。
もし、ジークルドの立場だったならば、苛立って仕方がないだろう。もっとジークルドの気持ちを汲み取るべきであった。今度からは、緊急事態以外はジークルドのもとを訪ねないほうがいいかもしれない。よい夫婦関係を築くためには、互いの嫌なことはしない、怒りの一線は越えないことが大切だ。別にジークルドと仲良くなりたい、愛し合いたいというわけではない。さすがにそこまでは、ラダベルも望んでいない。何よりジークルドに失礼だ。毒親のもとに戻されないためにも、離婚されない程度に関係を築く必要がある。
決意をより強固にするラダベルの横で、セリーヌとウィルは小さな溜息を吐いたのであった。
ジークルドは深く溜息を吐きながら、そう呟く。地の底を這う声色は、ラダベルの体を強ばらせる。
周囲に散らばるのは、新人と思わしき軍人たち。皆、肩で大きく息をしており、今にも死んでしまいそうだ。想像していたよりも遥かに厳しい訓練に、ラダベルは震撼する。
「戦場だったら死んでいるぞ。己の限界に挑め」
ジークルドの言葉に、軍人たちが最後の力を振り絞って大声で返事をする。彼らの声に、ビリビリと空気が呼応した。
砂埃に塗れる中、悠然と佇むジークルドとふと目が合った。バチン、と火花が散った。リボンで括られた純白の髪が生暖かい風にふわりと揺れる。パープルダイヤモンド色の瞳が煌めき、見開かれた。
「令嬢……。なぜここに……」
「勝手に来てしまってごめんなさい。どうしてもお伝えしたいことがあったのですが……ご迷惑でしたか?」
ラダベルは下手に出る。己の美貌を駆使した必殺上目遣いを発動する。名高い悪女であるが、顔のよさだけで言えば一級品だ。ジークルドも無視はできまい。ところがラダベルの思惑とは裏腹に、ジークルドは険悪な顔つきとなる。
「……ここは令嬢が来ていいような場所ではない。今すぐ帰れ」
雷に打たれたかのような衝撃。はっきりとした強めの警告は、ラダベルを威圧する。
初対面の時は想像以上に優しく、思いやりも感じられた。だがしかし、今はまったくそれらは感じられない。空気は震え、肌がひりつく殺気が立ち込めていた。
許嫁、夫婦と言えども、つい最近顔を合わせたばかりの浅い仲だ。越えてはならない一定のラインを測りかねてしまった結果、ジークルドを怒らせてしまうことになるとは。もしかしなくても、ラダベルは越えてはいけない一線を越えてしまったのだ。彼女は酷く後悔をした。やはりどれほど遅くなっても、城で従順に待っているべきであったかもしれない。
「断りも入れず、私のようなただの女が軍施設という高貴なる場に足を踏み入れてしまったこと、心より謝罪をいたします」
ラダベルは頭を垂れる。理不尽だと、誰に命令をしているのだと憤懣を撒き散らすことなく、大人しく引き下がった彼女に対して、ジークルドは瞠目する。噂通りのラダベルであれば、警告を受けた時点で、顔を真っ赤にして怒りをあらわに暴れ回っていただろう。しかしラダベルは、自分に明らかな非があったと認め、謝罪を口にした。ジークルドは噂とはまるで別人の彼女の姿に驚きつつも、「ただの女」と彼女が自身を見下した言葉を使ったことに不満を抱く。
「令嬢、」
「ウェディングドレス、ありがとうございました」
ピシャリとカーテンを閉めて日光を遮断するように、ジークルドの何か言いたげな声を遮る。ラダベルは早急に言いたいことだけを口にして、訓練場をあとにする。セリーヌもお辞儀をし、彼女のあとを追う。残されたウィルは、立ち去るラダベルの背中と呆然とするジークルドを交互に見つめたのち、ジークルドに敬礼をしてラダベルを追いかけたのであった。ひとり取り残されたジークルドは、頭を抱える。そよ風が頬を撫で、異様な切なさを感じたのであった。
軍の施設から城に戻るラダベルとセリーヌ。それを追うウィル。ウィルは何度か咳払いをしたあと、意を決して声をかける。
「……ティオーレ公爵令嬢」
「なんでしょう?」
ラダベルの唇から飛び出た冷えきった声。ウィルは臆することなく説明をし始める。
「恐らく大将は、ティオーレ公爵令嬢の身を案じられたのだと思います。訓練場は何かと危ないので、そういった意味を込めて厳しめに忠告をされたのであって、」
「ふふ」
ウィルの必死の弁明に対して、ラダベルは軽く笑いをこぼした。
「そんなに必死に説明しなくて大丈夫よ、ウィル。私が悪いのは分かっているから。誰だって仕事中に茶々を入れられるのは嫌よね。しかも、こんな悪女に……」
床に視線を落とす。柄もない無機質な床がラダベルの視線を跳ね返した。
もし、ジークルドの立場だったならば、苛立って仕方がないだろう。もっとジークルドの気持ちを汲み取るべきであった。今度からは、緊急事態以外はジークルドのもとを訪ねないほうがいいかもしれない。よい夫婦関係を築くためには、互いの嫌なことはしない、怒りの一線は越えないことが大切だ。別にジークルドと仲良くなりたい、愛し合いたいというわけではない。さすがにそこまでは、ラダベルも望んでいない。何よりジークルドに失礼だ。毒親のもとに戻されないためにも、離婚されない程度に関係を築く必要がある。
決意をより強固にするラダベルの横で、セリーヌとウィルは小さな溜息を吐いたのであった。
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