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第十二章 皇太子妃への道
21 妊婦はおとなしくしときなさい!
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キャベツ畑の夜から半月過ぎると、ユーリは身体の変化に気がついた。勿論、セリーナやビクトリアも気づき、侍医に診察を受けて懐妊だと知らされる。
「グレゴリウス様、赤ちゃんができたの」
ユーリはこれだけは自分の口から言いたいと箝口令をしき、夕食の後でグレゴリウスに懐妊を告げる。
「ユーリ、本当に? とても、とても、嬉しいよ! 赤ちゃんができたんだ」
グレゴリウスは未だ細いユーリのウエストを撫でながら、ここに赤ちゃんがいるのかと不思議に思う。
「未だ、誰にも言ってないの。グレゴリウス様に、一番に知って貰いたかったから。 侍医にも口止めしたから、国王陛下や王妃様に伝えに行かなきゃね」
グレゴリウスは皇太子の世継ぎは国の重大事なのにと呆れたが、自分を優先してくれたユーリの気持ちを嬉しく思った。二人は揃って、国王夫妻とマリー・ルイーズに懐妊の報告をした。
「本当に目出度い! ユーリ、身体に気を付けるのだぞ」
アルフォンスは、心の底から安堵感が込み上げてくるのを感じていた。
「ユーリ、おめでとう、本当に良かったわ。疲れないように、休息をとるのですよ」
王妃とマリー・ルイーズから生活面の諸注意を細々と言い聞かされているユーリを、国王とグレゴリウスは笑いながら見ていたが、ふと仕事をどうするのだろうと不安に思った。
「グレゴリウス、ユーリはまさか仕事を続けるつもりでは無いだろな」
小声で尋ねてくるお祖父様に、グレゴリウスも小声でまさかと応えたが少し不安になる。
「ユーリはパロマ大学のサマースクールで女性学の授業の時に、女性が社会進出するには子育てと仕事を両立できる環境を整備しなくてはいけないと発言していました。離宮には乳母も付くでしょうし、女官達やセリーナ夫人もいますから、仕事を続けられる環境は整っているのです」
「それは、皇太子妃として公務を果たす為のものだ。子どもが産まれたら、控えていた外国への訪問などの公務が目白押しなんだぞ。国務省での仕事をしている暇など無いだろう」
結婚直後から外国から訪問要請が届いていたが、一世代抜けている事情から世継ぎ作りを優先させてきたのだ。それと国王はグレゴリウスが即位する前に色々な国を訪問させて、そこの為政者と顔つなぎをさせたり、異なった文化や風習を肌で感じさせて遣りたいと考えていたのだ。
「この件は、慎重にユーリと話し合います。妊婦を怒らしては、いけませんからね」
国王は今すぐ仕事を辞めさせる命令を出す事もできたが、グレゴリウスに任せる。
「お前とユーリとで、話し合って決めたら良い。ただし、身体に負担にならないように気を付けるのだぞ。ユーリの腹にいるのは、お前の世継ぎかも知れないのだからな」
グレゴリウスはお祖父様に自分の世継ぎと言われて、何代も続いている王家の重みをズッシリと感じた。ユーリのお腹にいるのは自分達の子どもだが、それだけではなく次の皇太子なのかもしれないと思うと、身が引き締まる気持ちになった。
グレゴリウスは国務省の仕事を妊娠中は休むようにと言おうと思っていたが、ユーリは悪阻で仕事どころではなくなった。
「ビクトリア様、悪阻はいつまで続くの?」
セリーナが体質的に悪阻がなかったと言うのを恨めしく思いながら、ビクトリアは悪阻の時にビクターがぱくぱく好物を食べたと怒っていたと思い出して尋ねる。
「悪阻には個人差があるみたいですから、私のが参考になるか解りませんが、2ヶ月ぐらいでしたわ」
ユーリは2ヶ月も吐いていたら赤ちゃんに悪影響が出るのではと心配したが、ビクトリアから医学書を読み上げられて大丈夫なのだと少し安心する。
「その医学書を読みたいわ」
ユーリは妊娠について無知なので勉強しようと思ったが、ビクトリアはこんな医学書を読んだら不安になって、却って赤ちゃんに悪いと渡してくれない。
「妊娠中はそれでなくともナーバスになるのに、こんな病気ばかりの本を読んでは駄目だわ。気分の晴れる音楽や、詩を聞くと良いのよ」
ユーリは音楽や詩を楽しんだが、一番の安定剤はイリスと居る時間で、女官達に邪魔されないのもホッとして悪阻も楽に感じる。
『イリス? もしかして悪阻を引き受けてくれているの?』
ユーリはイリスといると悪阻が楽になり、少しは冷たい物なら食べれるのが不思議に思って尋ねる。
『悪阻かどうかは知らないけど、騎竜は絆の竜騎士の体調を整えるものだよ。キリエもハインリッヒが瀕死の負傷をした時に、自分の魔力をほとんど使い果たして助けたしね』
そう言えばイリスと絆を結んでから、真名で魔力を使って熱を出した以外は風邪もひいたことがないと気づいた。
『ずっとイリスが私の体調を管理してくれていたのね。気づかなかったわ、ありがとう。悪阻を引き受けてくれて、イリスは吐き気とかしないの?』
『瀕死の負傷でもあるまいし、全く吐き気なんて感じないよ』
そう言えば先日も牛を一頭食べていたと、見ているだけで胸が悪くなったのを思い出した。
「ユーリ、少し食べられるようになったんだね」
グレゴリウスは大食のユーリが全く食べれないのを心配していたが、冷たいスープやサラダなどは少し食べれるようになったので安心する。
「匂いが気になるから、湯気のたつものは駄目だわ。お風呂の湯気も、気になるぐらいなの。入浴剤を入れて貰ったり、試しているのよ。スッキリした香りはマシだったけど、バラとか甘い香りは無理だわ」
ユーリが懐妊して、マリアンヌは一番に駆けつけて注意を言い聞かせた。
「とにかく疲れないようにしなければいけませんよ。ゆったりと落ち着いた生活を心がけてね」
ユーリは結婚してからお祖母様となかなか会えなくて寂しい思いをしていたが、妊娠してからは特に会いたい思いが募る。
「夏休みはストレーゼンの離宮でゆっくり過ごそう」
グレゴリウスと居間で寛ぎながら、夏休みのことを話していると、無性にフォン・フォレストに帰りたくなる。
「グレゴリウス様、フォン・フォレストに帰ってはいけないかしら……」
グレゴリウスはユーリが涙ぐんでいるのに驚いて、妊娠中はナーバスになりやすいと伯父のヘルメスから注意を受けていて良かったと思う。
「フォン・フォレストは遠いよ。ストレーゼンに行くのも、馬車を使うように言われたぐらいなのに……モガーナ様にストレーゼンに来てもらえるように私からも手紙を書くよ」
暑いユングフラウより避暑地のストレーゼンの方が過ごしやすいだろうと侍医からも勧められたが、ユーリがイリスで行くのを王妃達は心配した。
「妊娠中なのに、竜に乗るだなんて……」
ユーリは馬車で2時間も揺られるより、竜であっという間に着く方が楽だと反論する。結局、国王やグレゴリウスは、医師でもあり竜騎士でもあるヘルメスに意見を聞き、竜の方が絶対に安全だと保証されて了承した。
それでも王妃とマリー・ルイーズは心配なので、グレゴリウスにアラミスに一緒に乗せて貰えばと提案したが、イリスの嫉妬深さを知っている国王に却下される。
「ユーリが独りで乗るのが心配なら、女官を乗せてもいいが、竜騎士でもないのに意味はないだろう」
「グレゴリウスが、イリスに一緒に乗るのはどうかしら?」
「アラミスが許すなら、それでも良いが……テレーズ、竜は馬と違い竜騎士を落としたりしないぞ」
あまりの心配ぶりにアルフォンスは少し機嫌を損ねたが、アラミスはグレゴリウスがユーリと一緒にイリスに乗っても気にしないと言った。
『ユーリが赤ちゃんを産んでくれるのだから、何でも好きにすれば良いよ。グレゴリウスの子どもが見れるのが、楽しみなんだ』
大人の対応のアラミスを見て、グレゴリウスとユーリは口には出さなかったが、イリスがもう少し嫉妬を抑えてくれたらと溜め息をついた。
「お祖母様が、ストレーゼンのアリスト家の別荘に来て下さるの。久しぶりに会えるから、嬉しいわ」
ユーリがフォン・フォレストからの手紙を嬉しそうに読むのを見て、グレゴリウスも安心する。実はユーリは妊娠してからずっと、前世で19才で死んだ事を気にしていたのだ。
「赤ちゃんが産まれるのは、ぎりぎり19才なの……」
祖母のキャサリン王女と母のロザリモンドが二人とも出産や流産で亡くなっているし、侍医も華奢な身体を心配しているのを感じて、ユーリはナーバスになっていた。ナーバスになると前世の事や何かをぐずぐずと考えてしまい、ユーリはそういう時はお祖母様に会って馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばして貰いたくなるのだ。
ストレーゼンの離宮には、同じく妊娠中のメルローズもいて、あれこれと出産についてユーリは聞かされて、ひょぇ~と叫びたくなる。
「大丈夫ですよ。ラリックを抱いた瞬間に痛みなど、どこかに飛んでいってしまいましたもの」
ユーリは母は強しだわと感嘆したが、メルローズに貴女も母になるのにと笑われてしまう。
ストレーゼンではゆっくり過ごして、マウリッツ公爵家の別荘を訪問したり、フォン・アリスト家の別荘でモガーナに前世の事を笑い飛ばして貰ったりする。
「ユーリも母親になって落ち着いてきたみたいですわね」
王妃は、妊娠中でゆっくりとグレゴリウスと散歩しているユーリを眺めてほっとする。
「ええ、悪阻もよくなって、食べられるようになったみたいで安心しましたわ。食べないユーリを見るのは辛くて、グレゴリウスまで食欲を無くしてしまうし……」
マリー・ルイーズは悪阻に付き合うようにグレゴリウスも食欲不振になっていたが、ユーリが食べれるようになると改善されてホッとしたのだ。
「涼しいストレーゼンの気候が、良かったのかもしれませんね。あの大食いのユーリが食べないのを見ると、私も心配でたまりませんでしたの」
アルフォンスは二人の会話を読書しながら聞いていて、ユーリが大食いなのは緑の魔力を無意識に使っているからだと弁護したくなったが、面倒なのでスルーする。
ナイジェル国務相から、ユーリ達が新婚旅行で滞在したワイナリーの昨年のワインの出来が素晴らしい物になりそうだと報告を受け、それは目出度いが視察旅行だったのかと気の毒に思った。国王として長年の在位に疲れてきているアルフォンスだったが、あと数年はグレゴリウスの為に頑張るかと庭を散歩している若い二人を微笑ましく眺める。
しかし、悪阻がおさまったのは、良い事ばかりではなかったと、王家の人達は思い知らされる。夏休みは大人しく過ごしたユーリだったが、秋になると竜騎士の制服を着て予算の獲得に走り回る。
グレゴリウスは妊娠中は国務省の仕事を休むようにと言いそびれたのを後悔したが、赤ちゃんが産まれたら産休に入るからと、今のうちにと忙しくしているユーリを止めるのは難しく思えた。
福祉課のレイトン卿は、予算よりも世継ぎが大切だろうと、国務相やシュミット国務次官に呼び出されて説教される。
「お言葉ですが、私にではなく妃殿下に直接お話し下さい」
レイトン卿に反撃されて、ナイジェル卿もシュミット卿も、それが無理だから貴卿に頼んでいるのだと怒鳴りつける。
「皇太子殿下や王妃様が言っても聞かないのに、私達がどう説得するのだ。レイトン卿なら直属の上司だから、懐妊中は仕事を休めと言えるだろう」
レイトン卿は、予算を通してくれるなら説得してみますと引き受ける。ナイジェル卿とシュミット卿は、お腹が大きくなってきている皇太子妃にウロチョロされるぐらいなら、福祉課の予算ぐらい通しても良い気分になって承諾したが、狸親父め! と内心では毒づく。
レイトン卿はユーリに妊娠中は仕事を休んではどうでしょうかと初めは下手に出ていたが、どんどんお腹が大きくなっていくにつれて心配で仕事どころでは無くなってきた。
「妊婦は、おとなしくしておきなさい!」
山積みの書類を運ぼうとして、雪崩をおこして床に散らばったのを大きなお腹で拾っているのに気づいて、走り寄って書類を拾い上げるとレイトン卿は思わず怒ってしまった。
一瞬、シーンと凍りついた福祉課だったが、イージス卿とチャーチル卿もレイトン卿に同意して説得に加わる。
「妃殿下が女性も結婚しても仕事を続けるべきだと考えていらっしゃるのは理解できますが、どうか私達の心配をお汲み取り下さい」
何時も一緒に孤児院を視察していたイージス卿に頼まれて、ユーリは困惑する。相手が少し考えたのを見て、チャーチル卿も説得に乗り出す。
「心配で、仕事どころでは無いのです」
口々に頼まれて、ユーリは一気に物事を進めては、迷惑を掛けてしまうのだと気づく。
「予算の大事な時期なのに……」
ユーリから書類を取り上げたレイトン卿は、国務相と国務次官が福祉課の予算は通すと言ってましたから、御安心下さいと告げた。
「え~、あのケチなナイジェル卿と、冷血の金庫番が、そんな大盤振る舞いを約束したのですか?」
ユーリもイージス卿もチャーチル卿も、キラリンと目を輝かす。
「レイトン卿、女性の職業訓練所の予算案の承認をお願いします。今年、予算が通らなくても、提出だけはしたいのです」
レイトン卿はユーリのしぶとさに負けて、産休に入ってくれるならと予算案を受け取る。イージス卿もチャーチル卿も、それぞれ却下され続けた予算案をいそいそと机から引っ張り出してレイトン卿に便乗でお願いして叱られたりしたが、冷遇され続けている福祉課には大チャンスなのは確かだ。
「あの二人がどう反応を示すか、恐ろしいですよ」
レイトン卿は福祉課の予算案を新任の財務室の責任者であるアンリ卿に提出して、後は野となれ山となれと覚悟を決めた。アンリは、福祉課の予算案の中にユーリが提案したに違いない女性の職業訓練所の設立予算案を見つけて苦笑する。
「国務相と国務次官に任せよう」
妊娠中のユーリの姿を見て、アンリはやっと諦めがつき、親の勧める令嬢と会って見る気分になり、交際を始めていた。皇太子妃になっても諦めずに予算案を提出してきたユーリに、今回はさすがに無理かもしれないが、陰ながら応援したいとアンリは考える。
「今回は女性の職業訓練所の予算は取れなかったけど、来年は頑張るわ。明日からは産休に入るけど、グレゴリウス様は仕事を辞めて欲しいの?」
産休に入ると聞いてホッとしたグレゴリウスだったが、仕事を辞めて欲しいのかと聞かれて迷った。
「正直、よくわからないんだ。一緒の時間を増やして欲しいから、辞めて貰いたいとも思うけど、君の考えを実現させたいとも思うからね。子どもが産まれたら、外国へ訪問も増えるし、そうなると今より忙しくなるから、少し調整してくれると嬉しいな。招待をし返したりで、接待も絶対的に増えていくよ」
ユーリは、今でも離宮に外国の要人を招待したりと、忙しく感じているのにと溜め息をつく。
「子育てもあるし、少し調整が必要だとは私も考えているの。でも、できれば仕事を続けたいのよ」
グレゴリウスはゆっくり考えたら良いよと抱き寄せる。
「グレゴリウス様、赤ちゃんができたの」
ユーリはこれだけは自分の口から言いたいと箝口令をしき、夕食の後でグレゴリウスに懐妊を告げる。
「ユーリ、本当に? とても、とても、嬉しいよ! 赤ちゃんができたんだ」
グレゴリウスは未だ細いユーリのウエストを撫でながら、ここに赤ちゃんがいるのかと不思議に思う。
「未だ、誰にも言ってないの。グレゴリウス様に、一番に知って貰いたかったから。 侍医にも口止めしたから、国王陛下や王妃様に伝えに行かなきゃね」
グレゴリウスは皇太子の世継ぎは国の重大事なのにと呆れたが、自分を優先してくれたユーリの気持ちを嬉しく思った。二人は揃って、国王夫妻とマリー・ルイーズに懐妊の報告をした。
「本当に目出度い! ユーリ、身体に気を付けるのだぞ」
アルフォンスは、心の底から安堵感が込み上げてくるのを感じていた。
「ユーリ、おめでとう、本当に良かったわ。疲れないように、休息をとるのですよ」
王妃とマリー・ルイーズから生活面の諸注意を細々と言い聞かされているユーリを、国王とグレゴリウスは笑いながら見ていたが、ふと仕事をどうするのだろうと不安に思った。
「グレゴリウス、ユーリはまさか仕事を続けるつもりでは無いだろな」
小声で尋ねてくるお祖父様に、グレゴリウスも小声でまさかと応えたが少し不安になる。
「ユーリはパロマ大学のサマースクールで女性学の授業の時に、女性が社会進出するには子育てと仕事を両立できる環境を整備しなくてはいけないと発言していました。離宮には乳母も付くでしょうし、女官達やセリーナ夫人もいますから、仕事を続けられる環境は整っているのです」
「それは、皇太子妃として公務を果たす為のものだ。子どもが産まれたら、控えていた外国への訪問などの公務が目白押しなんだぞ。国務省での仕事をしている暇など無いだろう」
結婚直後から外国から訪問要請が届いていたが、一世代抜けている事情から世継ぎ作りを優先させてきたのだ。それと国王はグレゴリウスが即位する前に色々な国を訪問させて、そこの為政者と顔つなぎをさせたり、異なった文化や風習を肌で感じさせて遣りたいと考えていたのだ。
「この件は、慎重にユーリと話し合います。妊婦を怒らしては、いけませんからね」
国王は今すぐ仕事を辞めさせる命令を出す事もできたが、グレゴリウスに任せる。
「お前とユーリとで、話し合って決めたら良い。ただし、身体に負担にならないように気を付けるのだぞ。ユーリの腹にいるのは、お前の世継ぎかも知れないのだからな」
グレゴリウスはお祖父様に自分の世継ぎと言われて、何代も続いている王家の重みをズッシリと感じた。ユーリのお腹にいるのは自分達の子どもだが、それだけではなく次の皇太子なのかもしれないと思うと、身が引き締まる気持ちになった。
グレゴリウスは国務省の仕事を妊娠中は休むようにと言おうと思っていたが、ユーリは悪阻で仕事どころではなくなった。
「ビクトリア様、悪阻はいつまで続くの?」
セリーナが体質的に悪阻がなかったと言うのを恨めしく思いながら、ビクトリアは悪阻の時にビクターがぱくぱく好物を食べたと怒っていたと思い出して尋ねる。
「悪阻には個人差があるみたいですから、私のが参考になるか解りませんが、2ヶ月ぐらいでしたわ」
ユーリは2ヶ月も吐いていたら赤ちゃんに悪影響が出るのではと心配したが、ビクトリアから医学書を読み上げられて大丈夫なのだと少し安心する。
「その医学書を読みたいわ」
ユーリは妊娠について無知なので勉強しようと思ったが、ビクトリアはこんな医学書を読んだら不安になって、却って赤ちゃんに悪いと渡してくれない。
「妊娠中はそれでなくともナーバスになるのに、こんな病気ばかりの本を読んでは駄目だわ。気分の晴れる音楽や、詩を聞くと良いのよ」
ユーリは音楽や詩を楽しんだが、一番の安定剤はイリスと居る時間で、女官達に邪魔されないのもホッとして悪阻も楽に感じる。
『イリス? もしかして悪阻を引き受けてくれているの?』
ユーリはイリスといると悪阻が楽になり、少しは冷たい物なら食べれるのが不思議に思って尋ねる。
『悪阻かどうかは知らないけど、騎竜は絆の竜騎士の体調を整えるものだよ。キリエもハインリッヒが瀕死の負傷をした時に、自分の魔力をほとんど使い果たして助けたしね』
そう言えばイリスと絆を結んでから、真名で魔力を使って熱を出した以外は風邪もひいたことがないと気づいた。
『ずっとイリスが私の体調を管理してくれていたのね。気づかなかったわ、ありがとう。悪阻を引き受けてくれて、イリスは吐き気とかしないの?』
『瀕死の負傷でもあるまいし、全く吐き気なんて感じないよ』
そう言えば先日も牛を一頭食べていたと、見ているだけで胸が悪くなったのを思い出した。
「ユーリ、少し食べられるようになったんだね」
グレゴリウスは大食のユーリが全く食べれないのを心配していたが、冷たいスープやサラダなどは少し食べれるようになったので安心する。
「匂いが気になるから、湯気のたつものは駄目だわ。お風呂の湯気も、気になるぐらいなの。入浴剤を入れて貰ったり、試しているのよ。スッキリした香りはマシだったけど、バラとか甘い香りは無理だわ」
ユーリが懐妊して、マリアンヌは一番に駆けつけて注意を言い聞かせた。
「とにかく疲れないようにしなければいけませんよ。ゆったりと落ち着いた生活を心がけてね」
ユーリは結婚してからお祖母様となかなか会えなくて寂しい思いをしていたが、妊娠してからは特に会いたい思いが募る。
「夏休みはストレーゼンの離宮でゆっくり過ごそう」
グレゴリウスと居間で寛ぎながら、夏休みのことを話していると、無性にフォン・フォレストに帰りたくなる。
「グレゴリウス様、フォン・フォレストに帰ってはいけないかしら……」
グレゴリウスはユーリが涙ぐんでいるのに驚いて、妊娠中はナーバスになりやすいと伯父のヘルメスから注意を受けていて良かったと思う。
「フォン・フォレストは遠いよ。ストレーゼンに行くのも、馬車を使うように言われたぐらいなのに……モガーナ様にストレーゼンに来てもらえるように私からも手紙を書くよ」
暑いユングフラウより避暑地のストレーゼンの方が過ごしやすいだろうと侍医からも勧められたが、ユーリがイリスで行くのを王妃達は心配した。
「妊娠中なのに、竜に乗るだなんて……」
ユーリは馬車で2時間も揺られるより、竜であっという間に着く方が楽だと反論する。結局、国王やグレゴリウスは、医師でもあり竜騎士でもあるヘルメスに意見を聞き、竜の方が絶対に安全だと保証されて了承した。
それでも王妃とマリー・ルイーズは心配なので、グレゴリウスにアラミスに一緒に乗せて貰えばと提案したが、イリスの嫉妬深さを知っている国王に却下される。
「ユーリが独りで乗るのが心配なら、女官を乗せてもいいが、竜騎士でもないのに意味はないだろう」
「グレゴリウスが、イリスに一緒に乗るのはどうかしら?」
「アラミスが許すなら、それでも良いが……テレーズ、竜は馬と違い竜騎士を落としたりしないぞ」
あまりの心配ぶりにアルフォンスは少し機嫌を損ねたが、アラミスはグレゴリウスがユーリと一緒にイリスに乗っても気にしないと言った。
『ユーリが赤ちゃんを産んでくれるのだから、何でも好きにすれば良いよ。グレゴリウスの子どもが見れるのが、楽しみなんだ』
大人の対応のアラミスを見て、グレゴリウスとユーリは口には出さなかったが、イリスがもう少し嫉妬を抑えてくれたらと溜め息をついた。
「お祖母様が、ストレーゼンのアリスト家の別荘に来て下さるの。久しぶりに会えるから、嬉しいわ」
ユーリがフォン・フォレストからの手紙を嬉しそうに読むのを見て、グレゴリウスも安心する。実はユーリは妊娠してからずっと、前世で19才で死んだ事を気にしていたのだ。
「赤ちゃんが産まれるのは、ぎりぎり19才なの……」
祖母のキャサリン王女と母のロザリモンドが二人とも出産や流産で亡くなっているし、侍医も華奢な身体を心配しているのを感じて、ユーリはナーバスになっていた。ナーバスになると前世の事や何かをぐずぐずと考えてしまい、ユーリはそういう時はお祖母様に会って馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばして貰いたくなるのだ。
ストレーゼンの離宮には、同じく妊娠中のメルローズもいて、あれこれと出産についてユーリは聞かされて、ひょぇ~と叫びたくなる。
「大丈夫ですよ。ラリックを抱いた瞬間に痛みなど、どこかに飛んでいってしまいましたもの」
ユーリは母は強しだわと感嘆したが、メルローズに貴女も母になるのにと笑われてしまう。
ストレーゼンではゆっくり過ごして、マウリッツ公爵家の別荘を訪問したり、フォン・アリスト家の別荘でモガーナに前世の事を笑い飛ばして貰ったりする。
「ユーリも母親になって落ち着いてきたみたいですわね」
王妃は、妊娠中でゆっくりとグレゴリウスと散歩しているユーリを眺めてほっとする。
「ええ、悪阻もよくなって、食べられるようになったみたいで安心しましたわ。食べないユーリを見るのは辛くて、グレゴリウスまで食欲を無くしてしまうし……」
マリー・ルイーズは悪阻に付き合うようにグレゴリウスも食欲不振になっていたが、ユーリが食べれるようになると改善されてホッとしたのだ。
「涼しいストレーゼンの気候が、良かったのかもしれませんね。あの大食いのユーリが食べないのを見ると、私も心配でたまりませんでしたの」
アルフォンスは二人の会話を読書しながら聞いていて、ユーリが大食いなのは緑の魔力を無意識に使っているからだと弁護したくなったが、面倒なのでスルーする。
ナイジェル国務相から、ユーリ達が新婚旅行で滞在したワイナリーの昨年のワインの出来が素晴らしい物になりそうだと報告を受け、それは目出度いが視察旅行だったのかと気の毒に思った。国王として長年の在位に疲れてきているアルフォンスだったが、あと数年はグレゴリウスの為に頑張るかと庭を散歩している若い二人を微笑ましく眺める。
しかし、悪阻がおさまったのは、良い事ばかりではなかったと、王家の人達は思い知らされる。夏休みは大人しく過ごしたユーリだったが、秋になると竜騎士の制服を着て予算の獲得に走り回る。
グレゴリウスは妊娠中は国務省の仕事を休むようにと言いそびれたのを後悔したが、赤ちゃんが産まれたら産休に入るからと、今のうちにと忙しくしているユーリを止めるのは難しく思えた。
福祉課のレイトン卿は、予算よりも世継ぎが大切だろうと、国務相やシュミット国務次官に呼び出されて説教される。
「お言葉ですが、私にではなく妃殿下に直接お話し下さい」
レイトン卿に反撃されて、ナイジェル卿もシュミット卿も、それが無理だから貴卿に頼んでいるのだと怒鳴りつける。
「皇太子殿下や王妃様が言っても聞かないのに、私達がどう説得するのだ。レイトン卿なら直属の上司だから、懐妊中は仕事を休めと言えるだろう」
レイトン卿は、予算を通してくれるなら説得してみますと引き受ける。ナイジェル卿とシュミット卿は、お腹が大きくなってきている皇太子妃にウロチョロされるぐらいなら、福祉課の予算ぐらい通しても良い気分になって承諾したが、狸親父め! と内心では毒づく。
レイトン卿はユーリに妊娠中は仕事を休んではどうでしょうかと初めは下手に出ていたが、どんどんお腹が大きくなっていくにつれて心配で仕事どころでは無くなってきた。
「妊婦は、おとなしくしておきなさい!」
山積みの書類を運ぼうとして、雪崩をおこして床に散らばったのを大きなお腹で拾っているのに気づいて、走り寄って書類を拾い上げるとレイトン卿は思わず怒ってしまった。
一瞬、シーンと凍りついた福祉課だったが、イージス卿とチャーチル卿もレイトン卿に同意して説得に加わる。
「妃殿下が女性も結婚しても仕事を続けるべきだと考えていらっしゃるのは理解できますが、どうか私達の心配をお汲み取り下さい」
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「心配で、仕事どころでは無いのです」
口々に頼まれて、ユーリは一気に物事を進めては、迷惑を掛けてしまうのだと気づく。
「予算の大事な時期なのに……」
ユーリから書類を取り上げたレイトン卿は、国務相と国務次官が福祉課の予算は通すと言ってましたから、御安心下さいと告げた。
「え~、あのケチなナイジェル卿と、冷血の金庫番が、そんな大盤振る舞いを約束したのですか?」
ユーリもイージス卿もチャーチル卿も、キラリンと目を輝かす。
「レイトン卿、女性の職業訓練所の予算案の承認をお願いします。今年、予算が通らなくても、提出だけはしたいのです」
レイトン卿はユーリのしぶとさに負けて、産休に入ってくれるならと予算案を受け取る。イージス卿もチャーチル卿も、それぞれ却下され続けた予算案をいそいそと机から引っ張り出してレイトン卿に便乗でお願いして叱られたりしたが、冷遇され続けている福祉課には大チャンスなのは確かだ。
「あの二人がどう反応を示すか、恐ろしいですよ」
レイトン卿は福祉課の予算案を新任の財務室の責任者であるアンリ卿に提出して、後は野となれ山となれと覚悟を決めた。アンリは、福祉課の予算案の中にユーリが提案したに違いない女性の職業訓練所の設立予算案を見つけて苦笑する。
「国務相と国務次官に任せよう」
妊娠中のユーリの姿を見て、アンリはやっと諦めがつき、親の勧める令嬢と会って見る気分になり、交際を始めていた。皇太子妃になっても諦めずに予算案を提出してきたユーリに、今回はさすがに無理かもしれないが、陰ながら応援したいとアンリは考える。
「今回は女性の職業訓練所の予算は取れなかったけど、来年は頑張るわ。明日からは産休に入るけど、グレゴリウス様は仕事を辞めて欲しいの?」
産休に入ると聞いてホッとしたグレゴリウスだったが、仕事を辞めて欲しいのかと聞かれて迷った。
「正直、よくわからないんだ。一緒の時間を増やして欲しいから、辞めて貰いたいとも思うけど、君の考えを実現させたいとも思うからね。子どもが産まれたら、外国へ訪問も増えるし、そうなると今より忙しくなるから、少し調整してくれると嬉しいな。招待をし返したりで、接待も絶対的に増えていくよ」
ユーリは、今でも離宮に外国の要人を招待したりと、忙しく感じているのにと溜め息をつく。
「子育てもあるし、少し調整が必要だとは私も考えているの。でも、できれば仕事を続けたいのよ」
グレゴリウスはゆっくり考えたら良いよと抱き寄せる。
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没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~
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異世界転生~チート魔法でスローライフ
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【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
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その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
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転生チート薬師は巻き込まれやすいのか? ~スローライフと時々騒動~
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‥‥‥才能はあるのに、無駄遣いが多い、苦労人が増えやすいお話です。
「小説家になろう」でも公開中。興味があればそちらの方でもどうぞ。誤字は出来るだけ無いようにしたいですが、発見次第伝えていただければ幸いです。あと、案があればそれもある程度受け付けたいと思います。
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