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第二章 子ども時代の終り
11 モガーナとマキシウス
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翌朝、ユングフラウからマキシウスとラモスが飛んできた。
上空を飛ぶ竜を見て、モガーナはもうユングフラウにユーリとイリスが絆を結んだのが知られたのかと愕然とした。
しかし、マキシウスは突然失踪したイリスの探索に来たのだ。だが、テラスでまったりしているイリスを見れば、何があったかなどマキシウスには一目瞭然だ。
ラモスは竜が絆を結ぶ竜騎士を見つける難しさが身にしみているので、イリスが絆を結んだことが嬉しかった。
『イリスはユーリと絆を結んだ。これでイリスは幸せになれる!』
イリスがウィリアムの死を知ってから落ち込んでいるのを、マキシウスもラモスも心配していた。突然、ユングフラウから竜騎士も乗せず飛び立ったイリスを心配して、親のキリエの所かと行ってみたが、竜もハインリッヒも不在で、もしやとフォン・フォレストに来てみたのだ。
昨日からの心配は無くなったが、怒り心頭であろうモガーナを想像すると、着地するのを躊躇するマキシウスだ。とはいえ、館の上を飛び続けるわけにもいかず、納屋の方にキリエの姿も見え、ハインリッヒもいるなら少しは援軍になるだろうと覚悟を決めて着地する。
勇猛果敢に戦ってローラン王国を撃退したイルバニア王国の竜騎士隊を指揮するマキシウスだが、元妻モガーナの怒りを想像すると、ラモスから降りたくなくなる。
絆の竜騎士の気持ちを知ってる筈なのに、ラモスはマキシウスが降りるやいなや、イリスに祝福の言葉をかけた。
『イリス! おめでとう! 急に王宮の竜舍から居なくなったから、心配したよ』
『ありがとうラモス! 心配かけて、ごめんね』
『イリス、ユーリといっぱい話せたかい?』
イリスもテラスから庭に飛び下りて、ラモスとキリエと三頭で幸せにひたる。和気藹々と楽しそうな竜達を少し恨めしげに眺めて、マキシウスは館の中に入り、召使いに取り次ぎを頼んだ。
「あら、マキシウス、如何なさったのですか? 何か、ご用かしら? こんなに朝早くからの訪問なんて珍しいこと、ご一緒に朝食はいかが」
モーニングルームで、ユーリとハインリッヒと朝食を取っていたモガーナは、召使いに案内されて入って来たマキシウスに、様子見の先制攻撃を仕掛けた。
「如何なさったのとは、呆れた! ユーリはイリスと絆を結んだ竜騎士になったのでしょう。これ以上重大な事は無いでしょうに」
朝食の席につきながら、白々しいモガーナの言葉にマキシウスは呆れかえる。
「あら、何故、そんなこと仰るのかしら? イリスはキリエと共にフォン・フォレストに滞在してるだけですのに」
すっとぼけたモガーナの言葉に、ハインリッヒは飲んでいた紅茶がむせた。
「あら、ハインリッヒ様、大丈夫ですか? お加減が悪いなら、お部屋でお休みになられては如何でしょう」
ハインリッヒはこの場から逃れられるなら、戦場の方がましだと思ったが、マキシウスの懇願する視線に竜騎士としての義務を思い出し「いえ、お気遣いなく」とその場に留まった。
モガーナはマキシウスの態度から、ユーリとイリスが絆を結んだのを知って来たのではなく、ここに来て知ったのだと気づいた。ユングフラウに知られていないなら、少しでも時間を稼ぐ為に、モガーナはマキシウスをどうにか説得しようと決めた。
「ところで、貴方はどうしてフォン・フォレストにいらっしゃったか、お応え下さってませんわね」
マキシウスはいくらモガーナでもユーリとイリスが絆を結んだ事を隠蔽するのは無理だろうと、イリスが出奔してそれを心配して、探索にきたのだと真面目に答えた。
「あら、ではイリスを見つけられたのですから、目的は達せられたのですね。よろしかったですわね。朝食を召し上がられたら、お帰りですか? お忙しい竜騎士隊長を、お引き止めてはいけませんものねぇ」
モガーナの白々しい言葉にハインリッヒもユーリも呆れたが、マキシウスは話しをはぐらかすにも程があるだろうと怒った。
「モガーナ! 白々しいことを言わないでくれ。私はユーリがイリスと絆を結んだのを知っている。こんな茶番は真っ平です、ユーリのこれからの事を話しあわなくては」
モガーナの術中に嵌まって、怒りだしたマキシウスはフォン・フォレストの魔女の敵ではない。
「まぁ、恐ろしいこと……ユーリ、私は少し込み入った事をお祖父様と話しあわなくてはいけませんの。貴女は、ハインリッヒ様にイリスのお食事の世話の仕方を教えて頂きなさいな。イリスはとても痩せてますからねぇ、フォン・フォレストでのもてなしが悪いと思われたら、私の恥ですわ」
唯一の味方のハインリッヒをユーリと追い出されて、孤立無援になったマキシウスではあるが、モガーナがユーリがイリスの絆の竜騎士であると認めている様子に安堵した。
「モガーナ、ユーリは竜騎士になったのだから継承権を持つ事になる。竜騎士として、継承権を持つ者としても、それに相応しい教育をしなければいけない。ユーリは速やかにリューデンハイムに入学して、竜騎士に必要な教育を受けなくてはいけないよ」
あくまで直球勝負のマキシウスに、モガーナは泣き落としにかかった。
「もちろんですわ、私もわかっていましてよ。でも、ユーリはまだ9才ですのよ。両親を亡くして一年も経たないあの子が、やっと此処での生活に慣れてきたところですのに、可哀想ですわ。それにリューデンハイムは確か10才からの入学でしたわね」
マキシウスはモガーナの泣き落としに困惑しながら、竜騎士の義務を貫こうと反撃する。
「確かにリューデンハイムは10才から入学が許可されています。しかし、それはあくまでも原則にすぎません。それに、今年は皇太孫殿下もアラミスと絆を結ばれたので、9才で入学されます。ですから、ユーリにも同じ年の勉強相手ができるわけです」
モガーナは皇太孫殿下が竜騎士になるのは喜ばしい事だし、リューデンハイムに入学するのも結構だと思ったが、自分の孫娘は別だと考えた。
「あら、マキシウス、確かリューデンハイムは王宮の隣、というか王宮内にあるのでしたわね。皇太孫殿下が隣の屋敷に部屋替えするのと、ユーリが誰も知らないユングフラウに一人住むのとは、一緒にできませんわ」
誰も知らない! 私がいるのは無視ですかと心の中で突っ込んで、マキシウスはどう説得しようかと迷う。そんなマキシウスの逡巡を見逃すモガーナではない。
「マキシウス、確かにユーリには竜騎士の勉強が必要ですわ。でも、年の満たないユーリが今すぐリューデンハイムに一人で入学するのは可哀想です。ですから、此処で竜騎士になるための勉強をすれば良いと思いますの。政治や、社会の仕組みなどは家庭教師が教えてくれるでしょうし、竜については幸い従兄のハインリッヒ様がいらっしゃいますから、ご指導して下さりますわ」
勝手に話しを進められて、マキシウスは流石に反撃した。
「竜騎士はリューデンハイムで勉強するものですよ。身分の高い皇太孫殿下も、それに従って入学されますし、今までの女性竜騎士もリューデンハイムで学びました。ユーリだけ例外とはできませんよ」
マキシウスの竜に関して変わらずの頑迷さにモガーナは内心「竜馬鹿の頑固爺!」と毒づきながらも、ハンカチを目に当てて、よよと泣き出した。年齢を重ねても、昔の美貌を保っているモガーナが、しおしおと泣く様子は、落ち込んだ貴婦人そのもので、マキシウスも平静ではいられない。
「モガーナ、そんなに泣かないでください。ユーリのことは、私が責任を持って世話をしますから」
マキシウスが慌てて慰める言葉をかけると、モガーナは益々激しく泣きだした。
「貴方は私からいつも愛する者を取り上げてしまわれますのね。ウィリアムにユーリ……ウィリアムが亡くなって、どれほど私が悲しんだか、貴方は全くわかっていらっしゃらないのね。いえ、わかろうとして下さらないから、唯一残されたユーリを、すぐさま私から取り上げるなんて残酷な事を仰られるのだわ。私の愛する孫娘を取り上げないでくださいませ、あと暫くの間で良いのですから」
モガーナの泣き落としにマキシウスは降参した。
「そんなに嘆かないで下さい」
マキシウスの慰めに、あと一押しだと感じたモガーナは、守るつもりのない約束を口にした。
「私もユーリをいつかはリューデンハイムに行かさないと駄目だと、承知していますわ。でも、せめてユーリが10才になるまで、両親の死の痛みを乗り越えられるまで、此処で暮らすことを許していただきたいのです。10才になるまで、あと数ヶ月の事ですわ、それぐらい良いでしょう」
実際は3月生まれユーリが10才になるには11ヶ月あるのだが、マキシウスはユーリの誕生日を知らなかった。マキシウスは、数ヶ月ならと折れた。
「でも、ユーリが10才になったら、ユングフラウに入学しなくてはならないのですよ、約束して下さい」
モガーナは兎に角11ヶ月の猶予は手に入れたのだから、後はその時にまた考えましょうと約束を口にした。
モガーナとマキシウスの話し合いの間、ユーリとハインリッヒはイリスに食事を与えていた。
「ハインリッヒ様、竜は毎日、こんなに食べるのですか?」
昨日、雄牛一頭食べたのに、今日もまた一頭丸かじりしているイリスの食欲に驚いて、ユーリは訊ねた。
「いえ、まさか! こんなに食べてたら国中の牛がいなくなりますよ。イリスはこの一年あまり食べていませんでしたから、かなり痩せています。体力を取り戻す為に食べる必要があるのでしょう。普通、成長した竜は週に一度しか食事と取りませんよ」
ハインリッヒの言葉にユーリは安心した。イリスは大好きだが、牛一頭食べるのを毎日見ていたら、こちらが食欲不振で痩せてしまうと思ったのだ。
イリスは満腹になると『水浴びがしたい』とユーリにねだった。
『水浴び? イリスがはいれそうな樽なんて無いわよ』
二人の会話にハインリッヒはクスクス笑って、ユーリに説明する。
「ユーリ嬢、竜はお風呂にはいりませんよ、川か湖で充分です。此処なら海が有るじゃないですか。あそこなら、砂浜で身体も乾かせますし、最高でしょう」
『海水浴! 砂浜で日光浴したい! ユーリ、行こうよ』
『私も海水浴に行きたい!』
イリスもキリエもラモスまでも、海水浴と聞いてはしゃぎだした。
『ユーリ、海まで乗せて行くよ』
イリスはユーリを乗せて飛びたがった。しかし、ユーリは竜に乗る練習もしてないのにとキリエに叱られて、ハインリッヒがユーリをキリエに乗せて海へ行った。
三頭の竜達は春の海を存分に楽しんだ。
ユーリはまだ水が冷たいのではと心配したが、ハインリッヒに冬でも平気で水浴びしてますよと言われて安心した。
竜達は海からあがると、太陽で温められた砂浜に寝そべって寛ぐ。イリスはユーリに甘えて目の周りを掻いて貰いながら、一緒に飛びたかったと愚痴った。
『ユーリは私の絆の竜騎士なんだから、私に乗るべきなんだ。他の竜に乗って欲しくない。キリエは親だけど、やっぱり嫌なんだ。練習してなくても、私がユーリを落とす訳ないのに……』
イリスの不満はわかるが、ユーリはいきなり一人で竜に乗って空を飛ぶ自信はなかった。
『練習しなくちゃね』
ユーリの言葉に満足そうに頷いて、イリスは『もう片方の目も掻いてくれ』と甘えた。
ユーリがイリスを甘やかすのを、キリエとラモスはやれやれと呆れながらも、ウィリアムがロザリモンド姫と駆け落ちしてから、悲しそうだったイリスの幸せそうなうな姿に満足する。竜は年下の竜に甘いのだ。
春の麗らかな日差しを楽しんで竜達とユーリとハインリッヒが館に帰った時、モガーナとマキシウスの話し合いも終わっていた。海水浴をしてきた竜達を眺めて、マキシウスは自分達ばかり楽しんでと、ハインリッヒを少し睨んだ。
満足そうに微笑むモガーナと、苦虫を噛み潰したようなマキシウスを見れば、話し合いの結末は明らかで、ハインリッヒは少し良心の呵責を覚えた。
「お帰りなさい、ハインリッヒ様、ユーリ。海まで行ってらしたのですか、海風は冷たかったでしょう。さぁ、お昼にしましょうね。ユーリ、手を洗っていらっしゃい」
機嫌の良いお祖母様と不機嫌なお祖父様の様子に戸惑いながら、ユーリは話し合いはどうやらお祖母様の勝利らしいと推測した。
ユーリが潮風に吹かれた顔と手を洗い髪を整えて食堂に行くと、モガーナとマキシウスとハインリッヒとエミリアが既に席に着いていた。上機嫌なモガーナは接待上手で、エミリアも昨日からの衝撃から立ち直っていたし、社交上手なハインリッヒも加わって、上辺は和気藹々とした昼食だった。
ユーリは大人達の会話に口を挟ず、黙って食事を終えた。お祖母様が機嫌が良いという事は、自分にとっても悪く無いはずだとは思う。でも、これからどうなるのかわからない不安がこみ上げて、食事もつつくだけだった。ユーリの小食をテーブルの大人達は全員気がついており、ユーリが華奢な体型だけに心配する。
「ユーリ、貴女は当分フォン・フォレストで竜騎士に必要な勉強をする事になりました。エミリア先生にはご苦労をお掛けしますが、政治、社会の仕組みに加えて、護身術のご指導をお願いしますわ。ああ、ハインリッヒ様にもユーリに竜の事をご指導お願いしたいのです。お願いできますかしら」
エミリアは勿論承諾したし、ハインリッヒはマキシウスがよく譲歩したもんだと驚いたが、二つ返事で引き受けた。ユーリはフォン・フォレストを離れずにすむと聞いて、ぱぁっと顔を綻ばせた。
「お祖母様、ここに居て良いのね!」
マキシウスはモガーナに言い負かされた形になったが、先ほどのユーリの小食さや、フォン・フォレストに留まれると知ったユーリのホッとした様子に、これで良かったのかも知らないと自分を納得させた。
ロザリモンド姫がウィリアムの死に衝撃を受けて亡くなったイメージに捕らわれているマキシウスは、華奢な体型を受け継いだユーリも、か弱いと間違ったイメージを持っていた。竜騎士に選ばれる人間の心身が弱いわけないし、第一モガーナの孫娘のユーリがか弱いわけ無いのをマキシウスは忘れていた。
こうしてユーリはフォン・フォレストでの竜騎士修業を始めた。
朝からは、ハインリッヒに竜の乗り方を習ったり、エミリア先生に護身術を習い、午後からは、政治や社会の仕組みを勉強した。春の気持ち良い夕べ、ハインリッヒはユーリがエミリアと学習した政治について話し合ったりして、9才とは思えない知識と、彼が全く考えもしなかった社会構造に対する疑問に舌をまいた。
モガーナはこのような日々が長く続かないとは承知していたが、来年の春まではフォン・フォレストにユーリを留めておけると思っていた。
しかし、ユングフラウからの凶報がモガーナの思惑を打ち破った。病気が悪化していると噂が流れていた皇太子ではなく、身体が弱いとは聞こえていたけど、まだお若い第二王女アリエナ王女が急に亡くなられるという凶報に国中が悲しみに沈んだ。
そして、若い王女の喪中に皇太子が危篤だという凶報が、国中を駆け巡った。ユーリは竜騎士でなければ王位を継げないという不文律によれば、継承権2位になるが、その事を知るのは極一部の貴族や行政を司る者に限られていた。
一般の国民からすれば、皇太子、皇太孫、第一王女、第二王女と王族が継承権を持つものと思われがちで、一部の貴族にしかユーリの継承権については知られていなかった。しかし、第二王女が亡くなり、皇太子が危篤になるという凶事で、継承権問題に注目が集まると、ユーリが竜騎士であり継承権を持つと知る人間が多くなっていった。
ユーリは大人になって、自分の子ども時代を思い出す時、小さな農家で両親の愛情に恵まれたヒースヒルでの暮らしと、少し変わっている愛情を注いでくれたフォン・フォレストの魔女と呼ばれるお祖母様との暮らしを懐かしんだ。
ユーリの子ども時代は、皇太子殿下の死によって強制的に終わらされた。
上空を飛ぶ竜を見て、モガーナはもうユングフラウにユーリとイリスが絆を結んだのが知られたのかと愕然とした。
しかし、マキシウスは突然失踪したイリスの探索に来たのだ。だが、テラスでまったりしているイリスを見れば、何があったかなどマキシウスには一目瞭然だ。
ラモスは竜が絆を結ぶ竜騎士を見つける難しさが身にしみているので、イリスが絆を結んだことが嬉しかった。
『イリスはユーリと絆を結んだ。これでイリスは幸せになれる!』
イリスがウィリアムの死を知ってから落ち込んでいるのを、マキシウスもラモスも心配していた。突然、ユングフラウから竜騎士も乗せず飛び立ったイリスを心配して、親のキリエの所かと行ってみたが、竜もハインリッヒも不在で、もしやとフォン・フォレストに来てみたのだ。
昨日からの心配は無くなったが、怒り心頭であろうモガーナを想像すると、着地するのを躊躇するマキシウスだ。とはいえ、館の上を飛び続けるわけにもいかず、納屋の方にキリエの姿も見え、ハインリッヒもいるなら少しは援軍になるだろうと覚悟を決めて着地する。
勇猛果敢に戦ってローラン王国を撃退したイルバニア王国の竜騎士隊を指揮するマキシウスだが、元妻モガーナの怒りを想像すると、ラモスから降りたくなくなる。
絆の竜騎士の気持ちを知ってる筈なのに、ラモスはマキシウスが降りるやいなや、イリスに祝福の言葉をかけた。
『イリス! おめでとう! 急に王宮の竜舍から居なくなったから、心配したよ』
『ありがとうラモス! 心配かけて、ごめんね』
『イリス、ユーリといっぱい話せたかい?』
イリスもテラスから庭に飛び下りて、ラモスとキリエと三頭で幸せにひたる。和気藹々と楽しそうな竜達を少し恨めしげに眺めて、マキシウスは館の中に入り、召使いに取り次ぎを頼んだ。
「あら、マキシウス、如何なさったのですか? 何か、ご用かしら? こんなに朝早くからの訪問なんて珍しいこと、ご一緒に朝食はいかが」
モーニングルームで、ユーリとハインリッヒと朝食を取っていたモガーナは、召使いに案内されて入って来たマキシウスに、様子見の先制攻撃を仕掛けた。
「如何なさったのとは、呆れた! ユーリはイリスと絆を結んだ竜騎士になったのでしょう。これ以上重大な事は無いでしょうに」
朝食の席につきながら、白々しいモガーナの言葉にマキシウスは呆れかえる。
「あら、何故、そんなこと仰るのかしら? イリスはキリエと共にフォン・フォレストに滞在してるだけですのに」
すっとぼけたモガーナの言葉に、ハインリッヒは飲んでいた紅茶がむせた。
「あら、ハインリッヒ様、大丈夫ですか? お加減が悪いなら、お部屋でお休みになられては如何でしょう」
ハインリッヒはこの場から逃れられるなら、戦場の方がましだと思ったが、マキシウスの懇願する視線に竜騎士としての義務を思い出し「いえ、お気遣いなく」とその場に留まった。
モガーナはマキシウスの態度から、ユーリとイリスが絆を結んだのを知って来たのではなく、ここに来て知ったのだと気づいた。ユングフラウに知られていないなら、少しでも時間を稼ぐ為に、モガーナはマキシウスをどうにか説得しようと決めた。
「ところで、貴方はどうしてフォン・フォレストにいらっしゃったか、お応え下さってませんわね」
マキシウスはいくらモガーナでもユーリとイリスが絆を結んだ事を隠蔽するのは無理だろうと、イリスが出奔してそれを心配して、探索にきたのだと真面目に答えた。
「あら、ではイリスを見つけられたのですから、目的は達せられたのですね。よろしかったですわね。朝食を召し上がられたら、お帰りですか? お忙しい竜騎士隊長を、お引き止めてはいけませんものねぇ」
モガーナの白々しい言葉にハインリッヒもユーリも呆れたが、マキシウスは話しをはぐらかすにも程があるだろうと怒った。
「モガーナ! 白々しいことを言わないでくれ。私はユーリがイリスと絆を結んだのを知っている。こんな茶番は真っ平です、ユーリのこれからの事を話しあわなくては」
モガーナの術中に嵌まって、怒りだしたマキシウスはフォン・フォレストの魔女の敵ではない。
「まぁ、恐ろしいこと……ユーリ、私は少し込み入った事をお祖父様と話しあわなくてはいけませんの。貴女は、ハインリッヒ様にイリスのお食事の世話の仕方を教えて頂きなさいな。イリスはとても痩せてますからねぇ、フォン・フォレストでのもてなしが悪いと思われたら、私の恥ですわ」
唯一の味方のハインリッヒをユーリと追い出されて、孤立無援になったマキシウスではあるが、モガーナがユーリがイリスの絆の竜騎士であると認めている様子に安堵した。
「モガーナ、ユーリは竜騎士になったのだから継承権を持つ事になる。竜騎士として、継承権を持つ者としても、それに相応しい教育をしなければいけない。ユーリは速やかにリューデンハイムに入学して、竜騎士に必要な教育を受けなくてはいけないよ」
あくまで直球勝負のマキシウスに、モガーナは泣き落としにかかった。
「もちろんですわ、私もわかっていましてよ。でも、ユーリはまだ9才ですのよ。両親を亡くして一年も経たないあの子が、やっと此処での生活に慣れてきたところですのに、可哀想ですわ。それにリューデンハイムは確か10才からの入学でしたわね」
マキシウスはモガーナの泣き落としに困惑しながら、竜騎士の義務を貫こうと反撃する。
「確かにリューデンハイムは10才から入学が許可されています。しかし、それはあくまでも原則にすぎません。それに、今年は皇太孫殿下もアラミスと絆を結ばれたので、9才で入学されます。ですから、ユーリにも同じ年の勉強相手ができるわけです」
モガーナは皇太孫殿下が竜騎士になるのは喜ばしい事だし、リューデンハイムに入学するのも結構だと思ったが、自分の孫娘は別だと考えた。
「あら、マキシウス、確かリューデンハイムは王宮の隣、というか王宮内にあるのでしたわね。皇太孫殿下が隣の屋敷に部屋替えするのと、ユーリが誰も知らないユングフラウに一人住むのとは、一緒にできませんわ」
誰も知らない! 私がいるのは無視ですかと心の中で突っ込んで、マキシウスはどう説得しようかと迷う。そんなマキシウスの逡巡を見逃すモガーナではない。
「マキシウス、確かにユーリには竜騎士の勉強が必要ですわ。でも、年の満たないユーリが今すぐリューデンハイムに一人で入学するのは可哀想です。ですから、此処で竜騎士になるための勉強をすれば良いと思いますの。政治や、社会の仕組みなどは家庭教師が教えてくれるでしょうし、竜については幸い従兄のハインリッヒ様がいらっしゃいますから、ご指導して下さりますわ」
勝手に話しを進められて、マキシウスは流石に反撃した。
「竜騎士はリューデンハイムで勉強するものですよ。身分の高い皇太孫殿下も、それに従って入学されますし、今までの女性竜騎士もリューデンハイムで学びました。ユーリだけ例外とはできませんよ」
マキシウスの竜に関して変わらずの頑迷さにモガーナは内心「竜馬鹿の頑固爺!」と毒づきながらも、ハンカチを目に当てて、よよと泣き出した。年齢を重ねても、昔の美貌を保っているモガーナが、しおしおと泣く様子は、落ち込んだ貴婦人そのもので、マキシウスも平静ではいられない。
「モガーナ、そんなに泣かないでください。ユーリのことは、私が責任を持って世話をしますから」
マキシウスが慌てて慰める言葉をかけると、モガーナは益々激しく泣きだした。
「貴方は私からいつも愛する者を取り上げてしまわれますのね。ウィリアムにユーリ……ウィリアムが亡くなって、どれほど私が悲しんだか、貴方は全くわかっていらっしゃらないのね。いえ、わかろうとして下さらないから、唯一残されたユーリを、すぐさま私から取り上げるなんて残酷な事を仰られるのだわ。私の愛する孫娘を取り上げないでくださいませ、あと暫くの間で良いのですから」
モガーナの泣き落としにマキシウスは降参した。
「そんなに嘆かないで下さい」
マキシウスの慰めに、あと一押しだと感じたモガーナは、守るつもりのない約束を口にした。
「私もユーリをいつかはリューデンハイムに行かさないと駄目だと、承知していますわ。でも、せめてユーリが10才になるまで、両親の死の痛みを乗り越えられるまで、此処で暮らすことを許していただきたいのです。10才になるまで、あと数ヶ月の事ですわ、それぐらい良いでしょう」
実際は3月生まれユーリが10才になるには11ヶ月あるのだが、マキシウスはユーリの誕生日を知らなかった。マキシウスは、数ヶ月ならと折れた。
「でも、ユーリが10才になったら、ユングフラウに入学しなくてはならないのですよ、約束して下さい」
モガーナは兎に角11ヶ月の猶予は手に入れたのだから、後はその時にまた考えましょうと約束を口にした。
モガーナとマキシウスの話し合いの間、ユーリとハインリッヒはイリスに食事を与えていた。
「ハインリッヒ様、竜は毎日、こんなに食べるのですか?」
昨日、雄牛一頭食べたのに、今日もまた一頭丸かじりしているイリスの食欲に驚いて、ユーリは訊ねた。
「いえ、まさか! こんなに食べてたら国中の牛がいなくなりますよ。イリスはこの一年あまり食べていませんでしたから、かなり痩せています。体力を取り戻す為に食べる必要があるのでしょう。普通、成長した竜は週に一度しか食事と取りませんよ」
ハインリッヒの言葉にユーリは安心した。イリスは大好きだが、牛一頭食べるのを毎日見ていたら、こちらが食欲不振で痩せてしまうと思ったのだ。
イリスは満腹になると『水浴びがしたい』とユーリにねだった。
『水浴び? イリスがはいれそうな樽なんて無いわよ』
二人の会話にハインリッヒはクスクス笑って、ユーリに説明する。
「ユーリ嬢、竜はお風呂にはいりませんよ、川か湖で充分です。此処なら海が有るじゃないですか。あそこなら、砂浜で身体も乾かせますし、最高でしょう」
『海水浴! 砂浜で日光浴したい! ユーリ、行こうよ』
『私も海水浴に行きたい!』
イリスもキリエもラモスまでも、海水浴と聞いてはしゃぎだした。
『ユーリ、海まで乗せて行くよ』
イリスはユーリを乗せて飛びたがった。しかし、ユーリは竜に乗る練習もしてないのにとキリエに叱られて、ハインリッヒがユーリをキリエに乗せて海へ行った。
三頭の竜達は春の海を存分に楽しんだ。
ユーリはまだ水が冷たいのではと心配したが、ハインリッヒに冬でも平気で水浴びしてますよと言われて安心した。
竜達は海からあがると、太陽で温められた砂浜に寝そべって寛ぐ。イリスはユーリに甘えて目の周りを掻いて貰いながら、一緒に飛びたかったと愚痴った。
『ユーリは私の絆の竜騎士なんだから、私に乗るべきなんだ。他の竜に乗って欲しくない。キリエは親だけど、やっぱり嫌なんだ。練習してなくても、私がユーリを落とす訳ないのに……』
イリスの不満はわかるが、ユーリはいきなり一人で竜に乗って空を飛ぶ自信はなかった。
『練習しなくちゃね』
ユーリの言葉に満足そうに頷いて、イリスは『もう片方の目も掻いてくれ』と甘えた。
ユーリがイリスを甘やかすのを、キリエとラモスはやれやれと呆れながらも、ウィリアムがロザリモンド姫と駆け落ちしてから、悲しそうだったイリスの幸せそうなうな姿に満足する。竜は年下の竜に甘いのだ。
春の麗らかな日差しを楽しんで竜達とユーリとハインリッヒが館に帰った時、モガーナとマキシウスの話し合いも終わっていた。海水浴をしてきた竜達を眺めて、マキシウスは自分達ばかり楽しんでと、ハインリッヒを少し睨んだ。
満足そうに微笑むモガーナと、苦虫を噛み潰したようなマキシウスを見れば、話し合いの結末は明らかで、ハインリッヒは少し良心の呵責を覚えた。
「お帰りなさい、ハインリッヒ様、ユーリ。海まで行ってらしたのですか、海風は冷たかったでしょう。さぁ、お昼にしましょうね。ユーリ、手を洗っていらっしゃい」
機嫌の良いお祖母様と不機嫌なお祖父様の様子に戸惑いながら、ユーリは話し合いはどうやらお祖母様の勝利らしいと推測した。
ユーリが潮風に吹かれた顔と手を洗い髪を整えて食堂に行くと、モガーナとマキシウスとハインリッヒとエミリアが既に席に着いていた。上機嫌なモガーナは接待上手で、エミリアも昨日からの衝撃から立ち直っていたし、社交上手なハインリッヒも加わって、上辺は和気藹々とした昼食だった。
ユーリは大人達の会話に口を挟ず、黙って食事を終えた。お祖母様が機嫌が良いという事は、自分にとっても悪く無いはずだとは思う。でも、これからどうなるのかわからない不安がこみ上げて、食事もつつくだけだった。ユーリの小食をテーブルの大人達は全員気がついており、ユーリが華奢な体型だけに心配する。
「ユーリ、貴女は当分フォン・フォレストで竜騎士に必要な勉強をする事になりました。エミリア先生にはご苦労をお掛けしますが、政治、社会の仕組みに加えて、護身術のご指導をお願いしますわ。ああ、ハインリッヒ様にもユーリに竜の事をご指導お願いしたいのです。お願いできますかしら」
エミリアは勿論承諾したし、ハインリッヒはマキシウスがよく譲歩したもんだと驚いたが、二つ返事で引き受けた。ユーリはフォン・フォレストを離れずにすむと聞いて、ぱぁっと顔を綻ばせた。
「お祖母様、ここに居て良いのね!」
マキシウスはモガーナに言い負かされた形になったが、先ほどのユーリの小食さや、フォン・フォレストに留まれると知ったユーリのホッとした様子に、これで良かったのかも知らないと自分を納得させた。
ロザリモンド姫がウィリアムの死に衝撃を受けて亡くなったイメージに捕らわれているマキシウスは、華奢な体型を受け継いだユーリも、か弱いと間違ったイメージを持っていた。竜騎士に選ばれる人間の心身が弱いわけないし、第一モガーナの孫娘のユーリがか弱いわけ無いのをマキシウスは忘れていた。
こうしてユーリはフォン・フォレストでの竜騎士修業を始めた。
朝からは、ハインリッヒに竜の乗り方を習ったり、エミリア先生に護身術を習い、午後からは、政治や社会の仕組みを勉強した。春の気持ち良い夕べ、ハインリッヒはユーリがエミリアと学習した政治について話し合ったりして、9才とは思えない知識と、彼が全く考えもしなかった社会構造に対する疑問に舌をまいた。
モガーナはこのような日々が長く続かないとは承知していたが、来年の春まではフォン・フォレストにユーリを留めておけると思っていた。
しかし、ユングフラウからの凶報がモガーナの思惑を打ち破った。病気が悪化していると噂が流れていた皇太子ではなく、身体が弱いとは聞こえていたけど、まだお若い第二王女アリエナ王女が急に亡くなられるという凶報に国中が悲しみに沈んだ。
そして、若い王女の喪中に皇太子が危篤だという凶報が、国中を駆け巡った。ユーリは竜騎士でなければ王位を継げないという不文律によれば、継承権2位になるが、その事を知るのは極一部の貴族や行政を司る者に限られていた。
一般の国民からすれば、皇太子、皇太孫、第一王女、第二王女と王族が継承権を持つものと思われがちで、一部の貴族にしかユーリの継承権については知られていなかった。しかし、第二王女が亡くなり、皇太子が危篤になるという凶事で、継承権問題に注目が集まると、ユーリが竜騎士であり継承権を持つと知る人間が多くなっていった。
ユーリは大人になって、自分の子ども時代を思い出す時、小さな農家で両親の愛情に恵まれたヒースヒルでの暮らしと、少し変わっている愛情を注いでくれたフォン・フォレストの魔女と呼ばれるお祖母様との暮らしを懐かしんだ。
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