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6巻
6-2
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広げられた地図には、青いインクでカザフ王国の侵入箇所が示されていた。フィンは、想像以上に大規模な侵略だったのだと拳を握りしめる。
「海から入った後は、やはり川沿いに北上したのか?」
「ええ、カイル王子が派遣されていた旧ペイサンヌ王国の兵は船を操るのが得意ですからね。それと、海賊どもの略奪も横行しています」
ルーベンスが指差した先にはマーベリック城があった。
マーベリック城にカザフ王国の兵が迫っていると聞いて、フィンは気が気でない。そこにはフィンにとって大事な少女――フローレンスがいるのだ。
「師匠、マーベリック城は……!」
ルーベンスの青い眼に「黙っていろ!」と睨まれて、フィンは口を閉ざす。
「思ったよりも深く侵略されておるな! じゃが、このままでは済まさぬぞ」
守護魔法使いの宣言を、レスター団長とベントレー卿は心強く感じた。
四 軍略会議の前に
レスター団長は、地図上のタドリス河を指揮棒で示しながら、カザフ王国の侵入経路を辿っていく。タドリス河は西部地域の大河であり、流通の要となっている。
「マーベリック城にはまだ到達していませんが、カザフ王国がここを拠点にしようとしているのは明らかです。ウェストン騎士団が、地元の義勇軍と協力して城の手前で防衛していますが、海岸線の警戒も必要なので、はっきり言って人員不足です」
ベントレー卿は、海岸線のパトロールを重要視していた。カザフ王国の兵だけでなく、この戦争に便乗した海賊の略奪も頻発していたので、本音を言えばマーベリック城の攻防戦に人員を割きたくない。
「東から兵が到着してからにしないと海岸線の警備が手薄になってしまいます」
ベントレー卿の発言をレスター団長はきっぱりと退ける。
「ですが、マーベリック城を占拠されたら、交通の要所を押さえられてしまい、西部一帯をカザフ王国に支配される危険があります。侵入した敵を素早く撃退するためには、拠点の占拠を許してはなりません」
脇で聞いているフィンは、この前マーベリック城で会ったばかりのフローレンスが心配で、気もそぞろになる。ルーシーのように台所を手伝っているぐらいならまだ安心だけど、ひょっとしたら負傷者の治療で魔力を使い過ぎて倒れているかもしれない……と妄想を暴走させる。
「師匠、俺はこれからマーベリック城に行ってきます!」
「馬鹿者! マーベリック城はそんなに容易く陥ちたりはしない。それより、キャリガン王太子が来られたら軍略会議が開かれるに決まっている。それまでに、どのような状況なのかしっかりと把握しておくのが大切だ」
レスター団長とベントレー卿の考えを聞いた上で、上級魔法使いとして一番優先するべきことを選択しなくてはならないのだ。
フィンは深呼吸して、敵に攻められているマーベリック城の幻影を頭から消し去った。ルーベンスだって自分の実家を心配していない訳がないのに、平静にレスター騎士団長から状況の報告を受けているのだ。自分がとり乱すわけにはいかない。
「さて、内陸部まで侵略されているのは、タドリス河流域のみなのだな。後は、海岸で防衛しているのか?」
ルーベンスの質問に、二人は渋い顔をする。
「防衛できている所と、すでに占拠されている場所とがあります。この地図でも何回も書き直していますが、占拠されている箇所にこちらが援軍を派遣すると、海へ逃げられてしまうのです」
レスター団長は、辛うじて冷静な口調を保っていたが、ベントレー卿は顔を真っ赤にして、これまでの不満をぶつけた。
「略奪し尽くしては海へ逃げ、そしてまた他の海岸を襲うのです! 我々は何度もサザンイーストン騎士団に海上封鎖を懇願したのですが、軍艦が足りないと拒否されました!」
レスター団長は、他の騎士団への非難になるので口にしなかったが、被害を受けている地区の領主であるベントレー卿は、容赦しなかった。
「サザンイーストン騎士団は、まだ攻撃もされていない王都サリヴァンの防衛を重視しているのですよ! 戦場は西部なのに!」
「ベントレー卿、被害を受けているそなたが怒るのは無理もないが、会議ではそういった発言は控えて欲しい。サザンイーストン騎士団の協力を取り付けなければ、カザフ王国の侵略は止められないのだぞ」
ルーベンスは、曲者のサザンイーストン騎士団のグレンジャー団長との軍略会議の前に、ベントレー卿に釘を刺しておく。
「それはわかっているのですが……」
ベントレー卿は、グッと拳を握りしめる。
ルーベンスには、王都の貴族達が大騒ぎしてサザンイーストン騎士団を引き留めている様子が目に浮かんだ。
大方「そなた達がいなくなったら、王都サリヴァンは誰が護るのだ!」などと言って泣きついているに違いない。
ヒラヒラしたレースの袖を振り回して、王宮に押し掛け、自分の屋敷と財産を護ってくれと騒ぎ立てているだろう愚かな貴族達を思うと、ルーベンスは吐き気がしそうになる。
「キャリガン王太子とグレンジャー騎士団長を迎えて軍略会議を開くとなれば、冷静さを保たなければ相手の思う壺に嵌るぞ」
レスター団長とベントレー卿は、ルーベンスの念押しに頷く。
馬鹿な貴族を護りたいとは思えないが、王都には多くの庶民や護る価値のある貴族もいる。それでなくとも、シラス王国の最重要拠点だ。サザンイーストン騎士団が全ての戦艦をサリヴァンの防衛から外すのが難しい事情も、ルーベンスは理解していた。
フィンも地図を見て、かなりの海岸が侵略されているのに怒りを覚えた。
初等科の時に、ルーベンスや幼いウィニーと旅した長閑な海岸を、カザフ王国の兵や海賊が荒らし回っている。
空から見た焼き討ちされた畑や家を思い出し、フィンは苛々と歩き回った。ジッとしていられない気分だったのだ。
「フィン、うるさい! 落ち着け!」
「落ち着きがない」と叱られるのは慣れっこのフィンだったが、その口調の余裕の無さに、ふと足を止めてルーベンスの顔を見る。
「師匠、軍略会議まで少しでも良いから、横になってください。キャリガン王太子とグレンジャー団長が来られたら、起こしますから」
元々、吟遊詩人の真似をしての旅行以外は塔に引き籠もっているのでルーベンスは色白だが、今は灰色がかっている。余りの顔色の悪さにフィンは驚き、休養が必要だと口にした。
「馬鹿者! カザフ王国に攻め込まれているというのに、昼寝なんかしていられるか!」
上級魔法使いが怒鳴り、レスター団長とベントレー卿はビクッとしたが、フィンは引き下がらない。
「緊急事態だからこそ、休める時には休まなきゃいけないんです。師匠にもわかっているはずです。今は、キャリガン王太子達が到着するまで待っているだけなんだから、休んでください」
ルーベンスは反論されるのに慣れていない。歴代国王の命令を無視する程の不遜な態度を貫いてきた。皆ひと睨みすれば黙ったものだが、この弟子はそれをものともしない。
「お前は……」
ルーベンスの怒りの籠もった青い眼と、一歩も譲らないフィンの緑色の眼が火花を散らす。
中級魔法使いのベントレー卿は、背中に汗がにじんだ。魔法使いの素養のないレスター団長ですら、息苦しさを感じて咳払いする。
その咳払いで、二人の間の緊張が解けた。
「この頑固者め! 言い出したら聞かないな」
ルーベンスも自分が疲れ果てているのに気づいて、生意気な弟子の忠告に従うことにした。
ベントレー卿がアタフタと一番良い部屋を用意させようと召使い達に命じるのを、ルーベンスは片手で制して、部屋の長椅子に横たわる。
「私はここで構わん。フィン、キャリガン王太子が到着されたら、絶対に起こすのじゃぞ。起こさなかったら、沼でハエを食べる目に遭わせてやる」
悪態をつきながら目を瞑ったルーベンスに、フィンは関節炎、気管支炎の治療の技と共に、深く眠れるように心を落ち着かせる魔法を掛けた。
一瞬でルーベンスを深い眠りにつかせ、マントを掛けてやっているフィンを見て、二人はこれが次代の守護魔法使いの腕前なのだと感心して眺めていた。
「俺がここにいますから、なすべきことをしてください。あっ、お二人にもお昼寝をお勧めしますよ。キャリガン王太子が到着されたら、起こして差し上げますので……」
二人とも疲れていたが、お昼寝をしている暇はないと苦笑して断ると、そっと部屋を出て行った。
「どうやら次の守護魔法使いは、ルーベンス様とはかなり違った感じになりそうですな」
レスター団長は、癖のある茶色の髪に緑色の目を輝かせ、雛竜をバスケットに入れて騎士団に初めて来た時の少年を思い出して、感慨に耽った。
「そうですね。でも、それはまだ先にして欲しいですね」
ベントレー卿は、息子と同い年のフィンは、魔力に不足はなくても、まだまだ学ぶことが多いだろうと笑った。
「勿論です! ルーベンス様にはフィン君を一人前にしてもらわないといけませんからなぁ」
カザフ王国の侵略からこの方、二人は先のことまで考える余裕など持てない日々を過ごしていた。守護魔法使いが帰還し、その弟子までもが頼もしく成長しているということが、心にホッと明るい火を灯した。
「キャリガン王太子とグレンジャー団長が到着する前に、我々の意見を統一しておきましょう」
海岸線の防衛を重要視しているベントレー卿と、内陸部への侵攻を防ぐことが一番大事だと考えているレスター団長は、二人で話し合うために他の部屋へ向かった。
五 軍略会議に暗雲が……
「フィン……」
フィンは床に座り込み、ルーベンスが眠っている長椅子にもたれて、うとうととしていたが、小声で呼びかけられハッと目を覚ました。
声のした方へ顔を向けると、そこには見慣れた友人が立っていた。
「あっ、ファビアン! ……ってことは、キャリガン王太子も到着されたんだね」
慌ててルーベンスを起こそうとするフィンを、ファビアンは制した。
「キャリガン王太子も長距離移動で疲れておられるし、私がグレンジャー団長を迎えに行っている間は休養させていた方が良いのではないか?」
「グレンジャー団長もファビアンが迎えに行くの? もしかして、カザフ王国が攻めてきてから、ずっとグラウニーと連絡係をしているの? グラウニーは疲れていない? ファビアンも……」
ファビアンは、まず竜の心配をしたフィンに、竜馬鹿だなぁと苦笑する。
「グラウニーは、サリヴァンでバースに世話をしてもらったから大丈夫だよ。それに、グレンジャー団長はすぐ沖合いまで航行してきているから、そんなに負担にならないさ」
小声とはいえ二人がコソコソ話しているので、ルーベンスが目覚めた。
「フィン、キャリガン王太子が来られたら起こすようにと言ったのに……」
少し寝てサッパリするどころか、不機嫌そうに眉を顰めている。
「まだグレンジャー団長は到着されていないので、もう少し休んだらどうですか? 空きっ腹にワインを飲むから頭痛がするんですよ」
寝起きの機嫌が悪い師匠に、フィンは素早く頭痛止めの治療を施す。
サッと頭痛が消え失せたルーベンスは、フィンの治療の技は上級魔法使い並みだと思ったが、今はそんな褒め言葉を与えてやる気分ではなかった。
何でもないような顔をして、早速次の行動に移る。
「曲者のグレンジャー団長が到着する前に、キャリガン王太子と話し合おう。ファビアン、少し休んでから迎えに行きなさい」
ファビアンは、自分とグラウニーの心配をしたのか、それとも王太子と話し合う時間を稼ぎたいと考えての指示なのかわからなかったが、言われた通り少し休憩してからグレンジャー団長を迎えに行った。
いつも颯爽としているキャリガン王太子も、カザフ王国の侵略から眠れない日々を過ごしているらしく、目の下に黒いクマができていた。
ベントレー卿からお茶の接待を受けていた王太子は、ルーベンスが入室すると、傍目にもわかるほどの大きな息を吐いた。
「ルーベンス様、無事に帰国されて良かったです。バルト王国駐在のカンザス大使から、ロイマールに潜入されたと報告があがっていたので、心配していました」
キャリガン王太子との顔合わせは、サリン王国のチャールズ王子を救出に行く前の報告以来だった。
サリン王国から帰国した途端、ルーベンスが倒れたとの報告を受けて、マキシム王はサリヴァンで療養するように命を発したが、その時にはバルト王国へ飛んで行ってしまっていた。
いつもは温厚なキャリガン王太子だが、自分の健康も顧みないルーベンスの勝手な行動をチクリと皮肉った。
ルーベンスはいつも通り悪びれもせず、本題に入る。
「カンザス大使から報告を受けているなら、私が何を探ろうとしてロイマールへ向かったのかも察しているだろう。フレデリック王はもう長くない。この戦は、第三王子が後継者になろうとして起こしたものだ。王都の人々も、戦争勃発の知らせに驚いていた」
「まさか! この戦争はフレデリック王が始めたのではないのですか? 確かに主力部隊は旧ペイサンヌ王国の兵士だと報告を受けてはいますが、海戦を得意としているからだとばかり考えていました」
キャリガン王太子は、後継者争いに巻き込まれたのだと知り、呆れ果てた。
「では、ロイマールからの援軍は来ないのでしょうか?」
本国から援軍が来ないのなら、望みが出てくると、キャリガン王太子はルーベンスに問いかける。
「それは何とも言えぬな。今回の侵略は第三王子カイルの勇み足だとしても、実際に戦果を挙げている。他の王子も加勢しないとは限らない」
「フレデリック王は、何故後継者を指名しなかったのでしょう。とんだ迷惑です!」
ルーベンスは、フレデリック王は猜疑心が強過ぎて、息子すらも信用できなかったのだろうと肩を竦めた。
「それより、サリヴァンの様子はどうですかな? 馬鹿な貴族どもが、港から襲撃を受けると言って怯えているのでは」
キャリガン王太子は、王宮に押しかけて図々しい嘆願をする貴族達を思い出し、眉を顰めた。
「あやつらの泣き言は父王が聞いてくださっています。そんなに戦が怖いのなら田舎に避難するようにと勧めたら、今度は私がサリヴァンから追放する気だと騒ぎ立てたのですよ。手に負えません!」
先祖の功績だけで貴族と名乗っている馬鹿どもをまとめてサリヴァン湾に放り込みたいと、キャリガン王太子は腹を立てていたが、父王はもう少し穏当な処分を考えているようなので任せることにしたという。
「では、サザンイーストン騎士団との協調がとれていないのは、馬鹿な貴族達に根負けしたマキシム王が、王都サリヴァンを護るように命じたからではないのですな」
ルーベンスに鋭く切り込まれたキャリガン王太子は、素早く否定した。
「まさか、父王はそんな愚かな命令などされません。ただサリヴァンを無防備にはできないので、何隻かの軍艦は停泊していますが……」
ルーベンスも、海戦が得意な旧ペイサンヌ王国が敵の主力なので、海に面した王都サリヴァンが奇襲を受ける可能性も無視できないだろうと頷いた。
「では、何故、サザンイーストン騎士団は海上封鎖をしないのでしょう。海上封鎖さえしてくれれば、侵略している兵士達の退路を断てますし、補給も防げます」
キャリガン王太子と守護魔法使いのやり取りを黙って聞いていたベントレー卿が、我慢しきれずに憤懣を口にした。
キャリガン王太子がその質問に答える前に、別の声が割り込んだ。
「それは、西海岸全域を海上封鎖するだけの戦艦を、サザンイーストン騎士団が持ち合わせていないからですよ。遅れて申し訳ありません。しかし、我が騎士団の日頃からの要求を少しでも聞き入れてくださっていたら、このような非難を浴びることもなかったのでしょうに……」
戦争中だというのに、相変わらず黒のビロードのリボンで長髪を綺麗に束ねたグレンジャー団長が、華やかな雰囲気を振りまきながら部屋に入ってきた。
優雅に王太子にお辞儀をしているグレンジャー団長の後ろに、苦虫を噛み潰したような顔のレスター団長もいる。フィンは、これからの軍略会議が紛糾する予感がした。
六 海の上に防衛魔法を掛けます!
フィンだけでなく、ルーベンスもキャリガン王太子も危惧した通り、軍略会議は荒れた。
「私だって海上封鎖できるものならしたいです。しかし、現実問題として無理なのです。ですから、海戦に持ち込んでカザフ王国の戦艦を撃破していくしかないのです。あっ、そう言えば、ルーベンス様! 先程は空からの援護ありがとうございました。やはり、各軍艦に専任の魔法使いを配置するのが一番だと思いますね」
ルーベンスはベントレーへ向かう途中で、カザフ王国の戦艦に炎の矢を放ったのを思い出し、眉を顰めた。自国の戦艦を援護したのを後悔はしないが、それを例にとって、サザンイーストン騎士団に魔法使いを取り込もうとしているグレンジャー団長には賛成しかねる。
「魔法使いの参戦については、父王からも要請している。しかし、サザンイーストン騎士団ばかりに魔法使いを派遣する訳にはいかない。元々、サザンイーストン騎士団付きの魔法使いは、他の騎士団より多いはずだ」
今回のカザフ王国の侵入で一番死傷者を出しているウェストン騎士団のレスター団長は、キャリガン王太子の言葉に無言で頷く。
「被害を受けている西部の領主として発言させて頂きます。負傷者の救護や海岸線のパトロールにも、もっと大勢の魔法使いが必要なのです」
口が重いレスター団長の代わりに、ベントレー卿が主張する。
「それはわかっているが……」
「キャリガン王太子、今、何人ぐらいの魔法使いが集まっているのだ?」
キャリガン王太子の重い口ぶりで、ルーベンスは貴族出身の魔法使いが戦いに参加したがらないのだろうと察した。
「アシュレイ魔法学校の教授陣は全員協力を申し出てくれました。ただし、高齢の方は……失礼! ルーベンス様ほど健康でない方の参戦は遠慮して頂きましたが……」
百数十歳のルーベンス以上の高齢者はいないのだと、キャリガン王太子は自分の失言を取り消した。
「卒業生も多いはずだが……仕方ないのう」
フィンもアシュレイ魔法学校に入学してから、魔力には優れているが、贅沢な暮らしにしか興味がない貴族を何人も見てきたので、自分の領地が攻められない限り参戦しそうにないと肩を竦めた。
キャリガン王太子は、がっかりしているルーベンスに良い知らせを教える。
「生徒も協力を申し出てくれていますが、今は自分の家が戦闘地域にある者と高等科の生徒だけに絞っています」
確かに、パックなどは戦争に協力するしかない状況だ。
「中等科の生徒の中でも優れた魔法使いはいる。今は一人でも多くの協力が必要なのだ。魔力の使い過ぎなどの心配があるが、魔法学校の教授陣とコンビを組ませれば大丈夫であろう」
「それなら、もう少し人数が集まりますね」
少しでも隙があると、グレンジャー団長は自分の騎士団に有利な方向へと話を向ける。
「教授と在校生のコンビなら、各軍艦に魔法使いを配置できます」
その上、キャリガン王太子が反論する前に、もっと図々しい要求を突きつける。
「先程も感じたのですが、空からの援護はとても有効でありがたいです。現在、人を乗せて飛べる竜は、フィン君のウィニーとファビアン君のグラウニーですね。お二人と二頭に協力して頂ければ、カザフ王国の軍艦を撃破できるのですが」
「確か、ファビアンはノースフォーク騎士団に入団予定ではなかったか?」
キャリガン王太子が、瞳に怒りの稲妻を浮かべたルーベンスの代わりに、グレンジャー団長の要求を遠回しに断る。しかし、グレンジャー団長はその断り文句を逆手に取る。
「そうなのですよ! ファビアン君はノースフォーク騎士団、そしてこちらの御子息であるパック君はウェストン騎士団に入団されるのですよね。我が騎士団だけ、竜持ちの魔法使いが入団しないのは、どういう訳かと前から不満に思っていたのです。あっ、フィン君、どうですか? この前一緒に南の海を航海して、サザンイーストン騎士団の魅力を感じませんでしたか? 海は良いですよ」
ルーベンスは我慢強い方ではない。カザフ王国の侵略だけでも許しがたいのに、グレンジャー団長の勧誘など聞いていられないと怒鳴りかけた。
「グレンジャー団長、カザフ王国本国からの支援を妨害できれば、カザフ王国の軍艦を撃退することに集中できますよね。なら、俺が海岸線に防衛魔法を掛けて海上封鎖をします!」
ルーベンスの堪忍袋の緒が切れる前に、フィンが重大発言をした。その場にいた、ルーベンスを除く全員が驚く。
「まさか、本当に! 海の上に防衛魔法が掛けられるのですか? それは、もしかしてフィン君が……」
「キャリガン王太子!!」
キャリガン王太子は驚きのあまり、フィンがアシュレイの子孫だから海の上に防衛魔法を掛けられるのかと言葉を発しかけたが、ルーベンスから凶暴なまでの圧力を感じて口を閉ざす。
そんなやり取りを、グレンジャー団長は抜け目なく観察していた。
やはり、フィンがアシュレイの子孫だとの自説に間違いは無さそうだと、内心でほくそ笑む。だが、今はもっと重要な話がある。
「海の上に防衛魔法が掛けられるなら、フィン君の言う通り、海上封鎖の代わりになります。サリヴァンへのカザフ王国の奇襲を防げますし、退路を断つことにもなる。そうできれば、海岸線のパトロールの人員を、タドリス河を侵略しているカザフ王国軍の掃討に回せます。援軍が来なくなれば、敵の士気も下がるでしょう!」
領主の海岸線の防衛をして欲しいという望みと、マーベリック城の防衛という重要任務の優先順位に悩んでいたレスター団長は、期待に満ちた目でフィンとルーベンスを見つめる。
「ルーベンス様、フィンの言うように、海上に防衛魔法は掛けられるのでしょうか?」
フィンが口から出まかせを言うような子ではないとキャリガン王太子は信じていたが、国の命運がかかった問題なので、守護魔法使いに確認する。
「そうじゃ。バルト王国の魔法陣を活用すれば可能だ」
「やったぞ!」
「それは何よりです!」
両騎士団長も嬉しい打開案に、歓声を上げる。
「私が海岸線に、魔法陣を使って防衛魔法を掛けよう」
その場に、これでカザフ王国軍をシラス王国から追い出せるとの期待が満ちた。
しかし、フィンはその雰囲気に抵抗する。
「そんなの駄目です。師匠は国境線の防衛魔法を維持しているのに、その上、海にまでなんて、倒れてしまいます!」
「フィン、黙りなさい!」
「いいえ、黙りません。師匠、この前も倒れたじゃないですか! 今も戦争勃発の知らせを聞いてから、碌に寝ていないし、食べてもいないのに……痛い! でも、黙りませんよ。俺が海の上に防衛魔法を掛けます!」
弟子に偉そうな口ごたえを許すルーベンスではない。ピシャリと頭を叩かれたが、フィンは真っ直ぐにルーベンスを見つめる。
フィンとルーベンスの間で、ピカリと稲妻が走る。魔法使いのキャリガン王太子とベントレー卿の息が苦しくなるほど、部屋は緊張感に満たされた。
「海から入った後は、やはり川沿いに北上したのか?」
「ええ、カイル王子が派遣されていた旧ペイサンヌ王国の兵は船を操るのが得意ですからね。それと、海賊どもの略奪も横行しています」
ルーベンスが指差した先にはマーベリック城があった。
マーベリック城にカザフ王国の兵が迫っていると聞いて、フィンは気が気でない。そこにはフィンにとって大事な少女――フローレンスがいるのだ。
「師匠、マーベリック城は……!」
ルーベンスの青い眼に「黙っていろ!」と睨まれて、フィンは口を閉ざす。
「思ったよりも深く侵略されておるな! じゃが、このままでは済まさぬぞ」
守護魔法使いの宣言を、レスター団長とベントレー卿は心強く感じた。
四 軍略会議の前に
レスター団長は、地図上のタドリス河を指揮棒で示しながら、カザフ王国の侵入経路を辿っていく。タドリス河は西部地域の大河であり、流通の要となっている。
「マーベリック城にはまだ到達していませんが、カザフ王国がここを拠点にしようとしているのは明らかです。ウェストン騎士団が、地元の義勇軍と協力して城の手前で防衛していますが、海岸線の警戒も必要なので、はっきり言って人員不足です」
ベントレー卿は、海岸線のパトロールを重要視していた。カザフ王国の兵だけでなく、この戦争に便乗した海賊の略奪も頻発していたので、本音を言えばマーベリック城の攻防戦に人員を割きたくない。
「東から兵が到着してからにしないと海岸線の警備が手薄になってしまいます」
ベントレー卿の発言をレスター団長はきっぱりと退ける。
「ですが、マーベリック城を占拠されたら、交通の要所を押さえられてしまい、西部一帯をカザフ王国に支配される危険があります。侵入した敵を素早く撃退するためには、拠点の占拠を許してはなりません」
脇で聞いているフィンは、この前マーベリック城で会ったばかりのフローレンスが心配で、気もそぞろになる。ルーシーのように台所を手伝っているぐらいならまだ安心だけど、ひょっとしたら負傷者の治療で魔力を使い過ぎて倒れているかもしれない……と妄想を暴走させる。
「師匠、俺はこれからマーベリック城に行ってきます!」
「馬鹿者! マーベリック城はそんなに容易く陥ちたりはしない。それより、キャリガン王太子が来られたら軍略会議が開かれるに決まっている。それまでに、どのような状況なのかしっかりと把握しておくのが大切だ」
レスター団長とベントレー卿の考えを聞いた上で、上級魔法使いとして一番優先するべきことを選択しなくてはならないのだ。
フィンは深呼吸して、敵に攻められているマーベリック城の幻影を頭から消し去った。ルーベンスだって自分の実家を心配していない訳がないのに、平静にレスター騎士団長から状況の報告を受けているのだ。自分がとり乱すわけにはいかない。
「さて、内陸部まで侵略されているのは、タドリス河流域のみなのだな。後は、海岸で防衛しているのか?」
ルーベンスの質問に、二人は渋い顔をする。
「防衛できている所と、すでに占拠されている場所とがあります。この地図でも何回も書き直していますが、占拠されている箇所にこちらが援軍を派遣すると、海へ逃げられてしまうのです」
レスター団長は、辛うじて冷静な口調を保っていたが、ベントレー卿は顔を真っ赤にして、これまでの不満をぶつけた。
「略奪し尽くしては海へ逃げ、そしてまた他の海岸を襲うのです! 我々は何度もサザンイーストン騎士団に海上封鎖を懇願したのですが、軍艦が足りないと拒否されました!」
レスター団長は、他の騎士団への非難になるので口にしなかったが、被害を受けている地区の領主であるベントレー卿は、容赦しなかった。
「サザンイーストン騎士団は、まだ攻撃もされていない王都サリヴァンの防衛を重視しているのですよ! 戦場は西部なのに!」
「ベントレー卿、被害を受けているそなたが怒るのは無理もないが、会議ではそういった発言は控えて欲しい。サザンイーストン騎士団の協力を取り付けなければ、カザフ王国の侵略は止められないのだぞ」
ルーベンスは、曲者のサザンイーストン騎士団のグレンジャー団長との軍略会議の前に、ベントレー卿に釘を刺しておく。
「それはわかっているのですが……」
ベントレー卿は、グッと拳を握りしめる。
ルーベンスには、王都の貴族達が大騒ぎしてサザンイーストン騎士団を引き留めている様子が目に浮かんだ。
大方「そなた達がいなくなったら、王都サリヴァンは誰が護るのだ!」などと言って泣きついているに違いない。
ヒラヒラしたレースの袖を振り回して、王宮に押し掛け、自分の屋敷と財産を護ってくれと騒ぎ立てているだろう愚かな貴族達を思うと、ルーベンスは吐き気がしそうになる。
「キャリガン王太子とグレンジャー騎士団長を迎えて軍略会議を開くとなれば、冷静さを保たなければ相手の思う壺に嵌るぞ」
レスター団長とベントレー卿は、ルーベンスの念押しに頷く。
馬鹿な貴族を護りたいとは思えないが、王都には多くの庶民や護る価値のある貴族もいる。それでなくとも、シラス王国の最重要拠点だ。サザンイーストン騎士団が全ての戦艦をサリヴァンの防衛から外すのが難しい事情も、ルーベンスは理解していた。
フィンも地図を見て、かなりの海岸が侵略されているのに怒りを覚えた。
初等科の時に、ルーベンスや幼いウィニーと旅した長閑な海岸を、カザフ王国の兵や海賊が荒らし回っている。
空から見た焼き討ちされた畑や家を思い出し、フィンは苛々と歩き回った。ジッとしていられない気分だったのだ。
「フィン、うるさい! 落ち着け!」
「落ち着きがない」と叱られるのは慣れっこのフィンだったが、その口調の余裕の無さに、ふと足を止めてルーベンスの顔を見る。
「師匠、軍略会議まで少しでも良いから、横になってください。キャリガン王太子とグレンジャー団長が来られたら、起こしますから」
元々、吟遊詩人の真似をしての旅行以外は塔に引き籠もっているのでルーベンスは色白だが、今は灰色がかっている。余りの顔色の悪さにフィンは驚き、休養が必要だと口にした。
「馬鹿者! カザフ王国に攻め込まれているというのに、昼寝なんかしていられるか!」
上級魔法使いが怒鳴り、レスター団長とベントレー卿はビクッとしたが、フィンは引き下がらない。
「緊急事態だからこそ、休める時には休まなきゃいけないんです。師匠にもわかっているはずです。今は、キャリガン王太子達が到着するまで待っているだけなんだから、休んでください」
ルーベンスは反論されるのに慣れていない。歴代国王の命令を無視する程の不遜な態度を貫いてきた。皆ひと睨みすれば黙ったものだが、この弟子はそれをものともしない。
「お前は……」
ルーベンスの怒りの籠もった青い眼と、一歩も譲らないフィンの緑色の眼が火花を散らす。
中級魔法使いのベントレー卿は、背中に汗がにじんだ。魔法使いの素養のないレスター団長ですら、息苦しさを感じて咳払いする。
その咳払いで、二人の間の緊張が解けた。
「この頑固者め! 言い出したら聞かないな」
ルーベンスも自分が疲れ果てているのに気づいて、生意気な弟子の忠告に従うことにした。
ベントレー卿がアタフタと一番良い部屋を用意させようと召使い達に命じるのを、ルーベンスは片手で制して、部屋の長椅子に横たわる。
「私はここで構わん。フィン、キャリガン王太子が到着されたら、絶対に起こすのじゃぞ。起こさなかったら、沼でハエを食べる目に遭わせてやる」
悪態をつきながら目を瞑ったルーベンスに、フィンは関節炎、気管支炎の治療の技と共に、深く眠れるように心を落ち着かせる魔法を掛けた。
一瞬でルーベンスを深い眠りにつかせ、マントを掛けてやっているフィンを見て、二人はこれが次代の守護魔法使いの腕前なのだと感心して眺めていた。
「俺がここにいますから、なすべきことをしてください。あっ、お二人にもお昼寝をお勧めしますよ。キャリガン王太子が到着されたら、起こして差し上げますので……」
二人とも疲れていたが、お昼寝をしている暇はないと苦笑して断ると、そっと部屋を出て行った。
「どうやら次の守護魔法使いは、ルーベンス様とはかなり違った感じになりそうですな」
レスター団長は、癖のある茶色の髪に緑色の目を輝かせ、雛竜をバスケットに入れて騎士団に初めて来た時の少年を思い出して、感慨に耽った。
「そうですね。でも、それはまだ先にして欲しいですね」
ベントレー卿は、息子と同い年のフィンは、魔力に不足はなくても、まだまだ学ぶことが多いだろうと笑った。
「勿論です! ルーベンス様にはフィン君を一人前にしてもらわないといけませんからなぁ」
カザフ王国の侵略からこの方、二人は先のことまで考える余裕など持てない日々を過ごしていた。守護魔法使いが帰還し、その弟子までもが頼もしく成長しているということが、心にホッと明るい火を灯した。
「キャリガン王太子とグレンジャー団長が到着する前に、我々の意見を統一しておきましょう」
海岸線の防衛を重要視しているベントレー卿と、内陸部への侵攻を防ぐことが一番大事だと考えているレスター団長は、二人で話し合うために他の部屋へ向かった。
五 軍略会議に暗雲が……
「フィン……」
フィンは床に座り込み、ルーベンスが眠っている長椅子にもたれて、うとうととしていたが、小声で呼びかけられハッと目を覚ました。
声のした方へ顔を向けると、そこには見慣れた友人が立っていた。
「あっ、ファビアン! ……ってことは、キャリガン王太子も到着されたんだね」
慌ててルーベンスを起こそうとするフィンを、ファビアンは制した。
「キャリガン王太子も長距離移動で疲れておられるし、私がグレンジャー団長を迎えに行っている間は休養させていた方が良いのではないか?」
「グレンジャー団長もファビアンが迎えに行くの? もしかして、カザフ王国が攻めてきてから、ずっとグラウニーと連絡係をしているの? グラウニーは疲れていない? ファビアンも……」
ファビアンは、まず竜の心配をしたフィンに、竜馬鹿だなぁと苦笑する。
「グラウニーは、サリヴァンでバースに世話をしてもらったから大丈夫だよ。それに、グレンジャー団長はすぐ沖合いまで航行してきているから、そんなに負担にならないさ」
小声とはいえ二人がコソコソ話しているので、ルーベンスが目覚めた。
「フィン、キャリガン王太子が来られたら起こすようにと言ったのに……」
少し寝てサッパリするどころか、不機嫌そうに眉を顰めている。
「まだグレンジャー団長は到着されていないので、もう少し休んだらどうですか? 空きっ腹にワインを飲むから頭痛がするんですよ」
寝起きの機嫌が悪い師匠に、フィンは素早く頭痛止めの治療を施す。
サッと頭痛が消え失せたルーベンスは、フィンの治療の技は上級魔法使い並みだと思ったが、今はそんな褒め言葉を与えてやる気分ではなかった。
何でもないような顔をして、早速次の行動に移る。
「曲者のグレンジャー団長が到着する前に、キャリガン王太子と話し合おう。ファビアン、少し休んでから迎えに行きなさい」
ファビアンは、自分とグラウニーの心配をしたのか、それとも王太子と話し合う時間を稼ぎたいと考えての指示なのかわからなかったが、言われた通り少し休憩してからグレンジャー団長を迎えに行った。
いつも颯爽としているキャリガン王太子も、カザフ王国の侵略から眠れない日々を過ごしているらしく、目の下に黒いクマができていた。
ベントレー卿からお茶の接待を受けていた王太子は、ルーベンスが入室すると、傍目にもわかるほどの大きな息を吐いた。
「ルーベンス様、無事に帰国されて良かったです。バルト王国駐在のカンザス大使から、ロイマールに潜入されたと報告があがっていたので、心配していました」
キャリガン王太子との顔合わせは、サリン王国のチャールズ王子を救出に行く前の報告以来だった。
サリン王国から帰国した途端、ルーベンスが倒れたとの報告を受けて、マキシム王はサリヴァンで療養するように命を発したが、その時にはバルト王国へ飛んで行ってしまっていた。
いつもは温厚なキャリガン王太子だが、自分の健康も顧みないルーベンスの勝手な行動をチクリと皮肉った。
ルーベンスはいつも通り悪びれもせず、本題に入る。
「カンザス大使から報告を受けているなら、私が何を探ろうとしてロイマールへ向かったのかも察しているだろう。フレデリック王はもう長くない。この戦は、第三王子が後継者になろうとして起こしたものだ。王都の人々も、戦争勃発の知らせに驚いていた」
「まさか! この戦争はフレデリック王が始めたのではないのですか? 確かに主力部隊は旧ペイサンヌ王国の兵士だと報告を受けてはいますが、海戦を得意としているからだとばかり考えていました」
キャリガン王太子は、後継者争いに巻き込まれたのだと知り、呆れ果てた。
「では、ロイマールからの援軍は来ないのでしょうか?」
本国から援軍が来ないのなら、望みが出てくると、キャリガン王太子はルーベンスに問いかける。
「それは何とも言えぬな。今回の侵略は第三王子カイルの勇み足だとしても、実際に戦果を挙げている。他の王子も加勢しないとは限らない」
「フレデリック王は、何故後継者を指名しなかったのでしょう。とんだ迷惑です!」
ルーベンスは、フレデリック王は猜疑心が強過ぎて、息子すらも信用できなかったのだろうと肩を竦めた。
「それより、サリヴァンの様子はどうですかな? 馬鹿な貴族どもが、港から襲撃を受けると言って怯えているのでは」
キャリガン王太子は、王宮に押しかけて図々しい嘆願をする貴族達を思い出し、眉を顰めた。
「あやつらの泣き言は父王が聞いてくださっています。そんなに戦が怖いのなら田舎に避難するようにと勧めたら、今度は私がサリヴァンから追放する気だと騒ぎ立てたのですよ。手に負えません!」
先祖の功績だけで貴族と名乗っている馬鹿どもをまとめてサリヴァン湾に放り込みたいと、キャリガン王太子は腹を立てていたが、父王はもう少し穏当な処分を考えているようなので任せることにしたという。
「では、サザンイーストン騎士団との協調がとれていないのは、馬鹿な貴族達に根負けしたマキシム王が、王都サリヴァンを護るように命じたからではないのですな」
ルーベンスに鋭く切り込まれたキャリガン王太子は、素早く否定した。
「まさか、父王はそんな愚かな命令などされません。ただサリヴァンを無防備にはできないので、何隻かの軍艦は停泊していますが……」
ルーベンスも、海戦が得意な旧ペイサンヌ王国が敵の主力なので、海に面した王都サリヴァンが奇襲を受ける可能性も無視できないだろうと頷いた。
「では、何故、サザンイーストン騎士団は海上封鎖をしないのでしょう。海上封鎖さえしてくれれば、侵略している兵士達の退路を断てますし、補給も防げます」
キャリガン王太子と守護魔法使いのやり取りを黙って聞いていたベントレー卿が、我慢しきれずに憤懣を口にした。
キャリガン王太子がその質問に答える前に、別の声が割り込んだ。
「それは、西海岸全域を海上封鎖するだけの戦艦を、サザンイーストン騎士団が持ち合わせていないからですよ。遅れて申し訳ありません。しかし、我が騎士団の日頃からの要求を少しでも聞き入れてくださっていたら、このような非難を浴びることもなかったのでしょうに……」
戦争中だというのに、相変わらず黒のビロードのリボンで長髪を綺麗に束ねたグレンジャー団長が、華やかな雰囲気を振りまきながら部屋に入ってきた。
優雅に王太子にお辞儀をしているグレンジャー団長の後ろに、苦虫を噛み潰したような顔のレスター団長もいる。フィンは、これからの軍略会議が紛糾する予感がした。
六 海の上に防衛魔法を掛けます!
フィンだけでなく、ルーベンスもキャリガン王太子も危惧した通り、軍略会議は荒れた。
「私だって海上封鎖できるものならしたいです。しかし、現実問題として無理なのです。ですから、海戦に持ち込んでカザフ王国の戦艦を撃破していくしかないのです。あっ、そう言えば、ルーベンス様! 先程は空からの援護ありがとうございました。やはり、各軍艦に専任の魔法使いを配置するのが一番だと思いますね」
ルーベンスはベントレーへ向かう途中で、カザフ王国の戦艦に炎の矢を放ったのを思い出し、眉を顰めた。自国の戦艦を援護したのを後悔はしないが、それを例にとって、サザンイーストン騎士団に魔法使いを取り込もうとしているグレンジャー団長には賛成しかねる。
「魔法使いの参戦については、父王からも要請している。しかし、サザンイーストン騎士団ばかりに魔法使いを派遣する訳にはいかない。元々、サザンイーストン騎士団付きの魔法使いは、他の騎士団より多いはずだ」
今回のカザフ王国の侵入で一番死傷者を出しているウェストン騎士団のレスター団長は、キャリガン王太子の言葉に無言で頷く。
「被害を受けている西部の領主として発言させて頂きます。負傷者の救護や海岸線のパトロールにも、もっと大勢の魔法使いが必要なのです」
口が重いレスター団長の代わりに、ベントレー卿が主張する。
「それはわかっているが……」
「キャリガン王太子、今、何人ぐらいの魔法使いが集まっているのだ?」
キャリガン王太子の重い口ぶりで、ルーベンスは貴族出身の魔法使いが戦いに参加したがらないのだろうと察した。
「アシュレイ魔法学校の教授陣は全員協力を申し出てくれました。ただし、高齢の方は……失礼! ルーベンス様ほど健康でない方の参戦は遠慮して頂きましたが……」
百数十歳のルーベンス以上の高齢者はいないのだと、キャリガン王太子は自分の失言を取り消した。
「卒業生も多いはずだが……仕方ないのう」
フィンもアシュレイ魔法学校に入学してから、魔力には優れているが、贅沢な暮らしにしか興味がない貴族を何人も見てきたので、自分の領地が攻められない限り参戦しそうにないと肩を竦めた。
キャリガン王太子は、がっかりしているルーベンスに良い知らせを教える。
「生徒も協力を申し出てくれていますが、今は自分の家が戦闘地域にある者と高等科の生徒だけに絞っています」
確かに、パックなどは戦争に協力するしかない状況だ。
「中等科の生徒の中でも優れた魔法使いはいる。今は一人でも多くの協力が必要なのだ。魔力の使い過ぎなどの心配があるが、魔法学校の教授陣とコンビを組ませれば大丈夫であろう」
「それなら、もう少し人数が集まりますね」
少しでも隙があると、グレンジャー団長は自分の騎士団に有利な方向へと話を向ける。
「教授と在校生のコンビなら、各軍艦に魔法使いを配置できます」
その上、キャリガン王太子が反論する前に、もっと図々しい要求を突きつける。
「先程も感じたのですが、空からの援護はとても有効でありがたいです。現在、人を乗せて飛べる竜は、フィン君のウィニーとファビアン君のグラウニーですね。お二人と二頭に協力して頂ければ、カザフ王国の軍艦を撃破できるのですが」
「確か、ファビアンはノースフォーク騎士団に入団予定ではなかったか?」
キャリガン王太子が、瞳に怒りの稲妻を浮かべたルーベンスの代わりに、グレンジャー団長の要求を遠回しに断る。しかし、グレンジャー団長はその断り文句を逆手に取る。
「そうなのですよ! ファビアン君はノースフォーク騎士団、そしてこちらの御子息であるパック君はウェストン騎士団に入団されるのですよね。我が騎士団だけ、竜持ちの魔法使いが入団しないのは、どういう訳かと前から不満に思っていたのです。あっ、フィン君、どうですか? この前一緒に南の海を航海して、サザンイーストン騎士団の魅力を感じませんでしたか? 海は良いですよ」
ルーベンスは我慢強い方ではない。カザフ王国の侵略だけでも許しがたいのに、グレンジャー団長の勧誘など聞いていられないと怒鳴りかけた。
「グレンジャー団長、カザフ王国本国からの支援を妨害できれば、カザフ王国の軍艦を撃退することに集中できますよね。なら、俺が海岸線に防衛魔法を掛けて海上封鎖をします!」
ルーベンスの堪忍袋の緒が切れる前に、フィンが重大発言をした。その場にいた、ルーベンスを除く全員が驚く。
「まさか、本当に! 海の上に防衛魔法が掛けられるのですか? それは、もしかしてフィン君が……」
「キャリガン王太子!!」
キャリガン王太子は驚きのあまり、フィンがアシュレイの子孫だから海の上に防衛魔法を掛けられるのかと言葉を発しかけたが、ルーベンスから凶暴なまでの圧力を感じて口を閉ざす。
そんなやり取りを、グレンジャー団長は抜け目なく観察していた。
やはり、フィンがアシュレイの子孫だとの自説に間違いは無さそうだと、内心でほくそ笑む。だが、今はもっと重要な話がある。
「海の上に防衛魔法が掛けられるなら、フィン君の言う通り、海上封鎖の代わりになります。サリヴァンへのカザフ王国の奇襲を防げますし、退路を断つことにもなる。そうできれば、海岸線のパトロールの人員を、タドリス河を侵略しているカザフ王国軍の掃討に回せます。援軍が来なくなれば、敵の士気も下がるでしょう!」
領主の海岸線の防衛をして欲しいという望みと、マーベリック城の防衛という重要任務の優先順位に悩んでいたレスター団長は、期待に満ちた目でフィンとルーベンスを見つめる。
「ルーベンス様、フィンの言うように、海上に防衛魔法は掛けられるのでしょうか?」
フィンが口から出まかせを言うような子ではないとキャリガン王太子は信じていたが、国の命運がかかった問題なので、守護魔法使いに確認する。
「そうじゃ。バルト王国の魔法陣を活用すれば可能だ」
「やったぞ!」
「それは何よりです!」
両騎士団長も嬉しい打開案に、歓声を上げる。
「私が海岸線に、魔法陣を使って防衛魔法を掛けよう」
その場に、これでカザフ王国軍をシラス王国から追い出せるとの期待が満ちた。
しかし、フィンはその雰囲気に抵抗する。
「そんなの駄目です。師匠は国境線の防衛魔法を維持しているのに、その上、海にまでなんて、倒れてしまいます!」
「フィン、黙りなさい!」
「いいえ、黙りません。師匠、この前も倒れたじゃないですか! 今も戦争勃発の知らせを聞いてから、碌に寝ていないし、食べてもいないのに……痛い! でも、黙りませんよ。俺が海の上に防衛魔法を掛けます!」
弟子に偉そうな口ごたえを許すルーベンスではない。ピシャリと頭を叩かれたが、フィンは真っ直ぐにルーベンスを見つめる。
フィンとルーベンスの間で、ピカリと稲妻が走る。魔法使いのキャリガン王太子とベントレー卿の息が苦しくなるほど、部屋は緊張感に満たされた。
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