ズレてるふたり

黒い白クマ

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いつものひ

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「今日は疲れているのかもしれないナ。」

開口一番にそんなことを言うのが珍しくて、私は作業の手を止める。二日ぶりくらいに、また勝手に鍵を開けて入ってきた谷澤が、いつものようにビニール袋を下げて玄関からリビングとキッチンに繋がるドアを開けた所だった。走ってきたのか、肩で息をしている。

「だからチャイムくらい鳴らせって。」
「アァ、ウン。そうだネ。ごめんネ。」

ビニール袋を受け取って、そのままキッチンに置く。中身は夕食の食材のようだった。谷澤はキッチンを素通りして、リビングのソファに腰を下ろす。うちのキッチンとリビングは同じ部屋の中にあるから、さして大きな声を出さなくても会話が出来ると見越しての行動だろう。

「お昼は?」
「頂けるなら貰いたいナ。朝あんまり食べてなくてサ。」

ひとつ頷いてトースターに二枚パンを突っ込んでから、中断していたレタスちぎりを再開する。ザルからレタスをとる、キッチンペーパーで拭く、ちぎる、パンの上に乗せる。

「なんだか妙なことばかりだヨ。だいたい、鏡が僕と同じ動きをするわけないのにネ。」

谷澤の言葉に、私は黙ってレタスをちぎり続けた。鏡はうつっているものと同じ動きをするものだと思っていたが、何が気に食わないのか。

「それにネェ。君ん家来る途中にサ、公園があるデショ。」
「ああ、あるね。」

確かにうちの近所には大きめの公園があった。よく子どもの声を聞くものだ。

「さっき子ども達にとっ捕まっちゃってサ。」

そう言ってソファにそのまま寝そべった彼を、ちらりと見やる。もう顔見知りと呼べるような子どもが何人もいるから、たまに遊びに誘われることがある。私も彼も大抵穏便に逃亡を図るが、今回は逃げ損ねたのだろう。

「影踏みっていうの、あの鬼ごっこをしたんだヨ。それで、しばらく走り回る羽目になっちゃってネ。」
「だからそんなに疲れているのか。」

フライパンからスクランブルエッグをレタスの上に移す。フライパンに油を引き直して火にかける。冷蔵庫を開けて自分の分のレタスと卵を出し、二人分のハムを探しながら話の続きに耳を傾けた。

「いや、そんなに遊んじゃいないんだケド。すぐに勝負にならないから追い出されちゃったのサ。狡いって。」
「狡い?」
「ウン。それで、マァ、たまげて走ってきたんだヨ。」

温まったフライパンに卵を割りいれて、出したレタスをザルに放りこむ。先程のスクランブルエッグにハムを乗せて、既に焼けていたもう一枚のパンを重ねる。リビングに出来上がったサンドイッチを持っていき、彼に先に食べるよう促した。

「まぁ子どもに大人が混ざって遊ぶには、鬼ごっこは向かなかったかもしれないね。」
「そういうんじゃ、なくてネ。ゲームにならなかったのサ、始めから。」
「はぁ。」

彼がソファに座り直して、いただきますと手を合わせたと同時にキッチンでトースターの音がした。焼けた二枚のパンを取り出し、両方にバターを塗ってから片方のパンにレタスを乗せていく。この調子だと、私の分が出来上がる頃には彼は食べ終わっているかもしれない。

「どうもすわりが悪いヨ。お腹が空き過ぎて、変なものを見るのカナ。」
「じゃあ、食べたらマシになるかもな。」
「食べ終わったら散歩に付き合ってくれないカイ?もう一回公園に行って、あの子達に会いたいんだヨ。」
「別にいいけど。」

空になったザルを退け、目玉焼きをレタスの上に乗せ、その上にハム、パンを重ねる。皿を持って谷澤の横に腰掛けて、サンドイッチにかぶりつく。案の定、谷澤のサンドイッチは半分以下になっていた。

「それにしても、すっかり君は元気そうでよかったヨ。」
「何か変だった?」
「何となくネ?」

要領を得ない返事と共に最後の一切れを口に放り込み、彼は立ち上がってコーヒーを飲むかと聞いてくる。私の家だぞという言葉は、家にある豆もミルもネルもコーヒーフィルターも全て谷澤が持ち込んだものだと思うと引っ込んだ。

***

「雨が降っていたのか。」
「大分前だヨ。来る時はもう曇りだったからネ。」
「上がっていて良かった。」
「朝、雨がぱらついたらあとは一日曇りだってサ。」

今日も今日とて天気予報を暗唱した彼の少し後ろを歩きながら、近所の公園へ向かう。今日は太陽がいないから、いつも彼と一緒に踊る影がいない。少し物足りないなと白線の上だけ踏んで進む子どもじみた動きを目で追いながら、ふと思いついた疑問を呟く。

「公園にいたのは誰だった?りゅうたくんがいたならお父さんに伝言を頼みたいんだけど。」
「何か用事があるノ?」
「この間りゅうたくんの怪我を見てあげたら、お父さんから菓子折貰っちゃったから。美味しかったですって。」
「アァ、この間のマカロン。」
「そう。」

白線遊びには飽きたらしい。わざと水溜まりを蹴って遊ぶ彼は、唸り声とも取れるような声を上げる。

「誰だったか、分かんないナ。」
「分かんない?」
「そんなはずないのにネ。」

子どもの声は聞こえてこなかった。跳ねるように進む背中は、動きとは裏腹にあまり楽しそうには見えない。

公園には誰もいなかった。曇っているせいか、どうもどんよりとした雰囲気で居心地が悪い。谷澤は、皆帰ったのかもしれないネ、と笑って公園に背を向けた。

「コンビニまで歩こうヨ。新作のケーキが出たんだってサ。」

後ろから谷澤の声がして、慌てて私も公園から目を離す。追いかけて踏み出した右足がうっかり踏んだ水溜まりから、じわじわ靴に水が入ってきた。

「うわ、踏んじゃった。」
「ありゃ、結構深い水溜まり踏んだネェ。大丈夫カイ?」

慌てて水溜まりから足を抜く。そこではじめて靴紐が解けていることに気が付いた。

「水は平気だけど、ちょっと待って。紐が。」

しゃがんで紐を直す途中、ふと私のせいで揺らいだ水面が凪いでいく様が目に入る。映った向こう側の私が同じように右足の靴紐を直しているのが見えて、思わず靴紐はそのままに立ち上がった。よろけるように後ろに下がる。

「どうしたのサ。」
「いや、多分、今日は疲れているのかも。」
「そうカイ。」

水溜まりを見ないようにしゃがんで、靴紐を直して、谷澤のほうに歩き出す。ケーキ、美味しいといいネェと呟いた彼の横で、黙って頷いた。

「ここで、影踏みしたのか?」
「ウン。」

空は相変わらず曇っている。今日は、雨がやんでから、ずっと。
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