戯曲「サンドリヨン」

黒い白クマ

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第一幕

第三場面:どこかの村、畑道

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 気づけば景色が少し移ろっていた。人の気配はなく、視界一面を枯れた植物が埋めていた。自然に生えたにしてはやけに規則正しい並びに、ここが畑であることが見て取れる。対照的に道端の雑草が青く茂っているのは、少しは雨が降ったためだろうか。

 人の生活の跡はあるが、どれも時間が経っているように見えた。例えば、手押し車には蜘蛛の巣が張っている。それに人の足跡はどれも薄い。随分と長く畑には人が来ていないのかもしれなかった。

 不意にどこかから、がさりと音がする。音のほうを見れば、枯れ草を振り回しながら、少年が一人とぼとぼと歩いていた。五、六歳ほどだろうか。時折しゃがみこみ、別の枯れ草を拾っては放り捨てている。何をしているのだろうか。

「これは?駄目だな……あ、あれ……も食べられそうにないし。」

 食べ物を探しているらしかったが、あたりにあるのは雑草だけだ。少年は手押し車に両手をかけて、必死に身体を持ち上げた。覗き込んで、中が空であることに落胆の声を上げる。

「ちぇ、空っぽだ。」

 少年はまた数歩進んで、雑草の中にある花を見て足を止めた。

「これ、食べられるかなぁ。」

 少年の呟きに、突然返事が寄越される。

「こんにちは、お坊ちゃん。それは毒があるから食べない方が良いわよ。」

 確かに誰もいなかったはずの場所。立っているのは、あの、人ではない何か。足音もしなかったが、少年は気にする様子もなく元気よく挨拶を返した。

「こんにちは!」
「あら、元気なお返事。」

 それは笑って少年の頭を撫でてから、しゃがんで少年と目線を合わせた。よく見れば少年の頬は少しこけている。

「お坊ちゃん、お名前は?」
「ジョン!貴方はだあれ?」
「私は……そうねぇ、魔法使いよ。」

 それは名乗らずにそうこたえて微笑んだ。ジョンと名乗った少年は特に気にする様子もなく、ふぅんと頷く。それ――名乗りに合わせて魔法使いと呼ぼう――はちょっと首を傾げてから、立ち上がってあたりを見回した。ジョンの他に人の気配はない。

「お坊ちゃんは一人でどうしたの?もしかして迷子?」
「迷子じゃないよ、僕、お家ないの。」

 ジョンは少し俯いてこたえた。すぐに顔を上げて、明るい声で言う。

「あのね、僕のお父さんとお母さんはもういないんだ。僕を置いて、どっか行っちゃってさ。帰ってくるかなって思ったんだけど、逃げ出したんだってお隣のおじちゃんが言っていたから……お出かけってわけじゃないって僕にも分かった。だから、一人なんだ。」
「そう……ここもひどい飢饉だったからね。備えがなければ無理もないわ。」

 だんだんと尻すぼみになったジョンの答えに、魔法使いと名乗ったそれは眉を下げた。まわりを見渡して、荒れた畑を見る。

「仕方のないことなのだけれど。必要なことだったからね。」
「キキン、って何?」

 村の人も言っていた、と少年が首を傾げる。言葉を選ぶように目を泳がせてから、魔法使いは口を開く。

「作物が……食べ物が取れなくて皆が困ることよ。これから大変だね、お坊ちゃん。」
「そうかな?」
「だって、お坊ちゃんはこれからどうするのよ。一人で暮らしていくんでしょう?」

 魔法使いの質問に、ジョンは二、三度瞬く。ええとね、と少し考え込んでから、ジョンは笑顔でこたえた。

「お隣のおじちゃんは食べ物を探して来いって。僕一人ならきっと何とかなるってさ!」

 だからきっと大丈夫だよ、とジョンが頷く。魔法使いの目に、申し訳なさのような色が浮かんだ。

「誰かの家には置いてもらえなかったの?」
「おじちゃんの所には置けないって言っていたよ。」

 そこで言葉を切って、ジョンはちょっと首を傾げた。

「おじちゃん、何で泣いていたんだろうね。」
「……そのおじちゃんもきっと、自分のことで精一杯なのよ。本当は貴方を引き取ってあげたいんでしょうけど。」

 魔法使いは憂いを帯びた顔で目を伏せた。ジョンはよく分からないといった表情でしばし魔法使いを見つめていたが、何か思いついたのか魔法使いの服の裾を引いた。

「魔法使いさんは?どこに行くの?」
「私?そうねぇ。特にあてはないわ。もう前にいた場所では目的も果たしてしまったし。次の居場所を探して歩いているところ。」
「ふぅん……ついてっちゃダメ?」
「ダメ。子どもの身体じゃ移動が多くて疲れちゃうわよ。」
「そっかぁ。」

 苦笑いを浮かべて魔法使いがジョンの誘いを断る。残念そうに少年は眉を寄せたが、すぐに興味がそれたのか目を見開いた。

「ねぇ、魔法使いさんが持っているその棒は何?」

 くい、ともう一度服を引いてジョンが魔法使いの手の中を指さす。手に持ったステッキのようなそれを、魔法使いは少年に見えやすいように持ち上げた。

「ああ、これね。私はね、これがあると魔法が楽に使えるのよ。いわゆる魔法使いの杖ってやつ。」
「魔法?それってなんだって出来るの?」
「えぇ、大体のことはね。」

 魔法使いの言葉に、ジョンは目を輝かせた。

「じゃあさ、僕でも動物になったり、空を飛んだり、そうだ、王子様になれる?」

 彼の言葉が予想外だったのか、魔法使いは目を見開いた。ジョンは期待に満ちた目で魔法使いを見つめる。

「王子様に、なりたいの?」
「うん!」
「どうして?」
「どうしてって……」

 その疑問自体の意図が分からなかったらしく、ジョンは首を傾げた。当たり前じゃないか、とばかりに説明する。

「だってさ、王子様って、美味しい食べ物をたくさん食べられて、たくさんの人が言うことを聞いてくれるんでしょう?僕、聞いたことあるよ。ねぇ、出来る?」

 ジョンの言葉に、魔法使いは苦しげな表情を浮かべた。少しの間の後、魔法使いは再びしゃがんで少年と目線を合わせる。

「出来……る、わよ。少し骨の折れることではあるでしょうけれど。」
「ほんとに?やった!やってみてよ、お願い!」

 無邪気に嬉しげな声をあげて、ジョンが飛び跳ねた。魔法使いは首を横に振る。

「いいえ、だめ。やめておいたほうが良いわ。」
「どうして?」

 ジョンが途端に目を潤ませた。魔法使いは黙って目を伏せる。言葉を選ぶように、魔法使いはぽつぽつと言葉を重ねた。

「だって、魔法でたくさんの人を騙すことになるのよ。例えば王様とかね。本当に王様の息子にはなれないから、王様にお坊ちゃんが自分の息子だって思い込ませなきゃならないわ。過去を変えることは出来ないの。」

 魔法使いの言葉の意味が、いまいち分からなかったのだろう。少年は不満げに頬を膨らませた。

「でも、そうすれば僕はこの先、ずーっと元気に暮らせるよ?そうすれば村の人だって、おじちゃんだって困らないでしょ?」

 魔法使いはただ首を横に振る。

「魔法に頼っちゃだめよ。」
「何で?」
「魔法なんて、幻なの。辻褄が合わなくなるたびに過去を誤魔化していれば、いつか襤褸が出るものよ。」
「でも……」
「駄目なものは駄目。この話はもうおしまい。」

 年端もいかない少年相手に説得は難しいと踏んだのか、魔法使いはただきっぱりと言い切った。ジョンはまだ不満ありげだったが、しぶしぶといった様子で頷いた。

「分かったよ。」

 その様子を見て、少し可哀想になったのだろう。魔法使いはジョンの機嫌を取らんとばかりに声色を明るくして尋ねる。

「他にお坊ちゃんのしたいことはないの?一個なら叶えてあげるわよ。」

 魔法使いの提案に、ジョンが目を輝かせた。ちょっと待って、と言って少年は一生懸命悩み始める。魔法使いは彼が考え終わるのを微笑ましそうに待った。ジョンがぱっと顔を上げて、魔法使いをじっと見た。

「ねぇ、僕に一回で良いからその杖を貸してよ!」
「え?何がしたいの?」
「空を飛んでみたいんだよ。」

 鳥みたいにさ、とジョンが両手をパタパタと動かした。

「あら、私がその魔法をかけてあげるわよ。」

 ジョンは魔法使いの提案に、ふるふると首を横に振る。頬を膨らませて、彼は訴えた。

「自分でやってみたいんだよ。僕にはその杖は使えない?」
「誰にでも使えるけど……だからこそ危ないわよ。」
「すぐ返すから!ねぇお願い。」

 魔法使いは少し躊躇ったようだった。しかし少年に邪気があるようには見えない。逡巡の末、魔法使いは微笑んだ。手に持った杖を、少年の前に差し出す。

「仕方ないわね。空を飛ぶだけよ?」
「うん!」
「じゃあ、どうぞ。」
「ありがとう、魔法使いさん!」

 魔法使いが差し出した杖を、ジョンは嬉しそうに受け取る。杖をクルクルと回して眺め、少年は顔を上げて首を傾げた。

「どうやって使うの?」
「頭の中で、強く願って杖を振ってごらん。」

 ジョンは杖と魔法使いを交互に見た。ひどく嬉しそうに笑ったその顔が、どこか歪んで見えた気がした。彼はギュッと目を瞑る。

「こうかな?」

 ジョンが杖を振った瞬間、魔法使いは目を見開いた。呻きながら、魔法使いは頭を抱えてしゃがみ込む。ジョンが顔を輝かせた。まるで、そう、悪戯が成功したような顔で。

「う、あ……ちょ……と、なに……」
「やったぁ、上手くいった!ごめんね、魔法使いさん。僕、貴方が少しの間動けなくなりますように、ってお願いしたの。」
「駄目、よ、返して、」
「嫌だよ。僕、これでまたご飯が食べられるんだもの!」

 ジョンはキャッキャと実に子どもらしい笑い声をあげた。それから、呻く魔法使いから離れようと走り出す。途中で立ち止まって、魔法使いを振り返った。

「本当にありがとうね、魔法使いさん!この杖、僕ちゃんと大切にするから!さようなら!」

 ジョンは元気よくそう言って、杖を持ったまま走り去った。呻き続ける魔法使いを、その場に残して。

「あ、あぁ……情けなんてかけ、るんじゃなかった、う……飢えて、当然だ、人如きが……私に……!」

 恨めし気な魔法使いの声だけが、誰もいない道に落ちる。もうジョンの背中は見えなくなっていた。

 あたりが暗くなり魔法使いの姿が見えなくなっても、呪詛じみた呻きだけはいつまでも残り続けた。
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