花束のアスター

たーりー

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月桂樹の花を抜く

話しがしたくて

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「リリーちゃん! こんばんは!」

 土曜日の19時。開店と同時に店に到着した里梨は、店の前にいたキャストにそう出迎えられた。帰り際にタバコを吸っていたキャストだ、名前は覚えていないものの名刺をもらったことは覚えている。そう言えば財布の中にこのキャストの名刺を入れたままだな、と思うが、まさか本人の目の前で取り出すわけにもいかない。
 とりあえず会釈してやり過ごそうとしたが、ふと、何をしているのか気になった。

「こんばんは。どうしました?」

 そのキャストは背の低い電飾式の、キャスターが付いた看板の横にしゃがみ込んで、ゴソゴソと何かをしていた。仕切りに看板の電源コードを引っ張ったり、看板を揺らしたりしている。

「これ光らないんだよねー、最近調子悪いんだけどさ。とうとう壊れたかな?」

 中入ってていいよー、そう続けるキャストの声を無視し里梨も一緒に横に座り込む。キャストからは洋酒の入ったチョコレートケーキのような匂いが漂う、またさっきまでタバコを吸っていたところなのだろう。なかなか重いのを吸っているらしい。

「見てもいい?」
「あ、これ系得意? じゃあコンセント抜くからちょっとまって!」

 ついでにドライバー持ってくる! そう言って立ち上がると、傍のコンセントを抜き、お店の中に入っていくキャスト。それに対して、やはり相手が男性だと話が早くて楽だと思う里梨。これが女性だったら、良いよと言ったきり何もせず横に座っているだけだっただろう。もちろん女性不信からくる100%偏見なのは一切否定しない。
 里梨は、キャストが戻ってくる前に看板の確認を始めた。

「たんぽぽー。ドライバー何処だっけ?」
「トイレの掃除道具の横。何につかうの?」

 かずみは店内に入ると、カウンターの奥でコップを冷凍庫に詰めているたんぽぽに問いかける。一瞥すらせず返事をするたんぽぽは、開店時間だが少しだけ準備が終わっていないため、テキパキと動いている様子だ。他のキャストも名刺を準備したり、自分の持っている客に営業したりとそれぞれ準備を進めている。

「看板光らないから直してもらう。」
「あぁ、調子悪いものね。……もらう? 誰に?」
「リリーに。」
「リリー!?」

 ガチャガチャと音を立ててドライバーを取り出したかずみと共にたんぽぽが表に出ると、確かにそこには座り込んで看板を確認しているリリーの姿があった。幸いにも特に服を汚している様子はない。

「ただいまー、ドライバー持ってきた。」
「ありがとう、でも要らないかも。」

 そう言って里梨がコンセントを挿すと、丸みを帯びてレタリングされた『片栗の花』の文字が、紫色に点灯し自己主張を始める。

「おお、治った!」
「でも電源ケーブル交換しないと危ないよ。」

 看板が点灯しない理由は電源ケーブルが断線しかかっているのが理由だった。おそらく何度か扉に挟まれているのだろう、同じような場所が左右から挟まれる形で傷ついている。里梨がケーブルを曲げると、看板は点灯、消灯を繰り返す。これは繰り返すたびに中で火花が出て、そのうちに発火すると説明する里梨。それを聞いたたんぽぽは、取り急ぎこれでいいわ、とコンセントを抜いて電源コードを縛って束ねてしまう。

「まあ光ってなくても、看板が外に出ていればわかるでしょ。リリーちゃん、ありがと!」

 ひとまず原因がわかってよかったわ! たんぽぽはそう続けると、2人を連れて店内へと入っていった。


「あ、ちなみに今日はあざみちゃん少し遅れてくるよー。」

 なので最初は私で我慢してね! そう、かずみに言われながらカウンターへ案内されるリリー。店内にはまだ他の客は居らず、昭和終盤のヒット曲が申し訳程度の音量で流れている。前回は他の客の声にかき消されたり、あざみとの会話に集中していてBGMの存在に気づかなかった。
 リリーは、かずみに案内されるがまま一番奥のカウンター席へと座ると、おしぼりで手を拭きながらメニューを見る。あざみが居ないことは少々残念だが、後から来るというなら話せるだろうと思い気を取り直す。晩御飯は自宅で食べて来たものの、お店でもお酒と共に何かつまむものを頼むつもりだった。もともと何も食べずにお酒だけ飲む、というのは出来ない里梨だ。

「ビールと……ソーセージください。」
「はいはーい。」

 すこし片付けしてくると言いかずみは離れていったので、少々申し訳なく思いながらも、カウンターの向こうでごそごそと何かをしているたんぽぽに向かい声を掛ける。
 頼んだものが出てくるまで少し時間がかかりそうだな、そう思いスマホを取り出し、さて何を見ようかと少し考える。最近スマホで見るサイトといえばトランスジェンダー関連の情報や体験談をまとめたサイトくらいだが、この場所で見るのはなんとなく気が引けた。では何を見ようと考えると、ネット小説でも読むか、他人のSNSを覗くかくらいだ。
 短文SNSでも見てみようかな、などと考えながらアプリを開くと、既に性転換を終えたトランスジェンダーの新しい呟きが流れて来ているのを見つけた。見切れている呟きをタップし、内容を確認しようとしたところで……

「ただいまー。ごめんねリリーちゃん一人にして。」
「大丈夫ですよ。」

 かずみが戻ってきたのでスマホをしまう。流石にキャストが居るときはキャストと会話することにする。

「はい、ビール。私もビール飲んでいい?」
「どうぞ。ポテトか何か、つまむ物も頼んでください。ソーセージは頼んだけど。」

 ありがとうー! かずみはそう、嬉しそうに返事をすると自らもビールを用意する。フードは誰か別のキャストに頼んだ様子だ。すぐに里梨の前に戻ってくると、乾杯、と、軽く声を掛けて二人で飲み始めた。



「何か、かずみさん前回と感じが違いますよね。」
 
 60分くらいだろうか。他のお客も数組入ってきて店内が賑やかになってきたところで、里梨はそう切り出した。前回は少ししか話していないが、もっと女性らしさを感じていた気がする。今日のかずみは何というか、より中性的な印象を受ける。それは、かずみが意図して行っているものだった。

「あー、そうだね。もっと媚びた感じが良いならそうするけど、嫌でしょ?」
「何でそう思うの?」
「このお店に来る人って、ただの興味本位なら2度目は来ないし、言い方変えると何度も来る人って多かれ少なかれ女性に対して思うところがある人が多いんだよね。」

 前回は最初の時点で、あー接客間違ったかなーって思ったんだよね! そう続けて笑うかずみ。リリーとしては心当たりがあるだけに閉口するしかない。甘えた声で話しかけてきたり、煽てたりされると、今の自分では対応しきれないと感じている。
 まだあざみと、かずみしかまともにキャストとして相手をして貰っていないが、他のお客を見ても落ち着いて話しながら飲んでいるか、男同士のように趣味の話で盛り上がっているかどちらかだ。最近出たゲームの話など、リリーも興味がある話題が聞こえてくる。
 そのような話をかずみとしていると、

「リリー! 本当に来てくれたんだ!」

 店の奥から、あざみが満面の笑みで姿を現した。

「あ、あざみちゃん、おはようー」
「おはようございます!」
「こんばんは、あざみ。」

 おはよう、と挨拶したのはかずみ。あざみも二人に声をかけると、かずみの横についてこそこそと話し出した。

「あの、かずみさん、替わってもらっても?」
「ダメー」
「え、なんで!?」
「リリーちゃんは2時間経つまでは私のお客様です。あと60分、あざみちゃんは他のお客様の相手してきて?」

 そんなシステム無いんですけど!? そう、器用に小声で叫ぶあざみを抑えながら、里梨に向けてウィンクを飛ばすかずみ。よくわからないがかずみのほうが立場が上のようなので、リリーは深く突っ込まないことにした。それに2時間経てば替わるという口ぶりであるし、あざみと話すのはその後でも良い。もちろん今すぐ話したい気持ちはあるものの、かずみのウィンクも気になるし。そう考えたリリーは少し残念ではあるが、奥へと押されるあざみに対して小さく手を振る。

「リリー、2時間で帰らないよね?」

 そう何度も確認するあざみに対し、大丈夫だよ、と繰り返しながら。

「ごめんねー、あざみちゃんと話したかったでしょ?」
「まあ、後で話せば良いのでそこまで気にして無いですけど。」

 かずみは、あざみを少し離れたテーブル席の客につけて戻ってきた。あざみはチラッとリリーを見たものの、流石に他の客に着いた後はそちらに集中するようで、挨拶してウィスキーの水割りを作っている。お酌したり飲み物を用意したり、いわゆる飲み屋のような事を前回全くしなかったのでわからなかったが、あざみもちゃんと出来るようだ。

「で、実際どうなの?」
「どう、とは?」
「あざみちゃんのこと。悪く思ってはいないんでしょ?」

 口元に手を添えて、顔をリリーに寄せてそう小声で問いかけるかずみ。カウンターの上に身を乗り出してリリーの方へと近づいているため、リリーも自然と耳を寄せるために半分立ち上がったような姿勢になる。

「そりゃ、仲良く話せるなぁ、とは思いますけど、それ以上のことは考えてないですよ。キャストと客でしょ。」
「そこなんだ?」

 かずみの言葉に首を傾げるリリー。

「たとえばさぁ、あざみちゃんの接客。普通でしょ?」

 あざみはお客の話に相槌を打ちながら、テーブルを挟んで会話している様子だ。キャストとしてそれとなくお酒を勧めるのもそうだし、チビチビとだが自らも飲むのも忘れない。どんな話をしているかまでは聞き取れないが、賑やか、というよりは落ち着いている雰囲気だ。

「あざみちゃんは、専ら堅実というか、固い接客するのよ? リリーちゃんの時みたいに横について大声で楽しそうに話して、なんてよっぽどお酒が進んだ時じゃないとしないんだから。」

 確かに他のカウンターやテーブルを見ると、客とキャストがお互いに煽ててビールの一気飲みをしていたり、互いにスマホでゲームしていたり、どちらかといえば賑やかな印象が強い。それに比べたらあざみのテーブルは固い印象を受ける。
 そんな他のキャストやテーブルの様子を見ていると、あざみが違うお酒の水割りを作ろうとしている様子が目に入る。カウンターの奥から新しいコップとお酒の瓶を持ってきて、椅子に座り、コップに氷を入れようとしたところで……

「ちょっといい?」
「ん?」

 かずみに声をかけられ、リリーがそちらを向くと、

「リリーちゃん、かわいいー!!」

 突然、目の前が真っ暗になった。あざみの叫び声と、一拍遅れてドンガラガッシャーン、という音を聞きながら。
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