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月桂樹の花を抜く
忘れ難くて
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「なんかさー。里梨さんいつもと違わない?」
水曜日。世間はクリスマスへ向けた準備で忙しさを増し、テレビではクリスマス特集やデートスポットの特番など多少浮ついた空気が流れ始めるころ。クリスマスだからと言って特に準備することのない里梨は、いつもと変わらず職場にて日々の仕事をこなしている、つもりだった。
自覚している変化といえば、今まで8時30分始業なので8時頃職場に入っていたのが、通勤ラッシュに巻き込まれている時間が無駄と感じるようになって朝7時前に職場入りするようになったこと。あと、仕事が始まるまでの待ち時間もそうだが、休憩時間中に今までは睡眠をとっていたのが、スマホで少々調べ物をしている事くらいか。
その2点以外は今までとなにも変わらない、少なくとも本人はそのつもりだ。
「今までも仕事は多かったけど、今週えぐいほど仕事こなしてるよね。なんなら仕事の先食いしてるし。」
「プロジェクト何件同時に持ってるんだろ? 3つまでは知ってるけど、他にも直通の仕事あるって言ってた。」
ただ違うとすれば、金曜に定時で上がるため、もしくは土の夜から日曜の昼までを空けるために、仕事の消化を速めたくらいか。今までは別に残業すればいいし、残っても休日出れば良いと考えていたが、少々思う所があって週末を空けたくなった次第だ。ちなみに今の時点であざみと会ってから5日が経過している。
もちろん休憩時間や昼休みに仕事しているわけではない。休みは休みでちゃんと休憩している、というか調べものがあるから仕事どころではないのだ。
「里梨さん、昼どうしますー?」
「悪い、パン。」
昼休みもこのように、後輩から食堂へ誘われても最近は断っている。なぜなら、パンを片手に食事しながらスマホで調べ物がしたいから。5分かけて食堂へ行って、10分かけて食事して、また5分かけて戻ってくる時間が勿体ない。それだけあればトランスジェンダーに関する記事が3つは読み込める。
「やっぱ基本は、普通の女性として扱うだけで良さそうだな……。」
このように、パンを食べながらスマホでトランスジェンダーを調べる毎日。意外だったのは、この日本でも性転換手術をすれば戸籍を男から女へ変更出来るらしい。そうして普通に結婚した人の記事なんかも見かけることが出来た。もちろん実の子供は望むべくもないが、そのあたりは別に生まれつき女性であっても出来ない人は出来ないわけで、養子など手段はいくらでもある。と、いうかだ。
「違う違う、結婚や養子の話なんて調べてどうするんだ。そうじゃなくて。」
気が早いわ。いや、気が早いって何だ。ただ友人として話がしたいだけ。そう自分で自分の思考に突っ込みを入れながら、本来の調べ物を進める。知りたかったのはトランスジェンダーの人の思考回路や、悩み。どんな悩みを抱えがちなのか、それを少しでも軽くするにはどうすれば良いか。どんなものが好きなのか。無論人それぞれではあるのだろうが、一般論というか、いわゆる有る有るネタを探している。
「普段から女性としてふるまっているのか、あのお店の中でだけなのかでかなり違う気がするな。」
もちろん可能性としては、ビジネストランスジェンダーまで有るわけで。確率は低そうだけど。思えば4時間にわたって話したとはいえ、言い換えるとまだ4時間分の面識しかないのだから、あざみの人となりを全て知ることなど出来やしないのは当たり前である。
まぁ、それでもだ。
「里梨、今週の週末の、工場での改造案件なんだけど。」
「断ります。どうしてもなら金曜の定時後で調整してくれませんか? 土日は無理です。」
この週末、再びあの店に行くのは確定事項のようだ。
「なんかさー。あざみちゃんいつもと違わない?」
金曜日。あざみは何時ものようにお店でお客様の相手をしながら、ちらちらと入口を何度も気にかけていた。以前リリーが来たのは金曜日だ。であるなら、次来るのも金曜日の可能性が高い。というか、仕事もあることだし、月曜から木曜はいくら待ってても、気にするだけ無駄。そう考えながらなんとか乗り切ってきたが、金曜は思考の逃げ道が無く、ついつい期待してしまう。おかげでお客様の話はあまり頭に入ってこず、なかなかしっかりとした返事が出来ないでいる。
「それで近くに24時間のジムが出来てさ、すぐ会員登録しちゃったよー。まだ行ってないんだけど!」
「便利ですねー。」
「この近くに新しい中華屋ができてさー。行ったことある?」
「あー、いま回転寿司のお店作ってますよねー。」
そんな調子なので、お客様の言葉も半分程度しかかみ砕けず、ずれた答えを返してしまう。新規のお客様だったら怒ってしまうのではないかと周囲のキャストはハラハラしながら会話を聞いていたが、あざみは心ここにあらずといった様相だ。
「大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「すみません、熱は無いんですけど。ちょっと調子悪くて。」
まだ風邪流行ってるからねー。あんまり飲まない方が良いんじゃない? そう言われて、あざみは一言断りお客様の前を中座する。この状態のまま続けても、お金を払ってくれているお客様に失礼だと思ったからだ。こんな状態で相手をするくらいならバックに入って料理していた方がマシである。リリーが来るかどうか気にせず、ただただ料理だけに集中できる気がした。
「たんぽぽさん、すみませんけど……。」
「あー、いいよ今日はバック手伝っててー。もしリリーちゃん来たら教えてあげるから。」
そう、たんぽぽに断りあざみはバックへと下がる。そして止まっている注文が無い事を確認すると、換気扇の下で電子タバコを取り出した。
「はぁ……。何やってんだろ。調子戻さなきゃ。」
お店にも迷惑かかるし、そもそもリリーが来るのを期待することが筋違いだとは理解している。ただのキャストと客だし、それにニューハーフバーだし、私は男だし。でも、脈が無かったらあんなに飲まず食わずでずっと話せるものなんだろうか。でも、脈あるわけないじゃん、普通に考えて。でも、また来るって、次はラーメン行こうって言ってたし。でも、普通の男は女が好きなんだよ。でも、でも、でも……。
換気扇の下で、椅子の上で膝を抱え、額を膝に付けた姿勢で頭を抱えるあざみ。思考はぐるぐると回り、落ち着く様子はない。もし次来てくれることがあったら、連絡先を聞こうかな。そうすれば、こんなに来るか来ないかで悩まなくて済む。教えてくれなかったら、それはそれで脈無しということだ。そう、密かに決意するあざみだった。
ちなみにこのお店、ドアにベルが付いていて、開くと『カランカラン』と比較的大きな音が鳴るようになっている。なぜ突然それを紹介したかというと、
『カランカラン』
「!?」
その音がするたびに、弾かれるようにバックから出てくるあざみが、その日は5回にわたり観測されたからだ。
「あざみちゃん、揚げ物中に出てこないでーーー!?」
結局。その日はリリーが来ることは無かった。
しかもそんな日に限りお店は盛り上がり、朝5時まで営業していてあざみもへとへとだ。お店から歩いて帰れる距離に部屋を借りているから良いものの、片付けして家に帰ったころには6時を過ぎていて。あざみは歯磨きして化粧を落とした後、泥のように眠るのだった。
『ピピピ、ピピピ』
「うーーー。起きなきゃ……。」
夕方の17時。あざみはスマホのアラームで目を覚ますと、のそのそと布団を出る。あざみの部屋はいわゆるワンルームマンションであり、部屋の中はいたってシンプルだ。よく片付けられていてゴミや脱いだ服が放置されている様子もなければ、女の子らしい小物やぬいぐるみ等も無い。
あざみの部屋にある服は全て女性物だ。常に女性の恰好をして、家族や近しい友人にはトランスジェンダーだと告白も済んでいる。しかしそれだけに、互いの家を行き来するような友人も多くはなく、昼は週3でコンビニのバイトを掛け持ちしているだけに部屋の中にいる時間も少ない。
あざみは歯磨きをした後、シャワーを浴び、バーへ出勤する準備を始めるのだった。
「はぁ……。切り替えなきゃ……。」
時刻は18時、いつもなら、そろそろお店に向かう時間だ。たんぽぽや一部のキャストは既に入って開店の準備を始めているころだろう。
本来なら、あざみも既にお店に入って開店準備を手伝っている。看板を出したりお酒や備品を整理したり、開店前にもすることは様々あるのだし、あざみは今まで出勤するときは毎回手伝ってきた。その証拠に、
『今日は休む?』
たんぽぽから、このようなメッセージも来ている。
余計な心配させちゃったかな、とは思うものの、なかなか体が言うことを聞いてくれない。
『ごめんなさい、今起きました! 準備して行きます! ちょっとだけ遅れます!』
そう返事を打った後、スマホを鞄へ投げ入れた。
実際、急いで歩けば10分かからずお店につくものの、まだ着替えてなければ化粧もしていない。もろもろの準備を考えたら19時にお店に入るのは絶望的だ。いや、やる気が出てテキパキと動くことが出来れば間に合うのかもしれないが、いまのあざみにやる気を出せというのは無理な話だった。
「準備……しなきゃ……。」
あざみは濡れた髪も放置したままベットの上で膝を抱いていたが、のろのろとした動きで準備を始めた。この時既に18:30。遅刻確定だ。
まずはドライヤーで髪を乾かす。あざみはポニーテールで仕事をしているため、ヘアセットはまだ時間が掛からないほうだ。
次に顔の産毛を剃る。体の産毛はある程度放置してもいいが、顔はダメだ。髪の毛の生え際なんかを重点にチェックしていく。ちなみにあざみは脱毛しているため、濃い毛は全て脱毛済だ。残念ながら産毛には効果はない。
後は服を選んで、化粧して、という段取りだが、この時点で既に19時。あざみは服を選んだあと、何気なくスマホを手に取った。
『リリーちゃん来たよ』
たんぽぽからのそのメッセージを見た瞬間。あざみは既読すらつけず、過去最高速で化粧して、お店へ走り出した。
水曜日。世間はクリスマスへ向けた準備で忙しさを増し、テレビではクリスマス特集やデートスポットの特番など多少浮ついた空気が流れ始めるころ。クリスマスだからと言って特に準備することのない里梨は、いつもと変わらず職場にて日々の仕事をこなしている、つもりだった。
自覚している変化といえば、今まで8時30分始業なので8時頃職場に入っていたのが、通勤ラッシュに巻き込まれている時間が無駄と感じるようになって朝7時前に職場入りするようになったこと。あと、仕事が始まるまでの待ち時間もそうだが、休憩時間中に今までは睡眠をとっていたのが、スマホで少々調べ物をしている事くらいか。
その2点以外は今までとなにも変わらない、少なくとも本人はそのつもりだ。
「今までも仕事は多かったけど、今週えぐいほど仕事こなしてるよね。なんなら仕事の先食いしてるし。」
「プロジェクト何件同時に持ってるんだろ? 3つまでは知ってるけど、他にも直通の仕事あるって言ってた。」
ただ違うとすれば、金曜に定時で上がるため、もしくは土の夜から日曜の昼までを空けるために、仕事の消化を速めたくらいか。今までは別に残業すればいいし、残っても休日出れば良いと考えていたが、少々思う所があって週末を空けたくなった次第だ。ちなみに今の時点であざみと会ってから5日が経過している。
もちろん休憩時間や昼休みに仕事しているわけではない。休みは休みでちゃんと休憩している、というか調べものがあるから仕事どころではないのだ。
「里梨さん、昼どうしますー?」
「悪い、パン。」
昼休みもこのように、後輩から食堂へ誘われても最近は断っている。なぜなら、パンを片手に食事しながらスマホで調べ物がしたいから。5分かけて食堂へ行って、10分かけて食事して、また5分かけて戻ってくる時間が勿体ない。それだけあればトランスジェンダーに関する記事が3つは読み込める。
「やっぱ基本は、普通の女性として扱うだけで良さそうだな……。」
このように、パンを食べながらスマホでトランスジェンダーを調べる毎日。意外だったのは、この日本でも性転換手術をすれば戸籍を男から女へ変更出来るらしい。そうして普通に結婚した人の記事なんかも見かけることが出来た。もちろん実の子供は望むべくもないが、そのあたりは別に生まれつき女性であっても出来ない人は出来ないわけで、養子など手段はいくらでもある。と、いうかだ。
「違う違う、結婚や養子の話なんて調べてどうするんだ。そうじゃなくて。」
気が早いわ。いや、気が早いって何だ。ただ友人として話がしたいだけ。そう自分で自分の思考に突っ込みを入れながら、本来の調べ物を進める。知りたかったのはトランスジェンダーの人の思考回路や、悩み。どんな悩みを抱えがちなのか、それを少しでも軽くするにはどうすれば良いか。どんなものが好きなのか。無論人それぞれではあるのだろうが、一般論というか、いわゆる有る有るネタを探している。
「普段から女性としてふるまっているのか、あのお店の中でだけなのかでかなり違う気がするな。」
もちろん可能性としては、ビジネストランスジェンダーまで有るわけで。確率は低そうだけど。思えば4時間にわたって話したとはいえ、言い換えるとまだ4時間分の面識しかないのだから、あざみの人となりを全て知ることなど出来やしないのは当たり前である。
まぁ、それでもだ。
「里梨、今週の週末の、工場での改造案件なんだけど。」
「断ります。どうしてもなら金曜の定時後で調整してくれませんか? 土日は無理です。」
この週末、再びあの店に行くのは確定事項のようだ。
「なんかさー。あざみちゃんいつもと違わない?」
金曜日。あざみは何時ものようにお店でお客様の相手をしながら、ちらちらと入口を何度も気にかけていた。以前リリーが来たのは金曜日だ。であるなら、次来るのも金曜日の可能性が高い。というか、仕事もあることだし、月曜から木曜はいくら待ってても、気にするだけ無駄。そう考えながらなんとか乗り切ってきたが、金曜は思考の逃げ道が無く、ついつい期待してしまう。おかげでお客様の話はあまり頭に入ってこず、なかなかしっかりとした返事が出来ないでいる。
「それで近くに24時間のジムが出来てさ、すぐ会員登録しちゃったよー。まだ行ってないんだけど!」
「便利ですねー。」
「この近くに新しい中華屋ができてさー。行ったことある?」
「あー、いま回転寿司のお店作ってますよねー。」
そんな調子なので、お客様の言葉も半分程度しかかみ砕けず、ずれた答えを返してしまう。新規のお客様だったら怒ってしまうのではないかと周囲のキャストはハラハラしながら会話を聞いていたが、あざみは心ここにあらずといった様相だ。
「大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「すみません、熱は無いんですけど。ちょっと調子悪くて。」
まだ風邪流行ってるからねー。あんまり飲まない方が良いんじゃない? そう言われて、あざみは一言断りお客様の前を中座する。この状態のまま続けても、お金を払ってくれているお客様に失礼だと思ったからだ。こんな状態で相手をするくらいならバックに入って料理していた方がマシである。リリーが来るかどうか気にせず、ただただ料理だけに集中できる気がした。
「たんぽぽさん、すみませんけど……。」
「あー、いいよ今日はバック手伝っててー。もしリリーちゃん来たら教えてあげるから。」
そう、たんぽぽに断りあざみはバックへと下がる。そして止まっている注文が無い事を確認すると、換気扇の下で電子タバコを取り出した。
「はぁ……。何やってんだろ。調子戻さなきゃ。」
お店にも迷惑かかるし、そもそもリリーが来るのを期待することが筋違いだとは理解している。ただのキャストと客だし、それにニューハーフバーだし、私は男だし。でも、脈が無かったらあんなに飲まず食わずでずっと話せるものなんだろうか。でも、脈あるわけないじゃん、普通に考えて。でも、また来るって、次はラーメン行こうって言ってたし。でも、普通の男は女が好きなんだよ。でも、でも、でも……。
換気扇の下で、椅子の上で膝を抱え、額を膝に付けた姿勢で頭を抱えるあざみ。思考はぐるぐると回り、落ち着く様子はない。もし次来てくれることがあったら、連絡先を聞こうかな。そうすれば、こんなに来るか来ないかで悩まなくて済む。教えてくれなかったら、それはそれで脈無しということだ。そう、密かに決意するあざみだった。
ちなみにこのお店、ドアにベルが付いていて、開くと『カランカラン』と比較的大きな音が鳴るようになっている。なぜ突然それを紹介したかというと、
『カランカラン』
「!?」
その音がするたびに、弾かれるようにバックから出てくるあざみが、その日は5回にわたり観測されたからだ。
「あざみちゃん、揚げ物中に出てこないでーーー!?」
結局。その日はリリーが来ることは無かった。
しかもそんな日に限りお店は盛り上がり、朝5時まで営業していてあざみもへとへとだ。お店から歩いて帰れる距離に部屋を借りているから良いものの、片付けして家に帰ったころには6時を過ぎていて。あざみは歯磨きして化粧を落とした後、泥のように眠るのだった。
『ピピピ、ピピピ』
「うーーー。起きなきゃ……。」
夕方の17時。あざみはスマホのアラームで目を覚ますと、のそのそと布団を出る。あざみの部屋はいわゆるワンルームマンションであり、部屋の中はいたってシンプルだ。よく片付けられていてゴミや脱いだ服が放置されている様子もなければ、女の子らしい小物やぬいぐるみ等も無い。
あざみの部屋にある服は全て女性物だ。常に女性の恰好をして、家族や近しい友人にはトランスジェンダーだと告白も済んでいる。しかしそれだけに、互いの家を行き来するような友人も多くはなく、昼は週3でコンビニのバイトを掛け持ちしているだけに部屋の中にいる時間も少ない。
あざみは歯磨きをした後、シャワーを浴び、バーへ出勤する準備を始めるのだった。
「はぁ……。切り替えなきゃ……。」
時刻は18時、いつもなら、そろそろお店に向かう時間だ。たんぽぽや一部のキャストは既に入って開店の準備を始めているころだろう。
本来なら、あざみも既にお店に入って開店準備を手伝っている。看板を出したりお酒や備品を整理したり、開店前にもすることは様々あるのだし、あざみは今まで出勤するときは毎回手伝ってきた。その証拠に、
『今日は休む?』
たんぽぽから、このようなメッセージも来ている。
余計な心配させちゃったかな、とは思うものの、なかなか体が言うことを聞いてくれない。
『ごめんなさい、今起きました! 準備して行きます! ちょっとだけ遅れます!』
そう返事を打った後、スマホを鞄へ投げ入れた。
実際、急いで歩けば10分かからずお店につくものの、まだ着替えてなければ化粧もしていない。もろもろの準備を考えたら19時にお店に入るのは絶望的だ。いや、やる気が出てテキパキと動くことが出来れば間に合うのかもしれないが、いまのあざみにやる気を出せというのは無理な話だった。
「準備……しなきゃ……。」
あざみは濡れた髪も放置したままベットの上で膝を抱いていたが、のろのろとした動きで準備を始めた。この時既に18:30。遅刻確定だ。
まずはドライヤーで髪を乾かす。あざみはポニーテールで仕事をしているため、ヘアセットはまだ時間が掛からないほうだ。
次に顔の産毛を剃る。体の産毛はある程度放置してもいいが、顔はダメだ。髪の毛の生え際なんかを重点にチェックしていく。ちなみにあざみは脱毛しているため、濃い毛は全て脱毛済だ。残念ながら産毛には効果はない。
後は服を選んで、化粧して、という段取りだが、この時点で既に19時。あざみは服を選んだあと、何気なくスマホを手に取った。
『リリーちゃん来たよ』
たんぽぽからのそのメッセージを見た瞬間。あざみは既読すらつけず、過去最高速で化粧して、お店へ走り出した。
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