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月桂樹の花を抜く
隣同士で
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「いや、本当はダメなんだけどね、あんなに楽しそうだとなかなか注意しにくいのよねぇ……」
かれこれ2時間、リリーとあざみは隣同士で座ったまま、ろくにお酒にも手をつけず仲睦まじく会話に花を咲かせている。
テーブルの上には里梨のビールとポテトフライ、あざみのハイボールが置かれているが、そのどれもがたまに思い出したように少しずつ消費されるのみで、追加注文は2時間無しだ。
お店的には何も注文されないこと、キャストも何も消費しないこと、隣同士で長時間話していることの三つでアウトな行為。いや、最後のはアウトどころか本来退場だ。だが、たんぽぽはそれを言うのも憚られた。
なぜなら普段のあざみを知っているし、何ならあざみの過去も知っているからだ。それだけに、あれほど楽しそうなあざみを見ていると眦が下がる思いであった。
「あざみちゃんの過去って? 何かあったの?」
たんぽぽが小川に対してそんな事をかい摘んで話すと、当然小川からはこのような質問が来る。
「うん、あったのよー。本人から聞いてね!」
教えてくれればだけどね! そう続けたたんぽぽに対し、そりゃそうだ、と返す小川。他人の過去をぺらぺら話すつもりもなければ、言いたくない過去を自分の興味本位で問い詰める気も無い二人。話の流れや、向こうからの打ち明けなどが無い限り小川が知ることはないだろう。それならそれでいい、と思う程度には小川も大人だ。
ちなみに。
「小川ちゃん、たんたかのボトル無くなったけどどうする? 3本目いれる?」
一切消費しない2人に代わり気炎を吐いている小川は影の、いや日向の功労者だ。テーブルの上にはファミレスもかくやというほど料理が並んでいる。
なんなら隣のテーブルの女性客も巻き込んで、焼きそば、たこ焼き、ピザ、から揚げと消費していた。もちろんたんぽぽにお酒を飲ませるのも忘れない。安いとはいえ既にビールと焼酎を何杯飲んだか定かではなく、そろそろ所持金が怪しくなる頃合いだ。カードでも良いのだが、こういうお店でカード払いするのは大人の事情が絡んでくる。
「うーん、うーん。とりあえずボトルだけ入れておいて、また来る、でも良い?」
ほら、ちょうど2時間だし。そう続けた小川に対し、たんぽぽは笑顔で頷いた。もちろん小川の気遣いは十全に理解しているつもりだし、それに対し変に遠慮するのは違う、この場合とことん乗る事こそが肝要だと思っている。なのでたんぽぽの気遣いは、小川に気づかれないように、こっそりと乗せておくことにする。具体的にはたんぽぽが飲んだ分の料金を少し減らす、という形にして。あの子働いてるって言い難いし、あざみの時給から引こうかしら、などと思いながら。
「料理どうする? つめる?」
「うん、おねがーい! 会計も。あ、こっちの分だけね。」
「あっち5000円も行ってないよ?」
「そうだけど、俺が払うとリリーが気にするじゃん?」
ああ、なるほどね。先輩だものね。そんな会話をしながら手際よく片付けをすすめるたんぽぽ。余った料理はパック詰めして、少ししかないものはそのまま小川にあーん、だ。小川は小川で、隣の女性客と別れの挨拶をする。
「それじゃ、おおまけで200万でいいよ。」
「はいはい。2万ね。残りは出世払いで!」
少々声を落としてそんな会話をしたあと、小川はこっそりと帰って行った。
その一方で、リリーとあざみはと言うと。
「わわ、仕事で海外いってたなんて凄いね! どこ行ってたの?」
「最近行ってたのはブラジルだよ、写真見る?」
「いいなー! 見せて見せて!!」
これがサンパウロの街並みで……こっちが世界最大の滝で……。と、2人で肩と脚をくっ付けて一つのスマホを眺めている。あざみも既に敬語は取れて、出会ったばかりだというのに既に比翼の鳥のような様相だ。
「ま、今は常連さんしか居ないし、良いんだけどね……。かなり意外だわー。」
まさかあざみちゃんがねー。そう呟きながら、洗い物を進めるたんぽぽだった。
―――――25時。
「おふたりさーん。どうする? まだ居る?」
一応、お店的には閉店の時間だ。システム的には、お客が居なくなるなら閉めるし、まだ居るなら29時まで延長しても良い、ということになっている。29時なのは少し待てば始発に乗れる時間なのと、それまでに酔いと頭を覚ませてもらおうという意図である。
すでに店内には他の客の姿は無く、たんぽぽとしては他のキャストを返して店も閉めたいなーと考えていた。
一方リリーは、このときやっと小川が既にいないことに気が付く。
「あれ、小川は?」
「2時間前に帰ったわ。」
「2時間!? ってか今何時?」
25時よー。終電終わってるよ。そう続けたたんぽぽに対し、リリーは思わず頭を抱える。あざみとの会話が楽しかったのは確かだが、まさかそこまで集中するとは思っていなかった。ちなみにあざみに写真を見せている時に、時間に注意しなきゃなーと頭の片隅で思ったことは覚えている。覚えているだけで、結局注意していないのだが。
今日は朝までネットカフェかビデオの試写室かなー、などと考えるリリーに対してあざみが声をかける。
「リリー、ごめんね話に夢中になってて。けど朝5時までここに居てもいいんだよ?」
「あざみちゃん。今から5時まで営業続けると、席代が+6000円よ。外行った方が安いわ。それにカウンター限定だしね。」
「あ、そっか。」
うーん、どうしようかなー。そう呟いて何かを考えるあざみ。その傍ら、リリーは少々別の事を考えていた。
(……ヤバいな。)
何がヤバいって、これほど話に夢中になると思っていなかったからだ。女性の居るお店に行っても、いつも早く帰りたいな、付き合いじゃなかったら来ないんだけどな、などと考えていたし、何なら彼女と居たときも時間を忘れて会話する、などといった経験はなかった。それこそ学生時代に気の合う仲間と語り明かしたとき以来の経験だ。見た目は女性とはいえ、やはり本当の女性じゃないからここまで話も合うし、気を遣わず話が出来るのか? などと考えながら、何気なくあざみを見る。すると、あざみもリリーを見つめていて。
「もうちょっと話したいね。」
と、満面の笑顔で言われ、リリーは思わず顔で手を覆った。にやけるのを隠すために。
「二人ともアフター行って来たらー? ラーメンでも食べてきなよ。その間に店じまいするから、朝まで行くとこ無かったらここ戻ってきていいよー? 閉店しちゃえば席代も請求しないし。」
何も出さないけどね! そう続けるたんぽぽ。
店を閉めるのは決定事項なのか、既に他のキャストへ営業終了の指示を出している。
「それ天才! リリー、私行ってみたいラーメン屋さんある!」
確か2時までだからまだやってると思う! そういいつつ自らのスマホでラーメン屋を調べだすあざみに対し、リリーは待ったをかけた。
本音をいえば、このままあざみと話し続けたいし、一緒にラーメンも食べに行きたい。行きたいが……
「いや、今日はここで帰るよ。」
「えっ!? でも、ラーメン……。」
「ごめんね、絶対また来るから。」
たんぽぽさん、お会計おねがい。そう伝え、会計を済ませると。リリーはあざみに一度手を振った後、店を後にした。
カン、カン、カン。
店からの帰り、エレベーターを使う気にならなかった里梨は非常階段を使い一階へ降りていく。ろくに飲んでいないのに火照った頭を冷やすためだ。街は人の通りも疎らになり、微妙に饐えた匂いも漂ってくるが、それでも冬の風は頭を冷やしてくれる。
これが冬で良かった、里梨は心底そう思った。夏だったら火照った頭も冷えず、むしろ余計に火照ったままアフター等へ行っているかもしれない。
「あれ? 一人で帰るんですか?」
非常階段で1階まで下りてくると、灰皿置き場で紙たばこを吸っているキャストが居た。名前は憶えていないが、最初についてくれた人のはず。
里梨は軽く会釈だけして離れるつもりだったが、そのキャストは続けて話し出した。
「絶対朝までいるか、あざみちゃんとアフター行くと思ったのに。」
「……そんな分かりやすかった?」
「あぁ、わかりやすかったのは、あざみちゃんね。」
ノリ良いお客さんはいっぱいいるけど、あざみちゃんがずっとしゃべってる所なんて見たことないし。そんなことを言われ、里梨は思わず歩みを止める。お店柄、お客さんと話すのが仕事のような気がするのだが。
「そりゃ酔えば陽気に喋るけどね。キャストなら飲んで飲ませてが仕事でしょ!」
ありゃ仕事してなかったね、そう笑う。実際、里梨の会計はほぼ席代のみだった。ちょっとお店に悪い事したかな、あざみが怒られてなかったらいいけど。そう思い、次回はちゃんとお酒を飲むようにしよう、と決意する。
「なんで帰っちゃうの? 楽しくなかった?」
「いや、楽しかったし、久々にすごく癒されたよ。けど……。」
けど。けど、自分は何を言おうとしているのか、うまく言語化出来ない。ただただ、思ったことをそのまま、纏めずに垂れ流すとすれば。
「アフターとか言われると、あぁ、お店の延長だなって思っちゃって。考えすぎとか自意識過剰とか言われると思うけど。」
「なに、ガチ恋?」
「ちげーよ。」
そう即座に否定の言葉を口にする。だが。
「何というか、お店に居るときにお店モードなのは当然だから良いんだけど、お店の外でお店モードなのは見たくないだけで……何言ってるかわからんね。帰るわ。」
「いやあれお店モードじゃ……」
なにか言っているキャストを残し、里梨は帰って行った。
「ガチ恋じゃん。何? 自覚なし? わざと?」
そう呆れたように呟くキャストだった。
「長時間横に座っちゃダメって説明したでしょ!!」
「ごめんなさい!!」
一方、店内にはたんぽぽとあざみが残って会話しながら片付け作業を続けていた。たんぽぽは食洗器に食器を突っ込み、未使用のおしぼりを広げて乾かし、今は空き瓶を順番に軽く洗浄しているところだ。あざみは店の奥から順番に、テーブルの掃除とイスの間のチェック、床の雑巾がけを並行して行っている。
たんぽぽの言葉に対しては謝罪で返事をしているものの、その顔は別の事を考えているのが丸わかりだ。
「で、どうなの?」
空き瓶の洗浄が終わり今から外に出そうというタイミングで、たんぽぽはテーブルを拭いているあざみへそう切り出した。あざみはというとテーブルを拭く手を止めて、きょとんとした表情でたんぽぽを見る。
「どうって?」
「リリーちゃんよ。良い人よね?」
「やだなー。私はそんなつもりじゃないよー。」
そう答え、テーブルを拭くのを再開するあざみ。その表情はたんぽぽからうかがい知ることは出来ない。しばらく様子を見ていたたんぽぽだが、10秒経っても、20秒経ってもテーブルは拭き終わらず、あざみの顔が上がることは無かった。
ちょっと一人にしてあげたほうがいいのかな、そう思い、空き瓶が20本入ったケースを持ち上げるたんぽぽ。ドアを開けるために膝を振り上げようかというタイミングで、一人のキャストが店内へと帰ってくる。
「あら、いつから自動ドアになったのかしら?」
「ドアマンでお給料出るならいつでも転職するよ?」
「年俸3万で良かったら歓迎するわよー。」
そんな会話をしながら、ドアが閉まらないように手で押さえ、たんぽぽの通り道を確保するキャスト。
「かずみさん? 帰ったんじゃなかったの?」
「下でタバコ吸ってただけー。サーバー掃除した? まだ? じゃあやるわ。」
声でかずみが戻ったことに気が付いたあざみはそう声を掛ける。かずみは、うつむいたままのあざみにそう返事をすると、カウンターの奥にあるビールサーバーへと向き合った。ちなみにたんぽぽが外に出た時点でドアは離している。
「あざみちゃんさー。リリーちゃんアフター誘った?」
「……断られちゃったー。女子力足らない?」
いつもより高く、かすかに震える声を聴きながら、かずみは手際よくサーバー洗浄の準備を進める。ちなみに今日来ていたキャストの中では、すでに里梨はリリーちゃんで認知されたようだ。
「貴方だけに特別、って感じが足りないんじゃない?」
「そうかなー?」
「そうだよー。お店モード見せてからじゃないと乙女モード見せても効果薄いよ。」
「乙女モードって何!?」
思わずといった体で顔を上げるあざみ。かずみは、その瞳が湿っていることに気が付くも、とくに指摘せず一瞥するにとどめた。
「連絡先聞いてプライベートで会って付き合えばいいじゃん。」
「ちょっと、私の前でそんなこと言わないでくれる?」
「営業の指導でーす。」
「軽々しく付き合うとか言うなって言ってんの!」
「あ? チャンスがあるなら動くほうが良いに決まってんじゃん。」
外から戻ってきたたんぽぽが、かずみの言葉に反応する。言い合いが始まる二人に対して、あざみはただ困惑していた。
「あざみが傷付いてるの知ってるだろ! なんでそんな軽々しく言えんだよ」
「傷で済んでるんだから、あざみだって引き際弁えてるってことだろ。リリーなら大丈夫だって! 過保護すぎんだよ!」
方向性は違うが、両者ともあざみのことを思って発言しているのは伝わってくるため、あざみは居たたまれなくなり、
「あの、トイレ掃除してきます……」
その場を逃げることにした。
かれこれ2時間、リリーとあざみは隣同士で座ったまま、ろくにお酒にも手をつけず仲睦まじく会話に花を咲かせている。
テーブルの上には里梨のビールとポテトフライ、あざみのハイボールが置かれているが、そのどれもがたまに思い出したように少しずつ消費されるのみで、追加注文は2時間無しだ。
お店的には何も注文されないこと、キャストも何も消費しないこと、隣同士で長時間話していることの三つでアウトな行為。いや、最後のはアウトどころか本来退場だ。だが、たんぽぽはそれを言うのも憚られた。
なぜなら普段のあざみを知っているし、何ならあざみの過去も知っているからだ。それだけに、あれほど楽しそうなあざみを見ていると眦が下がる思いであった。
「あざみちゃんの過去って? 何かあったの?」
たんぽぽが小川に対してそんな事をかい摘んで話すと、当然小川からはこのような質問が来る。
「うん、あったのよー。本人から聞いてね!」
教えてくれればだけどね! そう続けたたんぽぽに対し、そりゃそうだ、と返す小川。他人の過去をぺらぺら話すつもりもなければ、言いたくない過去を自分の興味本位で問い詰める気も無い二人。話の流れや、向こうからの打ち明けなどが無い限り小川が知ることはないだろう。それならそれでいい、と思う程度には小川も大人だ。
ちなみに。
「小川ちゃん、たんたかのボトル無くなったけどどうする? 3本目いれる?」
一切消費しない2人に代わり気炎を吐いている小川は影の、いや日向の功労者だ。テーブルの上にはファミレスもかくやというほど料理が並んでいる。
なんなら隣のテーブルの女性客も巻き込んで、焼きそば、たこ焼き、ピザ、から揚げと消費していた。もちろんたんぽぽにお酒を飲ませるのも忘れない。安いとはいえ既にビールと焼酎を何杯飲んだか定かではなく、そろそろ所持金が怪しくなる頃合いだ。カードでも良いのだが、こういうお店でカード払いするのは大人の事情が絡んでくる。
「うーん、うーん。とりあえずボトルだけ入れておいて、また来る、でも良い?」
ほら、ちょうど2時間だし。そう続けた小川に対し、たんぽぽは笑顔で頷いた。もちろん小川の気遣いは十全に理解しているつもりだし、それに対し変に遠慮するのは違う、この場合とことん乗る事こそが肝要だと思っている。なのでたんぽぽの気遣いは、小川に気づかれないように、こっそりと乗せておくことにする。具体的にはたんぽぽが飲んだ分の料金を少し減らす、という形にして。あの子働いてるって言い難いし、あざみの時給から引こうかしら、などと思いながら。
「料理どうする? つめる?」
「うん、おねがーい! 会計も。あ、こっちの分だけね。」
「あっち5000円も行ってないよ?」
「そうだけど、俺が払うとリリーが気にするじゃん?」
ああ、なるほどね。先輩だものね。そんな会話をしながら手際よく片付けをすすめるたんぽぽ。余った料理はパック詰めして、少ししかないものはそのまま小川にあーん、だ。小川は小川で、隣の女性客と別れの挨拶をする。
「それじゃ、おおまけで200万でいいよ。」
「はいはい。2万ね。残りは出世払いで!」
少々声を落としてそんな会話をしたあと、小川はこっそりと帰って行った。
その一方で、リリーとあざみはと言うと。
「わわ、仕事で海外いってたなんて凄いね! どこ行ってたの?」
「最近行ってたのはブラジルだよ、写真見る?」
「いいなー! 見せて見せて!!」
これがサンパウロの街並みで……こっちが世界最大の滝で……。と、2人で肩と脚をくっ付けて一つのスマホを眺めている。あざみも既に敬語は取れて、出会ったばかりだというのに既に比翼の鳥のような様相だ。
「ま、今は常連さんしか居ないし、良いんだけどね……。かなり意外だわー。」
まさかあざみちゃんがねー。そう呟きながら、洗い物を進めるたんぽぽだった。
―――――25時。
「おふたりさーん。どうする? まだ居る?」
一応、お店的には閉店の時間だ。システム的には、お客が居なくなるなら閉めるし、まだ居るなら29時まで延長しても良い、ということになっている。29時なのは少し待てば始発に乗れる時間なのと、それまでに酔いと頭を覚ませてもらおうという意図である。
すでに店内には他の客の姿は無く、たんぽぽとしては他のキャストを返して店も閉めたいなーと考えていた。
一方リリーは、このときやっと小川が既にいないことに気が付く。
「あれ、小川は?」
「2時間前に帰ったわ。」
「2時間!? ってか今何時?」
25時よー。終電終わってるよ。そう続けたたんぽぽに対し、リリーは思わず頭を抱える。あざみとの会話が楽しかったのは確かだが、まさかそこまで集中するとは思っていなかった。ちなみにあざみに写真を見せている時に、時間に注意しなきゃなーと頭の片隅で思ったことは覚えている。覚えているだけで、結局注意していないのだが。
今日は朝までネットカフェかビデオの試写室かなー、などと考えるリリーに対してあざみが声をかける。
「リリー、ごめんね話に夢中になってて。けど朝5時までここに居てもいいんだよ?」
「あざみちゃん。今から5時まで営業続けると、席代が+6000円よ。外行った方が安いわ。それにカウンター限定だしね。」
「あ、そっか。」
うーん、どうしようかなー。そう呟いて何かを考えるあざみ。その傍ら、リリーは少々別の事を考えていた。
(……ヤバいな。)
何がヤバいって、これほど話に夢中になると思っていなかったからだ。女性の居るお店に行っても、いつも早く帰りたいな、付き合いじゃなかったら来ないんだけどな、などと考えていたし、何なら彼女と居たときも時間を忘れて会話する、などといった経験はなかった。それこそ学生時代に気の合う仲間と語り明かしたとき以来の経験だ。見た目は女性とはいえ、やはり本当の女性じゃないからここまで話も合うし、気を遣わず話が出来るのか? などと考えながら、何気なくあざみを見る。すると、あざみもリリーを見つめていて。
「もうちょっと話したいね。」
と、満面の笑顔で言われ、リリーは思わず顔で手を覆った。にやけるのを隠すために。
「二人ともアフター行って来たらー? ラーメンでも食べてきなよ。その間に店じまいするから、朝まで行くとこ無かったらここ戻ってきていいよー? 閉店しちゃえば席代も請求しないし。」
何も出さないけどね! そう続けるたんぽぽ。
店を閉めるのは決定事項なのか、既に他のキャストへ営業終了の指示を出している。
「それ天才! リリー、私行ってみたいラーメン屋さんある!」
確か2時までだからまだやってると思う! そういいつつ自らのスマホでラーメン屋を調べだすあざみに対し、リリーは待ったをかけた。
本音をいえば、このままあざみと話し続けたいし、一緒にラーメンも食べに行きたい。行きたいが……
「いや、今日はここで帰るよ。」
「えっ!? でも、ラーメン……。」
「ごめんね、絶対また来るから。」
たんぽぽさん、お会計おねがい。そう伝え、会計を済ませると。リリーはあざみに一度手を振った後、店を後にした。
カン、カン、カン。
店からの帰り、エレベーターを使う気にならなかった里梨は非常階段を使い一階へ降りていく。ろくに飲んでいないのに火照った頭を冷やすためだ。街は人の通りも疎らになり、微妙に饐えた匂いも漂ってくるが、それでも冬の風は頭を冷やしてくれる。
これが冬で良かった、里梨は心底そう思った。夏だったら火照った頭も冷えず、むしろ余計に火照ったままアフター等へ行っているかもしれない。
「あれ? 一人で帰るんですか?」
非常階段で1階まで下りてくると、灰皿置き場で紙たばこを吸っているキャストが居た。名前は憶えていないが、最初についてくれた人のはず。
里梨は軽く会釈だけして離れるつもりだったが、そのキャストは続けて話し出した。
「絶対朝までいるか、あざみちゃんとアフター行くと思ったのに。」
「……そんな分かりやすかった?」
「あぁ、わかりやすかったのは、あざみちゃんね。」
ノリ良いお客さんはいっぱいいるけど、あざみちゃんがずっとしゃべってる所なんて見たことないし。そんなことを言われ、里梨は思わず歩みを止める。お店柄、お客さんと話すのが仕事のような気がするのだが。
「そりゃ酔えば陽気に喋るけどね。キャストなら飲んで飲ませてが仕事でしょ!」
ありゃ仕事してなかったね、そう笑う。実際、里梨の会計はほぼ席代のみだった。ちょっとお店に悪い事したかな、あざみが怒られてなかったらいいけど。そう思い、次回はちゃんとお酒を飲むようにしよう、と決意する。
「なんで帰っちゃうの? 楽しくなかった?」
「いや、楽しかったし、久々にすごく癒されたよ。けど……。」
けど。けど、自分は何を言おうとしているのか、うまく言語化出来ない。ただただ、思ったことをそのまま、纏めずに垂れ流すとすれば。
「アフターとか言われると、あぁ、お店の延長だなって思っちゃって。考えすぎとか自意識過剰とか言われると思うけど。」
「なに、ガチ恋?」
「ちげーよ。」
そう即座に否定の言葉を口にする。だが。
「何というか、お店に居るときにお店モードなのは当然だから良いんだけど、お店の外でお店モードなのは見たくないだけで……何言ってるかわからんね。帰るわ。」
「いやあれお店モードじゃ……」
なにか言っているキャストを残し、里梨は帰って行った。
「ガチ恋じゃん。何? 自覚なし? わざと?」
そう呆れたように呟くキャストだった。
「長時間横に座っちゃダメって説明したでしょ!!」
「ごめんなさい!!」
一方、店内にはたんぽぽとあざみが残って会話しながら片付け作業を続けていた。たんぽぽは食洗器に食器を突っ込み、未使用のおしぼりを広げて乾かし、今は空き瓶を順番に軽く洗浄しているところだ。あざみは店の奥から順番に、テーブルの掃除とイスの間のチェック、床の雑巾がけを並行して行っている。
たんぽぽの言葉に対しては謝罪で返事をしているものの、その顔は別の事を考えているのが丸わかりだ。
「で、どうなの?」
空き瓶の洗浄が終わり今から外に出そうというタイミングで、たんぽぽはテーブルを拭いているあざみへそう切り出した。あざみはというとテーブルを拭く手を止めて、きょとんとした表情でたんぽぽを見る。
「どうって?」
「リリーちゃんよ。良い人よね?」
「やだなー。私はそんなつもりじゃないよー。」
そう答え、テーブルを拭くのを再開するあざみ。その表情はたんぽぽからうかがい知ることは出来ない。しばらく様子を見ていたたんぽぽだが、10秒経っても、20秒経ってもテーブルは拭き終わらず、あざみの顔が上がることは無かった。
ちょっと一人にしてあげたほうがいいのかな、そう思い、空き瓶が20本入ったケースを持ち上げるたんぽぽ。ドアを開けるために膝を振り上げようかというタイミングで、一人のキャストが店内へと帰ってくる。
「あら、いつから自動ドアになったのかしら?」
「ドアマンでお給料出るならいつでも転職するよ?」
「年俸3万で良かったら歓迎するわよー。」
そんな会話をしながら、ドアが閉まらないように手で押さえ、たんぽぽの通り道を確保するキャスト。
「かずみさん? 帰ったんじゃなかったの?」
「下でタバコ吸ってただけー。サーバー掃除した? まだ? じゃあやるわ。」
声でかずみが戻ったことに気が付いたあざみはそう声を掛ける。かずみは、うつむいたままのあざみにそう返事をすると、カウンターの奥にあるビールサーバーへと向き合った。ちなみにたんぽぽが外に出た時点でドアは離している。
「あざみちゃんさー。リリーちゃんアフター誘った?」
「……断られちゃったー。女子力足らない?」
いつもより高く、かすかに震える声を聴きながら、かずみは手際よくサーバー洗浄の準備を進める。ちなみに今日来ていたキャストの中では、すでに里梨はリリーちゃんで認知されたようだ。
「貴方だけに特別、って感じが足りないんじゃない?」
「そうかなー?」
「そうだよー。お店モード見せてからじゃないと乙女モード見せても効果薄いよ。」
「乙女モードって何!?」
思わずといった体で顔を上げるあざみ。かずみは、その瞳が湿っていることに気が付くも、とくに指摘せず一瞥するにとどめた。
「連絡先聞いてプライベートで会って付き合えばいいじゃん。」
「ちょっと、私の前でそんなこと言わないでくれる?」
「営業の指導でーす。」
「軽々しく付き合うとか言うなって言ってんの!」
「あ? チャンスがあるなら動くほうが良いに決まってんじゃん。」
外から戻ってきたたんぽぽが、かずみの言葉に反応する。言い合いが始まる二人に対して、あざみはただ困惑していた。
「あざみが傷付いてるの知ってるだろ! なんでそんな軽々しく言えんだよ」
「傷で済んでるんだから、あざみだって引き際弁えてるってことだろ。リリーなら大丈夫だって! 過保護すぎんだよ!」
方向性は違うが、両者ともあざみのことを思って発言しているのは伝わってくるため、あざみは居たたまれなくなり、
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