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第二十七話『ウルス山にて 後編』

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 四メートルを超えるであろう巨体。上半身は獅子、下半身は山羊の形を成し、尾は大蛇。
 獅子の足で踏み潰された男の名前は何と言っただろうか。
 俺達の目の前には、見るも無残な肉塊と化した男によって作り出された血溜りの池。
 
 断言できる。
 マモンほどではないとはいえ、この日まで目にしてきた生き物の中でも、視線の先にいるこの魔物は、最も強い怪物だと。

 ――これがキマイラか。
 俺は城の書物でしか見たことがない魔物を前にして、戦慄が全身を駆け巡っていた。
 ミノタウロスの時とはまた違う威圧感プレッシャーを放つ存在が、俺達の直ぐ目の前にいる。
 獅子と大蛇の四つの真っ赤な眼球が、動いた。
 その目玉の中に硬直している俺達の姿を映すと、大蛇が口を大きく開き、近くにいた男の右腕に噛み付いた。

 ――ブチッ、という嫌な音とともに男の右腕が根元から喰いちぎられる。

「ぎ、ぎぃやああああああああ!?」

 腕を喰いちぎられたのは『疾風』の一人だ。
 男はその場にうずくまり、悲鳴を上げながら残った左手で右肩を抑えている。
 大蛇は喰いちぎった右腕をガリッ、ゴリッ、と骨ごと噛み砕き、飲み込んでいく。
 その光景を目にして我に返った俺は、即座に剣を構えキマイラ目掛けて刺突を繰り出す。
 しかし、俺の攻撃は当たることなく、キマイラは一瞬で後方に飛び退いていた。
 キマイラとの距離が開いた事に安堵する間もなく、直ぐ傍では阿鼻叫喚の声が上がる。

「チクショウ!! バルドがっ! バルドがぁ……」
「アアアァッ、痛えぇ!! 痛ぇよおおぉっ!?」
「おい!? フリッツ!! 大丈夫か!? クソっ! この回復薬じゃ血が止まらねぇ――!?」

 トール達『炎狼』のメンバーは、キマイラによって見るも無惨に殺された男の名前を叫びながら、咽び泣く。
 イグナシオは、右腕を喰いちぎられた痛みで泣き叫んでいる男に回復薬を振り掛けているが、損傷が激しすぎるのか、はたまた回復薬がそれほど高価なものではないのか、殆ど効いていないようだ。
 傷口から血が止めどなく流れ出しており、このままでは命に関わる。
 俺はキマイラを牽制しつつ、フリッツと呼ばれた男に近寄り、【生命癒術】をかける。
 みるみる内に傷口が塞がっていき、出血が収まる。
 痛みも引いたのか、泣き叫んでいたフリッツは目を大きく見開いて、自分の右肩と俺の顔を交互に見比べていたが、助かったことが分かると、今度は嬉し涙を浮かべて俺に感謝の言葉を吐き出す。 

「ううぅ……有難う。本当に有難う」
「――カーマイン。恩にきる」
「助かる命があるなら、見捨てるわけにはいかないですよ。
 それよりも……まずは奴を何とかすることを考えましょう。
 話はそれからです!」
「――だな! ……フリッツ! お前は下がれっ。その腕じゃ戦えん」
「っっ――! 分かった!」

 イグナシオはフリッツが後方に下がるのを確認すると、今度はトール達『炎狼』に向かって声を張り上げる。

「トーーール!! いつまでも泣いてんじゃねぇっ!!」
「ぐっ……! だ、だってよぅ……バルドは俺達がガキの頃からの親友ダチだったんだ!
 それが、うぅ……」
「いいかっ! 俺達は冒険者だ! 命を落とす事だってある!
 死ぬ危険リスクを承知で、俺達は冒険者になったんだろうがっ!!
 死んだ人間は帰って来ねえんだ! 残された俺達がバルドの為に出来る事を考えろや!」
「――残された俺達が、バルドの為に出来る……こと?」

 どうすべきか思い浮かばないのだろう。イグナシオの言葉に、トール達の表情に困惑の色が浮かぶ。
 チッ、と舌打ちして頭をがしがしと掻き毟るイグナシオ。
 そしてトール達を睨みつける。

「ったく、『生きること』に決まってんだろうがっ!」
「生きる……こと?」
「ああそうだ! 死んだバルドの分まで生きろ。
 お前らが命を落とす最後の瞬間まで、どんだけ足掻いてもいいから生きて、生きて、生き抜いてやれ!
 ――それが生き残ったお前らの責務だっ!」
「「「ッッ――――!?」」」

 トール達の目が大きく見開き、愕然とした顔でイグナシオを見つめる。
 イグナシオはトール達の顔を見ながら一度だけ大きく頷いてみせた。
 それを見たトール達はもう一度だけバルドの亡骸に目をやり、そして再び俺達の方に顔を向き直す。
 三人の表情は先ほどまでと違い、覚悟を決めた冒険者の顔に変わっていた。
 但し、それは生を諦めた顔ではない。何が何でもこの場を生き抜いてやる、そんな決意に満ちた表情だった。

 ――これで何とかなる。
 そう考えていた俺達だったのだが、これまで威嚇のみで静観していたキマイラが、嘲笑するかのように獅子の顔を頭上に向けた。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!」

 キマイラは天を仰いで雄叫びを上げる。山の隅々にまで届くキマイラの叫び声に反応して出てきたのは――オーガ達だ。

「なんだとっ!?」

 突如として現れた魔物にイグナシオが驚きに満ちた声をあげる。
 木々からキマイラのもとに集まってきたオーガの数は三匹。通常であれば絶望的な光景だ。
 しかし、その場に居る俺を含めた冒険者達の眼に、諦めの色を滲ませた者は一人も居ない。
 恐れを激しい表情の奥に封じ込め、この場を何とか切り抜けようと全員が武器を手にして、魔物たちに相対している。
 俺はイグナシオに声を掛けた。

「――イグナシオさん、トールさん。
 戦闘が始まる前の話を覚えていますか?」
「ん? あぁ。オーガが複数いた場合ってやつだな。
 覚えちゃいるが」
「『疾風』も『炎狼』も一人欠けた状態にはなっていますが、それぞれ一匹ずつお願いします」
「でもってもう一匹はお前らがやるってわけか。
 そうなるとキマイラが残っちまうが、それはどうするつもりだ?
 キマイラだって、オーガと戦ってる無防備な状態の俺達を放っておくわけないぞ?」

 イグナシオが当然の質問を俺に投げかけてくる。
 トールや他の男達も頷いていたが、そこに――。

「それなら大丈夫よ。だって、オーガの相手をするのは私とエルリックだけだしね」
「ああ。俺とエルザでオーガを相手取る。そして――」
「残った俺が、キマイラの相手をします」

 俺達三人はそう言って『疾風』と『炎狼』の面々に頷いてみせた。
 この提案に最年長のイグナシオが待ったをかける。
 
「それだったら俺達がキマイラを――」
「いえ、少なくともキマイラはミノタウロス級の魔物です。
 皆さんはミノタウロスを討伐したことはありますか?」
「ぐっ! それは……」
「俺はミノタウロスを討伐した経験があります。
 これが今この場で取れる最善の手です。――お願いします」

 俺は正面からイグナシオの顔を捉えて告げると、彼は苦虫を潰したような表情を見せたが、他に方法がないと判断したのか、溜め息を吐きながらも了承してくれた。
 全員の顔を見ながらイグナシオが声を上げる。

「……いいか? もう誰一人として死ぬことは許さねぇからな?
 皆生きてここから帰るんだからな。――行くぞ!!」

 その言葉を合図に皆一斉に走り出す。
 エルザとエルリックも陣風の如くオーガのもとへ疾走する。

「――――はぁッ!」

 エルリックが囮となるように正面からオーガに向かう中、美しい金髪をなびかせながらエルザはオーガの死角、真横から突撃し、速度を上乗せした一撃をオーガの脇腹へ叩き込む。
 オーガが咄嗟に防御しようと分厚い右腕を上げるが、次の瞬間には右腕は血を撒き散らしながら地面に落下する。

「グギャアアアアアアッ!」

 右腕を失ったオーガは血を垂れ流しながらも、残った左腕を振り回し、エルリックに襲いかかる。
 手負いとはいえオーガの力任せの一撃は非常に強力だ。
 今までのエルリックであれば、当たればタダでは済まないはずなのだが――。

「ぬうぅぅん!!」

 何とエルリックは剣の刀身で、オーガの一撃を受け止めてみせた。
 恐らくだが――【妖精の加護】でエルリックの【身体強化ストレングス】の効果が上昇しているんだろう。
 そのままオーガの腕を弾き飛ばして、胴体目掛けて斬りつける。

「おおおおおおおおおおっ!」
「グギャアアアアアアアアアァッッ!?」

 斬りつけられたオーガの身体から大量の血が溢れ出し、その場に崩れ落ちた。
 これでオーガは後二匹。
 『疾風』と『炎狼』の様子は気になるが、そっちはエルザとエルリックに任せ、俺は意識を目の前のキマイラに集中させる。

「ふっっ――!」

 右手で剣を柄を持ち、キマイラに驀進ばくしんした。
 しかし、そこでキマイラは接近した俺に素早く反応する。
 獅子の顔の血走った双眸が俺を捉える。
 キマイラが地に低く伏せる。 
 口内が膨大なまでに灼熱。獅子の鋭い牙の隙間からは白い煙が漏れ、炎が迸る。
 
 ――これはマズイ!
 俺は思わず間合いから離れようとするが――――寸前、後ろにいる皆の顔が脳裏を掠めた。
 俺は剣の柄を握り締める手に力を込め、自分の身体を思い切り前へ突き飛ばした。
 キマイラは頭を振り上げ、真っ赤に燃えさかる口腔を開け放ち、砲口の如く俺という的に照準する。
 恐ろしいほどに圧縮された炎の塊を、俺目掛けて一気に解放した。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「はああああああああああああああああああッッ!!」

 咆哮を上げながら放ったキマイラの巨大な炎の塊に向かって、両手で握った長剣を大上段から思い切り振り下ろす。
 その瞬間、炎の塊はズパンッ、と真っ二つに斬り裂かれ一つは地面に、もう一つは『炎狼』が相対していたオーガに着弾する。

「――――――――ギャアアアアアァ!?」

 地獄の炎に焼かれたかの如く、オーガの身体が燃え盛る。
 全てを燃やす尽くさんとする業火は、屈強な体躯の肉片すら残さず焼き尽くし、オーガを死へと追いやった。
 
 ――使うなら今しかない!
 【限界突破】を発動させ、俺は身体を前に倒し疾走した。
 地を蹴りつけ、キマイラ目掛けて駆け抜ける。
 右手に長剣を携え、視線の先のキマイラへと疾駆する。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 獅子と大蛇のそれぞれの双眼が、接近する俺を射抜く。
 怒号混じりの雄叫びを上げて、獅子の顔は再度炎の塊を、大蛇は俺に噛み付こうとする。
 だが俺は疾走の速度を緩めない。
 速度を上げ、右手の長剣を振り上げて突貫する。
 一気に埋まる距離とともに迫る魔物の巨躯。
 大蛇が俺の身体に触れる刹那。
 獅子の口から炎の塊が吐き出される寸前の僅かな瞬間。
 ミスリルの長剣に今持てる力の全てを賭し、俺は渾身の一撃を放った。

「らああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 走り抜けた先に着地した俺が後ろを振り返ると、完全に真っ二つになったキマイラの姿があった。
 大蛇の部分だけは免れたようで、だが力なく蠢いているのが見える。
 俺は直ぐに近づき、大蛇の首を薙ぎ払って寸断した。
 残っていた最後のオーガも『炎狼』とエルザ達に囲まれては為すすべもなく、呆気なく討伐される。

 オーガが討伐される様子を見ていた俺の身体に異変が生じた。
 【限界突破】の反動だ。
 俺は駆け寄ってきたエルザとエルリックに支えられる。
 他のメンバーも近づいてきた。負傷したフリッツと下がらせていたリルも一緒だ。
 今度は不意を突かれないように周囲を警戒しながら、イグナシオが話し始める。
 
「カーマイン。随分辛そうだが……その、大丈夫なのか?」
「大丈夫、とは言えませんがそういう能力なので。
 まぁ、一日経てば後は問題ありませんから。」
「そうか……。ならいいんだが。
 でも、まさかホントにお前一人でキマイラをやっちまうとはな。
 若いのに大した奴だよ」
「あぁ。カーマイン、お前なら金等級――いや、ミスリル級にだってなれると思うぞ」

 ミスリル級冒険者になれると言うトールの言葉に、皆肯定の頷きを返す。
 どうやら生き残ることが出来た喜びからか、興奮に身を委ねているようだ。
 皆の顔は一様に明るい。

「ははっ。そうなれたら嬉しいですけどね。
 今回の元凶はこのキマイラのようですし、これで緊急任務は達成ですかね?」
「そうだな。念のため他に魔物が残っていないかどうかだけ、見て回るとしよう」

 イグナシオの言葉に皆が頷き、パーティーごとに分かれて周囲を見て回る。
 十五分ほど散策した結果、魔物の気配は無かったのだが、飛べるからと言って一人で散策していたリルが何かを発見したようで、興奮冷めやらないと言うように急いで俺達のもとへ飛んできた。

「カーマイン、カーマイン! あっちに大きな洞穴があったよっ」
「洞穴? どうせ動物かさっき討伐した魔物が巣穴にでも使っていたんじゃないのか?」
「ううん! そんなんじゃないんだよっ。
 いいからちょっと来てよ!」
「お、おい!」

 俺の服を引っ張りながら飛ぼうとするが、体格差がありすぎるので無理がある。
 仕方がないので、全員でリルが発見したという洞穴へ向かうことにした。


 十分ほど木々の中を進んでいくと、成るほど確かに洞穴だ。
 山の斜面に大きな洞穴がある。
 但し、ただの洞穴ではない。
 何故ならその洞穴の入口は穴が空いているのではなく、真っ白な扉で閉じられていたからだ。
 傍に近づいてみると、扉には何かの紋様が描かれていた。
 ――つい最近何処かで見たことがあるような気がするが、何処だっただろうか。
 思考に意識を傾けていると、リルが横で大きな声を上げる。

「この紋様! アニエス様のだよっ! 大地の神殿にも同じのがあるから間違いないよ!」

 そうだ。言われてみれば確かに大地の神殿で見た紋様によく似ている。
 だとすれば、なぜウルス山のこんな場所に、このような扉があるのか、という疑問が浮かぶ。
 だが、今その疑問に答えを出せる者など居るはずもない。

 俺は軽く溜め息を吐き、鍵が掛かっているかどうか調べるため、扉の紋様に手を当ててみた。
 すると、紋様が鮮やかな緑色を浮かびあがらせながら光り出し、点滅を始める。

「これはっ!?」

 俺やその場にいた皆が驚きで目を見開いていると、扉の紋様は幾度か点滅を繰り返した後、カチリ、と音が聞こえた。
 どうやら扉の鍵が開いたらしい。
 恐る恐る扉を開けてみると、奥へと続く一本の道が真っ直ぐ続いている。
 中は灯りが無いにもかかわらず明るい。 

 流石に全員で入って何かあると対処に困るということで、俺達『神へ至る道』だけで入ることにして、『疾風』と『炎狼』には外で待っていてもらうことにした。


 洞穴の通路は意外に短く、せいぜい二十メートルほどだった。
 奥まで行くと開けた場所に繋がっており、霊廟のような造りだった。
 何かを祀ったような祭壇が中央に置かれている。
 空間の至る所に扉と同じ紋様が刻まれていた。
 祭壇の上には全長二メートルほどの真っ白な柩らしきものが置かれている。
 もちろん柩にも同じ紋様が施されていた。

 柩はしっかりと蓋が閉められており、中に何が入っているのか外から覗い知ることは出来ない。
 
「この場所は何のためのものなんだ?
 それに……この柩も一体何なんだろうな?」

 俺がそう言って柩に手をやると、扉の時と同じく柩の紋様が鮮やかな緑色に発光しながら、何かに呼応するかのように点滅を繰り返す。
 次第にそれは柩全体へと広がっていき、やがて部屋全体を緑の極光で埋め尽くし、俺達は思わず目を腕で覆った。

 視界が回復した俺が恐る恐る目を開けると、閉まっていたはずの蓋が開いていた。
 柩の中にいたのは――。


 瞳を閉じたまま一糸纏わぬ姿で横たわる、翡翠色の髪を持つ美しい少女だった。
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