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幸せになった女と落ちぶれていった男
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「リュシア、お前との下らない夫婦関係も今日でやっと終わりだ」
夫婦となって五年にもなる夫、子爵エドモンド・ベレトンの言葉は私の心を掠めることすらなかった。ただ、いかにも彼らしい、見下すような態度に心で少し苦笑してしまっただけだ。
政略結婚で結ばれた私たちの間に愛など最初から存在しなかったのだから。
けれど、それはどうでもいい。
私は静かに問い返した。
「理由を伺ってもよろしい?」
エドモンドは唇を歪にし、嘲笑を浮かべる。
「理由? そんなもの、分かりきっているだろう。お前というつまらない女は結局どこまでも、何一つも魅力がない。……それにだ、俺には愛する人がいる」
そこまで言うと、彼は己の両手を叩いて音を出す。
まるで何かを呼びつけるように。とは比喩でも無く、本当にその合図で女性が一人執務室へと入って来た。
その女性、どこかの令嬢らしく、貴族としての最低限の品を持っていた。
が、その笑顔。勝ち誇ったようにギラついていて卑しく。不快感を煽る。
でもそれ以上に気になった部分がある。それは……。
「見ての通り、彼女は俺の子供を身ごもっているんだ。羨ましい話だろう? 故にこれ以上お前と偽りの結婚を続けるつもりはないのだ」
その浮気相手は妊娠していた。
なるほど、これが理由か。けど、実際にはそんなことは数ある理由の一つに過ぎないのだろう。彼は私に最初から何の興味も持たず、ただ政略結婚の義務を果たすためだけに私を迎え入れただけに過ぎない。
世継ぎすらも「そんなもの、今は必要ない! 破廉恥な事をほざくな!」と言い放った程だ。
それからも何かと理由を付けて寝室を共にする事を拒否。その過程で、何故か私は子供を埋めない出来損ないだとか義母に言われる始末だ。
そして自分好みの新しい玩具を見つけた今、不要になった私は捨てる。つまりはそういうこと。
「分かりました。こちらとしても断る理由はありません、離婚致しましょう」
私は感情を表に出さず、静かに了承した。
「……本当に、それでいいのか?」
拍子抜けしたのか、エドモンドが眉をひそめる。
なんて態度だ? 反吐が出そうになる。
「もともと私たちは互いに愛してなどいませんでした。子供も無く、お互い望まない結婚生活から解放されるのなら、それに越したことはありません。」
冷静に答える私を見て、エドモンドの表情がさらに歪む。その意味はわかる、どうせ私が泣き喚く姿でも期待していたんだ。浅ましい男。
「せめてもの情けとして、結婚時にお前の家から持ち込んだ持参金を返還する。それと、お前が持ってきた宝石も返してやろう。ありがたく思うんだなっ!!」
彼はそう言い放つと、勝ち誇ったように椅子にふんぞり返る。
が、その興奮した言葉。よほど私に涼しい顔をされたのが気に入らない。だから、体裁だけは保とうとしてもその言葉の端から悔しさが滲み出ている。
憐れな男。
「分かりました。ではありがたく頂戴致します」
私は表情を変えずに頷いた。これには素直に内心で安堵する。
家宝の宝石は亡き母が私に託したもので、特定の魔法がなければその真価が分からないように仕掛けられている。彼がその価値に気づいていないのは明らかだった。
見た目は唯の安っぽい装飾のアクセサリー。そのままに受け取ってくれて助かったものだ。
「せめてもの忠告を最後にさせて頂きますが。今までこの領地の管理等を任されていましたが……私は此処を去る以上、早々に代理を見つけるべきかと」
「ふん! 何を言うかと思えば……。所詮それも私や母上が本来すべき事だったのだ。それを、怠けさせないよう躾ける意味でもお前にさせてやっていたこと。お前が居なくなった所で大して変わりなどせん!」
「……そうですか。わかりました、ならばもう何も」
面白くなさそうに鼻を鳴らすこの男。自分の身の程がやっぱり見えてないのだろう。
離婚の手続きも淡々と進み、私は持参金と宝石を受け取り、ベレトン家を去る日が訪れた。
屋敷の出口に立つと、義母であるクラリスがそれはもう満足げな表情で立ちはだかる。
「まあ、リュシアさん。最後に私たちに迷惑をかけることなく出て行くなんて、さすがは元は伯爵家の御令嬢だこと。でもよかったわね、これであなたも自由になったわ。これから先は、哀れな女にふさわしい人生を送るといいわ!」
勝利の高笑いを鳴き声が如く鳴らす。そんな彼女のいつもの嫌味はもはや耳障りにも感じない。これでその縁は切れるのだから。
涼しい顔で微笑み返し、軽く礼をして屋敷を後にした。
実の所、もう戻るべき実家もない。
父が再婚した後、伯爵家は新しい妻とその連れ子、義兄であるフィリップが幅を利かせており、私が入り込む余地は最早なかった。これが元義母の高笑いの理由でもある。
私は領地の片隅にある、今は誰も使ってない小さな別邸へと移り住み、静かな一人暮らしを始めることにしたのだ。
「ふぅ……。とりあえず形にはなったかな」
屋敷の整理を終えた後、私は母から託された家宝の宝石を取り出した。
単なる装飾品に見えるその宝石は、魔法が掛けられており、特定の呪文を唱えることで中に隠された金塊が取り出せる仕組みになっている。
「母様、あなたの知恵に感謝します。」
元は嫁ぎ先の家計に暗雲が差し込めた際、助ける為に持っていたものだが……。今となってはもう誰かの為に使う必要も無い。
魔法を解き、取り出した金塊の極一部を換金しながら、私は慎ましくも快適な生活を始めた。
一方で、ベレトン家は混乱の渦中にあった。
私が離婚後すぐに警告した通り、領地の管理や税収の処理を行える者がいなくなり、財政は悪化の一途をたどったらしい。
加えて、義母クラリスとエドモンドの新妻は揃って金遣いが荒く、必要な資金を浪費し続けた。
その結果として家門の財政は破綻に追い込まれた。
全て噂に聞こえてきた程度だが、恐らく大体は当たっているんだろう。
それから数年後のことだった。
私が街で日用品の買い揃えをしていると、ボロボロの服をまとったエドモンドが突然現れた。
「リュシア……俺が間違っていた。お前こそ本当に俺にふさわしい妻だった。今度こそ、俺とやり直してくれ!」
「あなたは……」
彼はそう言いながら、無理やり私の腕を掴もうとした。
そこには最早最低限の品性も無い。しかし自尊心だけは無駄に持っていて、やはりどこまでも歪な男だった。
その瞬間、威圧的な声が響く。
「下衆が、リュシアに気安く触れるな」
振り向くとそこには一人の男性――私の付き添い人である侯爵のアルフォンスが立っていた。
私と彼の出会いは本当に偶然。彼と無くなった奥様との間に生まれた幼い娘――ルルシエが迷子になっていたところを私が助けたのがきっかけだ。
それ以来、彼とは親しい関係を築いていた。
「な!? 何故侯爵が此処に!? う、浮気をしていたのかリュシア!!」
「……聞くに堪えんな。エドモンド子爵、貴様の所業はすでに耳に入っている。この場から直ちに立ち去らなければ、だ。当然それ相応の処罰を受けることになる。そのくらいは流石に理解できるだろう?」
アルフォンスの厳しい声に、エドモンドは怯えた様子で後ずさりする。
「くっ、覚えていろよ!」
つまらない捨て台詞を残し、彼は逃げるように去っていった。
しかしその台詞を最後に、彼の姿を見かける事は無かった。
借金がどうにもならなくなり、国へ爵位を返上するまでに落ちぶれたらしい。
「救えない人間はどこまでも同じね……」
哀愁の混じった溜息と共に、私は呟いた。
その後、私はアルフォンスとルルシエに温かく迎え入れられて家族同然の関係を築くようになった。
それからは二人の間に愛が生まれるのも自明の理。
何かとうるさい実家の義母と義兄も、侯爵と縁が出来た私に対して今までの態度は何だったのかと言わんばかりにその腰を低くした。あの二人も、どこまでも俗物でしかないのだろう。
今、私は幸せだ。
愛しい娘を持て、本当に好きを伝える事が出来る男性と出会えて。
彼からの求婚を受け、新たな人生を歩むことを決意するのに一瞬の迷いもない。
そうして、ささやかな式を挙げてからしばらくのこと。
「リュシア、これからもずっと私たちと共にいて欲しい。君と子供の居ない生活は考えられない」
「私も、二人と離れたくありません。それに……」
アルフォンスの真摯な言葉に、私は静かに微笑み頷く。
自らの、ほんの少しばかり大きくなったお腹を撫でながら。
こうして私は、暗い過去を振り切り、愛する人と共に新しい生活を始めることができたのだ。
夫婦となって五年にもなる夫、子爵エドモンド・ベレトンの言葉は私の心を掠めることすらなかった。ただ、いかにも彼らしい、見下すような態度に心で少し苦笑してしまっただけだ。
政略結婚で結ばれた私たちの間に愛など最初から存在しなかったのだから。
けれど、それはどうでもいい。
私は静かに問い返した。
「理由を伺ってもよろしい?」
エドモンドは唇を歪にし、嘲笑を浮かべる。
「理由? そんなもの、分かりきっているだろう。お前というつまらない女は結局どこまでも、何一つも魅力がない。……それにだ、俺には愛する人がいる」
そこまで言うと、彼は己の両手を叩いて音を出す。
まるで何かを呼びつけるように。とは比喩でも無く、本当にその合図で女性が一人執務室へと入って来た。
その女性、どこかの令嬢らしく、貴族としての最低限の品を持っていた。
が、その笑顔。勝ち誇ったようにギラついていて卑しく。不快感を煽る。
でもそれ以上に気になった部分がある。それは……。
「見ての通り、彼女は俺の子供を身ごもっているんだ。羨ましい話だろう? 故にこれ以上お前と偽りの結婚を続けるつもりはないのだ」
その浮気相手は妊娠していた。
なるほど、これが理由か。けど、実際にはそんなことは数ある理由の一つに過ぎないのだろう。彼は私に最初から何の興味も持たず、ただ政略結婚の義務を果たすためだけに私を迎え入れただけに過ぎない。
世継ぎすらも「そんなもの、今は必要ない! 破廉恥な事をほざくな!」と言い放った程だ。
それからも何かと理由を付けて寝室を共にする事を拒否。その過程で、何故か私は子供を埋めない出来損ないだとか義母に言われる始末だ。
そして自分好みの新しい玩具を見つけた今、不要になった私は捨てる。つまりはそういうこと。
「分かりました。こちらとしても断る理由はありません、離婚致しましょう」
私は感情を表に出さず、静かに了承した。
「……本当に、それでいいのか?」
拍子抜けしたのか、エドモンドが眉をひそめる。
なんて態度だ? 反吐が出そうになる。
「もともと私たちは互いに愛してなどいませんでした。子供も無く、お互い望まない結婚生活から解放されるのなら、それに越したことはありません。」
冷静に答える私を見て、エドモンドの表情がさらに歪む。その意味はわかる、どうせ私が泣き喚く姿でも期待していたんだ。浅ましい男。
「せめてもの情けとして、結婚時にお前の家から持ち込んだ持参金を返還する。それと、お前が持ってきた宝石も返してやろう。ありがたく思うんだなっ!!」
彼はそう言い放つと、勝ち誇ったように椅子にふんぞり返る。
が、その興奮した言葉。よほど私に涼しい顔をされたのが気に入らない。だから、体裁だけは保とうとしてもその言葉の端から悔しさが滲み出ている。
憐れな男。
「分かりました。ではありがたく頂戴致します」
私は表情を変えずに頷いた。これには素直に内心で安堵する。
家宝の宝石は亡き母が私に託したもので、特定の魔法がなければその真価が分からないように仕掛けられている。彼がその価値に気づいていないのは明らかだった。
見た目は唯の安っぽい装飾のアクセサリー。そのままに受け取ってくれて助かったものだ。
「せめてもの忠告を最後にさせて頂きますが。今までこの領地の管理等を任されていましたが……私は此処を去る以上、早々に代理を見つけるべきかと」
「ふん! 何を言うかと思えば……。所詮それも私や母上が本来すべき事だったのだ。それを、怠けさせないよう躾ける意味でもお前にさせてやっていたこと。お前が居なくなった所で大して変わりなどせん!」
「……そうですか。わかりました、ならばもう何も」
面白くなさそうに鼻を鳴らすこの男。自分の身の程がやっぱり見えてないのだろう。
離婚の手続きも淡々と進み、私は持参金と宝石を受け取り、ベレトン家を去る日が訪れた。
屋敷の出口に立つと、義母であるクラリスがそれはもう満足げな表情で立ちはだかる。
「まあ、リュシアさん。最後に私たちに迷惑をかけることなく出て行くなんて、さすがは元は伯爵家の御令嬢だこと。でもよかったわね、これであなたも自由になったわ。これから先は、哀れな女にふさわしい人生を送るといいわ!」
勝利の高笑いを鳴き声が如く鳴らす。そんな彼女のいつもの嫌味はもはや耳障りにも感じない。これでその縁は切れるのだから。
涼しい顔で微笑み返し、軽く礼をして屋敷を後にした。
実の所、もう戻るべき実家もない。
父が再婚した後、伯爵家は新しい妻とその連れ子、義兄であるフィリップが幅を利かせており、私が入り込む余地は最早なかった。これが元義母の高笑いの理由でもある。
私は領地の片隅にある、今は誰も使ってない小さな別邸へと移り住み、静かな一人暮らしを始めることにしたのだ。
「ふぅ……。とりあえず形にはなったかな」
屋敷の整理を終えた後、私は母から託された家宝の宝石を取り出した。
単なる装飾品に見えるその宝石は、魔法が掛けられており、特定の呪文を唱えることで中に隠された金塊が取り出せる仕組みになっている。
「母様、あなたの知恵に感謝します。」
元は嫁ぎ先の家計に暗雲が差し込めた際、助ける為に持っていたものだが……。今となってはもう誰かの為に使う必要も無い。
魔法を解き、取り出した金塊の極一部を換金しながら、私は慎ましくも快適な生活を始めた。
一方で、ベレトン家は混乱の渦中にあった。
私が離婚後すぐに警告した通り、領地の管理や税収の処理を行える者がいなくなり、財政は悪化の一途をたどったらしい。
加えて、義母クラリスとエドモンドの新妻は揃って金遣いが荒く、必要な資金を浪費し続けた。
その結果として家門の財政は破綻に追い込まれた。
全て噂に聞こえてきた程度だが、恐らく大体は当たっているんだろう。
それから数年後のことだった。
私が街で日用品の買い揃えをしていると、ボロボロの服をまとったエドモンドが突然現れた。
「リュシア……俺が間違っていた。お前こそ本当に俺にふさわしい妻だった。今度こそ、俺とやり直してくれ!」
「あなたは……」
彼はそう言いながら、無理やり私の腕を掴もうとした。
そこには最早最低限の品性も無い。しかし自尊心だけは無駄に持っていて、やはりどこまでも歪な男だった。
その瞬間、威圧的な声が響く。
「下衆が、リュシアに気安く触れるな」
振り向くとそこには一人の男性――私の付き添い人である侯爵のアルフォンスが立っていた。
私と彼の出会いは本当に偶然。彼と無くなった奥様との間に生まれた幼い娘――ルルシエが迷子になっていたところを私が助けたのがきっかけだ。
それ以来、彼とは親しい関係を築いていた。
「な!? 何故侯爵が此処に!? う、浮気をしていたのかリュシア!!」
「……聞くに堪えんな。エドモンド子爵、貴様の所業はすでに耳に入っている。この場から直ちに立ち去らなければ、だ。当然それ相応の処罰を受けることになる。そのくらいは流石に理解できるだろう?」
アルフォンスの厳しい声に、エドモンドは怯えた様子で後ずさりする。
「くっ、覚えていろよ!」
つまらない捨て台詞を残し、彼は逃げるように去っていった。
しかしその台詞を最後に、彼の姿を見かける事は無かった。
借金がどうにもならなくなり、国へ爵位を返上するまでに落ちぶれたらしい。
「救えない人間はどこまでも同じね……」
哀愁の混じった溜息と共に、私は呟いた。
その後、私はアルフォンスとルルシエに温かく迎え入れられて家族同然の関係を築くようになった。
それからは二人の間に愛が生まれるのも自明の理。
何かとうるさい実家の義母と義兄も、侯爵と縁が出来た私に対して今までの態度は何だったのかと言わんばかりにその腰を低くした。あの二人も、どこまでも俗物でしかないのだろう。
今、私は幸せだ。
愛しい娘を持て、本当に好きを伝える事が出来る男性と出会えて。
彼からの求婚を受け、新たな人生を歩むことを決意するのに一瞬の迷いもない。
そうして、ささやかな式を挙げてからしばらくのこと。
「リュシア、これからもずっと私たちと共にいて欲しい。君と子供の居ない生活は考えられない」
「私も、二人と離れたくありません。それに……」
アルフォンスの真摯な言葉に、私は静かに微笑み頷く。
自らの、ほんの少しばかり大きくなったお腹を撫でながら。
こうして私は、暗い過去を振り切り、愛する人と共に新しい生活を始めることができたのだ。
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