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第十章 乙女ゲーム最終年
第311話 秘法の主
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その夜、マゼンダ侯爵邸に怪しい影が一つ忍び込んでいた。音もなく走り、屋敷の中へと侵入していくその影は、この手に慣れた手練れだと思われる。
影はとある一室の前に止まる。すると、扉が開いてその影を部屋へと招き入れた。
「ご苦労様です。気付かれなかったでしょうね」
部屋の中に居た人物が影に語り掛ける。すると、影はにやりと笑ってその人物を見る。
「当り前でしょう? あなたたち人間と同じだと見てもらっては困るわ」
どこか生意気な口の利き方である。影がフードを取ると、濃い紫の髪の毛が現れた。
「まったく、ばれる危険があるっていうのに、よく私をここに招き入れたわね、シアン」
「ええ、私もそう思いますよ、スミレ。……いや、クロノア」
そう、この部屋はロゼリア付きの侍女シアンの私室だった。貴族付きの使用人は一人一室、そこそこの広さの部屋が与えられる。すべての使用人の憧れの地位なのである。
そんな使用人たちの憧れの存在であるシアンと、時の幻獣クロノアには一体どんなつながりがあるのだろうか。
「まったく、チェリシア嬢については予想外でしたが、概ねシアンの思惑通りに進んでいますよ。ロゼリア嬢と元チェリシア嬢であるペシエラ嬢との関係は良好ですし、隣国モスグリネの王子であるペイル殿下と婚約者になりましたからね」
椅子に座るシアンに対して、立ったままぐちぐちと現状の報告をするクロノア。
「そうですね。その辺りは私の知るところなので、要らない情報ですが……。チェリシアお嬢様はやはり予想外でしたのね」
照明の魔道具を灯し、クロノアと話をするシアン。手元にある報告書を確認しながら話をしている。
「私はあくまでこの世界の幻獣ですから、感知できるのはこの世界の時の流れだけです。あのチェリシア嬢は、その枠の外から来た人物ですからね。たまたまカイスの村で干渉できたのは幸運でしたよ」
「魔物氾濫が起きるのが分かっていて、たまたまとは……?」
時間に干渉できるクロノアにしては不可解な物言いをしたので、シアンは確認を入れる。
「気を失っている間に、精神に干渉できたのですよ。そこで彼女の居た別の世界の事象に触れる事ができたんです」
「ああ、そういう事なのね」
意識の世界に入れれば、世界の壁をも越えられるという事のようだ。だが、そこの時間へは干渉できなかった。今のチェリシアの記憶を順番に見る事しかできなかったのだ。結局、世界の理はその世界でしか通用しなかった。
「パープリアの残党はどうなっているのかしら」
「まぁそちらも気になりますよね。ニーズヘッグたちの活躍で、アイヴォリーやモスグリネに居る残党はほぼ壊滅ですね。モスグリネの方は大体ケットシー一人の活躍ですけれど」
クロノアがため息とともに視線をずらしていく。ケットシーの事はだいぶ苦手のようである。どちらかといえばきっちりした性格のクロノアからすれば、あの自由奔放なケットシーは合わないのだろう。
「あいつ、自由主義だから自分のやり方でやるとか言って、商業取引に見せかけて全部罠にかけたんですよ。不正取引の現行犯だって言って……。あいつ、仮にも商業組合の組合長ですよ? 正気を疑いますよ」
視線を逸らしたまま、クロノアはやさぐれ気味にケットシーの取った方法を説明していた。聞かされたシアンは、それは確かに正気ではありませんねと呆れたように同意していた。
はあはあと、呼吸を荒くしているクロノア。ここで一度深呼吸をして落ち着く。
「今のチェリシア嬢の世界にあったげえむとやらでは、今年の年末が一つの山場ですが、シアンからすれば逆行前に処刑された十九歳が越えたい地点ですものね。それまでこれを隠し通せますかね」
クロノアは、シアンに確認するように問い掛ける。だが、シアンの表情は微動だにひとつしなかった。
「ロゼリア様は、おそらく私の事に気が付いていると思われますよ。時渡りの秘法の代償の事は聞かされているみたいですし、私だと気が付いても、私に言う事はないでしょう」
「なっ……!」
クロノアは、シアンの言い分に驚く事しかできなかった。確かに、シアンは一度も魔法を使っていないので、代償の事を聞かされた時点で気付かれている可能性はある。
しかしながら、このシアンの言い分こそ、禁法の抜け道であるのだ。パープリアの時は、禁法を使用したデーモンハートを対象者に壊された事で跳ね返ってきたが、この時渡りの秘法は、対象から術者に確認されなければ代償が発動しないのだ。この時の代償は、使用者が歴史から存在をかき消されてしまうというもの。シアンは自分の命はおろか、その存在さえも賭してこの禁法に手を出したのだ。それくらい、シアンにとってロゼリアという存在は大きかったのだ。
しかし、シアンは願いが成就した時点で、すべてを明かして退場するつもりでいるらしい。シアンの出身は魔法が得意なアクアマリン一族である。禁法に手を出して有していた膨大な魔力を失った自分は、一族においてはただの汚点でしかなくなったからだ。シアンは覚悟の上なのだ。
「ロゼリア様の幸せな姿こそ、私の願いですからね……」
「シアン……」
こう言われてしまえば、クロノアにはもう何も言う言葉はなかった。シアンが満足するまで、そのために尽力するだけである。
「……それじゃ、私はこれで失礼するわ。あなたの願い、叶うといいわね」
これだけ言い残して、クロノアは部屋から姿をかき消したのだった。
影はとある一室の前に止まる。すると、扉が開いてその影を部屋へと招き入れた。
「ご苦労様です。気付かれなかったでしょうね」
部屋の中に居た人物が影に語り掛ける。すると、影はにやりと笑ってその人物を見る。
「当り前でしょう? あなたたち人間と同じだと見てもらっては困るわ」
どこか生意気な口の利き方である。影がフードを取ると、濃い紫の髪の毛が現れた。
「まったく、ばれる危険があるっていうのに、よく私をここに招き入れたわね、シアン」
「ええ、私もそう思いますよ、スミレ。……いや、クロノア」
そう、この部屋はロゼリア付きの侍女シアンの私室だった。貴族付きの使用人は一人一室、そこそこの広さの部屋が与えられる。すべての使用人の憧れの地位なのである。
そんな使用人たちの憧れの存在であるシアンと、時の幻獣クロノアには一体どんなつながりがあるのだろうか。
「まったく、チェリシア嬢については予想外でしたが、概ねシアンの思惑通りに進んでいますよ。ロゼリア嬢と元チェリシア嬢であるペシエラ嬢との関係は良好ですし、隣国モスグリネの王子であるペイル殿下と婚約者になりましたからね」
椅子に座るシアンに対して、立ったままぐちぐちと現状の報告をするクロノア。
「そうですね。その辺りは私の知るところなので、要らない情報ですが……。チェリシアお嬢様はやはり予想外でしたのね」
照明の魔道具を灯し、クロノアと話をするシアン。手元にある報告書を確認しながら話をしている。
「私はあくまでこの世界の幻獣ですから、感知できるのはこの世界の時の流れだけです。あのチェリシア嬢は、その枠の外から来た人物ですからね。たまたまカイスの村で干渉できたのは幸運でしたよ」
「魔物氾濫が起きるのが分かっていて、たまたまとは……?」
時間に干渉できるクロノアにしては不可解な物言いをしたので、シアンは確認を入れる。
「気を失っている間に、精神に干渉できたのですよ。そこで彼女の居た別の世界の事象に触れる事ができたんです」
「ああ、そういう事なのね」
意識の世界に入れれば、世界の壁をも越えられるという事のようだ。だが、そこの時間へは干渉できなかった。今のチェリシアの記憶を順番に見る事しかできなかったのだ。結局、世界の理はその世界でしか通用しなかった。
「パープリアの残党はどうなっているのかしら」
「まぁそちらも気になりますよね。ニーズヘッグたちの活躍で、アイヴォリーやモスグリネに居る残党はほぼ壊滅ですね。モスグリネの方は大体ケットシー一人の活躍ですけれど」
クロノアがため息とともに視線をずらしていく。ケットシーの事はだいぶ苦手のようである。どちらかといえばきっちりした性格のクロノアからすれば、あの自由奔放なケットシーは合わないのだろう。
「あいつ、自由主義だから自分のやり方でやるとか言って、商業取引に見せかけて全部罠にかけたんですよ。不正取引の現行犯だって言って……。あいつ、仮にも商業組合の組合長ですよ? 正気を疑いますよ」
視線を逸らしたまま、クロノアはやさぐれ気味にケットシーの取った方法を説明していた。聞かされたシアンは、それは確かに正気ではありませんねと呆れたように同意していた。
はあはあと、呼吸を荒くしているクロノア。ここで一度深呼吸をして落ち着く。
「今のチェリシア嬢の世界にあったげえむとやらでは、今年の年末が一つの山場ですが、シアンからすれば逆行前に処刑された十九歳が越えたい地点ですものね。それまでこれを隠し通せますかね」
クロノアは、シアンに確認するように問い掛ける。だが、シアンの表情は微動だにひとつしなかった。
「ロゼリア様は、おそらく私の事に気が付いていると思われますよ。時渡りの秘法の代償の事は聞かされているみたいですし、私だと気が付いても、私に言う事はないでしょう」
「なっ……!」
クロノアは、シアンの言い分に驚く事しかできなかった。確かに、シアンは一度も魔法を使っていないので、代償の事を聞かされた時点で気付かれている可能性はある。
しかしながら、このシアンの言い分こそ、禁法の抜け道であるのだ。パープリアの時は、禁法を使用したデーモンハートを対象者に壊された事で跳ね返ってきたが、この時渡りの秘法は、対象から術者に確認されなければ代償が発動しないのだ。この時の代償は、使用者が歴史から存在をかき消されてしまうというもの。シアンは自分の命はおろか、その存在さえも賭してこの禁法に手を出したのだ。それくらい、シアンにとってロゼリアという存在は大きかったのだ。
しかし、シアンは願いが成就した時点で、すべてを明かして退場するつもりでいるらしい。シアンの出身は魔法が得意なアクアマリン一族である。禁法に手を出して有していた膨大な魔力を失った自分は、一族においてはただの汚点でしかなくなったからだ。シアンは覚悟の上なのだ。
「ロゼリア様の幸せな姿こそ、私の願いですからね……」
「シアン……」
こう言われてしまえば、クロノアにはもう何も言う言葉はなかった。シアンが満足するまで、そのために尽力するだけである。
「……それじゃ、私はこれで失礼するわ。あなたの願い、叶うといいわね」
これだけ言い残して、クロノアは部屋から姿をかき消したのだった。
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