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第三幕 攻勢・ヒストリカ
109 待ち構えていた問題
しおりを挟む長旅を終え、王都に戻って早々、俺たちは複数の問題に直面した。
一つ目。
これは最も軽度の、俺にとっては取るに足らない問題だが、呪術に起因する体調不良が再び、やや悪化の兆しを見せたという問題がある。
『やや、どころじゃないわよ。何でそんな平然としてんのよ。信じらんない』
俺としてはジョゼにこうやって騒がれる方が苦痛だった。
「きっと、あの爺さんが王都に戻って来てるんだ。そういう意味じゃあ、いい知らせじゃないか」
ベッドの中でガンガンと疼く頭を押さえながらジョゼをなだめすかす。
ジョセフィーヌの身体が定期的に体調を崩す月のモノの周期は、アークレギスに向けて発つ前に一度あり、そのとき以来だった。
前回は、ベッドで寝込む必要すらないほど症状は軽かったのだが、アークレギスからの帰り道───王都に入る二日前頃から出始めた今回の症状は、ひと月前の症状とは明らかに様子が異なっていた。
最初は旅の疲れのせいかとも考えたが、馬車の中で座っているのが辛いほどの眩暈や倦怠感、吐き気や発熱といった症状が出るに至って認識を改める必要が生じた。
それでも、最も酷かった時期に比べれば何ということはない。
何と言ってもあのときのような、生命の危機を感じるほどの切迫感はなかった。
『いや死ぬから。死ぬより辛いわ。あんな苦しいの私もう耐えられない』
ジョゼがそう喚くのは、俺が寝入った後、身体の主導権を握ったジョゼがこの苦しみを引き継ぐことになるからだ。
もう一度同じ身体で、今度はジョゼが眠りに入るまでの僅かな時間ではあるが、俺たちはそうやって同じ苦しみを共有している。
本当の意味であの辛さを共有する仲間がいることが、これほど心強いことはない。
「大袈裟だよ。多分、あの爺さんの潜伏先が前よりも大分遠い場所にあるんだと思う。半年前に比べたら全然楽なもんだろ? 今回の峠はもう越えたみたいだし、すぐに楽になるよ」
血や毛髪を触媒として人を病苦に陥れる呪術は、呪う対象と呪術士の距離が関係している。その情報は、セドリックが読み解いたベスニヨール家の書物からもたらされていた。
遠隔で、対象を目視せずとも発動させられる反面、対象から離れれば離れるほど効果は薄くなるそうだ。
百年前の記録によれば、その当時は壁を一枚隔てた隣の部屋で使うぐらいがやっとで、およそ実用には堪えない術という評価だったらしいが……。
『ユリウス、あんた絶対どうかしてるわよ。我慢強いにも程があるわ』
「分かった分かった。来月までには何とかするから、今は寝かせてくれ……」
半分は当てずっぽうだが、アークレギスから帰って来る道中で病状が悪化したということは、ダノンは王宮から見て西の方角に潜伏している可能性が高いのではという目星を付けていた。
そのあたりの貧民地区をしらみ潰しに捜索してもらえば、捕らえられないまでも、王都の中心からより遠くに追い払えるのではないかと期待していた。
『寝るの!? 嘘でしょ? ちょっと待ちなさい。ユリウスが寝たら私がまたしんどい思いするじゃない』
「そんなこと言ったって、眠らないと回復しないじゃないか。ジョゼもすぐに寝ろよ? 今は栄養を沢山取って寝る以外ない。自分の身体の治癒力を信じるんだ」
*
二つ目の問題はその病床の中で聞いた。
留守中にプリシラの店に物盗りが入ったそうなのだ。
だから言わんこっちゃない。
プリシラの身が無事だっただけまだ幸運だった。
そう言って、すぐに彼女の身柄を王宮で預かるか、それが嫌ならエミリーの家に間借りさせてもらうように取り計らおうとしたのだが、物の盗られ方を聞いて頭痛が増した。
なんとあの書棚から溢れんばかりの、いや、実際大量に溢れていた書物の山が全て、綺麗さっぱり持ち去られていたというのだ。
犯行は白昼堂々、隣家の目のある中で行われていた。
ある日、店の前に荷馬車が乗り付けられ、数人の男たちにより中から大量の書物が持ち出された。
あまりに堂々と、また比較的身なりのよい者たちによって整然と行われていたので、隣人たちもまさか物盗りだとは思わなかったらしい。
プリシラに関しては丁度、最近どこかのお貴族様に見初められたらしいぞ、という噂(根も葉も、なくはない噂)が囁かれていたこともあって、隣人たちの間では幾らかの誤解もあったようだ。
俺やセドリックにも手抜かりはあった。
セドリックが内偵に当たらせていた人間に、そのまま引き続き店の近くに身を潜めての警備を依頼してあったのだが、あくまでプリシラの身を守るためと説明してあったため、彼女の留守中は皆引き払い、犯行当日には誰も張り込みや巡回をしていなかった。
痛恨の失態だ。
運び去った手際を聞くに、最初からあの膨大な蔵書が目的だったのだろう。
好事家に売り捌くための単なる金銭目当ての犯行である可能性も捨て切れなかったが、再びジョセフィーヌの身体を呪術による病が蝕み始めたことも考え合わせると、嫌でもあのダノンの陰気な顔がチラつく。
幸い目撃証言によれば、荷運びに使われた馬車の荷車には比較的目立つ特徴があったので、その筋を頼って足取りを追うように指示を出した。
*
王宮に戻ってから三日間寝込み、不調から回復した後の俺が直面した三つ目の問題は、ある意味で最も頭の痛い問題だった。
王妃ブリジットが、ジョセフィーヌとセドリックの婚儀の日程について相談を持ちかけてきたのだ。
すでに対外的な情報の開示から婚約披露宴、実際の結婚に至るまで日程が事細かに決められた工程表まで作成された状態であったため、それはもはや相談というよりも確認と了承を得るようなものであった。
当然俺は全力で関係を否定し、王妃に撤回を要求した。
アークレギスへの旅行中、何事もなかったことを証明するために、アンナとエミリーを呼んでブリジットの前で証言させることまでした。
特にエミリーは、頭が下がるほどの熱意と勤勉さによって、ブリジットの説得に骨を折ってくれた。
その甲斐もあり、ブリジットもようやく俺自身にその気がないことを納得してくれた。
秘密裏に出されていた諸々の指示は、間一髪で秘密のまま取り下げられることになる。
披露宴の招待状の文面まで準備されていたのだから、実に危ないところだった。
『そんなに嫌だった? 私だったら、あそこまで整えられてたら諦めてたかもなー』
騒ぎが片付いた後でジョゼが言った言葉に俺は面食らう。
当然ジョゼにとっても、この降って湧いた結婚話は本意ではないはずだと思っていたからだ。
「結婚……したかったのか? セドリックと……」
『ん? 私がしたいって言ったら考えてくれた?』
「いやぁ……それは、仕方ないというか、俺が決めることではないというか……」
そう。本人が望むのなら、俺の意思など関係ない。
むしろ、彼女の人生を俺が歪めてしまったのではないかと、不意に後ろめたい気持ちが芽生えた。
もしや、あの長い旅路の中でセドリックの人と成りを観察し、密かに恋愛の情を募らせていたのだろうか。
『何言ってるの? ユリウスの気持ちが一番重要なんじゃない』
やれやれ、まるで分かってないわね、しっかりしてよ、と言わんばかりの気勢でジョゼが俺を責める。
「俺の?」
『そうよ? 結婚したら、その相手と一番長く過ごすことになるのはユリウスなのよ?』
そう言われて想像されたのは自分とセドリックの生々しい結婚生活だ。
その想像の中で何故だか俺は、砦村の質素な家屋でセドリック相手に手料理を振舞っていたが、貧困な想像力による細部の粗はさておき、それは十分にありえるかもしれない未来の姿だった。
ジョセフィーヌとして過ごす、これから先の長い人生。
プリシラの研究が成果をみることがなければ自ずとそうなる───一人の女性として生きる自分というものを意識して俺はたじろぐ。
『あ、今、エッチな想像してる?』
「エッ……!? してない。するかよ。お、男同士だぞ?」
だが、ジョゼがセドリックとそうなることを望むとすれば、実際に相手をするのは、俺……? ということになるのか……?
変だ。
顔が熱い。
心臓が唐突に激しく脈打ちだした。
きっと、ジョゼがおかしなことを言うからだ。
『そっか。男同士って考えると確かにちょっとしんどいかもね……。私はさぁ、物心付いたときから御姫様だったし、好きに結婚相手を選べるなんて期待もしてなかったの。だから、変なのを当てがわれるくらいなら、セドリックで手を打っとくのも十分ありなんじゃないかって思っただけ』
「…………」
結婚なんだぞ?
好きな相手と一緒になりたいと思うのは普通のことなのではないのか?
王位に就くことにはあれほど抵抗を見せたジョゼが、自分の結婚相手となると、これほど割り切った、ドライな考え方をしていることが俺には意外だった。
『性格はちょっとアレだけど、セドリックの見てくれは結構いいじゃない? 美人な子供産めると思うなー、私』
「こっ……!?」
『お母様が何であれだけセドリックとの結婚に乗り気だったか分かる? 早く私に世継ぎを産ませたいからよ。それができて初めて自分の役割が果たせたと思ってるの。
ユリウスも国のために尽くすことが大義だって私に言うなら、その相手を誰にするか、ちゃんと考えておきなさいよね?』
「悪い……。また、眩暈がしてきた。もう一回休む……」
俺はまだ陽も高いうちからベッドで横になり、その日はもう一日かけて回復に専念することにした。
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