姫ティック・ドラマチカ

磨己途

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第一幕 生存・デートル

05 状況を把握せよ 1

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 目を覚ますと、部屋の中が今までとは違って見えた。
 ただ何も分からずにいた昨日までの自分とは違う。
 ユリウス・シザリオンとしての目線だ。

 やはり、俺は男だった。
 今となっては、それは至極当たり前の事実だったが、昨日までは多数の疑問符が付いたうえでの不確かな推測でしかなかった。
 ユリウスとしての記憶がなければ、自分が今、全く知らない他人の、しかも女性の身体に命を宿していることなど信じられるはずがない。

 俺はもう一度、ベッドから起き上がって部屋の隅まで歩いていき、自分の姿を大きな鏡に映してみた。
 ミスティと雰囲気は異なるが、息を飲むほど美しい容姿。
 その女性の身体が自分の意思どおりに手足を動かしている不思議さ。
 ややもすると、今見ているこれこそが夢なのではないかという気がしてくる。

 細い手足に長い髪。
 ダボッとした寝巻の上からでも分かる乳房の形。
 若い女性の姿をこれほどマジマジと見つめたことはない。
 それだけでこの身体の持ち主に対して申し訳ない気持ちが芽生える。

 そこで、はたと、疑問が浮かぶ。
 どうやら自分は、何らかの不思議な力で、この身体を乗っ取ってしまったらしい。
 本来はそこからして、全くありえない仮定なのだが、事実としてそうなっているのだから、とにかく今はそういうものだと納得するしかないだろう。
 そして、その前提に立って考えると、という疑問が湧くのだった。
 もしかすると、彼女も自分と同じように、今はユリウス・シザリオンという別人として行動しているのだろうか。

 眩暈めまいがしてきた。

 やはり、この体の病弱は筋金入りだ。
 立っているだけでも体力を消耗するので、近くにあった大きな衣装ケースの上に腰を下ろすことにする。
 そこで休みながらもう一度考えた。
 仮に入れ替わっているとして、俺の本当の身体は今どこにあるのだろうかと。
 そして、自分の記憶が完全ではないことに気付くのだった。

 
 それに、自分がどこまでの記憶を憶えているのか、その境界があやふやだった。

 夢で見た記憶は子供の頃のものだった。
 だが、今の俺は少なくとも子供ではない。
 立派な成人として、たくましく筋肉が付いた自分の腕を憶えているし、思い出せるミスティの顔も、夢で見た少女のものではなく、美しく成長した女性のものだった。

 そうだ。ミスティだ。

 容姿こそ違えど、昨夜話をした侍女は自分のことをミスティと名乗った。
 話す口振りも、今思い返せば明らかに、あれはあの勝ち気で自信家のミスティの口調だった。

 彼女も俺と同じように他人の身体に魂を転移させてやって来たのだろうか。
 とにかく彼女に……、ミスティに聞けば分かるはずだ。
 一体何がどうして、こんな訳の分からない状況にあるのか、ということが。

 俺は必死で昨夜のミスティの言葉を思い出す。
 ミスティは俺に危険が迫っていると言った。
 それが今、俺がここにこうしている理由なのだろうか。
 身を隠す必要があって、他人の身体を借りた……?

 いや、そんな無茶苦茶なことがあるだろうか。
 どんな理由があるにせよ、勝手に見も知らぬ女性の身体を乗っ取るなんてことが……。
 たとえ、それができたのだとしても、あのミスティがそんな非道をさせるはずがない。
 無論、俺だってそうだ。
 こんな破廉恥はれんち極まりない恥ずべき行為。領主ヴィクトルの長子であり、砦村随一と言われた武を誇る、ユリウス・シザリオンが良しとするわけがない。

 そんな憤りを覚えながら、何の気なしに、鏡に映る今の自分の姿を見る。
 鏡の前の女性は、股を大きく広げ、真っ白な肌のふくらはぎをこちらにさらしていた。
 慌てて自分の足を閉じ、鏡に足が映らないように座る向きを変える。

 集中しろ。集中だ。心を乱している場合ではない……。

 そうだ。ミスティは、この身体の持ち主に成り済ませと言っていた。
 つまり、この状況は彼女にとっても想定外だったというわけだ。
 昨夜目を覚ましたときに聞いた、部屋の中をバタバタと歩き回る音のことを思い出す。
 彼女は慌てていた。
 姿形の全く異なる女性の姿の俺を見つけ出し、伝えるべきことだけを告げて、そして、どこかへ去った。

 昨夜の記憶は、俺が彼女の手を握り、彼女がミスティと名乗ったところで途切れている。
 おそらくそこで俺の体力が尽き眠ってしまったのだろうが、気力をふり絞ってでも彼女の行く先は聞いておくべきだった。

 ミスティは必ず迎えに来るとも言っていた。
 一体何が起きたのか。それはまだ思い出せないが、何かとんでもないことが起きたのは間違いないだろう。
 待つのではなく、俺の方からミスティを助けに行かなければ。
 そのためには、まず一刻も早くこの娘の体力を───


 気が付くと眼前に綺麗に彫刻された紋様のレリーフが広がっていた。
 どこまでも続く石の壁。
 その切り立った壁に対し垂直に、どこかで見た覚えのある椅子や机などの調度品が張り出している。

 酒をたらふくあおった後のような酩酊感。
 何が起きたのかと辺りを見回そうとするが、首が動かない。
 それでようやく自分が今、床に敷き詰められた石のタイルに頭を押し付けているのだと気が付いた。
 俺は床の上に倒れて部屋を真横に見ていたのだ。

「姫様! ……姫様! しっかりなさってください!」

 水中から水面で叫ぶ声を聞くような、くぐもった声が聞こえてきた。
 溺れかけた水の中からすくい上げられるように、倒れた身体を抱き起こされる。
 段々と意識が回復していき、声の主が誰かということにまで頭が回るようになった。

「……ミスティ」

 どこかに去ってしまったと思っていたミスティとまた会えた。
 まだ屋敷の中にいたのだ。
 そのことに勇気付けられ、身体の中に力がみなぎってくるのを感じる。

「良かった……。ミスティ。何が起きたのか教えてくれ。……まだ全部思い出せないんだ」

 叫ぶほどのたかぶりをもって口にした言葉は、しかし、腹に全く力が入らず、まるで今わのきわのような力ない声でしか発せられなかった。

しゃべらないでください。……ああ、奥様。姫様が。私が来たときにはもうここに倒れておいでで」

「分かったから! 貴方は医者を。早く!」
「はい。あの……少し、混乱なされているようです」

 ミスティは慌てふためき、この娘の母親らしき女性に俺を託して部屋を出て行った。

 いや、ミスティではない。
 もう、彼女ではないのだと、そう分かった途端、身体から力が抜けていくのを感じ、俺はそのまま意識を失った───。
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