【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

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14.ジョナルダの召使い

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「リッタちゃん、落ち込まないで。わたしが男だったらよかったな。リッタちゃんを幸せにできるし、守ってあげられるのにな」

 姉の言葉に驚いて目を向ければ、涼しげな美貌に影が差しているようだった。

(……ほんとに男だったらよかったって思ってるのかな)

 姉は、ある日突然、ほんとうに突然、髪を切った。
 エウリッタとおそろいで腰に毛先がくるほど長かったのに、ばっさり短髪になった。
 ジョナルダ伯爵の元に引き取られてすぐのことだった。その頃は留学の準備で余裕がなかったのもあって特に気にしなかったけれど、あのときからずっと姉の髪は短いままだ。
 
(ジョナルダ伯爵への当てつけ? 無理やり愛人にされたから? 今も短いのは、今も彼を拒絶しているから?)

 この姉と父との関係を知って、たくさん聞きたいことが生まれた。
 けれど二人の関係をエウリッタが知っていることを明かしたら、高潔な姉は傷つくだろう。そう思ったら何も聞けなかった。
 きれいで、潔くて、賢い姉。
 自分の生まれを恥ずかしく思わず生きることはこの姉に教わった。その教えがなかったら、エウリッタは父の血が流れる自分の体を傷つけたにちがいなかった。
 リヴの気高さを穢しつづけるジョナルダ伯爵が、憎い。憎くてたまらない。
 何もできない自分が嫌いになりそうになる。

「で、リッタちゃん、なんで旦那様とケンカしたの? 聞いてもいい?」

「うん……」

 今日も何も聞けないまま、いつものようにエウリッタの話になる。リヴはいつもエウリッタの様子を聞いた。結婚して間もない妹を心配しているようだ。

「――へえ、じゃあアグネスさんって人と一緒にいるんだ。今日連れて来たらよかったのに」

「図書館が好きって言ってたから」

「わたしに会わせたくないだけじゃないの?」

「……だって、姉ちゃんのことを色んな人に知られて、もし姉ちゃんに何か危害があったら」

「それってアグネスさんを信用してないって聞こえる」

「……そんなことないよ」

 口ではそう言ったが、リヴが指摘する矛盾にエウリッタも気づいてしまった。
 閉口する彼女を見て、うーん、とリヴが唸る。

「ねえ、さっき話を聞いてて思ったんだけど、リッタちゃんの旦那様って、リッタちゃんと逆みたいな人だよね。リッタちゃんもそのひとも家族の愛を知らずに育った。でも、そのひとは赤の他人を受け入れて、家族みたいな絆をつくってる」

 そう。ロドニスは、犬笛や、ジェレニー、アグネスがいる。ジェレニーはロドニスの為を思って媚薬を飲んだし、アグネスはことあるごとに『シャンティ―卿にがつんと言ってもらわなくては』と言う。犬笛はロドニスの前でだけ小さいいたずらっ子みたいな笑顔をする。
 本音は、……赤の他人と繋がれるロドニスがうらやましい。
 
「赤の他人を信頼できるのって強いよね。わたしやリッタちゃんには無い強さだ」

 エウリッタは思考を読まれた気持ちになって俯く。ケンカ別れしたロドニスの悪口を言ってやるつもりだったのに、気づいたら頭のなかで彼を褒めてしまっている。

「……今日ね、アグネスさんにシャンティーの城も奥方様の家なんですよ、って言われたの。わたし惨めになった」

「みじめ?」

「アグネスさんが本当に大切なのはロドニス様。わたしの旦那様。わたしのことはおまけで大事にしてくれてる、そう思うから」

「アグネスさん本人がそう言ったの?」

「ううん、言わないでしょう、ふつう」

「リッタちゃんが絶対間違ってるとは言わないよ。でも、自分に自信がない人って他人の好意にケチつける。わたしもずっとそうだった。……でも、どっかで開き直ったの。今は近づく人間がいたら自分の魅力のおかげだって思うことにしてるよ。それが、どんな好意であっても」

 リヴが自分の身の上を反芻するように静かに目を伏せて笑うのを見て、ハッとする。

「……どんな、好意でも」

 姉は今きっとジョナルダ伯爵のことを考えている。

「ねえ、リッタちゃん、ジョナルダの家じゃ、誰もリッタちゃんを見てなかった。向けられる愛情も憎しみもぜんぶ、ジョナルダ伯爵ありきだった。悔しかったことや、辛かったことや、たくさんあったね。敵国のファルマンデイに留学させられたのだってジョナルダの名前背負ってたからじゃん。あのとき、リッタちゃんが人質にされるのを止められなかったこと、わたし、今でも悔しい。何もできなかった」

「姉ちゃん……」

「でも、家を出ることはいいこと。結婚して、リッタちゃんが自分自身を見てもらえてる、って感じることが増えたらいいな」

 リヴはそう言って、これあげる、と黒いほっかむりを外してエウリッタの両手に掴ませた。
 エウリッタは慌てた。
 召使であるリヴから物を取り上げるようなことは出来ない。
 でも、断ったらリヴの姉としてのプライドが傷つくかもしれない。

「姉ちゃん、……ありがとう。来週新しいほっかむり編んでくるね」

「うんお願い。実は新しいの欲しかっただけなの」

 そんなはずないだろうに、リヴは笑う。うんと小さかった頃から変わらない、空気が凛と引きしまるようなその微笑みを眺めながら、エウリッタは少し泣いた。



 公園の街灯のしたで、笑顔で別れた。
 馬車が通る道を注意して横切っていく姉の後ろ姿をエウリッタはずっと見送った。
 全身が強張っていた。叫び声を上げそうになるのを押し殺した。

(行かないで)

 姉と別れるときはいつもそう叫びたくなる。
 けれど笑顔でわかれる。2度と会えないかもしれないとか、ジョナルダ伯爵の元に送り返すのは嫌だとか、言っても姉を困らせるだけだから。
 自分たちはもう諦めているのだ。
 いつだったかアグネスに『ズケズケ言うのは自分が何を言ったって世界は変わらないから』と言った。それは本音だった。何も変わらないなら我慢しないで言おう。そう思っている。
 けれど逆に言えば、自分が何かを変えられると思っていない。
 姉もそうだ。エウリッタが人質になって留学に行かされたとき、姉は何もしなかった。エウリッタも何かしてもらえると期待しなかった。
 今回の結婚だって、流されただけだ。
 流されて、今再びエウリッタとリヴは離れ離れになっている。大好きなのに、一緒にいることを諦めている。

(旦那様ならこういうときどうするだろう? 姉ちゃんは旦那様のことをわたしたちと逆みたいなひと、って言った)

 ロドニスなら諦めないのだろうか?
 大好きな姉を追いかけて行って、「あんな男のところへは返さない」と言って、さらうだろうか? 行かないで、と声に出して言えるのだろうか。

「……うらやましい」

 ぼんやりとそう口にしたとき、背後に影が落ちた。振り返れば、ベレー帽をかぶった背の高い男が立っている。

「シャンティ―のご婦人、次はどこへ向かわれますか? もうすぐ日も落ちるので馬車を用意しました」

「まあ」見知らぬ男だが、夫の護衛だろう。隙のない身振りでそうわかった。エウリッタは礼を言って、男にエスコートされて馬車の通りに出る。黒い箱馬車に乗り込むと、アグネスが待っている図書館を行き先として告げた。

「え、あの……」

 男は御者と一緒に前に乗るかと思ったら、同じ箱に入ってきた。狭いので少し窮屈だ。身じろぐエウリッタを見て、男がベレー帽の縁から目を細めて笑う。

「私生児だろうが、ジョナルダ家の令嬢は箱入りですね。警戒心がない」

「え?」

「旦那が苦労しそうだ」その言葉の元、伸びてきた男の手が蜘蛛の脚のようにがっちりとエウリッタの口を押さえ込んだ。
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