【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

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11.同棲

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 翌日、目を覚ますと夫はいなかった。初夜のときと同じだ。
 前の夜の自分の乱れっぷりが恥ずかしくてベッドシーツの中に隠れていると、まるで気配を読んだみたいに夫が戻ってきた。

「ジェレニーに会うか?」

 その言葉にエウリッタは起き出してくるしかない。急いで風呂と身支度を済ませて行くと、金髪の騎士は、客間のベッドの上で身を起こしていた。
 エウリッタは安堵と申し訳なさで一杯になって謝った。ジェレニーはそれを笑って許して「私こそあんまり飲めなくてすみませんでした」と言う。

「いえそんな、飲ませたわたしが悪いのです」

「いえいえ奥方様、飲めない私が悪いのです」

 二人でふと顔を見合わせ、ジェレニーが吹き出す。

「飲み会の次の日みたいな会話ですね」ジェレニーが笑いながら言うその優しさが、エウリッタを涙ぐませた。
 それからすぐあと、夫の仕事について、エウリッタは中央に住むことになった。
 夫の『一緒に来るか』という睦言はただの睦言ではなかったのだ。
 ジェレニーの完全復帰を待って7日後、エウリッタとロドニスは、城の者たちに見送られて領土を後にした。馬車で4日ほど旅をして夫の仕事先に着く。

「家の中は何もないが広いぞ」

「じゃあ好きに飾っていい?」

「好きにしろ。あんたも住む家だ」

 そんな会話を馬車に揺られながらしたが、本当だった。ロドニスが住む一軒家は、都心から離れた場所にあって、屋敷と呼べるほど大きい。
 エウリッタはまず、ぼうぼうに生え放題の芝生を整えた。それから家の中を整頓した。
 たくさんの窓があって、けれど幾つかにカーテンがなくてエウリッタは仰天した。ロドニスと相談してカーテンの色を決めて買う。ほかの家具も徐々に増やしていった。

「あんた家事できるんだな」

「びっくりした?」

「ああ。よく考えると、召使だったって言ってたか」

「あなたも自炊するのね」

「一人暮らしが長いからな。今度一緒に何かつくるか?」

 夫が家にいる週末は二人で料理をする。編み籠をさげてピクニックに出たり、遠出をして湖にボートを出したり、夫はエウリッタが今までしたことのないことに彼女を連れ出してくれる。
 平日は夫がいないが家事に精を出す。夫が仕事に持っていくサンドイッチをつくるのが楽しい。自分が洗濯したシャツを夫が着るのが嬉しい。夜の務めだって、あんなに憂鬱だったのに、男の体温が欲しいと思うようになってきた。
 これが恋か。
 初めての体験にエウリッタは浮かれた。

 同棲をはじめて8か月ほど経った春の終わり、夫が怪我をして帰ってきた。
 というか、二人組の男たちに担ぎ込まれた。同じような軍服を着ていて夫の同僚だと解る。彼らは、エウリッタに目もくれず、慌ただしく夫をリビングのカウチに寝かせた。
 エウリッタは悲鳴さえなかった。
 棒立ちしていると、酒や水や布があれよという間に用意された。夫が血まみれのシャツを脱いだ。それを口にくわえた。男のひとりが短刀を取り出した。

「息を吐いてください」

 言いながら、短刀で夫の腹のあたりを探った。夫がくぐもった声で呻き、エウリッタはようやく悲鳴を上げた。

「あー取れた取れた。矢じりだけ器用に残ってました、ほら」

「あれ誰さんですか? すっげー美人ですね、どこの店の子ですか?」

 冗談を言って空気を明るくさせる為か、男のひとりが笑いながらそう言う。血まみれのシャツごと腹を押さえながら、荒い息をつく夫がちらりとエウリッタを見た。

「妻だ」

「えっ」

「えっ」

「別の部屋へ連れ出せ。あいつは見なくていい」

 夫がそう指示を出すと、男の一人が素早くエウリッタに駆け寄って彼女を隣室へ追いやった。エウリッタは何があったのか聞き出そうとしたが「後で」と男に言われた。

「ロドニス様は大丈夫ですよ。私たちが処置するんで。奥様はここにいてくださいね」

(旦那様はどうしてわたしを追い出すの? あなたの妻なのに)

 目の前で閉じられた戸を開けようと伸ばした手を止めたのは、理性だった。
 邪魔になってはならない。
 同じ手で口を押さえる。石鹸のかおりがした。さっきまで洗い物をしていたのだった。
 ――ロドニス君は汚い仕事をしているんだよ。
 エウリッタは落ち着くためにわざと戸を背にして座り込んだ。それでも父の言葉ががんがんと頭に鳴りひびく。
 しばらく迷ったが、エウリッタは立ち上がって戸を開けた。
 リビングへ戻ると、さっき自分を追い払った男が慌てた様子で立ち塞がった。

「奥様! 部屋にいろと言ったじゃないですか」

「わたしも手伝わせてください。人手が多い方がいいでしょう? 薬もあります」

 血まみれのカウチを回り込んで、本棚の前に立つと、そこにある壷を開けた。葉に包まれた薬を取り出して男に渡す。

「ムーピオって止血剤です。こっちが痛み止めのリヴァ」

「リヴァ? って麻薬じゃ?」

「ファマンディ王国ではれっきとした医療薬として使われてましたよ」

 まあいっか、という風に肩をすくめた男が薬をロドニスの元へ持って行った。片割れは血まみれのガーゼを変えている。

「わたしは何かできますか?」聞くと、夫がぎろりと睨んできた。

「出てろと言ったろ」

「口ゲンカはやめましょう。そばにいたいの。だめ?」

 男のひとりが冷やかして口笛を吹いた。文句を言う気力もなさそうなくらい青褪めているくせ、夫はその男をすごい目で睨んだ。
 
(顔色が悪い。どんな怪我なんだろう。見たいけど邪魔はしたくない……)

「よお、針と糸ある?」

 そんな声が戸口からかかったのはそのときで、エウリッタはびっくりして振り返った。

「犬笛!?」

「玄関開いてたんで勝手に入った。ちゃんと鍵かけとけよテメエら」

「す、すみません」

「奥方様、針と糸ありますか?」

 目の醒めるような美丈夫が歩いてきてカウチの上に転がされている夫を見下ろす。やたら派手な花模様の羽衣がふわふわゆるゆる揺れている。女物を好んで着るのだから犬笛はちょっと変わった人だ。

「針と糸って、傷口を縫うの?」

「んー。奥方様、縫えますか?」

「……それはさすがにしたことない」

「だよな。まぁこいつらが多分できるから大丈夫です。物だけくれます?」

 エウリッタは二階にある書斎へ走った。ほつれが目立つカーディガンをちょうど直していたところで、出しっぱなしになっていた裁縫道具をすぐ見つける。
 
(犬笛、どうしてここにいるんだろう? 城をあけて大丈夫なのかな)

 犬笛は、城を留守しがちの夫に代わって、シャンティー領を任されている。内政長という役職だ。

「……師団長」

 大慌てで戻ってくると、犬笛がカウチの傍に膝をつくのが見えた。犬笛は、同じ傭兵団出身で、今もときどきロドニスのことを師団長と呼んでいる。カウチの背の陰で、犬笛が声をひそめた。ロドニスと小声で話し込んでいるようだった。

「旦那様?」

 エウリッタが声をかけると、犬笛がひょこっと顔を出した。

「針と糸は? お、ありがとうございます。……じゃ後頼むな」

「はい! 内臓がぜんぶ溢れ出す前に傷口を閉じます!」

「おー頼もし。あ、奥方様は俺と一緒にちょっと別の部屋来てもらえます?」

 黒い瞳が朱色っぽい金髪の陰で流し目を送ってくる。戸惑いながら彼の背中を追いかけると、ふと視線を感じた。夫が、カウチの肘掛けに頭をあずけて見つめてきている。

「戻って来るなよ」

(何よそれ)

 怪我人とケンカするつもりはなかったから、ぐっと堪えた。悶々とした気分で隣室に戻る。犬笛が手早く暖炉に火をくべるとポットを降ろして湯を沸かしはじめる。

「あー、……草っ葉とか飲みます?」

「ハーブティーだって言ったでしょう。旦那様以外が言っても可愛くない」

「そりゃ申し訳ねぇ。えーどこだコップ」

「座ってて。そういえば、犬笛がこの家に来るのって初めてじゃない? 仕事で来てるの?」

 茶器を用意しながら、さりげなく聞いたが、はっきりした答えは返らなかった。

「さっき2人で何の話をしてたの? 旦那様、こわい顔をしてたわ。わたしに来るなって言った」

「情けねえ姿を見せたくねーんじゃないすか」

 突如、隣のリビングから獣のような咆哮が聞こえた。ロドニスの苦痛の叫び声だ。

「旦那様!?」ギョッとしてドアに駆け寄ったが、犬笛に止められた。

「待てって」

「でも! 痛み止め渡したのに!」

「あー、……痛み止めって眠くなるじゃねえすか」

「だから!?」

「だから、眠るの嫌なんじゃねーの」

「何言ってるの? 眠った方が痛みを感じないでしょう!」言いながら、あ、と思い出した。「それとも、旦那様は人がいるところで眠れないの?」

 犬笛が素っ気なく肩をすくめる。

「……やっぱりそうなんだ。旦那様はわたしと添い寝してくれないの。寝室じゃなくてリビングで寝るの。毎晩よ。いつも避妊するし、……そこは同意だからいいんだけど。どうして、って聞いても、ちゃんと答えてくれない」

「おーい、そういう情報いらねー」

「どうして眠れないか知ってる?」

「俺からは何とも。奥方様、落ち着いて。今は医療騎士の二人に任せようや」

 リビングにいる男たちは医療騎士なのか。それを聞いて少しばかり安堵した。エウリッタがドアノブから手を外すと、犬笛もホッとしたように深呼吸する。
 それでも隣室から呻き声が聞こえてくると、思わず耳をふさいだ。

「奥方様」

「……行かないわよ。大人しくするから」

「いい子ですね」

 犬笛が羽織りの袖を左右から口元に集めてにっこり笑う。エウリッタは彼を睨んだ。

「子ども扱いで怒らせたいの? わざと旦那様の怪我から気を逸らそうとしてくれてる、って思うことにする」脱力してドアに背をもたれた。「ねえ、旦那様がわたしと一回も添い寝してくれないの、どうしてか知ってる?」

「いつものズケズケっぷりで旦那様に教えてーって迫ってくださいよ」

「いや。旦那様に嫌われたくないもの」

「俺には嫌われてもいいって?」

「うん。はぐらかそうとしてる?」

「……」

 犬笛が舌打ちをして視線を逸らした。あからさまに嫌そうな態度で、女性によっては深く傷つきそうだとエウリッタは思う。

「……わかった。もう聞かない。ごめんなさい」

「あー」

「犬笛も同じなの? 眠れないの?」

「聞いてんじゃねーか。……でも、まー俺は逆だな。女がいないと寝れねえ。なんでか知りたいなら俺と寝て」

 そんなにはぐらかしたいことなのか。

「わかった。もう聞かない」

 ロドニスが一度も添い寝してくれないのは、自分に魅力がないとか、自分の傍だと安心できないとか、そういう理由ではないのかもしれない。犬笛も似た症状らしいから。
 多分仕事が関係あるのだろう。気が休まらないのか。傭兵だったら戦争にも出ている。今も似たようなものなのかも。

「まぁ気にすることねーよ」

「妻として夫が添い寝してくれないのを気にしないのは無理」

「やることやってんならよくね?」

 相談する相手を間違えたと思った。
 エウリッタが淹れたハーブティーを自分の分だけ注いで、犬笛はコップを傾ける。暖かそうに頬を緩めた。
 ほぼ一か月ぶりに会うマイペースな男を眺めながら、エウリッタはため息をついた。


 犬笛はその夜泊まらなかった。ロドニスの怪我の処置が終わるとすぐ帰っていった。
 エウリッタもすぐ寝室に引っ込んだ。自分がリビングにいるとロドニスが眠れないからだ。
 翌朝、不便そうにしながらも風呂に入るロドニスを手伝った。心配と、ホッとしたのとで、昨夜リビングを追い出された怒りはすっかりしぼんでいた。
 怪我で1週間ほど仕事を休んだロドニスにあれこれ聞いたが、犬笛は仕事でこっちに来ているだけですぐ領土へ戻る、そのあいだ城はジェレニーに任せている、としか教えられなかった。
 怪我のことを聞くと『仕事につきもの』と言った。食いついても、それ以上教えてくれない。
 父が言ったことは本当だろうか。ロドニスは汚い仕事をしていて、人を殺しているのだろうか。怪我はそのせいだろうか。
 でも、とても聞けない。自分からは。
 相手が話してくれるのを待とう。いつか信用してくれる。一緒に寝てくれる。
 
「週末、新しいカウチ買いに行くか」

 怪我をして9日目、黒いシミがつくカウチを見て、冗談のように笑いながら夫が言う。
 エウリッタも笑った。手が震えていることを知られないようにした。

 少しして、夫が外泊するようになった。
 夜帰らない日ができた。そんな日が増えていった。寝台はロドニスの側が冷たいままだったけれど、朝起きてリビングに行って、カウチが空っぽの日が増えていった。
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