不可視の糸 ~剣を持たない田舎娘が皇太子の護衛を目指した結果の革命譚~

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第一章 護衛になりたい田舎娘

第三話 11.妃候補

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「いいか、勘違いするな! 妃候補と殿下はおっしゃったが、妃になれと言った訳じゃないからな! そもそも妃候補という言葉すら聞き間違いの可能性だってまだある!」

「護衛にはなれなかったけど、仕事を与えられたんだから万々歳の結果なんじゃない。しかも妃候補だって」

「だから聞き間違いの可能性もあると言っているだろう! それに、もし本当にそうおっしゃっていたとしても、今ごろ殿下は冷静になられて取り消しを検討していらっしゃるかもしれない」

「ここにいる全員が妃候補って聞こえたと思うし、アウル様が一度口にされたことを簡単に覆すとは思えないけど?」

「いや、まだ間に合う! テッド、この娘をしっかり見張っていろ。俺はもう一度説得に行く!」

「はいは~い。無駄だと思うけど、頑張って」

 謁見の間にて、妃候補になれと命じられて開いた口が塞がらなくなったレオーナ。言葉を失っている間、ダジルがアウルに命令の取り消しを強く要求した。しかし、アウルはダジルからの猛抗議を犬に吠えられているくらいの態度であしらい、政務があるから後は任せたと言って謁見の間を一人出て行ってしまった。

 その後、容赦なく睨みつけてくるダジルに散々勘違いするなと釘をさされる。お前のような者が妃になるなどという事態は万に一つもあり得ない、と何度も言い方を変えて念圧された。そんなこと言われなくともわかっていると伝える間も与えられず、ただただ黙ってのけ反りながら話に耳を傾けた結果、ダジルはアウルを追って謁見の間から飛び出して行った。

 室内に残ったのはレオーナとテッド、そしてもう一人の側近の三人となった。護衛になるために積み重ねた苦労の日々が一瞬走馬灯のように頭の中を過り、はっとしてそれを振り払った。

「えーと、私はどうすれば良いのでしょうか?」

「さぁ? 具体的な命令はされていないからなぁ。こういう時は基本的に自分で考えて行動しろってことなんだろうけど。妃候補ってことは、俺はどこぞのお姫様と同じようにレオーナを扱うべきなのかな?」

「お姫様!? あり得ない!! 私は護衛になりにここに来たんですよ!」

「でも、アウル様の命令は俺らにとって絶対だからどうにも出来ないよ。ダジルが今一生懸命気が代わるように交渉してるんだろうけど、多分無駄だね」

「でもでもっ、なんでこんなことに!? そもそも、妃候補ってどういうことですか? 皇太子殿下にそんなもの必要なんですか?」

 大の男三人に拳で喧嘩を売られても平然としていられるレオーナだが、意味不明過ぎる現状に半べそだ。

「んー、まぁレオーナになら話していっか」

 ほんの少しばかり悩む素振りをみせたテッドがあっけらかんと語った内情、それは呑気な口調に見合わない帝国の今後を左右するような特大の機密だった。アウルは八か月後までに妃を迎えなければ皇太子位を剥奪されるというのだ。

 アウルは今年で二十八歳。デューア男性の結婚適齢期後半だ。そして皇族男性は通常二十歳前後で婚姻を決め、二十五歳には第一子を授かっていることがほとんど。皇位継承権第一位の皇太子であるアウルが未婚というのは帝国にとってそれなりに大きな問題だった。それは皇太子マニアであるレオーナでなくとも、国の行く末を考える民ならば皆知っていた。ただ、未婚が原因でアウルが皇太子の座を辞す可能性がある、という話は欠片も聞いたことがなかった。

 テッドの話によると、皇帝でありアウルの実父であるザクス・デューアは数か月前にアウルに対してこう言い放った。

「一年以内に妃を娶らなければ皇族としての自覚なしと判断する。皇太子位を第二皇子に譲渡せよ」

 それはそれまでに再三婚姻を促してきた皇帝からの最終通告だった。

  第二皇子であるギル・デューアは異母弟で、まだ十五歳と十分に若い。幼いころは病弱で皇帝の器ではないと評されていたが、体はここ数年で丈夫になり、皇子としての仕事にも精力的に取り組むようになっていった。すると周囲からの評価は向上。未婚で国の政策と逆行するアウルよりもギルの方が皇太子に相応しいと言う声が各所から上がるようになった結果、皇帝がアウルに下した命令が婚姻だったというわけだ。

「皇帝陛下が次世代のお世継ぎの誕生を強く望んでいらっしゃるっていうのが関係各所の解釈。だけどそれはあくまで表向きで、反強者主義的なアウル様のお考えを国政から排除するべきだと考える諸大臣が画策して、皇帝陛下があちら側の意見を受け入れたっていうのが俺達の見解」

「っていうことは、もし期限までに皇太子殿下がご結婚されなかったら――」

「アウル様は皇太子ではなくなる。同時に今持っている権力を大幅に削られるだろうね」

「そんな!」

「皇帝陛下はこれまでアウル様の改革に対して声を大にして反対や批判はされなかったんだ。俺なんかは単純だから皇帝陛下もアウル様のお考えに賛同してくれているんじゃないかって考えていたんだけど。流石はアウル様、いつか必ず手のひらを反してくるから油断するなってずっと警戒されててさぁ。ここに来て一見正当な理由で攻撃されちゃったってわけ」

 のんきな声で大変だと語るテッドと対照的にレオーナは大いに焦っていた。

「でも、ご結婚されれば今のままなんですよね? 皇太子殿下なら許嫁の一人や二人や三人くらいいらっしゃるのではっ?」

 皇族は一夫多妻が許されており、現皇帝のザクスにはアウルの母である第一皇妃、ギルの母である第二皇妃の二人の妻がいる。平民でも許嫁が幼いころから決められている家庭は多く、貴族は政略結婚が当たり前。皇族ならば当然許嫁がいるはずだと思って発言すれば、テッドから予想外の問いを投げられる。

「レオーナ、家族に強者主義者の男と結婚しろって命令されたら結婚する? 結婚したら今まで通り自由に暮らしてもいいけど、子どもはちゃんと作るんだぞって条件出されて、受け入れられる?」

 言われてはじめて具体的にアウルの立場に自分を重ねてゾッとした。口では自由にして良いと言われても、レオーナの生き方が強者主義者に受け入れられるはずがない。子どもが生まれれば子育てをするために現状の自由はなくなるし、教育方針の違いでぶつかるのは必須。それ以前に子作りの段階は想像もしたくない。同じ家に住んで会話をするだけで苦痛が伴いそうだ。平民と皇族を同列に考えるわけにはいかないが、想像できる範囲の心的苦痛だけでも胸が痛くなった。

「つまり、皇太子殿下の周囲には反強者主義的な思想を理解して寄り添ってくれる女性がいらっしゃらないということですか?」

「みんなゴリゴリの強者主義者だね。どのご令嬢もバックには頭の固い高位貴族の父親がくっついていて、その誰もがアウル様をどう抑え込もうとか利用してやろうとかって腹黒い考えで頭を一杯にしているわけ。俺だったらそんな結婚を強いられたら家から飛び出すけど、アウル様は今の立場を放棄するわけにはいかない」

「他国のお姫様はどうですか!? 強者主義に染まってない素敵な方がいらっしゃるんじゃないですか?」

 第二皇妃でありギルの母は外国の姫だ。アウルにだって国外からの縁談があるはず。そう期待して問うたがこちらも空振りだった。

「アウル様はかなり外交を重要視されているのは知っているでしょ? 俺には良くわからないけど、基本的にどの国とも平等な立場でいることが重要だってお考えみたいで、一つの国に肩入れしたように見える婚姻は結びたくないみたいなんだよね」

 確かにレオーナの認識内でもアウルは国内の改革だけではなく外交にも力を入れている。これまでのデューアであれば欲するものが他国にあれば戦を仕掛けて強奪するのが当然。しかし、アウルは友好関係を築き、様々な交渉を重ねることによって同じ成果を目指している。国民からは軟弱外交と酷評されがちだった。ただ、ここ最近になって戦う事によって生じる損失無しに貿易によって安定した物資調達が出来るようになった事例が増え、密かに喜んでいる民が増えているとレオーナは感じていた。これはアウルの努力が生み出した大きな成果だ。レオーナにも難しいことはわからないが、一つの国に肩入れすることによってこれまで築き上げてきた均衡が崩れる恐れがあるのなら、他国の姫との婚姻が選択肢に入らないのも納得出来た。

「主義主張が違う国内のご令嬢も、主義主張が合ったとしても諸外国との余計な諍いを作る恐れがある他国のお姫様も結婚相手として選べないってことですね」

「そう。現状、アウル様のお考えに表立って賛同する貴族は極僅かで、その中に適齢期で未婚のご令嬢は運悪く居ないんだよね。皇帝陛下に決められた期限も迫って来ているし、どうしたものかってずっとアウル様もダジルも悩んでいたんだよ。だからよかった」

「……何が、よかった、なのでしょうか?」

 嫌な予感に頬の筋肉が引きつる。そんなレオーナにテッドはニカっと笑顔を向けた。

「アウル様が自ら受け入れられる妃候補が現れてくれて」

「だから私は護衛に――――」

 やり取りが振り出しに戻りかけたところでレオーナの台詞を遮ったのは突然開け放たれた扉の音。ダジルが戻ってきたのだ。そして、テッドに何を話していたかを確認すると、不機嫌丸出しな顔で不本意だと前置きをした。

「皇太子殿下に貴様の役割を確認してきた。八日後に皇太子妃として相応しいと要人から推薦があったご令嬢が皇城に一堂に会する。本格的な妃選出が始まるということだ。それに皇太子殿下推薦の妃候補として参加しろ」

「ええっ!? 妃候補は聞き間違いじゃなかったんですか!?」

 本気で聞き間違いである可能性が高いと思っていたレオーナが声を裏返させると、ダジルに「黙れ」と一喝される。

「話は最後まで聞け愚か者。皇太子殿下は妃候補については訂正して下さらなかった。しかし、貴様の取り扱いについては我々三人に一任して下さった。よって、貴様の行動指針は私が決める」

 見下ろしてくるダジルの目にはテッドのような親しみの情は一切見受けらない。そして文官なのに、まるで武器を持った武人かのような圧をかけてくる。

「私は貴様を信用していない。しかし、皇太子殿下は利用価値があると判断された。よって、望み通り貴様には最低限の役に立ってもらう」

 何でもやるとは言ったけれど、自分はあくまで護衛になる為にこの場に来たのだ。

 そう主張したいのにレオーナには発言権が一向に回ってこない。しかもダジルは信用していないと言うわりに、重みのある無理難題をふっかけてきた。

「いいか、複数の妃候補が皇城に招かれ、一月程の時間を掛けて皇太子殿下がお妃をお選びになる。貴様は妃候補としてその選考会に潜入し、反強者主義に順応可能な柔軟で聡明で貴様とは違って品のある令嬢を探し出せ」

「そんなことこの私に出来ると思いますか!? 超上流階級のご令嬢の中に私が混ざる!? そんなの綺麗な蝶の中にダンゴムシが混ざるようなものですよ!」

 テッドが再び噴き出した。笑いのツボにレオーナダンゴムシが転がり込んでスポリとはまってしまったようだ。しかし、それに構っている余裕はレオーナにもダジルにもなかった。

「まさしくその通りだが、ダンゴムシだろうがミミズだろうがどんなに土にまみれていようとも、今回は地上に這い上がってこちらの土俵に上がってもらう」

「でも、妃候補に名乗り上げる必要ってありますか? 給仕や召使いとしてご令嬢の許に派遣された方が悪目立ちしないで欲しい情報も手に入りやすいと思うんですけど」

 正論で窮地を脱出しようとしてみたが、レオーナの思考能力を遥かに上回る有能な補佐官は心底嫌そうに妃候補でなくてはならない理由を語った。

「皇城内の労働力は厳しく管理されている。女中もそうだが、厳しい試験を受けて合格した者、もしくは信用の足る者による推薦と管轄長との面接で認められた者のみが皇城で働くことが出来るのだ。皇太子殿下なら推薦と手回しで城内に潜入させることは可能だろうが、ご本人が不正に近いそのような行為はお好みにならない。管轄長はどこの馬の骨ともわからぬ者を受け入れる行為に不満や不信感を抱く可能性もある。尚且つ、新入りの給仕や召使いの耳に入る情報などたかが知れている。貴様は突然アウル様によって候補にあげられた得体のしれない妃候補という立ち位置で今回参加することになる。となれば自然とご令嬢方から良くも悪くも興味を引く。こちらから情報収集しに行かずとも向こうから寄ってくる。そしてお前に対する態度を見れば人柄やある程度の思考は明らかになる、ということだ。妃候補を自ら選び出すことは皇太子殿下の自由であり、その相手がその辺の虫けらだろうと不正や後ろ暗い行為には引っ掛からん。理解したか愚か者」

 レオーナは顔を青くする。それは虫けらや愚か者扱いされたからではなかった。

「つまり、皇太子殿下は推薦と手回しで私を護衛として召し抱えるという行為もお好みにはならないということですよね……」

 レオーナは皇太子の護衛が近衛団に所属している軍人であることは百も承知だった。だけれど、平民軍人のテッドが近衛隊長に選ばれたことから、自分も身分や性別の差を超えて護衛として召し抱えてもらえるという希望を持っていた。ただ、それはアウルが権力にものを言わせてレオーナが護衛であるということを他の者達に無理やりにでも認めさせる必要がある。しかし、権力を行使し他者を黙らせるような方法をアウルは好まない。つまり、軍役もしていなければ実績もないレオーナを護衛として身近に置く行為も当然アウルの好むところではないということになる。そこまで深く物事を考えずに突き進んできたレオーナだったが、アウルの不快に繋がるような行いを自らが強いるような真似は当然望まない。浅慮だった自分を悔い、護衛としての未来がより遠のいたことに血の気が引いた。

「皇太子殿下は帝国一清廉潔白な方だ。小娘一人の為に権力を振りかざして、他者の職域を踏み躙るような真似はなさらぬ。よって貴様が入り込む隙など端かなないのだ」

 ダジルにピシャリと言い切られ、唇を噛む。猪突猛進で皇城まで辿り着いて、最終到着地点で正面から現実を突き付けられた。そのショックでこれ見よがしに気を落としたレオーナ。その姿を一瞥したテッドは苦笑を浮かべる。

「確かにアウル様は小さな不正も見逃さないタイプだから当然自分にもそのルール強いてる。けど、俺より特殊な例外がいないわけじゃないからさ、そんなに悲観的になる必要はまだないんじゃないかな」

「おい、余計なことを言うなっ」

「特殊な例外?」

 ダジルが非難の視線を送ったその先でテッドはマイペースを崩さない。レオーナが希望の光を見つけようと話の続きを期待して待つと、酒場で世間話をするときと変わらぬテンションで室内の一点を指差した。

「アウル様にはデューアで唯一無二の役職を作りだして、周囲に受け入れさせた前例がある。レオーナだって彼みたいに強く必要とされれば、特殊な地位を得てお側にお仕えする事が出来るかもしれない」

 指差された先に立っていたのは、謁見の間に来てから未だに一言も発していない人物だった。
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