不可視の糸 ~剣を持たない田舎娘が皇太子の護衛を目指した結果の革命譚~

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第一章 護衛になりたい田舎娘

8.レオーナの過去

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 レオーナが生まれたパロルドフ領のハジーと呼ばれる小さな村はデューアの北西、隣国カサドラと国境を接する位置にある。とはいえ国境線は貿易のために整えられた主要道の周辺を除けばほぼ魔獣が出没する森か断崖絶壁。ハジー村が接する国境は人里から森を抜けたさらに奥にあり、命を懸ければ降りられる可能性がある崖となっている。つまり、運よく降りられても登ってくることは不可能。

 そう村民が語るのには理由がある。過去に度胸試しをした若者が複数存在したからだ。若者の中に崖を這い登って帰還した者は誰一人としていなかった。そして生還を果たしたのはたった一人。国境を繋ぐ主要道を通るルートから命からがら戻ったのだ。レオーナが生まれる何十年も前の話だが、若者は自らの帰還を自慢して回った。村人は勿論、村の外でも自らの武勇伝を誇らしげに語り、広めることに余念がなかった。自らが強者であると主張したがるデューア男児であれば当然の行為である。しかし、この自慢話はその若者がこの世を去った後に災いとなった。

 ハジー村には主要道以外に唯一カサドラに帰還出来る道がある。

 どこからかそんな噂を聞きつけたカサドラ軍の敗残兵がその道なき道を求めて村を襲ったのだ。

 時は十三年前。戦争の勃発は突然だった。デューアとの友好の証として催事に赴いた当時のカサドラ国王は、敵意がない証拠として王妃や複数の姫を伴って国境線を跨いだ。献上品には奴隷も含まれており、多くの国民が手足を拘束された状態で先導するカサドラ国王と共に大行列を作り出していた。そして国境から主要道を進み続け、パロルドフ領城に入ったカサドラ国王は前代未聞の暴挙に出る。王妃や姫達を道連れに強力な毒を散布し、同時に奴隷に変装していた軍人が攻め入ったのだ。パロルドフ領はこの奇襲によって一日足らずで制圧された。カサドラはかつてデューアによって削り取られた国土と国民を取り戻すため、王族の命を賭けてデューアを奇襲したのだった。

 この出来事を切っ掛けにカサドラ軍はパロルドフ領内で残虐の限りを尽くした。そしてそれを迎え撃ったデューア国軍は三年もの月日をかけて漸くカサドラ兵の排除に漕ぎつけ、国土を守った。というのがデューアで語られる対カサドラ戦争の概要である。そしてハジー村はこの戦争の終結間際に踏み躙られた。

 村を襲った敗残兵は当時九歳だったレオーナの家にも踏み入り、非道の限りを尽くした。父も二人の兄もデューアの男として戦争に繰り出して不在だった。終戦間際、追い詰められて自暴自棄になったカサドラ兵にとって女と年寄りばかりの村人の命など家畜以下の扱いだった。

 力ある敵兵の侵略者達は崇高さの欠片もないただの獣でしかなかった。それまで強者主義を信じていたレオーナだったが、強い者は正義であるという概念は風に吹かれた灰のように消えてなくなった。そんな絶望の最中、せめて最愛の姉の命だけでも助けたいと抵抗を試みたレオーナを救った一人が紫紺の瞳の青年だった。

 現実を知り、何を信じて何を疑えば良いかわからなくなった。そんなレオーナの道標に紫紺の瞳の青年がなった。この世がおかしいと、変えるべきだと考えているのは自分一人では無い、そう思えることはレオーナの心の大きな支えとなった。その青年が皇太子のアウル・デューアだと知ったのは別れた後だったが、次期皇帝が自分と同じ想いを胸に宿していると思えば、困難な道を歩む勇気が湧いた。

 自分と同じ想いを抱えた人々を助け、同じ事を繰り返して他者が苦しまないように、レオーナは自分の手の届く範囲から変えようとした。しかし現実は想像よりも厳しかった。平民には強者主義を否定する者も多く存在していたが、その誰もが強者主義を恐れていたし、戦争で国が富み栄えた恩恵を受けていたのだ。よって、心で何を思っていようがレオーナが求める弱者とされている人が搾取されず、誰もが平等に幸せを享受出来る世界を肯定し、その価値観を広めようと協力してくれる人など皆無だったのだ。戦争から帰ってきた兄が薬草の行商で国中を回るのについて行き自らの考え方を広めようと試みたが、子どもの戯言と取り合ってもらえないか危険思想だと避けられてばかり。僅かに存在する共感者も革命など不可能だと、使う前から匙を投げた。

 レオーナは自らが歩んでいるのがどれほど足場が悪く、進み続けることが困難な道なのかを痛いほど思い知った。自分の行いは無意味で、誰も変わってはくれない。頭がおかしいのは自分の方で、間違って歩み始めてしまったのかもしれないと自問する機会は何度もあった。しかし、そうやって落ち込んでいる時に不思議と耳に入ってくるのはアウルの情報。自らには不可能な規模で帝国を変えていく見えぬ姿に、心は救われ掬い上げられた。そんな心の浮き沈みを繰り返している内にレオーナは新たな願望が生まれた。無力な自分に出来ることなどたかが知れている。それならば、不可能を可能にする力を持っているアウルの負担を減らすために行動したほうがよっぽど革命に近づけるのではないかと。

 常識に反した志を持ち、行動を起こし続ける孤独を痛いほど知っていたレオーナはアウルの心労を減らし、気力を保つための手伝いがしたいと望むようになった。

 一度決心すれば行動するまでが早いレオーナ。平民の女が唯一皇城で働ける道は女中になることだったので、思い立ったその日から知識と実技を身に着けるための修行を開始。それまで周囲の人間の心を変えることを目指していたレオーナにとって、自分自身の努力次第で結果が得られる課題は難易度が低く、あっという間に試験まで漕ぎつけた。しかし、その試験中に女中になることを断念することになってしまう。

 それから、どうすればアウルに仕えることが出来るのかを考えていた時分、アウルが暗殺者によって命を狙われたという事件が耳に入る。それからアウルが危険な目にあったという情報が幾つも耳に入るようになり、それまでの帝国の在り方を否定しながら帝国の中枢に在り続ける立場がどれほど危険に満ちているのかに思い至ったレオーナは自らが護衛になれないのかと考えだす。幼い頃から男勝りで力は強く、姉と家で過ごすより兄二人と森を駆け回ることの方が多かった。生家は農業や家畜の世話から森での薬草取りに魔獣の駆除までも生業にしており、レオーナはそれらの技を見て覚え、男達同様に働けることも自信に繋がった。何より不可能に立ち向かう根性なら誰にも負けないという自負があった。

 自分が護衛になれたら、世界が変わる一つのきっかけくらいにはなれるかもしれない。

 レオーナはそれから女の身でどうやったらアウルを護ることが出来るのかをひたすら考え、行動し、幾つかの偶然と厳しい試練を乗り越えた。その後、護衛になりたいと堂々と口にして中央門に通うようになったのだ。

 村が襲われてから十年。レオーナは幼い頃にした約束を胸に愚直なまでに真っ直ぐに生き続けてきた。その先に居るアウル・デューアを追って。

 そして今、謁見の間までたどり着いたのだ。
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