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05.States
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かの伝説的な物理学者が提唱した相対性理論いわく、時間というものは、それを享受する人間によって速度が変わってくるらしい。つまらない仕事をしているときは遅く感じるし、遊んでいるときは逆に短く感じるというのは、大抵の人の身に覚えがあるものだろう。
俺がホテルで目を覚ましてからここに来るまで、いろいろなことがあり過ぎた。そんなもんで体感的には1日以上経っているように感じたが、しかし現実にはまだ――ここに入る前にチラリと外を見た限りでは――太陽がまだ昇り切ってすらいなかったのだから、やはり相対性理論というのは正しいのだと、実感せざるを得ない。
「どうした、大丈夫か?」
俺がそんな現実逃避をして天井をぼうっと見ていると、向かいの席に座っているイトがそう言ってきた。
俺たちは今、車から出て、イトたちが隠れ家に使っているという路地裏のパブ、その奥の部屋にいた。
イトたちが言うには、俺の存在は絶対に人に見られたくないらしい。このパブは建物の地下にあって目立たないし、今の時間は誰もいないから、ということで、俺はそこに通されたのだ。
「ああ、いや、大丈夫ですよ。どうも」
「そうか。でも人が死ぬところを見たわけだし、辛いなら言えよ?」
彼女はそう言いながら、その薄緑の瞳で俺を真っ直ぐと見ていた。
俺はそれに、とりあえずただ首肯した。
はっきり言って、まだショックが抜けてないといえば噓になる。今まで画面の中にしかなかったガン・ファイトが現実になるというのは、思っていた以上に俺の精神を削ったようだ。
「……ま、大丈夫ならいいんだけどさ」
強がっていやしないかと疑っているのだろう。イトは俺の対応に今一つ納得できないようで、腕を組みながら、訝しんだような目をした。
……これはただの願望だが、彼女はひょっとして良い人なのではないかと、そんな甘い考えが俺の思考をよぎった。それにイトがどう思っていようと、結果的には俺の恩人なのだ。無論、それでも今朝あったばかりの彼女を、まだ信頼できているとはとても言えないが。
考えていると、小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「お待たせ、コーラが冷えてたよ。ハリくん炭酸飲める?」
どうやらあの子……ルーラが、冷蔵庫から飲み物を持ってきたらしい。彼女の腕には3本、瓶のコーラが抱えられていた。彼女はイトの隣に座り、コーラをテーブルに置いた。
「はい、ありがとうございます、ルーラさん」
「だから呼び捨てにしてって、なんかむず痒いし。敬語もいらないからさ」
「……まあ、確かに私もそうしてくれた方が助かるかな、何だかやりにくいし」
ルーラとイトが俺にそう言ってきた。
正直な話、まだ少し抵抗はあるが、特段断る理由もないだろう。俺は素直に敬語とさん付けを取っ払ってしゃべることにした。
「わかりま……わかった。じゃあイト、とりあえず本題に入っていいか?」
「……いいよ。お互い、聞きたいことが山ほどあるだろうしな」
イトはそう言って、顔を少し強張らせる。ルーラにいたっては緊張しているのか、姿勢を直して聞く準備をしていた。
とりあえず俺は、もっとも聞くべきことを最優先で聞くことにした。
「まず一つ目。ここはどこだ? アメリカか?」
アメリカか? と聞きながらも、俺はきっと違うだろうと考えていた。もちろんそう聞いたのには理由がある。さっき車に乗っていた時、窓の外から見えた景色が、まるで80年代の洋画に出てくるアメリカの街並みにそっくりだったのだ。
そう、『80年代』のアメリカだ。街で見た建物も、車も、看板も、どれもこれもまるでタイムスリップしてきたかのような、ノスタルジックにすら感じる造形のものばかりだった。たまたまそういう場所だったというわけでもないだろう。そこそこ大きな道路で、何十という車とすれ違ったにも関わらず、全部が全部80年代以前のデザインなんて、それこそ有り得ない確率だ。
「あめりか? いや、聞いたこともない地名だ」
しかしイトから出た言葉は、俺の予想よりもずっと衝撃的だった。
「……アメリカを知らない? 本気で言ってるのか、あのアメリカ合衆国だぞ?」
普通に生きてきて……少なくとも、いかにもなほど文明の豊かさが見て取れるこのこの場所で、あの超大国アメリカを知らないなんていうことが、果たしてあるだろうか?
普通だったら俺だって、ジョークのセンスが悪いねなんて言って、歯牙にもかけないような対応をするだろう。
けれど、イトの本気でわからないという顔が、俺にそれを許さなかった。
「こんな時に冗談言うかよ……。だいたい、合衆国なんてこの『エルドラ』しかないだろ?」
『エルドラ』、イトの口から聞きなれない、恐らく国の名前を聞いた俺は、思わず真顔で黙ってしまう。その態度で察したのだろう。イトは説明を続けた。
「エルドラ合衆国、これが今、お前がいる国の名前だ。……聞いたことは?」
「……ない」
俺は動揺したが、しかしはっきりとそう答える。驚いたのはイトとルーラも同じようで、俺の言葉に眼を見開いた。
エルドラ。黄金郷を意味するその単語は、しかし俺の知る限りでは国の名前ではなかった。
少しばかりの、気まずい静寂。
それの数秒後、イトは言いにくそうに口を開く。
「ハリ……お前の思いつく範囲でいい、世界中の誰もが知っていると思えるものを、できる限り言ってくれ。宗教でも歴史の出来事でも。それと、お前がなんて言う国から来たのかも」
彼女は恐らく、ある考えが浮かんでいるのだろう。それはきっと俺と同様のものだ。
「生まれ故郷は、日本っていう国だ。知ってるか?」
俺の言葉に、イトもルーラも首を横に振る。それを見て、ある考えへの不安がより一層、俺の頭の中で大きくなった。
冷や汗が出る。『そんなこと』は有り得ないだろうと、SFの見すぎだと、もしこの場で誰か茶化してくれたらどれだけいいだろうか。
「イギリス、ドイツ、イタリア。ハリウッド、カリフォルニア、サンフランシスコ。アインシュタイン、ピカソ、エジソン。キリスト教、仏教、イスラム。ベトナム戦争、フランス革命、第二次世界大戦、911テロ。……この中で一つでも、知っている単語は?」
「……いや、どれもこれも聞いたことすらない」
それを聞いて、俺はある予感がした。イトも同様のようで、参ったとでもいうように、こめかみを手で押さえる。
本当は盛大なヤラセなんじゃないかとさえ、未だに思っている。実はこの街も全部セットで、イトたちも実は俳優で、どっかのハリウッド映画みたいに全員で俺をダマしてるんじゃないかとさえ。
けれど、そうじゃないのだろう。全く持ってあり得ないが、きっと『そうじゃない』のだ。
「え、えぇ? どういうこと? わかんないよ、イト。説明して」
ルーラはそう言いながら、イトの服をつまんで、彼女の顔を覗いた。
「……ルーラ、やばいよ。SF映画の見すぎだって言われても、私は否定できそうにない」
「だから何が!」
「……三つ考えられる。ハリがとんでもなく情報が統制されたド田舎から拉致られたか。それか、とっくに薬漬けにされて脳がダメになっているか」
イトはそう言い含めて、一本、二本と指を立てながら説明する。
「三つめが一番突拍子がないけど、一番、今の状況にしっくりくると思う」
彼女は三本目の指を立て、言った。
「それか、ハリが全く別の世界から来たか」
やはりそうなのだ、ここは。
ここは、俺がいた場所とは違う世界。
俗に言う、異世界だ。
俺がホテルで目を覚ましてからここに来るまで、いろいろなことがあり過ぎた。そんなもんで体感的には1日以上経っているように感じたが、しかし現実にはまだ――ここに入る前にチラリと外を見た限りでは――太陽がまだ昇り切ってすらいなかったのだから、やはり相対性理論というのは正しいのだと、実感せざるを得ない。
「どうした、大丈夫か?」
俺がそんな現実逃避をして天井をぼうっと見ていると、向かいの席に座っているイトがそう言ってきた。
俺たちは今、車から出て、イトたちが隠れ家に使っているという路地裏のパブ、その奥の部屋にいた。
イトたちが言うには、俺の存在は絶対に人に見られたくないらしい。このパブは建物の地下にあって目立たないし、今の時間は誰もいないから、ということで、俺はそこに通されたのだ。
「ああ、いや、大丈夫ですよ。どうも」
「そうか。でも人が死ぬところを見たわけだし、辛いなら言えよ?」
彼女はそう言いながら、その薄緑の瞳で俺を真っ直ぐと見ていた。
俺はそれに、とりあえずただ首肯した。
はっきり言って、まだショックが抜けてないといえば噓になる。今まで画面の中にしかなかったガン・ファイトが現実になるというのは、思っていた以上に俺の精神を削ったようだ。
「……ま、大丈夫ならいいんだけどさ」
強がっていやしないかと疑っているのだろう。イトは俺の対応に今一つ納得できないようで、腕を組みながら、訝しんだような目をした。
……これはただの願望だが、彼女はひょっとして良い人なのではないかと、そんな甘い考えが俺の思考をよぎった。それにイトがどう思っていようと、結果的には俺の恩人なのだ。無論、それでも今朝あったばかりの彼女を、まだ信頼できているとはとても言えないが。
考えていると、小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「お待たせ、コーラが冷えてたよ。ハリくん炭酸飲める?」
どうやらあの子……ルーラが、冷蔵庫から飲み物を持ってきたらしい。彼女の腕には3本、瓶のコーラが抱えられていた。彼女はイトの隣に座り、コーラをテーブルに置いた。
「はい、ありがとうございます、ルーラさん」
「だから呼び捨てにしてって、なんかむず痒いし。敬語もいらないからさ」
「……まあ、確かに私もそうしてくれた方が助かるかな、何だかやりにくいし」
ルーラとイトが俺にそう言ってきた。
正直な話、まだ少し抵抗はあるが、特段断る理由もないだろう。俺は素直に敬語とさん付けを取っ払ってしゃべることにした。
「わかりま……わかった。じゃあイト、とりあえず本題に入っていいか?」
「……いいよ。お互い、聞きたいことが山ほどあるだろうしな」
イトはそう言って、顔を少し強張らせる。ルーラにいたっては緊張しているのか、姿勢を直して聞く準備をしていた。
とりあえず俺は、もっとも聞くべきことを最優先で聞くことにした。
「まず一つ目。ここはどこだ? アメリカか?」
アメリカか? と聞きながらも、俺はきっと違うだろうと考えていた。もちろんそう聞いたのには理由がある。さっき車に乗っていた時、窓の外から見えた景色が、まるで80年代の洋画に出てくるアメリカの街並みにそっくりだったのだ。
そう、『80年代』のアメリカだ。街で見た建物も、車も、看板も、どれもこれもまるでタイムスリップしてきたかのような、ノスタルジックにすら感じる造形のものばかりだった。たまたまそういう場所だったというわけでもないだろう。そこそこ大きな道路で、何十という車とすれ違ったにも関わらず、全部が全部80年代以前のデザインなんて、それこそ有り得ない確率だ。
「あめりか? いや、聞いたこともない地名だ」
しかしイトから出た言葉は、俺の予想よりもずっと衝撃的だった。
「……アメリカを知らない? 本気で言ってるのか、あのアメリカ合衆国だぞ?」
普通に生きてきて……少なくとも、いかにもなほど文明の豊かさが見て取れるこのこの場所で、あの超大国アメリカを知らないなんていうことが、果たしてあるだろうか?
普通だったら俺だって、ジョークのセンスが悪いねなんて言って、歯牙にもかけないような対応をするだろう。
けれど、イトの本気でわからないという顔が、俺にそれを許さなかった。
「こんな時に冗談言うかよ……。だいたい、合衆国なんてこの『エルドラ』しかないだろ?」
『エルドラ』、イトの口から聞きなれない、恐らく国の名前を聞いた俺は、思わず真顔で黙ってしまう。その態度で察したのだろう。イトは説明を続けた。
「エルドラ合衆国、これが今、お前がいる国の名前だ。……聞いたことは?」
「……ない」
俺は動揺したが、しかしはっきりとそう答える。驚いたのはイトとルーラも同じようで、俺の言葉に眼を見開いた。
エルドラ。黄金郷を意味するその単語は、しかし俺の知る限りでは国の名前ではなかった。
少しばかりの、気まずい静寂。
それの数秒後、イトは言いにくそうに口を開く。
「ハリ……お前の思いつく範囲でいい、世界中の誰もが知っていると思えるものを、できる限り言ってくれ。宗教でも歴史の出来事でも。それと、お前がなんて言う国から来たのかも」
彼女は恐らく、ある考えが浮かんでいるのだろう。それはきっと俺と同様のものだ。
「生まれ故郷は、日本っていう国だ。知ってるか?」
俺の言葉に、イトもルーラも首を横に振る。それを見て、ある考えへの不安がより一層、俺の頭の中で大きくなった。
冷や汗が出る。『そんなこと』は有り得ないだろうと、SFの見すぎだと、もしこの場で誰か茶化してくれたらどれだけいいだろうか。
「イギリス、ドイツ、イタリア。ハリウッド、カリフォルニア、サンフランシスコ。アインシュタイン、ピカソ、エジソン。キリスト教、仏教、イスラム。ベトナム戦争、フランス革命、第二次世界大戦、911テロ。……この中で一つでも、知っている単語は?」
「……いや、どれもこれも聞いたことすらない」
それを聞いて、俺はある予感がした。イトも同様のようで、参ったとでもいうように、こめかみを手で押さえる。
本当は盛大なヤラセなんじゃないかとさえ、未だに思っている。実はこの街も全部セットで、イトたちも実は俳優で、どっかのハリウッド映画みたいに全員で俺をダマしてるんじゃないかとさえ。
けれど、そうじゃないのだろう。全く持ってあり得ないが、きっと『そうじゃない』のだ。
「え、えぇ? どういうこと? わかんないよ、イト。説明して」
ルーラはそう言いながら、イトの服をつまんで、彼女の顔を覗いた。
「……ルーラ、やばいよ。SF映画の見すぎだって言われても、私は否定できそうにない」
「だから何が!」
「……三つ考えられる。ハリがとんでもなく情報が統制されたド田舎から拉致られたか。それか、とっくに薬漬けにされて脳がダメになっているか」
イトはそう言い含めて、一本、二本と指を立てながら説明する。
「三つめが一番突拍子がないけど、一番、今の状況にしっくりくると思う」
彼女は三本目の指を立て、言った。
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