モリウサギ

高村渚

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終章 獣は去り、そして

1(挿絵あり)

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 それからの日々も中々にせわしいものだった。
 親子の犯した犯罪は罪状だけでも両手で足りない数であり、全部の罪を調べ上げるには何ヶ月もかかるだろうと思われた。
 親子の子飼いの会社組織や仲間が犯した罪もあり、ここ十数年来で最大規模の犯罪となりつつあった。
 警察内部にも、荷担の程度に軽重あれど、多数の協力者があった。
 彼らに対する庁内の姿勢は、穏便派から完全粛正派まで態度の分かれるところであったが、犯罪として立件せねばならないものは隠蔽いんぺいすることのないよう、那臣ともおみは上層部に働きかけた。
 渋谷南署地下襲撃事件のみならず、警察組織にとっては一大スキャンダルだ。しかし、ここで日和ひよっては勇毅の劣化コピーが延々と形成され続けてしまうかもしれない。
 犯した罪は、法を適用し償う。その原則は守られねばならないと、各方面の調整にも動いた。
 そして世間の反応も大きかった。
 なにしろ現職閣僚とその息子の、前代未聞の一大犯罪である。そして顧客の面々も、誰もが知っている著名人ばかりだ。
 関連の報道でテレビもインターネットも埋め尽くされ、それは年が明け二月となっても続いていた。
 



 まだまだやらねばならない仕事が山積みであった二月十五日、那臣は部下にうながされて休暇を取った。
 那臣は実質的に、本庁刑事部捜査一課の班長として復帰していた。
 警察内外の調整には参事官の肩書きが役に立つ場面もあるので、しばらくの間地位はそのままにしてあったが、頃合いを見て、階級も元の警部に戻してもらうつもりであった。
 もとより身の丈以上の、異例の二階級特進である。自分には過ぎる階級だ。
 那臣の班の捜査員たちは、皆、那臣の帰還を歓迎し、一時の不和を恥じて、そして、上官が精魂を注いで暴いた犯罪の捜査に、精力的に励んでくれた。
 そんな部下たちの思いに応えるように、那臣も皆と一丸となって捜査に勤しんでいたのだったが、年末からほぼ本庁舎に住み着いているかのような上官のことがさすがに心配になったのだろう。いい加減休めと、無理矢理休暇願を書かされたのだった。
 久しぶりに自分のベッドに寝転がって、床に積んであった本を朝まで読み漁り、やや遅い時間に目を覚ます。
 そしてまた無意識に彼女の姿を探して、那臣は自分のその行為に苦笑した。
 

 河原崎親子の逮捕のあと、那臣は白金のマンションを出て、元の谷中のボロアパートに戻った。自分の命が狙わて、周囲の人間が巻き添えを食らう心配がとりあえずなくなったこともあったが、なにより彼女、みはやと、これ以上奇妙な同居生活を送る理由がなくなったのだ。
「……それは、このみはやちゃんに三行り半を渡すと、この可愛い可愛い嫁に実家に帰れと、そう言うんですか?」
「だから、誰が誰の夫だ」
 形のよい眉をへの字に歪ませ、両手で口元を覆ってみせたみはやである。
 が、もっと強行に反発されると身構えていたというのに、いつもどおりのおふざけの範囲のようだ。
 勢い込んで予行演習していた説得の台本が宙に浮いてしまって、逆に、妙に下手に出てしまう那臣である。
「……その、今まで俺の仕事に付き合ってきてくれたことは、いくら感謝しても足りないと思っている。
 それに、どさくさに紛れてお前のマンションに住まわせてもらって、家事一切まで任せきりにしてしまった。改めて礼を言う。生活費についても、後で精算させてくれ」
「水くさいです那臣さん。わたしはあなたの守護獣まもりのけものです。那臣さんのお仕事のサポートをするのは当然、主人の衣食住の維持確保から、日々の暮らしの癒しのマスコットキャラクターを演じるところまで、完璧にお勤めするのがわたしのれぞんでーとるなのですよ」
「だがなみはや、お前の工作で親戚になっちゃいるが、俺とお前は元々他人だ。血の繋がりもなにもない三十男と、女子中学生が一緒に暮らしていくのは、やはりまずいだろう」
 未成年後見人の肩書きも、みはやの工作によるものだ。実の父親は亡くなったとの話だったが、その後、どうやら生存している他の家族がいるらしいことを、みはやから聞き出した。
 本来の保護者が存在するのなら、似非エセ後見人などと同居生活を送るより、そちらの庇護下に置かれるのが、真っ当な筋というものだろう。
 途中からは考えた台本通りの説得である。理詰めの、当たり前のものの道理だ。
 しかし、みはやの瞳がふいにかげり、芝居がかった表情が、本物の寂しさへと変わる。
 数瞬の躊躇ちゅうちょのあと、少し震えたか細い声で、みはやが問うた。
「わたしは、那臣さんの守護獣まもりのけもの、です。
 それも、終わりですか?」
「それはない」
 間髪置かず、するりと否の答えが那臣の中から発せられた。
 自分でも驚くほど、迷いのない本心からの想いだった。
「お前は、俺の守護獣まもりのけものだ」
 きっぱりと断言して、それでも、やや心許なく続ける。
「……俺はお前の主人あるじだ、と、言えるほどの自信はない……んだがな。
 主従ってのも性に合わねえし、対等でない関係はそもそも違うんだと思う。
 それでもな、みはや。俺はお前と、互いを知らなかった頃の関係に戻るつもりはない」
 みはやの瞳がわずかに潤み、口許が歪む。
 そしてすぐに、花の咲いたような愛らしい微笑へと、その表情を変えた。
 いつの間にかかけがえのない存在となった相棒に、那臣は、全幅の信頼を込めて伝えた。
「もう離れて暮らしてたって、消えてなくなっちまう関係でもないだろう。
 それに俺が、仲間がピンチになったら、大陸のどこからだってヴァルナシアの旗の下に駆けつける、そうじゃないのか?」
 そうだ。仲間は、離れていても仲間なのだ。
 そして仲間のピンチには、いつどこにいたって、何をしていたって駆けつける。
 ヴァルナシアの旗の下に。
「はい! もちろんです那臣さん!」
 みはやの咲き誇った笑顔が、約束のしるしだった。
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