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第六章 勝利の朝
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みはやを見据えたまま呆然と、身じろぎすらできずにいる那臣に、みはやは少し笑ってみせた。
皮肉な笑みだ。
「矛盾してますよね? 決めることが出来ない存在に主人を決めろ、だなんて。第一もしわたしが彼ら負け犬たちにとって、世界にとって、超危険人物さんを主人に選んじゃったらどうする気なんでしょうね。
でもそれが、、子どもたちを心のない獣に育てた、彼らの不器用すぎて的外れな精一杯の贖罪、なのですよ。
獣を世に放つとき、彼らは言うんです。
出来得るなら我々が敷いたレールを外れなさい。せめてただあなたの感情の赴くまま選んだ人間と共に在りなさい、って」
「みはや……」
相棒の告白になんと応えたらよいのか。渦巻く戸惑いを押さえつけて、那臣は断言する。
「お前にはちゃんと心がある、作品でも心ない獣でもない。そうだろう?
心があるから、同じ本を愛する俺に、助力しようと付き合ってくれた。そうじゃないのか?」
みはやの顔がくしゃりと歪む。嬉しさと辛さと、それからもっと大きなものが、小さなみはやの心を翻弄していた。
「……ヴァルナシア旅行団は、父が買ってきてくれた本です」
「親父さん、本当のか」
返事の代わりにみはやが続ける。
「内紛の続く地域で調停活動をしていた父とは、ほとんど会うことはありませんでしたが、たまにやってきては、おすすめの本をそれはもう大量に、わたしに贈ってくれました。
中でもヴァルナシア旅行団は、父の大好きな作品でした。
『仲間のルールは、仲間で決めるものだ。誰かに押しつけられるものじゃない。』
父が一番好きだった台詞です。父の信念でもありました。
誰かに支配されることなく、仲間で話し合ってルールを決める。そのルールには従う。
民主的な法による支配が、父の理想だったんです。
それを実現するため、父は危険な地域をずっと飛び回っていました」
親父さんとは、気が合いそうだ。会って語り合ってみたい。
だが叶わぬだろうことは、みはやの口調が痛いほど伝えてきた。
「父は襲撃で亡くなりました。それはある意味仕方のないことです。現地の住民でさえ安心して住めないところです、余計な口出しをしてくる五月蠅い外国人が、いつ銃弾の犠牲になったっておかしくはありません……でも」
みはやの両の瞳の淡い黒が、一瞬朱に染まったような気がした。かすれ揺れる声を吐き出す。
「……父は同僚に売られたんです。
くだらないきっかけで父を恨むようになったその人が、父の警備の情報を、対立する一方の組織に裏で流していました。狙い澄まして待ち伏せされた父は、あっけなく蜂の巣にされました。
わたしはそのときすでに訓練を終了し守護獣として完成していました。わたしは簡単に、その人を殺すことが、父の仇を討つことが出来たんです。
那臣さんの言うとおり、わたしには自由な意志がありました。
守護獣としてでなく、森戸みはやとして、父の愛してくれた子どもとして、父の仇を討つという選択肢を選ぶことが出来た……」
みはやの中で、感情が決壊する。
大きく見開かれた瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「そしてわたしは選んだんです。
その人に、法の下で裁きを受けさせる方を。
……今、その人は刑務所にいます。死刑廃止を選択した国での起訴でしたので。冷暖房完備、美味しい食事付きの快適な独房で、残りの人生を楽しむことでしょう」
止めどなく零れる涙の粒が、隣に座る那臣の手の甲にも落ち肌を伝って流れる。涙の温度は、肌を灼くほどに熱かった。
「ずっと悩んでいました。もしかしてわたしは間違っていたんじゃないか。この手で父の仇を討ってあげられなかったわたしは親不孝者なんじゃないか。父が味わった苦しみの欠片ほどもあの人に返すことができないなんて、わたしは、わたしの能力はなんのためにあるのかって……。
でも那臣さんが、言ってくれたんです。
わたしの選択は間違ってないって、
間違ってなんかないって。
……ありがとう、那臣さん…………。
……わたしは、那臣さんを選んで、よかったです……」
那臣は、思わずみはやの頭を抱き寄せた。みはやはそのまま那臣にしがみついて泣きじゃくった。ぽろぽろと涙の粒が、那臣の膝に落ちていく。その涙の放つ淡く白い光を、那臣はずっと見ていた。
この少女は、みはやは、やはり自分の同志で、そして己の分身だった。
「……やっぱりどうしようもなく甘っちょろいんだろうな俺たちは。
現実を見ずに理想ばっかり語ってやがる、青臭い奴だと言われても仕方ない。
……でもなあ、俺たちは神様じゃないからな」
みはやの髪を撫でながら、みはやと、それから自らにも語りかける。
「全能の神ならぬ、ただの人間だ。とてもじゃないが、自分の判断が絶対だなんて思えねえし、そう思うのはただの思い上がりなんだろう。
なんでもない日常の選択だって、あとから考えたら間違ってたんじゃねえかと思うことばっかりだ。一人で考えて決めることなんて、素晴らしいかもしれねえが、ろくなもんじゃないかもしれねえ。
だから大勢の仲間が、悩んで苦しんで考えて決めたルールを、俺はルールにする。
それは間違ってるのかもしれねえし、くだらないかもしれねえし、もしかしたら大事な人を傷つけたり、自分を殺すことになるルールなのかもしれねえが」
法の秩序を守るために、法というルールが護らねばならないはずの、物言えぬ弱者たちを蹂躙する無法者から守るために、自分は警察官という職業を選んだ。
それは今の那臣を、そしてこれからの那臣を那臣と成していく選択だ。
その選択は、己の信念であり、誇りだった。
この少女にとっても、迷い苦しみ選び取った道が、いつかその道に導いてくれた大切な人に誇れるようになるといい。
那臣は強く、そう願った。
「……まあ、その、なんだ。いざ自分の命がヤバいなんてことになったら、悪法も法なりなんて決め台詞吐いて、大人しく毒杯あおげるかどうかは判んねえけどな」
那臣の軽口に、腕の中のみはやもくすりと笑う。
「そのときはわたしが毒杯を蹴り飛ばして、一緒に逃亡してさしあげますよ?」
「頼もしいこった」
みはやの髪をわしゃっとかき回す。
この相棒と出会えてよかった。
那臣にとっても、みはやは、自らの選択を肯定してくれる存在であった。
「じゃ、残るあと一人、ルールに従ってもらうとしようか。なあ、みはや?」
みはやの、涙でくしゃくしゃで、全開に咲き誇った笑顔が応えてきた。
「はい! 那臣さん!」
皮肉な笑みだ。
「矛盾してますよね? 決めることが出来ない存在に主人を決めろ、だなんて。第一もしわたしが彼ら負け犬たちにとって、世界にとって、超危険人物さんを主人に選んじゃったらどうする気なんでしょうね。
でもそれが、、子どもたちを心のない獣に育てた、彼らの不器用すぎて的外れな精一杯の贖罪、なのですよ。
獣を世に放つとき、彼らは言うんです。
出来得るなら我々が敷いたレールを外れなさい。せめてただあなたの感情の赴くまま選んだ人間と共に在りなさい、って」
「みはや……」
相棒の告白になんと応えたらよいのか。渦巻く戸惑いを押さえつけて、那臣は断言する。
「お前にはちゃんと心がある、作品でも心ない獣でもない。そうだろう?
心があるから、同じ本を愛する俺に、助力しようと付き合ってくれた。そうじゃないのか?」
みはやの顔がくしゃりと歪む。嬉しさと辛さと、それからもっと大きなものが、小さなみはやの心を翻弄していた。
「……ヴァルナシア旅行団は、父が買ってきてくれた本です」
「親父さん、本当のか」
返事の代わりにみはやが続ける。
「内紛の続く地域で調停活動をしていた父とは、ほとんど会うことはありませんでしたが、たまにやってきては、おすすめの本をそれはもう大量に、わたしに贈ってくれました。
中でもヴァルナシア旅行団は、父の大好きな作品でした。
『仲間のルールは、仲間で決めるものだ。誰かに押しつけられるものじゃない。』
父が一番好きだった台詞です。父の信念でもありました。
誰かに支配されることなく、仲間で話し合ってルールを決める。そのルールには従う。
民主的な法による支配が、父の理想だったんです。
それを実現するため、父は危険な地域をずっと飛び回っていました」
親父さんとは、気が合いそうだ。会って語り合ってみたい。
だが叶わぬだろうことは、みはやの口調が痛いほど伝えてきた。
「父は襲撃で亡くなりました。それはある意味仕方のないことです。現地の住民でさえ安心して住めないところです、余計な口出しをしてくる五月蠅い外国人が、いつ銃弾の犠牲になったっておかしくはありません……でも」
みはやの両の瞳の淡い黒が、一瞬朱に染まったような気がした。かすれ揺れる声を吐き出す。
「……父は同僚に売られたんです。
くだらないきっかけで父を恨むようになったその人が、父の警備の情報を、対立する一方の組織に裏で流していました。狙い澄まして待ち伏せされた父は、あっけなく蜂の巣にされました。
わたしはそのときすでに訓練を終了し守護獣として完成していました。わたしは簡単に、その人を殺すことが、父の仇を討つことが出来たんです。
那臣さんの言うとおり、わたしには自由な意志がありました。
守護獣としてでなく、森戸みはやとして、父の愛してくれた子どもとして、父の仇を討つという選択肢を選ぶことが出来た……」
みはやの中で、感情が決壊する。
大きく見開かれた瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「そしてわたしは選んだんです。
その人に、法の下で裁きを受けさせる方を。
……今、その人は刑務所にいます。死刑廃止を選択した国での起訴でしたので。冷暖房完備、美味しい食事付きの快適な独房で、残りの人生を楽しむことでしょう」
止めどなく零れる涙の粒が、隣に座る那臣の手の甲にも落ち肌を伝って流れる。涙の温度は、肌を灼くほどに熱かった。
「ずっと悩んでいました。もしかしてわたしは間違っていたんじゃないか。この手で父の仇を討ってあげられなかったわたしは親不孝者なんじゃないか。父が味わった苦しみの欠片ほどもあの人に返すことができないなんて、わたしは、わたしの能力はなんのためにあるのかって……。
でも那臣さんが、言ってくれたんです。
わたしの選択は間違ってないって、
間違ってなんかないって。
……ありがとう、那臣さん…………。
……わたしは、那臣さんを選んで、よかったです……」
那臣は、思わずみはやの頭を抱き寄せた。みはやはそのまま那臣にしがみついて泣きじゃくった。ぽろぽろと涙の粒が、那臣の膝に落ちていく。その涙の放つ淡く白い光を、那臣はずっと見ていた。
この少女は、みはやは、やはり自分の同志で、そして己の分身だった。
「……やっぱりどうしようもなく甘っちょろいんだろうな俺たちは。
現実を見ずに理想ばっかり語ってやがる、青臭い奴だと言われても仕方ない。
……でもなあ、俺たちは神様じゃないからな」
みはやの髪を撫でながら、みはやと、それから自らにも語りかける。
「全能の神ならぬ、ただの人間だ。とてもじゃないが、自分の判断が絶対だなんて思えねえし、そう思うのはただの思い上がりなんだろう。
なんでもない日常の選択だって、あとから考えたら間違ってたんじゃねえかと思うことばっかりだ。一人で考えて決めることなんて、素晴らしいかもしれねえが、ろくなもんじゃないかもしれねえ。
だから大勢の仲間が、悩んで苦しんで考えて決めたルールを、俺はルールにする。
それは間違ってるのかもしれねえし、くだらないかもしれねえし、もしかしたら大事な人を傷つけたり、自分を殺すことになるルールなのかもしれねえが」
法の秩序を守るために、法というルールが護らねばならないはずの、物言えぬ弱者たちを蹂躙する無法者から守るために、自分は警察官という職業を選んだ。
それは今の那臣を、そしてこれからの那臣を那臣と成していく選択だ。
その選択は、己の信念であり、誇りだった。
この少女にとっても、迷い苦しみ選び取った道が、いつかその道に導いてくれた大切な人に誇れるようになるといい。
那臣は強く、そう願った。
「……まあ、その、なんだ。いざ自分の命がヤバいなんてことになったら、悪法も法なりなんて決め台詞吐いて、大人しく毒杯あおげるかどうかは判んねえけどな」
那臣の軽口に、腕の中のみはやもくすりと笑う。
「そのときはわたしが毒杯を蹴り飛ばして、一緒に逃亡してさしあげますよ?」
「頼もしいこった」
みはやの髪をわしゃっとかき回す。
この相棒と出会えてよかった。
那臣にとっても、みはやは、自らの選択を肯定してくれる存在であった。
「じゃ、残るあと一人、ルールに従ってもらうとしようか。なあ、みはや?」
みはやの、涙でくしゃくしゃで、全開に咲き誇った笑顔が応えてきた。
「はい! 那臣さん!」
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