モリウサギ

高村渚

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第六章 勝利の朝

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  追って駆けつけた久保田管理官に新宿MLビルの捜索を任せ、那臣ともおみは、一旦警視庁本庁舎へと向かった。
 とうに日付が変わっていたが、都会の喧噪けんそうは変わらずさざめき、道路にはせわしなく車が行き交っている。
 品野が運転する車の後部座席で、那臣とみはやは並んで座っていた。
 みはやはずっと泣いていた。
 座席に乗り込んでからはずっと那臣の腕をつかんで離さず、しがみついたまま嗚咽おえつを漏らしていた。
 しばらくは為されるがままの那臣だったが、ようやく決心したように口を開く。
「すまなかった」
 顔は、窓外の街灯りに向けたままだ。うつむくみはやがどんな顔をしているのか、確かめるのが少し怖かったのかもしれない。
「どうして謝るんですか? ……やっぱり、あそこで尚毅さんを……」
「それはない。それは、決して、ない」
 被せるように否定する。
 そこは間違えてはいけないところだ。
 ただ、と、やや気弱な笑みが浮かぶ。
「ただ……その、お前が俺を主人あるじと呼んで、全部俺のやることに従ってくれているのに甘えて、お前のやろうとしたことをただ闇雲にさえぎったんじゃないかと、そう思ってな。
 いや、もちろん尚毅に私刑を加えるのは駄目だ。駄目なんだが……」
 あたふたと視線が泳いでしまう。つい今し方あれほど毅然とした態度を見せたというのにこのざまだ。みはやは思わず頬を緩ませた。
「それはいいんです。そんな那臣さんだから、わたしは主人として那臣さんを選んだのですから」
 一度言葉を切って、みはやは息をついた。そして再び、口を開く。
「わたしは間違ってなかったです。那臣さん、ありがとうございました」
「何の礼だ?」
「わたしを、肯定してくれて」
 思わず隣のみはやに向き直る。みはやも、那臣を見つめていた。
 涙を拭くことなく、潤んだ瞳で、まっすぐな視線のまま、みはやは語り出した。
「那臣さん、守護獣まもりのけものってなんなのか。以前そうお尋ねでしたね」
「ん? ああ」
 NPOのシェルター放火事件のあと、守護獣という存在の謎について推論を進めたことがあった。
 政治、経済、その他巨大な権力同士の争いに敗れ、非主流派に回らざるを得なかったものたちが、いつか再び主流に立つことを念じて密かに優秀な人材を集める。そういったものたちのうち、更に突出して優れた人材に与えらた称号なのではなかろうかと。
「……負け犬たちは徒党を組んで、将来使い物になりそうな子どもを世界中から集めてきます。そしてあらゆる知識と技術を叩き込むんです。虎の穴ワールドワイドバージョンと思っていただいて結構です」
「人材確保と育成か。まあ納得はできるが、子どものうちからってのはどうなんだか。望んで負け犬側に育てられたい奴ばかりじゃないだろうに」
「そこも込みですよ」
 みはやがにこりと笑う。
「将来性豊かな子どもを、勝ち組に相応しい人物に育てさせないため、です。おかげで皆立派な負け犬根性の持ち主に育ちますよ? 間違っても支配者の側に立ちたいと思わない、他者を押し退けて椅子取りゲームに勝とうなんて絶対に思わない、ね」
「それは……」
 思わず那臣は絶句した。幼いうちから思想をコントロールするなど、きな臭いことこの上ない。人権の問題だ。
 いきどおりに腰を浮かせかけた那臣を、みはやの悪戯いたずらっぽい笑みが止める。
「ご心配なく。なかなかに優秀で、物事のよしあしを自分で判断することもできる子どもたちと、一度は完膚なきまでに叩きのめされ、人の痛みを理解できる大人たちです。
 きちんと説明、納得のうえの教育ですし、たとえばわたしのような読書中毒が、勝ち組さんたちの著書論文を乱読していても、止められることはありませんでした。
 敷かれたレールをリタイヤすることだって自由でした。
 それに、そこそこにしか才能を持たない子どもは、早々にただのスペシャリストとして、陰から負け組同盟を支援する側に回ります。
 わたしの双子の姉もそうです。今はアメリカの大学で、普通に研究者をやってますよ」
 天涯孤独の身の上がみはやの設定らしいことは察していたが、実の家族について聞いたのははじめてだ。双子の姉がいたとは。
 いやそれよりみはやと双子ということは、今、十四歳だ。
 それが大学で研究者をやっていることが『そこそこの才能で普通』なのか。突っ込みどころを計りかねて那臣はうなる。
「突出した才能を持ち、最後までレールを外れることなく育った子ども。それがわたしです。彼ら負け犬同盟にとって、彼らの思惑通りに働き、勝ち組に一矢を放つ最高傑作。守護獣まもりのけものは、そんな子どもに与えられる称号なのです」
 負け犬たちとはいえ、世界規模の組織がその英知財力を結集して育て上げた子どもだ。その才能を駆使してあらゆる成果を上げることができるのだろう。
 結果、その働きが都市伝説のように流布していく。
 警視庁の上層部もその伝説を信じ、守護獣まもりのけものの名を恐れた。だからこそ那臣のようなはみだし者に対して、下にも置かぬ扱いをしてきたのだ。
「成程、守護獣まもりのけものの成り立ちはよく判った。
 ……なら尚更疑問だな。なんだって俺のような一介の刑事を主人に選んだ? 
 お前みたいな子どもを育てるなら、相当な投資も必要なはずだ。大事に育てた秘密兵器だ、もっと負け犬同盟とやらの利に適う主人を選ぶべきだったんじゃないのか?」
「おやおや那臣さん、これだけ丁寧にご説明差し上げたのに、その推理は零点。落第ですよ?」
 おどけた台詞には、少しの明るさも伴っていなかった。
 みはやの淡い黒の瞳の奥に、見たことのない闇が広がる。
「最後までレールを外れることなく育った子ども、そう言ったはずです。
 わたしは、守護獣まもりのけものという生き物は、自分で自分の使い方が判らない、何事も成せる能力を持ちながら、何を成すべきか自分で決めることが出来ない存在なんです。
 ……自ら作り上げた『作品』を哀れんだ負け犬たちは、獣に言いました。
 あなたの好きな『主人』を選ぶといい、その主人が望むものを狩る獣になりなさい、と」
 那臣は言葉を失った。
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