モリウサギ

高村渚

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第六章 勝利の朝

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 が、ちょっとした茶目っ気を出したその男は、わざわざ操縦席から降りはじめた。
「おい、勝手に待機を解くな」
 もう一人の男にたしなめらるのにも構わず、女の横に回り込む。
 そして彼女が乗り込めるよう手をさしのべた。
「どうぞお嬢さん、むさくるしい機内で申し訳ないが、安全運行には自信があります。快適なフライトをお約束しますよ?」
 アクション映画のヒーローよろしく、にやりと決めたつもりの笑顔に、女もヒロインのごときあでやかな微笑で応える。
「あら、頼もしいこと」
 女はすいと手を伸ばし男の手に触れる。
 その瞬間男の視界がひっくり返った。屋上の固いコンクリートに背中から落とされた男は、呼吸も出来ず悶絶した。
「でも私、自分で操縦出来ますので」
 にっこりと微笑み、返す手でスカートを跳ね上げる。
 もうひとりのパイロットがとっさに武器に手を伸ばす間もなく、太股のホルスターからモデルガンを引き抜き構え、男の顔に向かって撃ち放った。やや間抜けな炸裂音とともに、ハバネロエキス入りのカプセルがまともに男の両目を襲う。男は本日五人目のトウガラシ犠牲者となった。
 戦うホテルコンシェルジュ、品野立貴たつきは、軽く両手の埃を払ってみせた。
 屋上に配置された敵を排除し、逃走用のヘリを運行不能にしておくため、二十八階の窓から外壁を伝って、屋上へ侵入するという離れ業をやってのけた彼女であるが、その手腕をいかんなく発揮するまでもなかったようだ。
 ヘリのパイロットはあっさりと制圧出来、他に敵らしき人影もない。みはや風に言えば『美女工作員の無駄遣い』状態であった。
 三十階、三十一階、そしてこの屋上と、そこそこ派手な装備のそれなりの戦闘経験者が配置されていたようだが、本気で襲撃を警戒していなかったようにも感じられる。
 警備システムについてもそうだ。岩城が侵入した内部のネット構造も、勤務管理システムと半端な連携を噛ましていなければ防げたルートだ。
 警備員たちは、ことが起こっても右往左往するしかできずにいた。ろくなリーダーを雇っていなかったのだろう。
「……でも、そうよねえ。まさか警察が、ここまで攻め込んでくると思わないわよね、普通」
 半ば憐れみの表情を浮かべて、立貴は風にほつれた髪を指に絡めた。
 権力の頂点を極めたものは、自身の玉座が、無数の砂粒で形作られていることを忘れるものだ。
 まさかひとつの砂粒の反乱から、玉座そのものが崩壊するとは、夢にも思わないのだろう。
 風に舞い上がり聞こえてくる夜の街の喧噪けんそうに混じって、慌ただしい足音が屋上に近づいてくる。
 あのお人好しの砂粒が起こす逆転劇が、これからここで拝めそうだ。裏方は裏から見守ることにしよう。
 立貴は足音も立てずに排気塔の陰へと自らの姿を消した。


 ぎいと不快な音を立てて屋上の扉が開く。
 やや息を荒らげた尚毅が屋上へ走り出た。ヘリの姿を確認してわずかに片頬で笑みを浮かべたが、すぐに異変に気づく。
 二人のパイロットが屋上に転がり、一人はぴくりとも動かず、もう一人は顔を手で覆って悶え苦しんでいる。
 駆け寄り近づくと、二人とも、ヘリを操縦できそうにない状態であるのがすぐに判った。
 一瞬大きく目を見開き口をぽかんと開けた尚毅は、次の瞬間癇癪かんしゃくを起こし、コンクリートの地面に足を打ち付けた。
「何なの? 高い金貰って雇われておいて、どいつもこいつも役立たずばっかりじゃん」
 ごつごつと、痛覚を無視するかのように固い地面を蹴り続ける。
 追っ手が僅かに遅れて屋上に辿り着いてもその動作をやめることはなかった。
 那臣ら捜査員に袋小路に追いつめられたことにも気付いていないかのようだ。
 尚毅と、その周囲に、武器を持った仲間がいないか様子を伺いながら、捜査員たちは距離を詰める。
 市野瀬が至近距離まで近づき、身柄を確保しようと手を伸ばす。
 そしてうつむいた尚毅の横顔をのぞき込んで、思わず、その手を引いた。
 複数の銃口を向けられたその時でさえ、気丈に戦いに身を置いた市野瀬ですら、本能のレベルで近づくことを躊躇ためらうほどの凄まじい邪気。
 余人を圧倒する負のエネルギーを、尚毅の瞳は宿していた。
 市野瀬は、自らの身体の不可思議な反応に戸惑いながら、再び勇気を奮い立たせ、尚毅の左腕を抱え込むため身を近づける。その反対側から、恭士が助けるように腕を伸ばした。
 そのとき、ゆらりと尚毅が顔を上げた。
 離れてひとり立つ那臣ともおみの方へ首だけ向けて、清々しい声で宣言する。
「終~了、ゲームオーバーだあ。ざ~んねん、捕まっちゃった」
 その笑顔は、残酷なまでに無邪気で、罪という言葉を知らない子どもの表情だった。
 時間が凍り付いたように、捜査員たちは動けなくなる。
 すぐにその鎖を断ち切ったのは恭士だ。
「……ゲームだと? お前……」
 怒号を放って襟首をつかむ恭士に、尚毅はにこやかに語りかける。
「暴力は止めてよね。俺、もう降参してるんだから。大人しく捕まってる被疑者殴ったりしたら、ボーナスの査定に響くんじゃないの? 刑事さん」
「この……ッ!」
 恭士が逆上して、固めた右拳を振り上げた。それを那臣の静かな声が止めた。
「恭さん」
 恭士が大声でひとつ吠えて拳を下ろす。
 傍らの市野瀬も、歩み寄る那臣をつい睨みつけた。悲壮な瞳は、那臣を、正論をふりかざす臆病者と責めているかのようだ。
 手を伸ばせば届く距離にまで尚毅に近づくと、那臣は尚毅の目をしっかりと見据えた。
 尚毅は、あっけらかんとした笑顔を浮かべて那臣の目を見返してくる。その瞳の奥には、悪びれるという感情など、一筋も含まれていなかった。
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