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第六章 勝利の朝
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「ふむ、我ながらお恥ずかしい。ややクオリティに難アリでしたねえ……よく見ればすぐ気付かれると思うんですよね、このレベルじゃ」
古閑の操作した端末経由でフェイク映像を送りこんだのは岩城である。
現場到着時に立ち往生していた捜査員たちの映像を、不自然に見えないようループしてあり、警備室ではあたかも捜査員たちがずっと為す術もなく二十九階前にとどまっているかのような映像が流れていたのだった。
白金のマンションのコンシェルジュブースでポテチをかじりながら、この短時間での業であったが、オタクのこだわりとしてはやや物足りない仕上がりらしい。
そのフェイクを隠れ蓑にしておいて、こちらの支配下に置いた扉を難なく開けた別働隊の捜査員たちは、三十一階フロアへとなだれ込んできたのであった。
三十階のオフィスから非常階段側へ回り込んできた捜査員たちも、僅かに遅れて合流する。フロアに散る部下たちに、那臣は檄を飛ばした。
「被害者の発見を最優先!」
そして自らも、伊武に聞き取ったVIPルームの場所へと駆け出した。
非常階段を三十一階まで昇ってきた疲れも見せず、勢いよくフロアに飛び込んでいた市野瀬が、先にその部屋へと着いて扉を開ける。
果たしてそこには床に横たわった少女と、馬乗りになって今まさにロープで彼女の首を絞めようとする男の姿があった。
「いました! 被害者発見!」
市野瀬は叫ぶと同時に宮嶋に飛びかかる。
でっぷりと無駄な脂肪をまとった宮嶋教授は、小柄な市野瀬のタックルを食らって床に叩きつけられた。
那臣はその横から回り込み、少女に駆け寄る。
首にロープを掛けられ、それでも抵抗すらできないほど少女は弱っていた。少女、津川万愉のだらんと床に伸びた手足には無数の痣が散り、写真で見知った愛らしい顔立ちが見て取れないほど、顔にはさらに酷い折檻の跡が残っている。
思わず目を逸らしたくなる、それを那臣は堪える。
自分たち捜査員が力及ばなかった、もっと早くここに辿り着けなかった、その結果だ。
白いワンピースが裂かれて、あちこち肌が覗いている。どす黒い痣の浮かんだ肩に手をかけ、空をさまよう万愉の瞳をしっかりと見据えた。
祈るように声を絞り出す。
「万愉さん、津川万愉さん。警察です」
繰り返し叫ぶ。何度も名を呼んで、少女の身を揺さぶる。
「助けにきました、大丈夫ですか、しっかりしてください!」
万愉の瞳からは何の反応もなかった。
こんな状態になるまで救えず、何が大丈夫なものか。万愉の肩にかけた手に力を込め、歯を食いしばる。
那臣の脳裏に、再びちかちかと瞬く白い光景が蘇った。
あの日救えなかった被害者の女性。
世界との交渉を全て絶ってしまった彼女を見舞った時の、病室の白。我が家へ帰ってきたことも判らず眠り続ける彼女の白い頬。庭先に揺れる、彼女が好きだったという白い秋桜。
何度この白い地獄を目の当たりにするというのか。
那臣は己の無力さを呪った。
また救えなかった。
正義の味方を標榜しておきながら、身を守る術を持たない無力な少女一人を、暴力から遠ざけ、安心して街を歩けるようにする、そんな当たり前のことすら出来ない。
なにが警察官だ。
那臣の視界が滲んで霞む。それでも那臣は目を見開いて、もう一度少女の名を呼んだ。
この少女は、津川万愉だ。
身体と精神を持つ一人の人間だ。
陵辱され消費されるモノなどではない、決してない。
そのとき、少女の唇が僅かに動いた。
ひくひくと引きつるように、掠れきった音をつくる。そして、今まで虚無を見つめていた瞳が、那臣に向かって怯えを訴えてきたのだった。
うう、と、言葉にならない呻きを発する。それでも彼女は自らの意志で、恐怖を感じていると、誰か助けてくれと叫んでいた。
何もない白一色の世界から、彼女は戻ってきてくれた。色彩の欠片を再び捉えようと、彼女の瞳がもがいているのが、那臣にははっきりと判った。
思わずこみあげるものを押さえもせず、那臣は何度も繰り返した。
「遅くなってすみません、安心してください。もう決してあなたを酷い目にはあわせません。絶対に」
那臣の傍らでは、市野瀬も目を潤ませている。
恭士は軽く肩をすくめて他の捜査員に指示を出し、床に転がり気絶した宮嶋教授を連行させた。
そして情に脆くも頼もしい後輩の背を叩いてやる。
「那臣よ、早く彼女を病院に運んでやろうぜ。しんどかったろうな、もう大丈夫だからな」
恭士の声で、那臣は慌てて我に返る。横にひざまづいた恭士が、万愉に優しく声を掛けていた。
「あとは救急隊員の仕事だ。俺らの仕事はこれからが本番じゃないのか、ええ? 参事官どの」
那臣は手の甲で滲んだ涙をぐいと拭い、隣から、からかうように向けられた笑顔に応えた。
「そうですね、行きましょう」
これからが警察官の仕事だ。
屋上ヘリポートには、小型のヘリが待機していた。
尚毅ははじめから、宮嶋の件が終わったらヘリで空港まで向かい、そのまま海外へと立つ予定だった。
ヘリのパイロットたちは、海外で活動したこともある非合法の運び屋だ。
荒っぽい逃走劇はお手のものであったが、今回のクライアントは権力側の人間だと聞いている。官憲の下っ端が血眼になって追っていても、上は逃がすことを前提に指揮を執る。よくある話だった。
難度低めの甘いミッションで、高額の報酬を得られる美味しい仕事である。パイロットのひとりは鼻歌まじりでスマホの動画サイトをチェックし、もうひとりは新宿の夜景を眺めながら操縦席でくつろいでいた。
ふと気付くと、ヘリへと駆け寄ってくる人影があった。
黒いドレスが屋上に吹きすさぶ冬の寒風にあおられ、黒いタイツに包まれた美しい脚の線をあらわにしている。やや化粧は派手だが、めったにお目にかかれないレベルのとびきりの美女だ。
その整った顔立ちを恐怖に歪め、ヘリに近づくなり男たちに助けを求めてきた。
「ああ、よかった……これに乗ればいいのね?」
階下から屋上へ通じる階段の扉が開いたことには気が付かなかったが、動画を見ていた男は、ヘリに搭乗するクライアントの女であると勝手に解釈した。クライアントはまもなくやってくるのだろう。
古閑の操作した端末経由でフェイク映像を送りこんだのは岩城である。
現場到着時に立ち往生していた捜査員たちの映像を、不自然に見えないようループしてあり、警備室ではあたかも捜査員たちがずっと為す術もなく二十九階前にとどまっているかのような映像が流れていたのだった。
白金のマンションのコンシェルジュブースでポテチをかじりながら、この短時間での業であったが、オタクのこだわりとしてはやや物足りない仕上がりらしい。
そのフェイクを隠れ蓑にしておいて、こちらの支配下に置いた扉を難なく開けた別働隊の捜査員たちは、三十一階フロアへとなだれ込んできたのであった。
三十階のオフィスから非常階段側へ回り込んできた捜査員たちも、僅かに遅れて合流する。フロアに散る部下たちに、那臣は檄を飛ばした。
「被害者の発見を最優先!」
そして自らも、伊武に聞き取ったVIPルームの場所へと駆け出した。
非常階段を三十一階まで昇ってきた疲れも見せず、勢いよくフロアに飛び込んでいた市野瀬が、先にその部屋へと着いて扉を開ける。
果たしてそこには床に横たわった少女と、馬乗りになって今まさにロープで彼女の首を絞めようとする男の姿があった。
「いました! 被害者発見!」
市野瀬は叫ぶと同時に宮嶋に飛びかかる。
でっぷりと無駄な脂肪をまとった宮嶋教授は、小柄な市野瀬のタックルを食らって床に叩きつけられた。
那臣はその横から回り込み、少女に駆け寄る。
首にロープを掛けられ、それでも抵抗すらできないほど少女は弱っていた。少女、津川万愉のだらんと床に伸びた手足には無数の痣が散り、写真で見知った愛らしい顔立ちが見て取れないほど、顔にはさらに酷い折檻の跡が残っている。
思わず目を逸らしたくなる、それを那臣は堪える。
自分たち捜査員が力及ばなかった、もっと早くここに辿り着けなかった、その結果だ。
白いワンピースが裂かれて、あちこち肌が覗いている。どす黒い痣の浮かんだ肩に手をかけ、空をさまよう万愉の瞳をしっかりと見据えた。
祈るように声を絞り出す。
「万愉さん、津川万愉さん。警察です」
繰り返し叫ぶ。何度も名を呼んで、少女の身を揺さぶる。
「助けにきました、大丈夫ですか、しっかりしてください!」
万愉の瞳からは何の反応もなかった。
こんな状態になるまで救えず、何が大丈夫なものか。万愉の肩にかけた手に力を込め、歯を食いしばる。
那臣の脳裏に、再びちかちかと瞬く白い光景が蘇った。
あの日救えなかった被害者の女性。
世界との交渉を全て絶ってしまった彼女を見舞った時の、病室の白。我が家へ帰ってきたことも判らず眠り続ける彼女の白い頬。庭先に揺れる、彼女が好きだったという白い秋桜。
何度この白い地獄を目の当たりにするというのか。
那臣は己の無力さを呪った。
また救えなかった。
正義の味方を標榜しておきながら、身を守る術を持たない無力な少女一人を、暴力から遠ざけ、安心して街を歩けるようにする、そんな当たり前のことすら出来ない。
なにが警察官だ。
那臣の視界が滲んで霞む。それでも那臣は目を見開いて、もう一度少女の名を呼んだ。
この少女は、津川万愉だ。
身体と精神を持つ一人の人間だ。
陵辱され消費されるモノなどではない、決してない。
そのとき、少女の唇が僅かに動いた。
ひくひくと引きつるように、掠れきった音をつくる。そして、今まで虚無を見つめていた瞳が、那臣に向かって怯えを訴えてきたのだった。
うう、と、言葉にならない呻きを発する。それでも彼女は自らの意志で、恐怖を感じていると、誰か助けてくれと叫んでいた。
何もない白一色の世界から、彼女は戻ってきてくれた。色彩の欠片を再び捉えようと、彼女の瞳がもがいているのが、那臣にははっきりと判った。
思わずこみあげるものを押さえもせず、那臣は何度も繰り返した。
「遅くなってすみません、安心してください。もう決してあなたを酷い目にはあわせません。絶対に」
那臣の傍らでは、市野瀬も目を潤ませている。
恭士は軽く肩をすくめて他の捜査員に指示を出し、床に転がり気絶した宮嶋教授を連行させた。
そして情に脆くも頼もしい後輩の背を叩いてやる。
「那臣よ、早く彼女を病院に運んでやろうぜ。しんどかったろうな、もう大丈夫だからな」
恭士の声で、那臣は慌てて我に返る。横にひざまづいた恭士が、万愉に優しく声を掛けていた。
「あとは救急隊員の仕事だ。俺らの仕事はこれからが本番じゃないのか、ええ? 参事官どの」
那臣は手の甲で滲んだ涙をぐいと拭い、隣から、からかうように向けられた笑顔に応えた。
「そうですね、行きましょう」
これからが警察官の仕事だ。
屋上ヘリポートには、小型のヘリが待機していた。
尚毅ははじめから、宮嶋の件が終わったらヘリで空港まで向かい、そのまま海外へと立つ予定だった。
ヘリのパイロットたちは、海外で活動したこともある非合法の運び屋だ。
荒っぽい逃走劇はお手のものであったが、今回のクライアントは権力側の人間だと聞いている。官憲の下っ端が血眼になって追っていても、上は逃がすことを前提に指揮を執る。よくある話だった。
難度低めの甘いミッションで、高額の報酬を得られる美味しい仕事である。パイロットのひとりは鼻歌まじりでスマホの動画サイトをチェックし、もうひとりは新宿の夜景を眺めながら操縦席でくつろいでいた。
ふと気付くと、ヘリへと駆け寄ってくる人影があった。
黒いドレスが屋上に吹きすさぶ冬の寒風にあおられ、黒いタイツに包まれた美しい脚の線をあらわにしている。やや化粧は派手だが、めったにお目にかかれないレベルのとびきりの美女だ。
その整った顔立ちを恐怖に歪め、ヘリに近づくなり男たちに助けを求めてきた。
「ああ、よかった……これに乗ればいいのね?」
階下から屋上へ通じる階段の扉が開いたことには気が付かなかったが、動画を見ていた男は、ヘリに搭乗するクライアントの女であると勝手に解釈した。クライアントはまもなくやってくるのだろう。
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