モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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 先導し地下へと降りていく伊武いぶが説明する声の反響は、確かに地下空間独特のものだ。
「この別荘の元の所有者が、ちょっとした遊び心で作らせたものだそうです。厨房から、ワインセラーと地下倉庫に降りる階段が別にありますが、こちらのバーにつながる階段は、先程のように応接間から操作しなければ扉が開きません。
 万一無粋な客がみなさんを訪ねてきた時には、こちらのお部屋でしばらくお過ごしいただくこともあるかと思います」
 階段を降りた突き当たりには、がっちりと重そうな金属製の扉があった。伊武がその扉には不似合いに華奢きゃしゃな、古めかしい鍵を取り出し、扉を引き開ける。するとそこには、応接間に負けず劣らない、優雅な空間が広がっていた。
 本格的なバーカウンターはウォルナットの一枚板で作られ、壁に掛けられたランプの灯りを反射して、鈍い飴色の光を放っている。
 カウンターの奥には目が飛び出そうに高級な酒が並び、用意されたグラスはすべてバカラ。
 部屋の中央には同じく重厚な木製のビリヤード台が置かれていた。
 普通に暮らしていては、間違いなく、一生お目にかかることのない空間だ。
 男たちはあまりの豪華さに、口を開いたまま部屋中を眺めている。
 伊武はテーブルにいくつかのつまみを盛った皿と、キャビアの缶詰を置いた。
「おもてなしが行き届かず、このような簡単なもので申し訳ありません。棚の酒はご自由にお召し上がりください。そこの冷蔵庫にビールと日本酒、氷はこちらの冷凍庫にございます。お部屋とお食事の準備が整いましたらお呼びいたします」
 部屋の出口で、伊武が深々と頭を下げる。男たちは逃走先での待遇に夢心地のまま、生返事を返してきた。
 重い扉を閉める音が階段に響く。
 伊武は無表情のまま、機械仕掛けのような仕草で鍵をかけ、階段を上った。
「いやーさすが尚毅さん、それからおやじさんですね! 俺こんな豪華なバーで呑むの初めてっすよ! 綺麗なお姉さんがいないのは残念すっけどね」
 長谷は立て続けに十年もののウイスキーをあおり、上機嫌でキャビアの缶を開けていた。
 ソファーに腰を埋めてビールのグラスを傾けていた安藤に、酌をしようと近づく。その低い腰を嘲笑するように、安藤は酌を拒否してみせた。
「おまえらのようなチンピラと一緒にされるのは不愉快だ」
 長谷が愛想笑いを一瞬わずかにゆがめる。
 それでも年季の入った太鼓持ちだ。さらに低姿勢で追従を重ねる。
「っすよねえ、警察のOBの方々なんすよね。すんません俺らみたいなのがご一緒させてもらっちゃって。邪魔にならないように呑んでますんで許してくださいね」
 ひらひらと手を振って、別の男に酌をして回る。
 その長谷の足がもつれ、ソファに倒れ込んだ。持っていたビールが床とソファに零れる。
「何やってんだオラ、汚ねえじゃねえか! 酔っぱらってんじゃねえよクソが!」
 声を飛ばした安藤が、何故か急に荒い呼吸になる。
「……? なんだあ? 俺も飲み過ぎか?」
 元同僚の様子をいぶかしくながめていた羽柴は、違和感を感じ部屋を見渡した。
「……おい、なんか息苦しくないか?」
 周りの男たちも呼吸に違和感を感じ、掛けていたソファーから腰を浮かせようとする。しかしその何人かは、自分の身体が異様に重いことに気付いた。
 まだふらふらになるまでの量を飲んではいない。ならこの身体の異常は何なのか。
 羽柴の脳裏に一つの恐ろしい回答が浮かんだ。
「…………まさか……畜生!」
 鬼の形相で扉へと駆け寄る。その動作すらすでに思うに任せられない。息を荒げノブを回すが、扉には外から鍵がしっかりと掛けられていた。こめかみに青筋を立てて叫ぶ。
「ちっくしょうハメられた!……あの野郎俺らをここでまとめて始末するつもりだ!」
「何だって?」
 仲間たちがふらつきながら立ち上がる。羽柴の所へと向かう足が重くもつれ、家具にしがみつきながら必死になって入り口にたどり着く。
 羽柴は鍵を引きちぎろうと扉に体当たりする。仲間たちもそれに習い、三人で合わせて何度も扉に体当たりをした。しかし扉はぴくりとも動く気配を見せなかった。
 数度の動作をしたのみで、異様なまでに息が切迫する。
 自分の身体の状態が、まるで機動隊の訓練を何時間もこなした後のようだ。
「どど、ど、毒ガスすか? やべえじゃねえすかどうすんすか!」
 恐怖に震え回らない舌で、長谷が取りすがってくる。
 足蹴にしてふりほどく、その動作も重く心臓にのし掛かってくるようだ。
 ようやく症状にあたりを付けた羽柴の口から、呪いの言葉が漏れた。 
「……畜生、空調だ……野郎、空調を止めやがった……いや、それでもこんなに早く酸欠の症状は出ない……排気だけにしやがったかもしれん……」
 扉の構造を確かめる。
 古めかしい建物にも関わらず異様に気密性の高いつくりになっている。
 そして外開きだ。部屋が陰圧になっているのなら、どれだけ力任せに押したところでもう扉は開かない。
 朦朧もうろうとしてきた頭では、思考もままならない。確か酸素は重く空間のやや下方に溜まるはずだ。何かで覚えた知識をなんとかひねりだし叫ぶ。
「しゃがめ! 酸素は下の方にまるはずだ! 排気口を探せ! 探して排気口をふさげ……早く!」
 四つん這いになりよろよろと散る部下たちが、霞んでいく視界に映る。
 華麗な遊技場を、今、絶望が支配しようとしていた。
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