モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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 レトロな濃赤の天鵞絨びろーど張りのソファに三人で陣取る。
 コーヒーの香りに加えて、甘い焼菓子の香りが漂ってきた。
 みはやがタブレットで見せつけてきた数々の甘味の映像に胸焼けを覚えたのか、名波は咽喉のど」のあたりを指で揉んだ。
「……二千円で歓心を買う、か。成程下級には似合いの投資だ」
「二千万円で組織票をお買い上げしたり、二億円で業界に有利な法案通過を、よいしょと後押ししてもらっちゃったりするより、余程人畜無害明朗健全なお金の使い方だと思いますが? 
 どうです、名波さんもコーヒーのおともに。パンケーキ以外にも、懐かしの昭和風プリンアラモードが、逆に新しいと評判です」
「……流石の守護獣まのりのけものも、はした警官の個人データまでは網羅してないだろうから言っておこうか。俺は昭和生まれで、それから甘いものは一切食わない」
「残念ですが承知しました。では同じく昭和生まれで、『出されたものはすべて完食』がモットーの那臣ともおみさん、いかがですか? 
 那臣さんのお好きな和風黒蜜あずきトッピングは二千円です。インバウンド狙いの京都宇治産お濃い茶千円とご一緒にどうぞ」
「出されたならそりゃ食うが……ひとくち数百円かと考えたら味がしなくなりそうだ、やめておこう」
「スイーツはグラム換算でコスパ計算しちゃダメです。
 スイーツのお値段には、乙女の夢と、憧れと、見栄とストレス解消代が、内税方式で含まれているのです!」
「乙女とやらのコスト意識は、俺には理解不能だよ。半額セールにはあれだけ目の色変えて突撃するのになあ……」
 ただでさえ常日頃、女心がわかっていないと、恭士をはじめ知り合いの皆にからかわれる那臣である。
 まじめくさって首をひねうなっていると、みはやは、シロップとホイップクリームに埋もれた甘すぎる画面に指を滑らせた。
 暗い画面に、モノクロの映像が再生される。
「おっと、特定班岩城キャップからスクープ映像到着です。お待たせしました、すたじおみはやぷれぜんつ、いっつしょ~た~いむ、です」
 みはやが見せつけてきた画面に何気なく目をる。
 その視線がすぐに鋭い光を放った。
 甘ったるい匂いに辟易へきえきしていた様子の名波も、なんとか調子を取り戻したか、向かいの席からタブレットをのぞき込んでくる。
 いくつかの防犯カメラの映像だ。
 ただし科警研の技術水準と同等か、それをしのぐのではと思わせる高度な画像処理が施されていた。
 原口莉愛の殺害現場に程近い主要道路、それから現場の路地直近の交差点、と、一台の黒い乗用車が現場に近づいていき、そして一時の空白時間をおいて離れていく様子がとらえられている。
 運転席にはケイ・シティ・オフィスの社員の男が、そして後部座席には、陽光ホールディング取締役成瀬清志郎の姿が、表情まで読みとれるほどくっきりと映っていた。 
「こんな感じで、成瀬さんは、犯行時刻に犯行現場付近をドライブしていらっしゃったわけです。お供は自社秘書室お抱えの運転手さんではなく、なぜだかお友達の河原崎パパの息子の会社の社員さんです。
 意外な組み合わせのお二人、深夜仲良くどこへお出かけだったのでしょうね」
「……ここまで絞り込んだ証拠を見せつけて、『当日現場付近を通りがかった皆様、全員にお願いしております。あくまで型どおりに犯行時刻の行動をご確認』とか言えと……?」
 名波は、運ばれてきた老舗喫茶店の薫り高いコーヒーを、泥水であるかのように顔をしかめてすする。
 飲み下した咽喉から、うめきが漏れた。
「……この昼行灯、面の厚さもとんでもねえ」
「成瀬さんをピンポイントでご指名しちゃうと、あれとかこれとか、那臣さんに叱られる違法収集証拠に行き当たっちゃいますから仕方ありません」
「……お前ら、どっちも本人の前で言うな、本人の前で」
 那臣も渋さと酸味が爆増したコーヒーを飲み下す。
 ひとくち分数十円の高級豆がもったいないことだと、貧乏性ゆえ、ちらりと思いながら。
「事件当日現場付近の防犯カメラや、Nシステムに映っていた車両のローラー聞き込み。下っ端は足で稼いでますアピールならば、刑事さんのお仕事的に文句の付けようがないかと。
 あ、この画像ファイル。名波さんのタブレットでも見られるようにしてありますから。デスクトップのフォルダ、『館組』をクリック! です」
 みはやは満面に幸せを浮かべ、パンケーキにトッピングされた苺を頬張る。
 那臣は首を振ると、また渋いコーヒーを口に含んだ。
 ちなみに館組現役警察官メンバーの誰も、Nシステムにアクセスする機会はなかったはずである。おそらく立派な違法収集証拠だ。
 そして他の民間所有の防犯カメラ映像も任意の提出はされていなかったもので、勿論令状を請求した覚えはない。推して知るべしである。
 ロビーに目を遣ると、所在なさげに立ちきょろきょろと周囲を探る大男の姿があった。
 那臣が動かした応援部隊、名波班の石川だ。
 名波が無造作に席を立った。
「おや、もうご出発ですか? 約束のお時間には、まだ余裕がありますよ? よろしければ石川さんたちもどうです、ご一緒に」
 名波は、パンケーキ入りの頬でもごもご喋るみはやに、背で否と伝えてきた。
 後に続いた那臣だったが、ふと思い直して振り返り、数歩、客席側へと駆け戻る。
「みはや、それ食ったらちゃんと学校へ行くんだぞ」
 傾けたカフェオレのカップからのぞかせた瞳が、了解のサインを送ってきた。
 その両目に再度「サボるなよ」と念を込めた視線を送って、那臣はレジへと向かった。
 会計を済まし、釣銭を財布に放り込む。
 その横から名波がぼそりと囁いてきた。
「……まっとうに保護者を務めていらっしゃるようで大いに結構ですがね、あんな規格外、なにも無理に学校へ行かせなくともよろしいのでは?」
「そうは言っても、あいつはまだ十四歳の子どもです。義務教育くらいは修了させるのが、仮とはいえ保護者の義務でしょう」
「教育の義務、ねえ……参事官が、学校至上主義とは存じませんでしたよ」
 皮肉な口調が、いつの間にか本物の嫌悪感をまとっている。
 なんとなくその嫌悪感の正体も察しがついた那臣は、苦笑して返した。
「いえ、誰にとっても学校が最高の学び場だ、などと言うつもりはありませんが……。
 ……その、干され刑事のリベンジに付き合って、盗聴だのハッキングだのの手腕に磨きをかけるのとどちらが健全かといえば、よほど真っ当な十代の過ごし方ではないかと。
 名波さんなら、どうお考えになりますか?」
「……それは……」
 一瞬絶句した名波である。
 呆れた理屈ではあるが、ぐうの音も出ない完璧な結論だ。
 ごきりと肩を鳴らして溜息を吐き出した。
「……比べるまでもないでしょうな。子どもは大人しく、学校へ通ってもらいましょう」
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