モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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 那臣ともおみや恭士とつきあいの長い古閑こがは、連中があさっての方向で会話を遊ばせることには慣れている。さっくりと核心に話を戻す。
「……なるほどねぇ……ぐっちゃんさんとせっきいさん、か」
 そして遊んでいた那臣たちも、何事もなかったように続けた。
「ええ、古閑さんが新宿MLビルの地下駐車場で聞いた尚毅の指示はやはり、常連客の樋口と、成瀬清志郎のことを指していたと思われます」
「じいさんが尚毅と出くわしたの、十日だろ? もう樋口と成瀬二人とも、てめえの殺した被害者の遺体が見つかってたってのに、まだおかわりキャンセルしてなかった、ってことかよ。
 危機意識が抜けてんのか、それともヤバいって感覚より殺しの快感が勝ってんのか」
「……両方なんでしょうね。実際、実働部隊にあれだけのミスがあったにもかかわらず、その後の勇毅の隠蔽工作は万全でした。
 その……みはやの働きがなかったら、未だに捜査線上に、二人の名前は上がってきていないでしょうから」
 一瞬どや顔を向けかけたみはやに、視線だけで「めっ」と叱る。
「樋口と成瀬を張りますか?」
 名波もなんとか態勢を整え直したようだ。
 まだ幾分苦虫成分の混じった問いかけに、那臣はうなずいた。
「この人数だとマル対二人はキツくねぇか?」
「各捜査本部と所轄へ、応援を要請しますよ」
「え? それいいんですか? 河原崎派にバレちゃうんじゃ……」
「バレてもいいんだよ、次の殺人の予防になりゃそれはそれで」
 恭士の解説に、市野瀬は成程、と手を打った。
「本部は動きますかね、それとも動かしますか」
 幾分意地の悪い問いかけが名波らしい。
 少し肩をすくめて応える。。
「まあ、動かしますよ。これでもだいぶ、傍若無人悪逆非道な参事官役にも慣れてきたことですしね。
 それから成瀬は、まず、直接揺さぶりにかかろうと思います」
 そしてついと視線を参謀にる。心得た、と、みはやがタブレットに指を滑らせた。
「樋口さんの心臓はミスリル合金製ですが、成瀬さんのハートにはチキン成分が含まれていたようです。あるいは逃げ足にラビット成分が含まれているのかもしれません。
 成瀬さんは、昨日開催された某経済団体と政党との会合を、急な仕事を理由に欠席されましたが、連絡後、彼は定時そこそこの時刻にオフィスを出て、まっすぐご自宅へ向かっています。大事な馴れ合い大会を、キャンセルしなければならないほどの事情があった形跡はありません」
「……会合よりプライベートを優先させた、って訳じゃなさそうだな。陽光の若社長はそのテの集まりにはクソ真面目に顔を出してるってのが、もっぱらの評判だ」
 馴染みの夜の商売の知人から仕入れたのだろう。恭士がコメントを入れる。
「じゃ他に理由があるってことですか? あ、政党側の出席者である河原崎勇毅と顔を合わせたくなかった! ですよね?」
「ぴんぽんぴんぽんぴんぽ~ん、はい市野瀬さん、ないす読み、です! 
 イベント主催者尚毅さんへ、公演チケットお買い上げのキャンセル連絡をしたかどうかは裏取りできていませんが、推察するに成瀬さんは、そろそろ河原崎親子と縁を切りたがっているのではないかと」
「……人一人殺しておいて、それで終わりにできるとでも思っているんですかね」
 名波の冷ややかな口調には意外なほどの熱量が込められていた。
 那臣は軽く目を見張る。
 その視線に気付いた名波が、眉間にしわを寄せてにらみ返してきた。
「……なにか?」
 思わず顔がほころんでいたらしい。
 この一見冷徹で皮肉屋の同僚は、自分と同類で、しかも、もしかすると自分より情熱的なのかもしれない。
 そう気付いてしまったら、頬が緩むのもむべなるかな、だ。
 微笑をおさめず、那臣はその熱量を、冷静に指針に変えた。それが刑事としての自分たちの仕事だ。
「新宿の犯行現場直近の防犯カメラ、これは勇毅の警備会社が運用していて、正式な捜査ではフェイクの映像が提出されていました。よって、ないとされている真正の映像は現段階では表に出せません。
 ですが、その周辺を犯行時刻前後に通行した車両の映像は用意できるのではないかと思います。それからケイ・シティ・オフィス社員が運転する車両に同乗した、成瀬らしき人物の映像も。
 これを手みやげに成瀬を訪問しようと思います。名波さん、同行をお願いできますか?」
 名波は無言で頷いた。
 それから那臣は、恭士と市野瀬に向き直った。
「恭さん、それから市野瀬には新宿の捜査本部に再度合流してもらいます。久保田管理官に話を通しておくので、ケイ・シティ・オフィス関係を集中的に引っ張って締め上げてください」
「は~い、市野瀬行きま~す!」
「まずは長谷、それから莉愛ちゃんをスカウトした奴だな、まかせとけ。
 大丈夫だ、久保田管理官もこのところすっかり嫌河原崎派に傾いてるからな。
 高輪潮音荘の件といい渋谷南署襲撃の件といい、口出しねじ込みが目に余りすぎるってな。
 まあ自業自得以外のなにものでもねえんだが、ここんとこ我が社内で勇毅の評価は急降下底知らずだ。
 自分の意に添わない気に食わねえ若造をいびるレベルを超えてる、何かもっとヤバい裏があるんじゃねえかってな」
「そうなんですか? でも我が社みたいな体育会系組織じゃ、上官やOBの悪事の詮索は御法度なんですよね? 実際今までラスボスザッキーが裏で何をしてても完全スルーでしたし、うちの松浦課長なんてその典型じゃないですか。
 あ、そういえば久保田管理官は確かに、ときたま顔に出てましたし舌打ちしてましたけど」
 あの温厚そのもののふくよかな福顔で舌打ちしたのか。と、五十がらみの久保田管理官の容貌を思い浮かべて、那臣は軽く吹き出してしまった。
 素朴な疑問を投げかける未だ若い部下のグラスに、瓶に残ったジュースを注いでやる。
「ヒラはその通りなんだがな、幹部連中は違うぞ? 奴らの行動原理は、自分の出処進退に有利か、そうでないかだ。
 キャリアって人種は時流の潮目を見る能力に長けてなければ勤まらない。
 新宿中央署で市野瀬を襲わせた事件も、実行犯の面子を見れば黒幕が勇毅だとすぐ判る。これ以上河原崎派に属していては不利だ、下手をすれば自分も巻き込まれると判断すれば、あっという間に離れていくさ」
「……なんというか、魔物の社会は大変なんですねえ……自分、悪の秘密結社に就職できてよかったです」
 軽く首を振り、市野瀬はしみじみとオレンジジュースを味わった。
 他の面々も揃って首を振った、もちろんツッコミの意味を込めて。
「古閑さんは今までどおりMLビルの監視をお願いします。周囲が騒がしくなってくると思いますのでくれぐれも気をつけて」
「那臣よ、誰に言ってる?」
 古閑が不敵に笑ってみせる。新米刑事時代の那臣に張り込みのノウハウを伝授したのは、他でもない古閑だ。
 階下で数人分の盛大なため息、いや悲嘆の叫びが上がった。
 どうやら店主らの贔屓ひいきのチームが、あと一歩のところで点を取ることが出来ず負けたらしい。選手たち、それから監督をののしる台詞が聞こえてくる。
「ああもう! なんだよその弱気は! 守ってばっかじゃ勝てねえっつの! もっとガンガン攻めていけよ!」
 まるでこれまでの自分が責められているようだ。犯罪者を逮捕するという目的がある、心強い仲間たちがいる、そして攻めるには好機。ここで弱気になって何が得られよう。
 わずかに苦笑を交えながら、それでも真っ直ぐに皆を見据えて宣言した。
「そうだな、もっと強気で攻めていかないと」
 ようやくその気になったらしいリーダーである。
 仲間たちは肩をすくめて同意に変えた。
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