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第五章 刑事たち、追い詰める
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樋口の表向きの機嫌の良さに安堵するようでは、政界で生き残ってはいかれまい。
伏魔殿とはよく言ったもので、駆け引きに忖度、騙し合い、足の引っ張り合いが延々と繰り広げられる、魑魅魍魎の跋扈する世界である。
特にこの樋口という男、女性や子ども、老人など、弱者にも優しい紳士かつ明朗快活なキャラクターで知られていたが、残酷非情な一面を持ち合わせており、勇毅は警察庁在職中、秘書や愛人への暴行事件を幾度となく揉み消してやっていた。
だが樋口からしてみれば、その見返り以上に、党内外への絶大な発言力を利用させてやっている、というところだろう。
樋口の常識の中には、学生時代の体育会の厳しい上下関係が、現在も当然のように居座っている。へまをやらかした後輩は、先輩の厳しい指導を受けねばならない。
下座で、沈痛な面持ちのまま頭を下げ続ける勇毅に対し、樋口は鷹揚に笑ってみせた。
「いやいやいや、そんなに謝ってもらっては僕も困ってしまうよ。
僕は君を信じている。試合の途中にひとつふたつのミスプレイはあっても、ノーサイドの笛が鳴ったときに勝利という結果を残せばいい。そうだろう?」
「先生の暖かいお言葉、傷み入ります。あの件に関しましては、完璧な後始末をお約束いたします。もちろん警察の捜査など、先生の足下にも寄せ付けさせません。どうかご安心ください」
さらに深く頭を下げた勇毅は、腹の中で樋口を盛大に罵った。
(こんな事態になったのは、もとはといえばお前が原因ではないか……)
都議会議員という公職にあって、日頃おおっぴらに他者をいたぶることのできない樋口にとって、河原崎親子の始めたビジネスは最高に魅力的であった。
樋口の隠れた性癖を知った勇毅に勧められた樋口は、さっそく、十代の少女を縛り責め調教する、という『物語』をオーダーした。
うめく『主演女優』を殴り服を剥いでいき、露出した肌に刃物を当て滴る血を楽しむ。
涎すら流しながら恍惚の表情を浮かべる樋口に、少女の瞳がやめてくれと必死に哀願する。その表情にまた樋口は高ぶっていく。
流血にまみれ殴打でぼろぼろになった少女を、樋口は強姦した。行為の途中で少女は息絶えたが、それすら絶頂への供物となった。
『舞台』となったホテルの一室は何事もなかったかのように清掃され、犠牲者の少女は、誰にも気付かれることなく海の藻屑と消えた。
初めての商品のできばえに樋口はいたく満足し、勇毅と息子尚毅に十分な報酬を支払い、再度の購入を申し込んだ。
三度目の注文で、尚毅は、高輪潮音荘に玉置結奈を『主演女優』とした『舞台』を設えた。
ケイ・シティ・オフィスの社員のひとりがこのイベントの責任者となった。彼とその仲間は施設のスタッフを遠ざけると、撮影と称して和服を着せた結奈に目隠しをし猿轡を噛ませ、後ろ手に縛って樋口に差し出した。
最初のトラブルが起こったのはまだ『物語』のほんの序盤であった。
仲間が噛ませた猿轡が緩く、結奈の口から外れてしまったのだ。
気の強い結奈は、声の自由を取り戻すと、あらん限りの罵声を樋口に浴びせはじめた。
哀れに許しを請うならともかく、怯えより反抗心を剥き出しにして汚い言葉で攻撃する結奈に、樋口は一瞬で逆上した。
「糞がぁっっっ!」
襲いかかり首を絞めようとした樋口の股間に、結奈が無我夢中で繰り出した蹴りが当たる。樋口が呻いてしゃがみ込んだ隙に、目隠しもまた緩み、視界を取り戻した結奈は庭へと逃げ出した。
樋口は完全に我を忘れて結奈の後を追う。
門から走り出そうとした結奈の後ろ髪を捕まえ、細い首を鷲掴みにし両手で締め、そのまま華奢な身体ごと持ち上げた。
古希を迎えたとはいえ、今なおジム通いで維持された剛力が、数瞬で結奈を絶命させた。
しばらく怒りにまかせて締め上げ続けた樋口であったが、ほどなく荒い息を吐き、結奈の骸を路地に投げ捨てた。
「……興ざめだ、帰る」
足下に転がる遺体を見向きもせず、樋口は路地を歩き出した。
社員は仲間に結奈の始末を言いつけると、慌てて車の手配に向かった。
完全に想定外の事態であった。
幸いここ高輪潮音荘前の路地は人通りもなく、監視カメラの類もないが、ほんのすぐ先はそれなりに人も車も通行する通りだ。いかに深夜とはいえ目撃者がいなかったのが奇跡と言えるだろう。
不機嫌さを全身から立ち上らせ、早足で道を行く樋口の横に車を付けさせ、自らは車に駆け寄り後部のドアを開ける。
樋口は鬼のような形相で彼を睨みつけると、無言で座席に乗り込んだ。
車を見送った社員は、しばし呆然と立ちすくみ、はたと息を呑んで高輪潮音荘へと踵を返した。
(……畜生、マズいことになっちまった……)
急いで事の始末に戻らねばならないのに、膝が震えて足取りもおぼつかない。乱れた呼吸は走ったせいばかりではなかった。
VIPを怒らせてしまった。尚毅は非情だ。仲間のミスを許さない。どんな制裁が待っているか考えただけでも背筋が震えた。
混乱する頭で、記憶から逃亡経路を引っ張り出し、高飛びの段取りを考えはじめたとき、現場では第二の、そして致命的なトラブルが起こっていた。
残した仲間が未だ路地の暗がりで結奈の身体を抱えたまま立ちすくんでいたのだ。駆け寄って、それでもやや押さえた声で怒鳴りつける。
「なにやってんだよ! 誰かに見られたらどうする! 早くそれを中に運び込め!」
「それが……あいつらが起きだしちまって……」
彼らはミズホプロモーション名義で、高輪潮音荘をまる四十八時間の貸し切りにしていたが、規則とのことで、当直の施設管理スタッフ三人も事務所に詰めていた。
彼らに差し入れと称して睡眠薬を入れた酒をふるまい、眠らせていたのだが、そのスタッフたちが目を覚ましたようなのだ。ややろれつの回っていない陽気な話し声が、邸内から聞こえてくる。
伏魔殿とはよく言ったもので、駆け引きに忖度、騙し合い、足の引っ張り合いが延々と繰り広げられる、魑魅魍魎の跋扈する世界である。
特にこの樋口という男、女性や子ども、老人など、弱者にも優しい紳士かつ明朗快活なキャラクターで知られていたが、残酷非情な一面を持ち合わせており、勇毅は警察庁在職中、秘書や愛人への暴行事件を幾度となく揉み消してやっていた。
だが樋口からしてみれば、その見返り以上に、党内外への絶大な発言力を利用させてやっている、というところだろう。
樋口の常識の中には、学生時代の体育会の厳しい上下関係が、現在も当然のように居座っている。へまをやらかした後輩は、先輩の厳しい指導を受けねばならない。
下座で、沈痛な面持ちのまま頭を下げ続ける勇毅に対し、樋口は鷹揚に笑ってみせた。
「いやいやいや、そんなに謝ってもらっては僕も困ってしまうよ。
僕は君を信じている。試合の途中にひとつふたつのミスプレイはあっても、ノーサイドの笛が鳴ったときに勝利という結果を残せばいい。そうだろう?」
「先生の暖かいお言葉、傷み入ります。あの件に関しましては、完璧な後始末をお約束いたします。もちろん警察の捜査など、先生の足下にも寄せ付けさせません。どうかご安心ください」
さらに深く頭を下げた勇毅は、腹の中で樋口を盛大に罵った。
(こんな事態になったのは、もとはといえばお前が原因ではないか……)
都議会議員という公職にあって、日頃おおっぴらに他者をいたぶることのできない樋口にとって、河原崎親子の始めたビジネスは最高に魅力的であった。
樋口の隠れた性癖を知った勇毅に勧められた樋口は、さっそく、十代の少女を縛り責め調教する、という『物語』をオーダーした。
うめく『主演女優』を殴り服を剥いでいき、露出した肌に刃物を当て滴る血を楽しむ。
涎すら流しながら恍惚の表情を浮かべる樋口に、少女の瞳がやめてくれと必死に哀願する。その表情にまた樋口は高ぶっていく。
流血にまみれ殴打でぼろぼろになった少女を、樋口は強姦した。行為の途中で少女は息絶えたが、それすら絶頂への供物となった。
『舞台』となったホテルの一室は何事もなかったかのように清掃され、犠牲者の少女は、誰にも気付かれることなく海の藻屑と消えた。
初めての商品のできばえに樋口はいたく満足し、勇毅と息子尚毅に十分な報酬を支払い、再度の購入を申し込んだ。
三度目の注文で、尚毅は、高輪潮音荘に玉置結奈を『主演女優』とした『舞台』を設えた。
ケイ・シティ・オフィスの社員のひとりがこのイベントの責任者となった。彼とその仲間は施設のスタッフを遠ざけると、撮影と称して和服を着せた結奈に目隠しをし猿轡を噛ませ、後ろ手に縛って樋口に差し出した。
最初のトラブルが起こったのはまだ『物語』のほんの序盤であった。
仲間が噛ませた猿轡が緩く、結奈の口から外れてしまったのだ。
気の強い結奈は、声の自由を取り戻すと、あらん限りの罵声を樋口に浴びせはじめた。
哀れに許しを請うならともかく、怯えより反抗心を剥き出しにして汚い言葉で攻撃する結奈に、樋口は一瞬で逆上した。
「糞がぁっっっ!」
襲いかかり首を絞めようとした樋口の股間に、結奈が無我夢中で繰り出した蹴りが当たる。樋口が呻いてしゃがみ込んだ隙に、目隠しもまた緩み、視界を取り戻した結奈は庭へと逃げ出した。
樋口は完全に我を忘れて結奈の後を追う。
門から走り出そうとした結奈の後ろ髪を捕まえ、細い首を鷲掴みにし両手で締め、そのまま華奢な身体ごと持ち上げた。
古希を迎えたとはいえ、今なおジム通いで維持された剛力が、数瞬で結奈を絶命させた。
しばらく怒りにまかせて締め上げ続けた樋口であったが、ほどなく荒い息を吐き、結奈の骸を路地に投げ捨てた。
「……興ざめだ、帰る」
足下に転がる遺体を見向きもせず、樋口は路地を歩き出した。
社員は仲間に結奈の始末を言いつけると、慌てて車の手配に向かった。
完全に想定外の事態であった。
幸いここ高輪潮音荘前の路地は人通りもなく、監視カメラの類もないが、ほんのすぐ先はそれなりに人も車も通行する通りだ。いかに深夜とはいえ目撃者がいなかったのが奇跡と言えるだろう。
不機嫌さを全身から立ち上らせ、早足で道を行く樋口の横に車を付けさせ、自らは車に駆け寄り後部のドアを開ける。
樋口は鬼のような形相で彼を睨みつけると、無言で座席に乗り込んだ。
車を見送った社員は、しばし呆然と立ちすくみ、はたと息を呑んで高輪潮音荘へと踵を返した。
(……畜生、マズいことになっちまった……)
急いで事の始末に戻らねばならないのに、膝が震えて足取りもおぼつかない。乱れた呼吸は走ったせいばかりではなかった。
VIPを怒らせてしまった。尚毅は非情だ。仲間のミスを許さない。どんな制裁が待っているか考えただけでも背筋が震えた。
混乱する頭で、記憶から逃亡経路を引っ張り出し、高飛びの段取りを考えはじめたとき、現場では第二の、そして致命的なトラブルが起こっていた。
残した仲間が未だ路地の暗がりで結奈の身体を抱えたまま立ちすくんでいたのだ。駆け寄って、それでもやや押さえた声で怒鳴りつける。
「なにやってんだよ! 誰かに見られたらどうする! 早くそれを中に運び込め!」
「それが……あいつらが起きだしちまって……」
彼らはミズホプロモーション名義で、高輪潮音荘をまる四十八時間の貸し切りにしていたが、規則とのことで、当直の施設管理スタッフ三人も事務所に詰めていた。
彼らに差し入れと称して睡眠薬を入れた酒をふるまい、眠らせていたのだが、そのスタッフたちが目を覚ましたようなのだ。ややろれつの回っていない陽気な話し声が、邸内から聞こえてくる。
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