モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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 取調室から出た名波は、いつもより派手にごきりと音を立てて、肩を回した。
 肩から背中にかけて、筋肉と骨がこわばっているのが判る。
 自分が思っていたよりずっと、体に無駄な力が入っていたようだ。
 背後でもう一度扉が開く。
 振り返ると、留置管理係の警官が、手錠をかけられ腰縄を巻かれた山下を促し、廊下へと出てくるところだった。
 係の二人が名波に軽く敬礼して反対方向へと歩いていく。山下はずっと下を向いたままだ。この数日で身体が一回り小さくなったようにすら感じる。
 名波は再度、ごきりと首を鳴らした。
 市野瀬巡査部長殺人未遂事件の臨時捜査本部と化した、小さな会議室へ戻る。
 書類とパソコンを抱えて名波の後を付いてきた捜査員、石川が、部屋の前で立ち止まった。
「では自分はここで」
 丸刈りの強面をさらにしかつめらしくいからせて、斜め横から調書を名波に差し出す。
 名波は、鼻を鳴らして片方の口角を上げると、ひったくるように調書を受け取った。
「そんな顔をしなくても、この後ずっと付き合えとは言わねえよ。ご苦労さん」
 石川は、名波が本来拝命している、捜査一課強行班の部下だ。
 名波とともに新宿キャバクラ嬢殺人事件の捜査本部に加わっていたが、今日は本庁に戻り、山下の取調に補助として入ってくれていた。
 臨時に応援に駆けつけてくれはしたが、そもそも部下の捜査員を新宿中央署に預けっぱなしで疑惑の渦中にある那臣の元へと馳せ参じた形の名波である。
 立場の微妙な上官に、これ以上付き従うのは御免だと思われていて当然だろう。
 ところが石川ときたら、こそこそと周りを伺うと、巨体を縮めて名波に耳打ちしてきたのだった。
「いえ、自分は班長とは関係ないていを装っておきますので。何か必要な情報がありましたら連絡してください」
 一瞬見開いた目を、軽い溜息とともにすいと細める。
「……とんだスパイ志願がいたもんだな。で、石川、俺に協力してお前に何のメリットがある?」
 眉間のしわを倍増させて武骨な部下に投げつけてやると、石川は、泣く子も黙るドスの利いた笑みを返してきた。
「メリット……はないですね。強いて言えば、そこの部屋の方々には世話になっておりますので、微力ながら助太刀したい、と」
「……まさか、お前もあれに何か食わせてもらったのか?」
「あれ?……ああ、あちらの方には、一度ラーメンをおごってもらいましたが」
「……あの野郎、そこいら中で付けしてんじゃねえよ……」
 餌付けという単語に、石川が軽く吹き出した。
「忠犬とまではいきませんが、少なくとも手を噛むような真似はしませんからご安心ください」
「……ああ、伝えておく」
「班長にもです。自分は班長の部下ですから」
 真面目な表情で敬礼すると、石川はきびすを返した。
 頬を微妙にひくつかせたまま、名波は扉を開けた。
「お疲れさまで~す」
 速攻で脳天気な市野瀬の挨拶が飛んでくる。
 少し遅れて、那臣がスマホから視線を上げ、席を立った。
「お疲れさまでした。結構時間がかかりましたね」
 当たり前のようにコーヒーをれてくれようとする。無意識とはいえ、まったく困った上官だ。
 すでにかなり、この上官のしつけが面倒くさくなっていた名波は、抵抗を諦めて無言で部屋に入り、どっかりと椅子に腰を下ろした。
 名波のデスクに紙コップを置いた那臣の顔を見る。
「何か?」
「……いえ、何も」
 しゃくさわるが、自分も見事に餌付けされているらしい。
 わざとらしく大きく息を吐き出し頭を振ると、名波は顔をしかめて熱いコーヒーをすすった。
「どうでしたか」
 那臣は、同じくコーヒーを啜りながら、名波のデスクの上に置かれた調書をのぞき込む。
 名波は那臣を振り返りもせず、後ろ手でひょいと調書を押しつけた。
「結局、百%こちらの予想通りのシナリオでしたね。完璧すぎて賭けにもなりゃしない」
 山下の取り調べは、今ので、のべ六回目になる。
 はじめこそ黙秘とも取れる沈黙を続けていた山下だが、次第にぽつりぽつりと、あの企みについて語り出していた。
「……仲良しグループで飲んでたら、最近調子こいてるたちってガキをシメてやろうと盛り上がりまして、手始めにアホな舎弟をボコろうかなと、ですよ。揃いも揃ってお前ら田舎のヤンキーかって突っ込んでやりたいですね」
 さりげに上官をガキ呼ばわりするのはお約束である。
 そしてこちらもお約束で、那臣はそのことに全く気付かず、深く溜息をついた。 
 市野瀬が渋谷南警察署の地階で襲撃されてから今日で四日。
 那臣たち『館組』は山下、それから入院中の五名の容疑者に事情聴取を行っていた。
 警察官同士、しかも警察署内で殺人が行われようとしていた、前代未聞の異常な事態である。
 動揺した警察上層部の体制が整わないうちに、那臣は動いた。
 市野瀬の無事を確認してすぐ本庁舎に戻った那臣は、刑事局長に面会を求め、有無を言わせず、この事件の捜査はすべて自分に一任するよう強く迫ったのだ。
 守護獣まもりのけものの主人である那臣には最大限の配慮をする、それは現在の警察上層部にとって絶対の方針だ。OB河原崎の息がかかった幹部さえ、公に異論を唱えることは不可能であった。
 もちろん襲撃者たちの身柄の安全について釘を指すことも忘れなかった。
 もし彼らの身に何事か起こったら、守護獣まもりのけものが黙ってはいない、と。
「この捜査に奴らの意思を介入させるわけにはいかない。お前の名前を使わせてもらうぞ」
 厳かにみはやへ宣言する。
 そしてすぐ顔を派手にしかめて、相棒に愚痴を吐き出した。
「……使わせてもらう、が……やっぱりあまり気分のいいもんじゃねえなあ……後ろ盾をちらつかせるなんて方法は」
 これだからこの主人の守護獣でありたいと思うのだ。
 電話口の向こうの那臣の表情が手に取るように判ったみはやは、声を立てて笑った。
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