モリウサギ

高村渚

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第四章 刑事の元へ、仲間が集う

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 その瞬間、市野瀬に向けられた拳銃ごと、襲撃者の体が吹き飛んだ。
 骨の砕ける音が耳に届くやいなや、市野瀬の頬を、皮膚が裂けそうな風圧がかすめる。
 三つの鈍い破壊音がほぼ同時に、そしてわずかな時間差で襲撃者三人が床に倒れ込む音と、胃液を吐いてのたうつうめき声が薄暗闇の地下に反響した。
 ふいに蛍光灯が息を吹き返す。
 まぶしさに目を細めながら、恭士がのんびりと近付いてきた。
 床に転がった男たちを、冷めきった目で見下ろす。
「おーお、まだ生きてるな……同僚を罠にハメて四人がかりで殺ろうなんて下衆どもだぞ? 
 那臣ともおみよ、当て止めなんぞ不要だろうが」
 かたわらで深く息を吐き出し、那臣は構えを解いた。
「……とはいえ同僚です。殺す気で繰り出す訳にいかないでしょう」
 冷静に行動するとみはやに宣言はした。
 それでもやはり、今まさに射殺される寸前の市野瀬を前に、穏便な手段を選ぶ余裕などなかった。
 文字通り秒殺で四人の襲撃者を沈めたのは、すんでのところで渋谷南署の地下に駆け込んできた、那臣の蹴りだった。
 あまりの早業に呆然と立ちすくんでいる市野瀬の両肩に手をる。
「市野瀬、大丈夫か? ……市野瀬?」
 市野瀬の瞳孔が開ききっている。
 手が小刻みに震えているのは、死闘の恐怖でなく歓喜の興奮だ。
「……うわぁ……ヤバいです……自分、見えなかったのは初めてです……感激です! 参事官強すぎます! 我らがラスボス最強です~っっっ!」
「…………全然大丈夫そうだな」
 廊下の奥では、山下が腰を抜かして座り込んでいた。
 がくがくと震え続ける山下に、傍らに立った名波がゆっくりと視線を合わせる。
 左の胸元の階級章をぐいとつまみ上げ、ゴミを捨てるかのように振り下ろした。
「……巡査部長、ね。首尾良く事が運んだら警部補に推薦してやるとでも言われたか? それとも早々に退職してどこかの会社の役員にしてやるとでも? 
 その輝かしい未来の前に、同僚殺人未遂事件の重要参考人として話を聞かせてもらうぞ」
「山下とやら、覚悟しとけよ。そのおっさんの取調は地獄だぞ~? 送検まで精神が保つよう祈っておいてやるよ」
 名波は苦虫をまとめて噛み潰したような顔で、それでも天敵の軽口に異は唱えなかった。
 汚い陰謀で大事な部下を殺されかけた、許すことなど絶対にできない。
 それは二人とも同じ思いであったからだ。
 凍り付いた空気が漂う地下の廊下へ、程なく大勢の人の気配がやってくる。
 先頭を切ってなだれ込んできたのは、たまたま一階ロビーに居合わせた刑事課の人間たちだった。
 血相変えて署内に飛び込んできた侵入者が、声を掛けるまもなく目の前を走り抜けていったのだ。
 一瞬あぜんとし、すぐさま暴漢たちの後を追いかけてきた。
 階段の踊り場には、那臣が当て身を喰らわした見張り役の警察官が白目をいて転がっている。そして階下の廊下には、瀕死の同僚が四人倒れうめいていた。
「……なっ…何だお前ら……!」
 警察署襲撃の現行犯を制圧しようと一人が詰め寄る、
 その鼻先にすいと腕を伸ばしたのは、最も階段に近い場所に立つ恭士だった。
「こちらが聞きたいんだがなあ、同じ警察官をよりにもよって署の地下に連れ込んで、なぶり殺そうとしたこいつら、何モンだ?」
 恭士の殺気にも似た冷たすぎる視線に、若い警官はひるんで後ずさる。
 その男を押し退けて、顔見知りの男が恭士の前に歩み出た。
「……倉田? そりゃどういうことだ? この状況は、いったい何が起こったっていうんだ? ってか何でお前がここに……」
 訳が判らず次々と疑問をぶつける男に応えたのは、奥から歩み寄ってきた那臣だった。
「お騒がせして申し訳ない、本庁刑事部参事官のたちです。事情を説明しますが、その前に彼らを病院に運んでもらえますか。部下の危機とはいえ、過剰に対応しすぎました」
 那臣の名前に、駆けつけた警官全員が息を呑む。
 那臣の背後では名波が心底イヤそうに舌打ちをした。やくは「お人好しにも程がある」だ。


 救急隊員が到着し、怪我を負った男たちが地下から運びだされていく。
 渋谷南署の地階と一階ロビーは騒然となった。
 騒ぎを聞きつけた署員たちも皆、自分たちのすぐ近くで何が起こったのか全く状況が判らず、渋谷南署内は混乱の極地にあった。
「ではお伺いしますが……その、こちらの市野瀬巡査部長が、うちの署員にいきなり襲われたと、そういうことですかな?」
 代表で説明を受けているのは、押っ取り刀でやってきた刑事課長の福田だ。
 いくら周りに人が多くいるとはいえ、暖房も入っていない地階の廊下で、流れ出る額の汗をせっせと拭っている。
「ええ、新宿・高輪の女性殺人事件と各地で発生している女性失踪事件、これらが関連する事件である可能性が浮上したという話はご存じかと思います。
 自分はこの一連の事件について広域での捜査を開始し、本日市野瀬巡査部長に命じて、渋谷南署において捜索願を受理した件の資料を取りに向かわせたところ、彼はそちらの山下巡査部長によってこの場所に案内されました」
 ちらりと廊下のすみに目をる。山下はずっと震えたまま、膝に顔を伏せ座り込んでいた。
「当初市野瀬巡査部長がこちら渋谷南署へ架電したときは、生活安全課へ立ち寄るよう指示されたそうです。しかし山下は生活安全課の部屋に向かわず、この場所へと市野瀬を誘い込んだ……」
 深く息をして、平静を邪魔する怒りの感情を押し殺す。
 市野瀬が剣の達人であることはよく判っていた。多少荒っぽい攻撃を受けても、応援が到着するまで受け流せる。そして機転も利き、何より接触してきた人間が、心の内に隠した悪意を敏感に読みとる才能がある。
 だからこそ、三好参事官が忍ばせてきた仕掛けに乗る芝居の配役を、市野瀬に振り当てたのだ。
 那臣たちが『オーディション』という言葉を探り当てるまで、各地で失踪した女性たちの周りにその言葉を思わせる手掛かりはほとんどなかったはずだ。
 あれだけ念入りに『オーディション』の事実が隠蔽いんぺいされていた玉置結奈の件を見れば容易に想像できるように、犯人は『オーディション』という言葉と女性たちの失踪との関連性を公には悟らせないよう、細心の注意を払っていたのだから。
 ところが、三好から渡されたリストには、数件、不自然なほど明確に『オーディションを受ける』というシチュエーションと失踪との関連性がうたわれている事件が紛れていた。
 自分たちをその事件の捜査へと誘う意図がある。
 そしてそこで何かを仕掛けてくる。那臣はそう読んだ。
「あとはどうやって仕掛けてくるか、ですね。わざわざ外国から殺し屋を呼び寄せ、情報提供者を消すために放火までする連中だ。何をやらかしてきてもおかしくない」
 名波は会議室で、ボールペンの背で眉間のしわをぐりぐりと押さえ、言った。
「参事官の性格を考えれば、本人への直接攻撃より、下のものを痛めつけられたほうが効く……吐き気しかしませんがね」
 那臣もいきどおりをこらえ、静かにうなずいた。
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